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調査助手を引き受けました3
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気を引き締めたが、私がすることは何もなかった。
ただ、高価な装飾がついたソファーの上で、茶葉そのままみたいな、香り高い紅茶を飲んでいるだけだ。
しかし、カップの持ち方や座る所作、ひとつひとつに気を配らねばならない。
そんな私とは反対に、穂積さんはとてもリラックスした様子で、ときどき近くの人と談笑している。
「おい、琴美。マネキンみたいだぞ」
穂積さんが珈琲に口をつけながら、私を見て言う。
「仕方ないじゃないですか。こんなすごい所、人生初体験なんですから」
私は小声で言い返す。
この仕事が終わったら、翔を呼び出し、居酒屋で奢らせてやることにする。
紅茶を飲み終わると、ちょうど穂積さんが戻ってきた。
「琴美。俺たちも動くぞ」
「は、はい」
誰を追っているのか、私には全くわからなかったが、調査は進んでいるらしい。私は穂積さんの指示通りに動いた。
建物の中には、ダンスフロアや映画館、テニスコートまであり、階を行ったり来たりして調査が終わる頃には、ヘトヘトとなっていた。
ヒールで靴擦れを起こしており、もう一歩も歩けそうにない。
「さあ、事務所戻って、証拠写真の印刷と書類作成すんぞ」
「え?!まだあるんですか?」
というか、私は付き添いだけで、良かったのではなかったか。
「馬ー鹿。雑用も含まれてるに決まってんだろ」
……決まってるんだ。
それにしても、口悪いなこの人は、と思いつつ謝礼金もまだなので、黙ってついて帰ることにする。
私の謝礼金。せめて四桁はありますように、と願う。
そのときだった。穂積さんが軽くしゃがんだかと思うと、急に体を持ち上げられ、悲鳴を上げてしまう。
「五月蝿い奴だな。次、悲鳴あげたら落とすからな」
穂積さんなら、平気で落としそうだ。
ではなくて。
「なんで、その、お、お姫様抱っこを?」
「俺もしたくないけど。怪我してるんだろ、お前」
どうやら、靴擦れのことに気づかれていたらしい。
「私も、穂積さんにされたくなかったです」
照れているのがバレたくなくて、わざと嫌味なことを言うと、なぜか鼻で笑われた。
「ちょっと、何ですか?今の笑いは」
「いや、どうせ今まで、お姫様抱っこなんてされたことないだろ」
「はあ?されたことくらい、あります」
完全な嘘であった。しかし、このまま彼に負けているのは、精神的にくるところがある。
私たちは車につくまで、売り言葉に買い言葉の状態で言い合いをした。
「ほら、謝礼金」
そう言って渡された封筒には、諭吉が数十枚ほど詰め込まれていた。
お給料の一ヶ月分以上はある。
「えっと、ここから服と靴代を引くんですよね?」
と確認すると、「差し引いてそれだけだ」と言われた。
つまり、封筒に入っているお金、全てが手元に入るということになる。
四桁の額ではなくて良かったが、これでは逆に申し訳ないというもの。
「あの、買ったワンピースとヒール置いていきましょうか?」
また同じようなことになった場合、誰かが着てくれたらいいという思いつきで言ったのだが。
「要らねぇ。俺にそんな趣味は一切ない」
誰も穂積さんに着て貰いたい、なんて言っていない。
折角だから、ワンピースを着た上にロングコートを羽織り、帰ることにした。
「あの、穂積さん」
帰る前に、一言挨拶がしたくて、彼に呼びかけたが、穂積さんはパソコンの画面を見たまま、顔を向けてくれようとはしない。
「それでは、私、帰りますね」
「おう。ご苦労さん」
私はもう一度、彼の顔をちらり、と見た。
初めて会ったときは、すっごく失礼な、捻くれ者だと思っていた。
だけど、半日一緒に行動して、今、少しだけ彼から離れ難い気持ちになっている。
この事務所を出たら、きっともう会うことはないかもしれない。
「穂積さん!」
手をかけていたドアノブを離し、彼の机に振り返った。
「……なんだよ」
やっと、穂積さんと目が合う。
その目が、寂しそうに見えた。
「もしかして、穂積さんも寂しいんですか?」
穂積さんは目を伏せると、煙草をくわえて火をつけた。
白い煙が揺蕩う。
「そのまま、そのドアから出ればよかったのに」
夜の薄暗い事務所に、ポツリと呟きが響く。
私は彼から目が離せなくなっていた。
彼が机から立ち、私の元へゆっくりと近づいてくる。そして、腰を引かれる。
鼻孔をくすぐる煙草の匂いに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
『調査助手を引き受けました』ー終ー
ただ、高価な装飾がついたソファーの上で、茶葉そのままみたいな、香り高い紅茶を飲んでいるだけだ。
しかし、カップの持ち方や座る所作、ひとつひとつに気を配らねばならない。
そんな私とは反対に、穂積さんはとてもリラックスした様子で、ときどき近くの人と談笑している。
「おい、琴美。マネキンみたいだぞ」
穂積さんが珈琲に口をつけながら、私を見て言う。
「仕方ないじゃないですか。こんなすごい所、人生初体験なんですから」
私は小声で言い返す。
この仕事が終わったら、翔を呼び出し、居酒屋で奢らせてやることにする。
紅茶を飲み終わると、ちょうど穂積さんが戻ってきた。
「琴美。俺たちも動くぞ」
「は、はい」
誰を追っているのか、私には全くわからなかったが、調査は進んでいるらしい。私は穂積さんの指示通りに動いた。
建物の中には、ダンスフロアや映画館、テニスコートまであり、階を行ったり来たりして調査が終わる頃には、ヘトヘトとなっていた。
ヒールで靴擦れを起こしており、もう一歩も歩けそうにない。
「さあ、事務所戻って、証拠写真の印刷と書類作成すんぞ」
「え?!まだあるんですか?」
というか、私は付き添いだけで、良かったのではなかったか。
「馬ー鹿。雑用も含まれてるに決まってんだろ」
……決まってるんだ。
それにしても、口悪いなこの人は、と思いつつ謝礼金もまだなので、黙ってついて帰ることにする。
私の謝礼金。せめて四桁はありますように、と願う。
そのときだった。穂積さんが軽くしゃがんだかと思うと、急に体を持ち上げられ、悲鳴を上げてしまう。
「五月蝿い奴だな。次、悲鳴あげたら落とすからな」
穂積さんなら、平気で落としそうだ。
ではなくて。
「なんで、その、お、お姫様抱っこを?」
「俺もしたくないけど。怪我してるんだろ、お前」
どうやら、靴擦れのことに気づかれていたらしい。
「私も、穂積さんにされたくなかったです」
照れているのがバレたくなくて、わざと嫌味なことを言うと、なぜか鼻で笑われた。
「ちょっと、何ですか?今の笑いは」
「いや、どうせ今まで、お姫様抱っこなんてされたことないだろ」
「はあ?されたことくらい、あります」
完全な嘘であった。しかし、このまま彼に負けているのは、精神的にくるところがある。
私たちは車につくまで、売り言葉に買い言葉の状態で言い合いをした。
「ほら、謝礼金」
そう言って渡された封筒には、諭吉が数十枚ほど詰め込まれていた。
お給料の一ヶ月分以上はある。
「えっと、ここから服と靴代を引くんですよね?」
と確認すると、「差し引いてそれだけだ」と言われた。
つまり、封筒に入っているお金、全てが手元に入るということになる。
四桁の額ではなくて良かったが、これでは逆に申し訳ないというもの。
「あの、買ったワンピースとヒール置いていきましょうか?」
また同じようなことになった場合、誰かが着てくれたらいいという思いつきで言ったのだが。
「要らねぇ。俺にそんな趣味は一切ない」
誰も穂積さんに着て貰いたい、なんて言っていない。
折角だから、ワンピースを着た上にロングコートを羽織り、帰ることにした。
「あの、穂積さん」
帰る前に、一言挨拶がしたくて、彼に呼びかけたが、穂積さんはパソコンの画面を見たまま、顔を向けてくれようとはしない。
「それでは、私、帰りますね」
「おう。ご苦労さん」
私はもう一度、彼の顔をちらり、と見た。
初めて会ったときは、すっごく失礼な、捻くれ者だと思っていた。
だけど、半日一緒に行動して、今、少しだけ彼から離れ難い気持ちになっている。
この事務所を出たら、きっともう会うことはないかもしれない。
「穂積さん!」
手をかけていたドアノブを離し、彼の机に振り返った。
「……なんだよ」
やっと、穂積さんと目が合う。
その目が、寂しそうに見えた。
「もしかして、穂積さんも寂しいんですか?」
穂積さんは目を伏せると、煙草をくわえて火をつけた。
白い煙が揺蕩う。
「そのまま、そのドアから出ればよかったのに」
夜の薄暗い事務所に、ポツリと呟きが響く。
私は彼から目が離せなくなっていた。
彼が机から立ち、私の元へゆっくりと近づいてくる。そして、腰を引かれる。
鼻孔をくすぐる煙草の匂いに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
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