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68. 想望
しおりを挟む「今日も絵を描いてるんだ、本当に好きなんだね」
方容華の話題は、舜永の中で終わったらしい。
舜永は興味深そうに重華の描く絵を覗き込んだ。
「あ、これ、昨日の続き?もうすぐ完成しそうだね」
「は、はい」
舜永さえ来なかったら、昨日完成していたかもしれない絵だ。
昨日途中から記憶がなくなり、倒れた状態で晧月に発見されるという事態になってしまったことで、中途半端に終わってしまったのだ。
「ね、これ、完成したら、俺にちょうだい?」
「え?ええっ!?」
「そんなに驚くこと言った?」
重華の絵を欲しがるのなんて、晧月くらいだと思っていた。
こんなの貰ってどうするんだろう、晧月に欲しいと言われた時と同様にそんな気持ちももちろん沸き上がる。
ただ、それ以上に重華の中を占めたのが……
(まさか、今後ずっと揶揄うために使われたりするんじゃ……?)
なぜか、いいことに使われる気がしなくて、そんな悪い予感ばかりだった。
「ね?完成まで、待ってるからさ」
「いや、あの……っ」
別に渡して困ることはないのだけれど、どうも渡す気にはなれない。
(もしかしたら、陛下も欲しいって仰るかもしれないし……)
描いた絵を全て持っていくわけでは、もちろんない。
けれど、晧月は時折重華の絵を欲しがってくれる。
今描いている絵は、晧月にはまだ見せていない絵だ。
確率が低いとしても、もし晧月が欲しいと言ってくれたら、重華は舜永よりは晧月に渡したいと思った。
けれど、そう言われなかったとしたら、舜永に断るのは非常に申し訳ないとも思う。
印象はよくないとはいえ、相手は皇位継承権第一位という高貴な皇子なのだ。
(どうしよう……)
晧月が欲しいということは、そうあることではない。
渡してしまった方がいいのかもしれない。
重華がそう考え始めた時だった。
「悪いが、その絵は渡せない」
今、まさに、重華が思い浮かべていた晧月が、重華と舜永の目の前に現れた。
重華と舜永が隣り合って座っているのが気に入らなくて、晧月は重華に手を差し出す。
その意図は重華には伝わってはいなかったものの、重華は当然のようにその手を取って立ち上がった。
「体調はどうだ?」
「あ、ご心配をおかけしました。もう、大丈夫です」
「そうか。ならよかった」
まるで、その場に舜永など居ないかのように、晧月は立ち上がった重華だけに視線を向けて声をかける。
「ふーん……先約があったわけね。なら、そう言えばよかったのに」
そう言うと、まるで自ら晧月の視界に飛び込むかのように、舜永も立ち上がった。
あからさまに不機嫌な晧月の視線が、ちらりとだけ舜永に向けられる。
「あ、先約というか、その、えっと……」
別に、晧月に渡すと約束をしていたわけではなかったため、重華はどう答えるべきかわからずしどろもどろになる。
そんな重華を助けるかのように、晧月は重華を自身に引き寄せると、重華を庇うかのように一歩前に出た。
「そういうことだ。だから、諦めろ」
そうして晧月がどれだけ鋭い視線を向けようとも、舜永はただ肩を竦めて見せるだけだった。
「だいたい、なぜおまえがここにいる?」
「え?そりゃあ、噂の兄上の寵妃に会いに来たんですよ。会うくらい、問題ないでしょう?」
あえて晧月の神経を逆撫でするかのような言い方に、晧月は怒り出しそうになるのをぐっと耐える。
舜永の言う通り、皇子が皇帝の妃に会うだけならば禁じられてはいないし、問題もない。
「何を企んでいる?」
「人聞きの悪いこと、言わないでくださいよ。兄上の妃なら、俺にとっては義理の姉ってことでしょう?親睦を深めておこうかなって」
「心にもないことを」
そもそも晧月のことを、兄として慕っているわけではない舜永が、重華を義理の姉と捉えているわけがない。
自身の寵妃という立場の重華に、何か使い道がないか、確かめに来たとしか晧月には思えなかった。
「酷いなぁ。ま、いいや。今日は兄上の機嫌がこれ以上悪くならないうちに、退散しますよ。珠妃、またね」
重華に対しにこりと笑って、ひらひらと手を振る舜永の姿が、晧月の怒りをさらに増長させる。
「もう来るな。皇帝の妃に、頻繁にちょっかいをかけるようなら、罰を与えるぞ」
「へぇ……俺が他の妃嬪の元に毎日通ったとして、あなたは欠片も気にしなかっただろうに、随分変わりましたね」
現に、舜永は過去、情報収集も兼ねて頻繁にとある妃の元を訪れた。
だが晧月は罰を与えるどころか、その動向を気にもとめていなかった。
今もこうして通う相手が、重華でなければ、晧月はここまで干渉してくることさえなかったはずだ。
(おもしろいもの、見つけたかもしれないな)
再度重華に視線を向け、くすっと笑みを漏らすと、舜永はそれ以上は何も言わずその場を立ち去った。
「あいつ、いったい何を考えて……」
こうして突然重華の元を訪れはじめた舜永を、警戒せずにはいられない。
晧月はいろんな考えを巡らせながら、姿が見えなくなって尚、舜永が立ち去った方角をじっと見つめていた。
「あ、あの、申し訳、ありません……」
「ん?」
「その、舜永様と、お話していたので……」
晧月の機嫌を損ねてしまった気がして、重華は頭を下げる。
避けられなかったとはいえ、敵対する存在と話をする妃の姿など、気分がよくないはずだ。
しっかりと追い返せなかったことを、重華は後悔していた。
「ああ。おまえは悪くないから、気にするな。どうせあいつが勝手に押しかけてきたんだろうし、あいつも言ってた通り妃と皇子が話しているだけなら、問題にはならない」
「問題に、なることも、あるんですか……?」
「男女の関係を疑われるようなことがあれば、な」
重華は驚き、慌てて首を振った。
「安心しろ、おまえがそんなことするとは思っていない」
それは、晧月を裏切るようなことはしないだろうとか、晧月が居ながら他の男に目を向けることはないだろうとか、そういった信頼とは少し違ったけれど。
皇帝の妃でありながら、他の皇子と関係を持つ。
良くも悪くも、重華にそんな度胸があるようには思えない、というだけである。
「で、舜永とは、どのような話を?」
「あ、その、私が過呼吸を起こしたことをご存知で……」
「あの太医は使えんな……」
吐き捨てるように言った晧月の言葉を聞きながら、重華は少し前に聞いた舜永の言葉を思い返した。
(やっぱり、そうなんだ……)
病状を簡単に明かしてしまうような太医は、どうやら歓迎できないようだ。
こういったことは、やっぱり、晧月に伝えるべき情報だったのだ、と重華は思った。
「それで?まさか、心配して見舞いに来たというわけではないだろ?」
「えっと、その、なんで、過呼吸になったのか、お知りになりたかったようで……」
結局のところ、重華も舜永の目的はよくわからなかった。
「お見舞い、ではなかったかもしれませんが……なんか、慰めてもらった気がします……」
舜永にそういった意図があったのかはわからない。
けれど、舜永との会話を通して、重華の心は少なからず軽くなったような気がしているのだ。
だが、それを聞いた晧月は、決してそれを歓迎する様子はなく、顔を顰めてしまった。
「気に入らんな」
「え?」
「不安なことがあるなら、なぜ俺に言わない。なぜ、あんな奴に慰めてもらうんだ」
「あ、あの、慰めてもらおうと、思ったわけではなくて……」
確かに、晧月に話していないようなことも口にしたかもしれない。
だが、慰めて欲しいと思って打ち明けたわけではなく、たまたま結果的にそうなっただけだ。
「なら、なぜ、俺に言わないようなことを、あいつに話したりしたんだ」
「もしかして、さっきの話、聞いて……?」
「全て聞こえたわけではない」
それは、一部は聞かれてしまっている、ということだ。
(どこから、聞いていらしたんだろう……)
重華が舜永に話せたのは、重華にとって舜永がよくも悪くもどうでもいい人だったからだ。
舜永が重華の言葉を聞いて、重華を軽蔑しようと、揶揄おうと、どのような感情を抱こうともさして気にはならなかった。
しかし、晧月に対しては違う。
「陛下に、嫌われたく、なかったんです……」
今の心のうちを知られ、晧月が離れてしまうことが、重華は何よりも怖かったのだ。
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