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67. 後悔
しおりを挟む「昨日、過呼吸起こしたんだって?」
上から声が降ってきて、重華は顔をあげる。
(また、来たの……?)
そこには昨日出会った、舜永の姿があった。
舜永は重華と目があうと、当然のように重華の隣に腰掛ける。
「あ、あの……っ」
「ああ、なんで知ってるか気になる?」
「え?えっと……」
そう言われれば気にならなくもないかもしれない、という気持ちにもならなくもなかったのだけれど。
重華が本来聞きたかったのはそっちではなく、二日連続でわざわざここまで来た用件である。
しかし、はっきり違うとは言えない重華を見て、舜永はどうやら肯定と捉えてしまったようだ。
「昨日の太医、いつもと違ったでしょ?」
「は、はい……」
昨日は晧月がとにかく一番早く来られる太医を呼んだとかで、いつもの柳太医ではなかった。
ちなみに重華が落ち着いた後、晧月は重華の症状が過呼吸であると説明を受け、その日はそのまま去ってしまった。
その理由が、同じような状況になればまた起きる可能性があると太医から説明を受けた晧月が、再発を恐れ刺激しないよう離れたのだということは、残念ながら重華の知るところではない。
「今後、俺に知られたくないなら、あの太医はやめた方がいいかもね。金を握らせると、簡単に喋っちゃうやつだから」
「はぁ……」
重華としては、別に過呼吸を起こしたと知られたところで、困ることがある気はしなかった。
けれども、重華の体調と同様に、晧月の体調までも簡単に喋ってしまうなら問題かもしれない。
そう思うと、晧月には後ほど伝えるべきかもしれない、そんな考えが浮かんだ。
「ちなみに、いつもの柳太医は安心だよ。あれは晧月が小さい頃から晧月に仕えてる太医で、口が堅いから」
「そう、なんですか……」
聞いてもいないのに、あれこれ喋ってくる。
舜永はおしゃべりなようだ、それが出会って2日目で重華が舜永に抱いた感想だった。
「で?過呼吸の理由は?」
「えっと……」
「やっぱ、昨日の話、衝撃的すぎた?途中からなんか上の空で、反応なくなっちゃってたけど」
やはり答えにくい質問が多い、そう感じながら重華は俯いた。
(え?本当にそんな理由?)
返事がないことをまたしても肯定と捉えた舜永は、信じられないとでもいうような表情で重華を見つめた。
いつものように琥珀宮を訪れた晧月は、また絵を描いているだろう重華を探しに庭園を歩いていた。
すると、晧月の耳に2人分の声が聞こえてくる。
そのうちの1人は重華であり、もう1人が舜永だとわかると、晧月はあからさまに顔を顰めた。
(あいつ、また来ているのか)
皇帝の妃の元を許可なく訪れたことで、いっそ罰してしまってもよいかもしれない、そんな考えすら晧月の頭の中に浮かぶ。
しかし、ようやく会話の内容がはっきりと聞こえるようになったところで、晧月は歩みを止めてしまった。
「え?何?皇帝の妃が、侍女なしになんて無理に決まってるでしょ」
重華の声は小さくて、まだまだはっきりとは聞こえなかった。
一方で驚いて声が大きくなったらしい舜永の言葉が、最初に晧月の耳にまで届いたのだ。
(何の話をしている?)
晧月は、つい聞き耳を立ててしまうのを止められない。
「食事とか自分で用意できんの?侍女がどこから食料を調達してるか知ってんの?そういうの、妃嬪には教えられてないでしょ?」
どこか揶揄うような舜永の声。
一方で、重華も何か言っているようだが、やはり晧月にははっきりとは聞き取れない。
「んー?まぁ、そりゃあ、妃が自ら取りに行くのは駄目だって決まってるわけじゃないから、追い返されはしないだろうけどさ……絶対みんなびっくりするって。そんなん、前代未聞だもん」
晧月は殊更慎重に、足音をなるべく立てないよう、少しだけ2人との距離を詰めてみる。
だが、舜永の高らかな笑い声がより一層はっきり聞こえて不快感が増すだけで、重華の言葉はやはり聞き取れなかった。
「っていうか、ここに引きこもってどうするの?皇帝のお渡りはあるでしょ?なんたって、寵妃なんだし」
一歩、晧月はまた距離を詰めた。
「いや、無理でしょ。さすがに知ってるよね、皇帝のお渡りを妃からお願いすることはできないし、その逆でお渡りを断ることもできないんだよ?」
もう一歩、またその距離を詰める。
「あ、知ってたけど、思いついてなかった?そ、だから、ここに一人で引きこもるなんて無理だって。諦めなよ」
いつまでも重華の言葉だけが聞き取れず、焦れたようにさらに距離を詰めた時だった。
「だって、次は私のせいで、陛下や春燕さんたちまで……っ」
胸が痛くなるような悲痛な重華の言葉が、ようやく晧月の耳に届いた。
「あー、昨日の方容華の話、自分のせいだって思ってる?」
重華はただ頷いただけなのかもしれない。
舜永の問いかけに対する、重華の声は聞こえてこなかった。
「ふーん……もし、そうだったとして、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」
その言葉に、晧月は怒りを覚える。
(重華はおまえとは違う、気にせずにいられるわけがない)
きっと今も自分を責め、心を痛めているだろう重華に対し、舜永の言葉はあまりにも楽観的で不適切だ。
しかしながら、自分ならばもっと、と考えてみたものの、かけるべきよい言葉が見つからず、晧月はそれ以上歩みを進められなくなった。
「皇帝の寵愛を争う相手が減ることはさ、いいことなんじゃない?」
そんな風に思えるはずなどない、晧月がそう思うのと、重華の言葉が晧月の耳に届くのはほぼ同時だった。
「そんなっ、人が亡くなってるんですよ!?いいわけ、ないじゃないですかっ!」
重華の表情はおろか、姿すら見えない。
けれど、晧月は重華が今にも泣いてしまいそうだと、そう思った。
晧月の予想に反し、重華はどちらかといえば剥れていた。
(この人、なんでこんなことが言えるの!?)
信じられない、と舜永を睨みつけているが、それで舜永が怯む様子など微塵もない。
「そう、落ち込むなって」
軽い感じで言われて、重華はより一層怒りが込み上げるような気がした。
(これが、落ち込んでいるように見えるの?)
確かに、少し前まで気落ちしていたことは否定できない。
けれど舜永の一言をきっかけに、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
今はむしろ怒りに震え、わなわなと腕を振るわせているくらいだ。
しかし、しっかりと膨らませてある重華の頬にすら、舜永は気づく様子がなかった。
「いいこと、教えてやるから」
そんなことを言われても、とても期待などできなかった。
どうせ碌な話ではないのではないか、そんな考えばかりが重華の中に浮かぶ。
「方容華は知ってたんだよ、後宮に密偵がいて、自分の行動が見張られてるってこと」
「え?」
先ほどまでの怒りが、驚きにかき消されていくようだった。
それくらい、舜永の言葉は衝撃的だった。
「あれをあんたに渡したことがすぐに露見するだろうことも、その結果自分が殺されるかもしれないことも、方容華は知ってたんだ。それでも渡すって決めたんだから、あんたがそこまで自分を責めなくていいんじゃない?」
重華はぱちぱちと瞬きをし、舜永を見つめる。
(もしかして、慰めてくれてるの……?)
まだ出会って間もないから、さして相手を理解しているわけでもないけれど、とてもそんなことをしてくれそうな印象は重華にはなかった。
「どうして……」
「え?そんなの知らないよ。むしろ俺が知りたいね。そんな危険を冒すなんて、理解できないし」
重華の疑問はそっちではなかったのだけれど、それはそれで確かに、と舜永に同意してしまう自分もいた。
(あれを渡して殺されるかもとわかっていたなら、毒を飲んで生き延びる選択も、できたはず……)
ちょっと苦しむことにはなるけれど、死ぬことはなかったはずなのだ。
子を産めなくなることを回避したところで、死んでしまっては何の意味もない。
(あのとき、もっと、お話しをすればよかった……)
あの場に行かなければよかった、そんな気持ちはいつの間にか消え去り、今の重華は別の後悔でいっぱいだった。
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