皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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91. 絶望

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 その日、晧月は小さな鉢植えを持って重華の元を訪れた。

「これ、は……?」

 両手にすっぽりとおさまるくらいの小さめの鉢植えを晧月から手渡された重華は、まじまじとそこに咲く花を眺めながら訊ねた。

「山茶花だ。雪ばかり眺めていても、つまらんだろうと思って、持って来たんだ」
「わ、私が貰っても、いいんですか……?」
「当たり前だろう。そのために、持って来たんだから」

 重華は未だ大事そうに鉢植えを抱えたまま、非常に嬉しそうに笑った。
 その笑みを見れただけでも用意した甲斐があった、と晧月は思った。

(素敵、かわいい、どこに飾ろう)

 机の上に置いて、眺めるのもいいだろう。
 窓辺や棚などに飾っても、部屋を華やかにしてくれるに違いない。
 置く場所には困らない手頃な大きさゆえに、置く場所を考えているだけでも、重華は楽しかった。

「上手く世話をすれば、長く花を咲かせるはずだ」
「ありがとうございます。しっかり、お世話します」

 晧月が切り花ではなく、あえて鉢植えを選んだ意図はそこにある。
 鉢植えであれば、ただ花を眺めるだけではなく、花の世話をすることでも楽しむことができるだろうと思ったのだ。
 というのも、雪を描くつもりのないらしい重華は、外に出て絵を描くことがなくなってしまった。
 退屈しないためにも、他に何かすることがあった方がよいだろう、そう考えて思い至ったのが花の世話であった。
 また雪が積もり描くことのなくなった庭園の代わりに、絵を描く題材になればよい、という思いもあった。
 そんな晧月の目論見通り、翌日には、鉢植えの前に座って絵を描く重華の姿があった。



 外は雪が解けることなく、寒い日が続いたが、晧月はそれでも変わらず重華の元へと足を運んだ。
 それだけではなく、時折、書物や珍しい品などを持参し、すっかり部屋に籠りっきりとなった重華を楽しませてくれた。
 室内はいつだって春燕と雪梅のおかげで、暖かく保たれていた。
 夜は冷えると晧月が言っていたが、晧月から貰った新しい寝具のおかげでそれも全く気にならなくなった。
 おかげで、重華はかつてないほど快適な冬を過ごせていた。





 その日も、いつものように晧月が訪れていた。
 その手には、いつもより少し難しい書物を携えていて、一緒に文字の勉強をする予定だった。
 けれど、突然の予想外の人物の訪問で、その予定は見事に崩れ去ってしまった。

「重華、ここに居たのね!」

 そう言って、扉を勢いよく開けた人物を見て、重華は驚きのあまり勢いよく立ち上がった。

「ど、どうして、ここに……?」

 重華は扉を開けた人物と距離を取るかのように、少し後ずさりながら、震える声で問いかけた。
 しかし、相手はその質問に答える様子などない。

(誰だ……?)

 重華の向かい側に居た晧月は、訝し気に突如乱入してきた人物を見つめた。
 だが、相手が重華と顔見知りである様子であること、重華に危害を加える様子がないこと、そして何より自身の存在には気づいていない様子であることから、晧月は一旦は気配を消し様子を伺うこととした。
 もし重華に危害を加えるような素振りを見せた場合は、すぐさま排除することができるよう警戒することだけは怠らず。

「私の代わりに輿入れしたって言うのに、随分といい着物を着せてもらっているのね」

 目の前の人物は、不満そうに自身の着物と重華の着物を見比べている。
 二人の様子を黙って見ていた晧月は、その言葉でようやく突如乱入してきた人物の正体に気づくことができた。

(なるほど、蔡 鈴麗か)

 重華は顔面蒼白で、身体を震わせながら対面していた。
 それも、相手がわかれば、非常に納得ができると晧月は思った。

「住まいだって、うちでは離れの小屋で、使用人以下の扱いを受けてたくせに、随分いいところに住まわせてもらってるじゃない」

 晧月が気配を消し、黙って様子を窺っている所為なのか、それとも、ここに皇帝がいるとは夢にも思っていないからなのか。
 鈴麗は無遠慮に一歩一歩室内へ足を踏み入れながら、値踏みでもするかのように室内をあちこちじろじろと見渡している。
 その度に、重華は震えながら、一歩、また一歩と後ろに下がっていた。

(これ以上、好きにさせるわけにはいかんな)

 どんどんと顔色をなくしている重華をそれ以上は見ていられず、晧月はわざと大きな音を立てて立ち上がる。
 晧月の目論見通り、鈴麗の視線は晧月へと向けられた。
 他に人がいるとは思っていなかったのか、わずかながら目を見開き驚いた様子を見せた。
 しかし、それよりも重華が気になっている晧月は、鈴麗には目もくれず震える重華の元へ歩み寄り、その肩を抱き寄せる。

「へ、へい……」
「大丈夫だ」

 驚いて振り返った重華が、陛下と呼ぼうとしたが、晧月は重華の口に指で触れ、それを制す。
 触れたところからは震えが伝わってきて、瞳も不安そうに揺れている。
 そんな重華を少しでも安心させたくて、晧月は重華を抱く腕に力を込めた。

「誰?」

 相手が皇帝だと、鈴麗は気づいていないらしい。
 あまりに不躾な鈴麗の問いかけに、重華はぎょっとした。

「り、鈴麗、こちらの方は……」
「使用人以下の偽物が、姉気取りで偉そうに私の名を呼ばないでって、いつも言ってるでしょっ!!」
「ご、ごめ……っ」

 重華は晧月が皇帝であることを伝え、一刻も早く態度を改めさせようとした。
 だが、名を呼んだだけで鈴麗の怒りを買ってしまい、肩を震わすことしかできなかった。

「おまえこそ誰だ。朕の寵妃に、随分と無礼な物言いをするじゃないか」

 その一人称で、鈴麗は晧月が皇帝だと気づいたようだった。
 しかし、それでも、その態度を改める気はまるでないようだ。

「あなたが皇帝なの!?思っていたより、ずっといい男だわ」

 今度は晧月をじろじろと値踏みするように見始め、晧月は不快感を隠そうともしなかった。
 それなのに、鈴麗はそんな晧月の様子に、まるで気づいていないようである。

「私、あなただったら、輿入れしてもいいわ」

 あまりに上からな物言いに、晧月は顔を顰め、重華は自身が無礼を働いたわけでもないのにおろおろとしている。

「そうか。だが、残念ながら俺は願い下げだ」
「あら、照れなくてもいいのよ」

 自身が拒絶されることなど、あるはずがないと信じているようだった。
 その態度が、より一層晧月を不快にさせているのだが、鈴麗はそんなことにも気づく様子はなかった。

「丞相に、聞いていないのか。入れ替わりは許さないと……っ」
「入れ替わらなければいいんでしょ?」

 てっきり、重華と入れ替わるつもりなのだと、晧月も重華も疑ってはいなかった。
 重華の待遇が思ったより良さそうなことが確認できたから、自身がその座に収まるつもりなのだと。
 しかし、そうではないらしい様子に、こればかりは晧月も少しばかり驚かされてしまった。

「お父様が言ってたわ。同じ家から、皇帝の元に複数人輿入れすることを、禁じる法はないって」

 確かにそんな法律はないし、歴代の皇帝の中には、姉妹を輿入れさせた者もいた。
 しかし、法で禁じられていないからといって、晧月がそれを受け入れるかどうかはまた別の話である。

「だから、そんな女より、ずっといい待遇で、私が輿入れすればいいだけだわ」

 輿入れした暁には、重華よりも高い位に封じてもらい、重華よりもよい着物を着せてもらって、重華よりもよい住まいを貰うのだ。
 そうでなくては、ついこの間まで、自身の家で最もみすぼらしい存在だった重華が、これほど良い暮らしをしていることを許せるはずがない。
 鈴麗が重華に劣ることなど、今まで一度もなかったのだから。

(重華よりも、いい待遇、だと……!?)

 一度逃げたくせに、よくもそんな要求ができるものだ、と晧月はもはや怒りを通り越して呆れていた。

「あんただって、わかっているでしょ?お父様は、あんたより、私を選ぶわ。きっと、私をこの国で最も高貴な女性にしてくれるはずよ」

 鈴麗の言葉を、重華は否定できない。
 きっと、鈴麗が望むなら、重華の父はこの国の丞相という地位を最大限に利用し、鈴麗を晧月に輿入れさせ、この国で最も高貴な女性……つまりは皇后に据えようとするはずだ。

(そう言えば、輿入れの話があるかもって、言ってた。お父様ならきっと……)

 つい先ほどまで、すっかりと忘れていた、以前聞いた新たな輿入れの話を、重華はようやく思い出した。
 後宮の人数が減ったことで、今は輿入れの話がいつあがってもおかしくない。
 そうなれば、せっかく訪れたそんな機会を、父が逃すとは思えなかった。

(全て、鈴麗のものになってしまうんだ……)

 所詮、自身は身代わりでしかなかった。
 そして、父親と妹が何をしようとも、抗う術などないのだ。
 重華はあらためて、それを思い知らされたような気がした。
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