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23. 痛覚
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重華が痛みを感じられるようになること、それは晧月が望んだことのはずだった。
しかし、目の前で青白い顔で倒れ込んだ重華を見た晧月は、あまりの間の悪さに全く喜ぶことができなかった。
今、晧月の目の前には、柳太医によって処置され、うつ伏せに寝かされている重華がいる。
処置中に一度意識を取り戻した重華は、痛み止めを飲んだ後、その薬の効果もあってそのまま眠りについた。
重華の体調を考えると、強すぎる薬は危険だという太医の判断により、痛み止めはあまり強くないものが処方されたらしい。
そのため薬の効力が弱いのか、たまに痛みに顔を歪めている姿が晧月の目には非常に痛々しく映る。
それでも不幸中の幸いだったのは、重華が痛みを感じているのは、先ほどの丞相による傷のみ。
なぜだかわからないけれど、入宮前の傷には痛みを感じていないようだった。
治りきっていない傷や痣はまだまだ多い、その全ての痛みを感じていたら、今頃もっと苦痛に襲われていたのだろうと思うと、晧月はこの時ばかりは重華が痛みを感じないことを喜ばしいと思ってしまった。
「陛下」
「ああ、わかっている」
控え目に自身を呼ぶ雪梅の声が、晧月の元へ届く。
皆まで言われずとも、晧月は全てを理解している。
今の関係性を考え、牢へ入れるという選択肢は取れず、人知れず天藍殿の中へと連れて行かせた丞相はまだそのままである。
今日、行うべき政務もまだ、天藍殿に山積みだった。
それでも、晧月は重華と離れ難く思っていた。
(いつまでも、こうしているわけにもいかない)
どうせ、重華はすぐに目を覚ますことはないのだから、晧月は自身にそう言い聞かせてようやく立ち上がった。
「先に丞相の件を片づけてくる。目が覚めたら知らせてくれ」
「かしこまりました」
晧月に一礼し、晧月と入れ替わるように重華の傍につく雪梅を確認後、晧月は天藍殿へと向かった。
「これは、いったいどういうことだ!?」
丞相となんとか話をつけ、溜まっていた政務に取り組んでいたところを、慌てた春燕に呼ばれ、晧月は急いで琥珀宮に戻ってきた。
そこで、晧月が目にしたのは、先ほどまでうつ伏せで寝ていたはずなのに、お腹を抱えるように身体を丸め横向きに横たわる重華の姿だった。
「うぅ……っ、ふぅ……、うっ……」
ぎゅっと両目を閉じた重華は、大きな声を出してしまわないようにしながら、必死に痛みに耐えていた。
その額には汗が浮かび、目元には涙も見えた。
それらを、雪梅が丁寧に手ぬぐいで拭きとっている。
「他の傷も、急に痛み出したそうで……」
春燕が晧月に説明する。
その間も柳太医が診察を続けているようだが、重華の痛みが治まる様子はまるでない。
「何か、痛みを和らげてやる方法はないのか?」
見ていられなくて、晧月は柳太医に詰め寄った。
しかし、柳太医は困ったように目を背ける。
「通常であれば痛み止めを飲んでいただくのですが……」
「だったら、早くっ」
「蔡嬪様は先ほどお飲みになってから、あまり時間が経っていないのと、先ほどのものより強いお薬は少々危険かと……」
強い薬が使えないのは、先ほど晧月も聞いた話だ。
だが、今この瞬間も、大声をあげることなく必死に痛みを耐えている重華を、見ていることしかできないという事実は晧月にはあまりにも受け入れがたかった。
「今、できるのは傷の手当てを行い、少しでも早く痛みがなくなるようにすることくらいかと」
その言葉に晧月は絶望感を覚えたが、なんとか自身を奮い立たせる。
(今辛いのは、俺ではない)
重華は必死に声を抑えながら、今も痛みに耐えている。
晧月が重華に近づくと、そばにいた雪梅がその場を晧月に譲るように立ち上がる。
その場を立ち去ろうとしていた雪梅に晧月が手を差し出せば、すぐに意図を理解した雪梅は手に持っていた手ぬぐいを差し出された手に乗せた。
晧月は雪梅と入れ替わるようにして、重華の額に浮かぶ汗を手ぬぐいで拭いてやる。
それから痛みに耐えるように敷布を強く握っている重華の手を取り、大丈夫だというようにその手を握った。
「へい、か……?」
ゆるゆると重華の目が開かれ、晧月の姿を捉える。
しかし、その瞳はすぐにまたきゅっと閉じられてしまった。
「う……っ」
襲い来る痛みに耐えようとするあまり、重華は自身の手を握る晧月の手を強く握り返してしまう。
「あっ、申し訳……」
「大丈夫だ、もっと力を入れてもいい」
その言葉に従うかのように、重華の手にさらに力がこもる。
けれど、晧月は決してその手を放すことはしなかった。
「陛下も……陛下もどこか痛いのですか……?」
痛みに耐えながら、その合間にそんな質問を投げかける重華に晧月は目を丸くする。
「とても、痛そうな……」
そこまで言うと、重華はまた痛みに耐えるかのように目を閉じ、身体を丸めた。
「朕はなんともない。そなたは、特にどこが痛い?」
こんな時にまで人の心配をするとは、そんな思いを抱えながら晧月は重華に問いかける。
訊かずとも、おそらくもう片方に手が抑える腹部の辺りなのだろう、とは思っているけれど。
「お腹が……」
「そうか」
晧月が重華の手の上からそっと腹部に触れる。
ただそれだけの事でも痛むのか、重華は顔を顰めた。
ふと、少し離れたところにいたはずの柳太医の姿が、晧月の視界に入る。
その手に持つものを少しだけ視線を動かして確認すると、晧月はすぐに重華に向き直った。
「朕に傷を見られるのは、嫌か?」
「陛下が、嫌だと……」
見ていて気持ちのよいものでは決してないから。
そこまでは言葉にならなかったものの、その意図は晧月にしっかりと伝わっていた。
「朕は気にしない。これでも武芸を嗜むものだ。それなりに酷い傷をいくつも目にしている。だが、そなたが嫌なら、一度離れよう」
柳太医の手には、おそらく重華の治療に使うと思われる塗り薬がある。
これから塗るのであれば、ここに留まる以上傷を目にしないわけにはいかない。
「陛下が、お嫌でないのなら……」
「いいのか?」
重華は痛みに耐えながら、こくんと頷いた。
晧月は今まで重華の傷を見たことはない、何より重華が嫌がるだろうと思っていたから。
しかし、重華は今、傷を見られる事以上に、晧月が離れていくのが嫌だった。
痛みに耐えるように晧月の手を強く握りしめるたび、晧月は大丈夫だというように優しく重華の手を握り返してくれた。
その手が今の重華をなんとか支えてくれているような気がして、離れてほしくなかったのだ。
「貸せ。朕がやる」
端的にそう言うと、晧月はひったくるかのように、柳太医から塗り薬を奪った。
それから、重華の着物の腰紐をするすると解いていく。
「……っ」
現れた重華の腹部は赤黒く腫れあがり、晧月の想像以上に痛々しいものだった。
「陛下、大丈夫ですか……?」
手が止まった晧月を重華が心配そうに見つめる。
やはり、見たくなかっただろうか、見せてはいけなかっただろうか、そんな不安が重華を襲った。
「朕は大丈夫だ。それより自分の心配をしていろ」
晧月は重華の言葉で我に返り、再び手を動かしはじめる。
腹部の怪我に触れると、重華の身体がぴくりと揺れる。
「痛むか?」
「だい、じょうぶ、です……」
決して大丈夫ではないだろうと、見ている誰もがそう思う状況だった。
それでも晧月はそれ以上何も言わず、塗り薬を手に取り重華の腹部へと塗りこんでいく。
「冷たくて、きもちいい……」
ひんやりとした塗り薬の感触に、重華は無意識にそう呟いていた。
痛みに耐えるように顰められていた表情も、少し緩み和らいだように見えた。
「冷たいと、痛みが楽になるのかっ!?」
晧月が問うと、すぐに頷きが返ってくる。
それを見て晧月が柳太医を振り返ると、柳太医もまた晧月に頷き返した。
「春燕!!」
「は、はいっ、すぐに氷を取ってきますっ」
痛みを和らげるには、怪我が治っていくのを待つしかないと思っていた晧月にとってのわずかな希望だった。
「すぐに楽にしてやる、だからもう少しがんばれ」
重華を励ますように声をかけながら、晧月は腫れあがった重華の腹部にもくもくと薬を塗っていった。
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