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第一部 第一章 枯木立の巻
二〇一六年二月七日 2016/02/07(日)昼間
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久しぶりに晴れた日曜日、澄子は滅多に行かないショッピングモールに出かけた。
柿坂が、音楽仲間とミニコンサートをやると聞いたからだ。
そもそも、公園で練習していたのもこの日のためだと後から知った。
先日、ポプラ公園で柿坂に(推定)告白した澄子は、連絡先の交換に成功した。かたくなに拒否されると思っていたが、柿坂は案外普通に応じてくれた。それほど大したことと思われていないのだろう。
――ここまで一気に進展するとは思わなかったな。
ただ、柿坂の気持ちは一切確認していない。
いや、する必要もない。
――このままで良いといったのは、わたしだからね。
ガラス張りの店内には、たっぷりと日差しが入り込み、人混みの中ではコートが邪魔になるくらい暖かい。そして、混雑の原因はある売り場ブースにあった。
――あ、バレンタインか。
当日を来週に控え、多くの女性客でごった返している。中には小学生くらいの少女たちが、お菓子作りの材料を選んでいた。
ふと、眼光鋭い男の顔が脳裏に浮かぶ。
――いや、ハードル高いでしょう。
だいたい、四十歳手前になった今、バレンタインで気合を入れることに、抵抗がある。
しかし、コンサートが終わってしまったら、柿坂はポプラ公園での練習をしなくなるのではないか。
そう考えたら、次に会う口実がなくなってしまう。
――。
少なくとも手作りはやめよう。
受け取ってもらえなくても、ガッカリしないように、自分が食べたいチョコにしよう。
澄子は言い聞かせながら、小さくて高めのチョコを一つ買った。
可愛らしい小さな紙袋に入れられ、持ち手に赤いリボンが結ばれる。キュッとなっている結び目を見つめ、澄子は猛烈に恥ずかしくなったが、同時にバレンタインがとてつもなく待ち遠しくなった。
広場では、すでに多くの客がステージを囲むように集まっている。メンバーが音合わせをする中、背が高い柿坂の姿もあった。見れば、二胡を腰のあたりで据えている。動画サイトでも立奏している演奏者がいたが、柿坂も今日はいつもと違う弾き方をするとわかるや、澄子も胸が躍った。
誰もが知っているドラマの主題歌から始まり、立て続けに何曲か演奏された。しっとりとしたバラードに、二胡の音が良く合っている。最後の曲を終えた時には、アンコールの拍手が客席から沸き起こった。
次の瞬間、けたたましい馬のいななきが響き渡った。どよめく客席の中、柿坂は今までとはまるで違う、エレキギターのような音を鳴らした。ロックのようで、でもやはり中国音楽だとわかる独特な音色、澄子は圧倒された。
そして、それ以上にショックだった。
――なんて、楽しそう。
柿坂を囲む音楽仲間たちは、澄子が知らない柿坂を知っている。それは当たり前のことなのに、ひどく悲しくなってきた。
あっという間にアンコールの曲は終わり、最後に馬がもう一鳴きすると、大歓声の拍手が上がった。澄子は、楽しそうに笑う柿坂に気づいて欲しくなり、無意識に人混みの中を進んでいく。そこへ、澄子より少し若い女性が、柿坂に先に声をかけた。
「こんにちは、柿坂さん。去年のゴールデンウィークも、ここに見に来たんですけど、今日の演奏を聴いて、やっぱり私も二胡に挑戦してみたいって思いました」
「そうですか」
そっけない受け答えではあったが、女性はなおも柿坂に近づき、あろうことか、二胡を触らせてもらっていた。
「レッスンとかしていないんですか?」
「自分もまだ修行中ですからね」
「えー、充分お上手ですよ。いいなあ」
――。
今、確実に自分だけが弾き出される感覚があった。
いや、最初からこれで良いって、思っていたはずじゃないのか。
このままで良いって、自分で――。
途端に息苦しくなる。
――どうして。おかしい。
澄子は、慌ててその場を離れた。
「わっ!」
その時、目の前の男とぶつかり、身体がよろけた。何とか踏みとどまったが、男が手を差し伸べようとしていた。
「すみません、子どもに気を取られちゃって。平気ですか」
「ひ、い!」
澄子が短く悲鳴を上げると、ステージ上の柿坂がこちらに気づいたようだった。
――見ないで。
澄子は、震える身体を抱えて逃げ出した。
柿坂が、音楽仲間とミニコンサートをやると聞いたからだ。
そもそも、公園で練習していたのもこの日のためだと後から知った。
先日、ポプラ公園で柿坂に(推定)告白した澄子は、連絡先の交換に成功した。かたくなに拒否されると思っていたが、柿坂は案外普通に応じてくれた。それほど大したことと思われていないのだろう。
――ここまで一気に進展するとは思わなかったな。
ただ、柿坂の気持ちは一切確認していない。
いや、する必要もない。
――このままで良いといったのは、わたしだからね。
ガラス張りの店内には、たっぷりと日差しが入り込み、人混みの中ではコートが邪魔になるくらい暖かい。そして、混雑の原因はある売り場ブースにあった。
――あ、バレンタインか。
当日を来週に控え、多くの女性客でごった返している。中には小学生くらいの少女たちが、お菓子作りの材料を選んでいた。
ふと、眼光鋭い男の顔が脳裏に浮かぶ。
――いや、ハードル高いでしょう。
だいたい、四十歳手前になった今、バレンタインで気合を入れることに、抵抗がある。
しかし、コンサートが終わってしまったら、柿坂はポプラ公園での練習をしなくなるのではないか。
そう考えたら、次に会う口実がなくなってしまう。
――。
少なくとも手作りはやめよう。
受け取ってもらえなくても、ガッカリしないように、自分が食べたいチョコにしよう。
澄子は言い聞かせながら、小さくて高めのチョコを一つ買った。
可愛らしい小さな紙袋に入れられ、持ち手に赤いリボンが結ばれる。キュッとなっている結び目を見つめ、澄子は猛烈に恥ずかしくなったが、同時にバレンタインがとてつもなく待ち遠しくなった。
広場では、すでに多くの客がステージを囲むように集まっている。メンバーが音合わせをする中、背が高い柿坂の姿もあった。見れば、二胡を腰のあたりで据えている。動画サイトでも立奏している演奏者がいたが、柿坂も今日はいつもと違う弾き方をするとわかるや、澄子も胸が躍った。
誰もが知っているドラマの主題歌から始まり、立て続けに何曲か演奏された。しっとりとしたバラードに、二胡の音が良く合っている。最後の曲を終えた時には、アンコールの拍手が客席から沸き起こった。
次の瞬間、けたたましい馬のいななきが響き渡った。どよめく客席の中、柿坂は今までとはまるで違う、エレキギターのような音を鳴らした。ロックのようで、でもやはり中国音楽だとわかる独特な音色、澄子は圧倒された。
そして、それ以上にショックだった。
――なんて、楽しそう。
柿坂を囲む音楽仲間たちは、澄子が知らない柿坂を知っている。それは当たり前のことなのに、ひどく悲しくなってきた。
あっという間にアンコールの曲は終わり、最後に馬がもう一鳴きすると、大歓声の拍手が上がった。澄子は、楽しそうに笑う柿坂に気づいて欲しくなり、無意識に人混みの中を進んでいく。そこへ、澄子より少し若い女性が、柿坂に先に声をかけた。
「こんにちは、柿坂さん。去年のゴールデンウィークも、ここに見に来たんですけど、今日の演奏を聴いて、やっぱり私も二胡に挑戦してみたいって思いました」
「そうですか」
そっけない受け答えではあったが、女性はなおも柿坂に近づき、あろうことか、二胡を触らせてもらっていた。
「レッスンとかしていないんですか?」
「自分もまだ修行中ですからね」
「えー、充分お上手ですよ。いいなあ」
――。
今、確実に自分だけが弾き出される感覚があった。
いや、最初からこれで良いって、思っていたはずじゃないのか。
このままで良いって、自分で――。
途端に息苦しくなる。
――どうして。おかしい。
澄子は、慌ててその場を離れた。
「わっ!」
その時、目の前の男とぶつかり、身体がよろけた。何とか踏みとどまったが、男が手を差し伸べようとしていた。
「すみません、子どもに気を取られちゃって。平気ですか」
「ひ、い!」
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――見ないで。
澄子は、震える身体を抱えて逃げ出した。
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