11 / 23
第一部 第二章 花滞雨の巻
二〇一六年三月二十日 2016/03/20(日)夕方
しおりを挟む
紗枝と別れた後、澄子は駅前の量販店で缶ビールを買うと、ため息を吐いた。
――ヤル気なし。
日曜の晩くらいは、きちんと料理をしようなどと年初めに決意したが、それもいい加減になってきた。一人暮らしで食事に力を入れたところで、どこか虚しい気がする、そんな言い訳ばかりが増えた。
――誰かと一緒なら。
こんなことを思うたび、柿坂の鋭い顔が浮かぶ。これは、男と関わりを避けてきた澄子にとっては考えられないことでもあった。
――柿坂さん、今日は何をして過ごしていましたか。
――柿坂さん、最後に会ってから、もう一カ月も経つんですね。
――柿坂さん。
「……わたし、どうしたら良いですか」
つい、口から言葉が出てしまった。
誰にも聞かれていないことを確認すると、澄子は足早に駅のコンコースを通り抜けた。
その時、ふいにギターの音が聞こえたかと思うと、ほぼ同時に拍手が沸き起こった。まばらではあったが、コンコースの先の広場に人だかりが出来ている。
その中心には小柄な少女と、ギターの少年がいた。
少女は一礼すると、その華奢な身体からは想像つかないような、少しハスキーな低い声で歌い始めた。
君の 呼吸をするような まばたきが好き
僕は願うよ
その目が ずっと伏せられないように
君の 小さな 優しい八重歯が好き
僕は願うよ
アイツで良いから
君が ずっと幸せであるように
――あんなに若い子が、何て切ない歌を。
おそらく高校生か大学生くらいだろう。
あの年齢の少年少女なら、もっと明るく青春を謳歌するような曲を選ぶかと思っていたが、これは驚きだった。
ゆったりと、ギターのストロークが終わると、拍手を送る者、そっと立ち去る者とで、コンコースは人で入り乱れた。
ギターの少年が少女に声をかけた。少女は、何かにうなずいている。少年はさらに少女の頭を軽く叩くと、今度は二人で笑い合った。
――。
今までなら、見向きもしないで通り過ぎていた光景だろう。
それが、柿坂と出会ってから、澄子はあらゆるカップルに、無意識に自分たちを重ねては、勝手に消沈していた。
――よりによって、こんな若い子たちと比べてしまうなんて。
若さ以上に羨ましいものがある。
それが何かは――。
「あの……?」
突然、ギターの少年が会釈をしつつ、しかし怪訝な顔で澄子に話しかけてきた。
あまりに凝視し過ぎたせいで、相手にも気づかれたらしい。完全な不審者だ。
「ご、ごめんなさい。何でもないの」
「聴いて下さり、ありがとうございます」
少女が頭を下げる。どうやら、良い方向に解釈してくれたようだ。澄子も慌てて話を合わせる。
「あ、すごく良かったです……ギターも歌もお上手で……」
「そんな、たいしたことないですよ、ねえ?」
「まだまだです。優花はともかく、オレのギターはまだ全然」
「祐樹も確実に上手くなってるってば!みんな聴いてくれたじゃん」
――ああ、良い子たちだ。
職場でも、若者と関わることがない澄子だが、この二人は好感が持てた。落ち着いていて、変に大人ぶらないところも良い。
会話から、少年は祐樹、少女は優花という名前らしい。
その音が似ているのも、どこか羨ましくなってしまった。
「いつも、ここでストリートライブしているんですか?」
「この駅は最近です。一応、これでもオレはプロ志望なんですけど、彼女はそうでもないみたいで」
「だって、好きな歌を好きに歌いたいだけだもん。ボイトレとかイヤだよ」
その後も二人は音楽の話で盛り上がった。
なぜか、ここで柿坂の顔が浮かぶ。
――柿坂さんと……こんな風に話せる日なんて来るのかな。
祐樹がギターケースを担いだ。その動作が、そのまま二胡のケースを担ぐ柿坂に重なる。
――うわ。
会いたい。
「お姉さん、よかったらまた聴きに来てください」
「え、あ、うん!もちろん」
「本当ですか、嬉しいです!来週の日曜日も同じ時間で歌ってますから、是非!」
そして二人は澄子に会釈をしながら、改札口の方へ歩いていった。
見送った先、人混みで見えなくなる寸前で、二人がそっと手を繋いだのが、澄子の脳裏から離れなくなってしまった。
――ヤル気なし。
日曜の晩くらいは、きちんと料理をしようなどと年初めに決意したが、それもいい加減になってきた。一人暮らしで食事に力を入れたところで、どこか虚しい気がする、そんな言い訳ばかりが増えた。
――誰かと一緒なら。
こんなことを思うたび、柿坂の鋭い顔が浮かぶ。これは、男と関わりを避けてきた澄子にとっては考えられないことでもあった。
――柿坂さん、今日は何をして過ごしていましたか。
――柿坂さん、最後に会ってから、もう一カ月も経つんですね。
――柿坂さん。
「……わたし、どうしたら良いですか」
つい、口から言葉が出てしまった。
誰にも聞かれていないことを確認すると、澄子は足早に駅のコンコースを通り抜けた。
その時、ふいにギターの音が聞こえたかと思うと、ほぼ同時に拍手が沸き起こった。まばらではあったが、コンコースの先の広場に人だかりが出来ている。
その中心には小柄な少女と、ギターの少年がいた。
少女は一礼すると、その華奢な身体からは想像つかないような、少しハスキーな低い声で歌い始めた。
君の 呼吸をするような まばたきが好き
僕は願うよ
その目が ずっと伏せられないように
君の 小さな 優しい八重歯が好き
僕は願うよ
アイツで良いから
君が ずっと幸せであるように
――あんなに若い子が、何て切ない歌を。
おそらく高校生か大学生くらいだろう。
あの年齢の少年少女なら、もっと明るく青春を謳歌するような曲を選ぶかと思っていたが、これは驚きだった。
ゆったりと、ギターのストロークが終わると、拍手を送る者、そっと立ち去る者とで、コンコースは人で入り乱れた。
ギターの少年が少女に声をかけた。少女は、何かにうなずいている。少年はさらに少女の頭を軽く叩くと、今度は二人で笑い合った。
――。
今までなら、見向きもしないで通り過ぎていた光景だろう。
それが、柿坂と出会ってから、澄子はあらゆるカップルに、無意識に自分たちを重ねては、勝手に消沈していた。
――よりによって、こんな若い子たちと比べてしまうなんて。
若さ以上に羨ましいものがある。
それが何かは――。
「あの……?」
突然、ギターの少年が会釈をしつつ、しかし怪訝な顔で澄子に話しかけてきた。
あまりに凝視し過ぎたせいで、相手にも気づかれたらしい。完全な不審者だ。
「ご、ごめんなさい。何でもないの」
「聴いて下さり、ありがとうございます」
少女が頭を下げる。どうやら、良い方向に解釈してくれたようだ。澄子も慌てて話を合わせる。
「あ、すごく良かったです……ギターも歌もお上手で……」
「そんな、たいしたことないですよ、ねえ?」
「まだまだです。優花はともかく、オレのギターはまだ全然」
「祐樹も確実に上手くなってるってば!みんな聴いてくれたじゃん」
――ああ、良い子たちだ。
職場でも、若者と関わることがない澄子だが、この二人は好感が持てた。落ち着いていて、変に大人ぶらないところも良い。
会話から、少年は祐樹、少女は優花という名前らしい。
その音が似ているのも、どこか羨ましくなってしまった。
「いつも、ここでストリートライブしているんですか?」
「この駅は最近です。一応、これでもオレはプロ志望なんですけど、彼女はそうでもないみたいで」
「だって、好きな歌を好きに歌いたいだけだもん。ボイトレとかイヤだよ」
その後も二人は音楽の話で盛り上がった。
なぜか、ここで柿坂の顔が浮かぶ。
――柿坂さんと……こんな風に話せる日なんて来るのかな。
祐樹がギターケースを担いだ。その動作が、そのまま二胡のケースを担ぐ柿坂に重なる。
――うわ。
会いたい。
「お姉さん、よかったらまた聴きに来てください」
「え、あ、うん!もちろん」
「本当ですか、嬉しいです!来週の日曜日も同じ時間で歌ってますから、是非!」
そして二人は澄子に会釈をしながら、改札口の方へ歩いていった。
見送った先、人混みで見えなくなる寸前で、二人がそっと手を繋いだのが、澄子の脳裏から離れなくなってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる