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10話 犠牲と約束
11.緊張
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二人はしばしそのまま無言になり、カイオが休息のために深く呼吸する音ばかりが大きく聞こえた。
竜の足音は遠くから僅かに聞こえており、まだこちらに近づいてくる様子は聞き取れない。
少しして、カイオがまた口を開く。
「一応確認しておきますが、先ほどと同規模の幻惑魔法はもはや使えません。仮に魔力が回復するまで待ったとしても、警戒心を強めた竜に再度かけるのは不可能でしょう」
「…うん。分かってる」
セノンはカイオの言葉に頷く。
それはセノンにも分かっていたことだ。
「内臓の一部と片目、片翼にダメージを与えたため、動きはかなり鈍っているでしょう。特に翼を断てたおかげで、まず飛ぶことは出来ません。遠距離攻撃の乏しい私たちにとっては、大きな成果です」
話しながらカイオはふうと息を吐く。
表情はいつも通り飄々としているが、やはりまだ疲れはあるようだ。
「ただ飛行能力を奪い、動きを鈍らせたといっても、正面からまともに挑めば二人がかりでも簡単に蹴散らされるでしょう。あの竜は、それほどの存在です」
「…うん」
セノンは再び頷く。
それも、逃げ出す前に強く感じたことだ。
幻惑魔法の効果がまだ残っている状態でも、セノンは防戦一方だった。
カイオと二人がかりになったとしても、魔法効果が抜けた竜に勝てるビジョンが見えてこない。
「現状を確認したうえで、改めてお聞きします。…まだ、やりますか?」
カイオの静かな言葉に、セノンは顔を強張らせる。
言外に、カイオは訴えていた。
これ以上は難しいと。
ここが、引き際だと。
「…カイオ。僕はまだ、諦めたくない…悪いけど、もう少し付き合ってくれないかな」
しかし、セノンはそう答えた。
まだ一度失敗しただけだ。
ほとんど負傷もしていない。
カイオの疲労は蓄積したが、休めば何とでもなるレベルだ。
事前に準備していた策も、まだあることにはある。
まだ、やれる。
「…まあ、そう言われると思いました。もう少しやってみましょう」
セノンのその返事は、カイオも予想していたのだろう。
あっさりと、カイオはそう返した。
そして言葉と共に、カイオは自らの手をさするセノンの手を握り返した。
話している間に手にはぬくもりが戻り、確かな力が込められていた。
「うん。…ありがとう、カイオ」
二人はその後、これから竜相手にどう立ち回るかを話し合う。
そしておおよその戦い方を決め、最低限十分な休息が取れたと判断すると、すぐに竜を目指して歩き始めた。
ないとは思うが、もたもたしている間に竜がこちらを追うのを諦めて、遥か遠くへと移動を始めてしまうとまずい。
「…いた。これ以上近づくと、気づかれるかも」
足音や荒い呼吸音を頼りに竜を発見したセノンが、背後のカイオにそう告げる。
まだいくらか距離はあるが、竜の鋭敏な感覚は何かを感じ取りかけているらしい。
あたりを見渡す竜の動きがせわしなくなっている。
「でしたらここで態勢を整えて、仕掛けましょう」
「…分かった」
セノンは自らの胸に手を当て、かなり強めに強化魔法をかける。
緊張と、もうこれ以上失敗出来ないという不安感から、体が強張る。
先程少し戦ってはっきりと実感したが、竜は想像以上に強く、恐ろしい存在だった。
久しぶりにセノンは、相対する魔獣そのものに対し、「恐れ」を感じていた。
僅かに、体も震えている。
そこに、女物の服の上から皮鎧を身に着けたカイオが声をかけた。
「セノン様、私にも強化魔法をお願いします。現状の調子だと、このまま竜と立ち会うのは少々不安です」
「ああうん、了解」
カイオの要請に対し、セノンは声を潜めて短く返事をする。
大規模魔法で失った体力と魔力はおおよそ回復していても、僅かにカイオの動きは鈍ってしまうだろう。
強化魔法が必要だという意見には、特に疑問も感じなかった。
そのままセノンはカイオに向けて右手を伸ばし、強化魔法をかけるべく洋剣を握っていないほうの手を掴もうとした。
しかし逆に、カイオに腕を掴まれてしまう。
「ちょ、何して…」
「そっちではなく、こっちでしょう」
カイオはそのまま、皮鎧の隙間から器用にセノンの掌を侵入させ、自らの胸に押し付けた。
今は男装をしておらず女物の服を着ているので、当然柔らかな膨らみに触れることになる。
「うわっ…!?」
「静かに。竜に気づかれます」
セノンは思わず声を上げかけたが、カイオが素早く反対の手でセノンの口を塞いで止めた。
「いい加減触れるのに慣れて下さい。というか、なぜ私の胸に触れるのを意図的に避けるのですか」
「もが…!」
カイオの淡々とした物言いにセノンは抗議の声を上げようとするが、口を塞がれているためにそれも出来ない。
不意を突いていきなり触らせてきたのはカイオだし、相手がカイオとはいえ女性の体に易々触れられるわけがない。
しかもいつもの男装中ならまだしも、女物の服を着ている今ならなおさらだ。
セノンの抗議の視線に気づいたのか、カイオは再び淡々と言葉を続ける。
「竜を相手に恥も外聞も不要です。別に減るものでもありませんし」
「むぐ…」
セノンは顔を赤くしつつも、諦めてカイオの心臓に強化魔法を流し込んだ。
口を塞ぐ相手の胸に触れている状態が、なんだか妙に恥ずかしかった。
どことなくカイオがちょっと愉快そうにしているのも癪に障るし、さっさと終わらせてしまいたい。
仕方がなかったとはいえ、カイオに心臓への魔法イメージがばれたことは致命的だったかもしれない、とセノンは改めて認識した。
ただそれは戦闘に対する事柄ではなく、セノンの心の平穏についてのことだが。
敵対する恐ろしい竜の傍に忍び寄りながら、セノンは一時竜のことを忘れ、自ら従者のことに頭を悩ませた。
体から余計な力が抜けリラックスしていたことには、その時は気付けなかった。
竜の足音は遠くから僅かに聞こえており、まだこちらに近づいてくる様子は聞き取れない。
少しして、カイオがまた口を開く。
「一応確認しておきますが、先ほどと同規模の幻惑魔法はもはや使えません。仮に魔力が回復するまで待ったとしても、警戒心を強めた竜に再度かけるのは不可能でしょう」
「…うん。分かってる」
セノンはカイオの言葉に頷く。
それはセノンにも分かっていたことだ。
「内臓の一部と片目、片翼にダメージを与えたため、動きはかなり鈍っているでしょう。特に翼を断てたおかげで、まず飛ぶことは出来ません。遠距離攻撃の乏しい私たちにとっては、大きな成果です」
話しながらカイオはふうと息を吐く。
表情はいつも通り飄々としているが、やはりまだ疲れはあるようだ。
「ただ飛行能力を奪い、動きを鈍らせたといっても、正面からまともに挑めば二人がかりでも簡単に蹴散らされるでしょう。あの竜は、それほどの存在です」
「…うん」
セノンは再び頷く。
それも、逃げ出す前に強く感じたことだ。
幻惑魔法の効果がまだ残っている状態でも、セノンは防戦一方だった。
カイオと二人がかりになったとしても、魔法効果が抜けた竜に勝てるビジョンが見えてこない。
「現状を確認したうえで、改めてお聞きします。…まだ、やりますか?」
カイオの静かな言葉に、セノンは顔を強張らせる。
言外に、カイオは訴えていた。
これ以上は難しいと。
ここが、引き際だと。
「…カイオ。僕はまだ、諦めたくない…悪いけど、もう少し付き合ってくれないかな」
しかし、セノンはそう答えた。
まだ一度失敗しただけだ。
ほとんど負傷もしていない。
カイオの疲労は蓄積したが、休めば何とでもなるレベルだ。
事前に準備していた策も、まだあることにはある。
まだ、やれる。
「…まあ、そう言われると思いました。もう少しやってみましょう」
セノンのその返事は、カイオも予想していたのだろう。
あっさりと、カイオはそう返した。
そして言葉と共に、カイオは自らの手をさするセノンの手を握り返した。
話している間に手にはぬくもりが戻り、確かな力が込められていた。
「うん。…ありがとう、カイオ」
二人はその後、これから竜相手にどう立ち回るかを話し合う。
そしておおよその戦い方を決め、最低限十分な休息が取れたと判断すると、すぐに竜を目指して歩き始めた。
ないとは思うが、もたもたしている間に竜がこちらを追うのを諦めて、遥か遠くへと移動を始めてしまうとまずい。
「…いた。これ以上近づくと、気づかれるかも」
足音や荒い呼吸音を頼りに竜を発見したセノンが、背後のカイオにそう告げる。
まだいくらか距離はあるが、竜の鋭敏な感覚は何かを感じ取りかけているらしい。
あたりを見渡す竜の動きがせわしなくなっている。
「でしたらここで態勢を整えて、仕掛けましょう」
「…分かった」
セノンは自らの胸に手を当て、かなり強めに強化魔法をかける。
緊張と、もうこれ以上失敗出来ないという不安感から、体が強張る。
先程少し戦ってはっきりと実感したが、竜は想像以上に強く、恐ろしい存在だった。
久しぶりにセノンは、相対する魔獣そのものに対し、「恐れ」を感じていた。
僅かに、体も震えている。
そこに、女物の服の上から皮鎧を身に着けたカイオが声をかけた。
「セノン様、私にも強化魔法をお願いします。現状の調子だと、このまま竜と立ち会うのは少々不安です」
「ああうん、了解」
カイオの要請に対し、セノンは声を潜めて短く返事をする。
大規模魔法で失った体力と魔力はおおよそ回復していても、僅かにカイオの動きは鈍ってしまうだろう。
強化魔法が必要だという意見には、特に疑問も感じなかった。
そのままセノンはカイオに向けて右手を伸ばし、強化魔法をかけるべく洋剣を握っていないほうの手を掴もうとした。
しかし逆に、カイオに腕を掴まれてしまう。
「ちょ、何して…」
「そっちではなく、こっちでしょう」
カイオはそのまま、皮鎧の隙間から器用にセノンの掌を侵入させ、自らの胸に押し付けた。
今は男装をしておらず女物の服を着ているので、当然柔らかな膨らみに触れることになる。
「うわっ…!?」
「静かに。竜に気づかれます」
セノンは思わず声を上げかけたが、カイオが素早く反対の手でセノンの口を塞いで止めた。
「いい加減触れるのに慣れて下さい。というか、なぜ私の胸に触れるのを意図的に避けるのですか」
「もが…!」
カイオの淡々とした物言いにセノンは抗議の声を上げようとするが、口を塞がれているためにそれも出来ない。
不意を突いていきなり触らせてきたのはカイオだし、相手がカイオとはいえ女性の体に易々触れられるわけがない。
しかもいつもの男装中ならまだしも、女物の服を着ている今ならなおさらだ。
セノンの抗議の視線に気づいたのか、カイオは再び淡々と言葉を続ける。
「竜を相手に恥も外聞も不要です。別に減るものでもありませんし」
「むぐ…」
セノンは顔を赤くしつつも、諦めてカイオの心臓に強化魔法を流し込んだ。
口を塞ぐ相手の胸に触れている状態が、なんだか妙に恥ずかしかった。
どことなくカイオがちょっと愉快そうにしているのも癪に障るし、さっさと終わらせてしまいたい。
仕方がなかったとはいえ、カイオに心臓への魔法イメージがばれたことは致命的だったかもしれない、とセノンは改めて認識した。
ただそれは戦闘に対する事柄ではなく、セノンの心の平穏についてのことだが。
敵対する恐ろしい竜の傍に忍び寄りながら、セノンは一時竜のことを忘れ、自ら従者のことに頭を悩ませた。
体から余計な力が抜けリラックスしていたことには、その時は気付けなかった。
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