「嫌な公爵家」

haniwaba

文字の大きさ
1 / 10

厭な婚約

しおりを挟む
 ◆

「ああ、なんて素晴らしい夜でしょう。偽りの笑顔がそこかしこで腐臭を放ち、吐き気を催すほど甘ったるい香水が鼻を突き、そしてあのシャンデリアの人の正気を削り取るような眩い光……すべてが、耐え難いほどに凡庸で、陳腐で、だからこそ、これから始まる素敵な悲劇を際立たせる最高の舞台装置だわ」

 デスデモーナ・ヘルゲート公爵令嬢はバルコニーの闇に向けてそっと囁いた。最高級のベルベットのように滑らかで、月光に濡れた墓石のように冷たい──美しくも不吉な声だ。

 王立学園の卒業記念パーティーは無意味な祝祭の喧騒に満ちている。しかしその光の輪から隔絶された場所で、デスデモーナはまるでこれから始まる葬送の儀を祝うかのように漆黒のドレスを纏い、一人佇んでいた。

 肌は月光を吸い込んだように青白く、豊かな黒髪は夜の闇そのものだった。血のように赤い唇が歓びに打ち震えるようにうっすらと弧を描いている。

 そんな彼女の視線の先にいるのは、会場の中心の一組の男女──彼女の婚約者であるエリアス王子と、彼に守られるように寄り添う可憐な男爵令嬢、リリアーナ・フローレットだった。

「見ていて飽きないわ、あの娘。まるで猛毒を持つ美しい花のような、甘い香りと隠された棘。完璧な擬態と、その奥に潜む氷のような野心。素晴らしい逸材よ。ぜひ友達になりたいわね」

 デスデモーナが厄たっぷりの笑みを浮かべる。

 ・
 ・
 ・

 ヘルゲート公爵家。それは古く、由緒正しき、そして少々……いや、かなり風変わりな一族である。広大な墓地と陰鬱な湿地帯を含む領地、そして底なしの富を持ち、王国の暗部──諜報、謀略、毒薬研究、そして決して表沙汰にできない様々な後始末を担う存在として、畏怖と共に語り継がれてきた。

 当主であるレドラム・ヘルゲート公爵は情熱的で破壊工作と陰謀の天才であり、母、ウェネフィカ公爵夫人は冷静沈着な魔女にして、あらゆる毒物の権威であった。

 その血を色濃く受け継いだデスデモーナにとって、世間一般が忌み嫌う「恐怖」「不吉」「邪悪」こそが何よりも甘美な喜びであり、人生のスパイスだった。ちなみに趣味は陰謀の観察と拷問器具の収集だ。

 そんな彼女の婚約者がこの国の第一王子、エリアス・セラ・ルミナスであるという事実は、運命の皮肉としか言いようがなかった。エリアス王子は頭こそ余り良くないが器量は良い。眩しい金髪、抜けるような青空の瞳、そして絶望的なまでに単純明快な正義感。彼はデスデモーナの対極に、いや、彼女が愛する複雑怪奇な世界の対極にいた。

 そして今、そのエリアスの隣で庇護欲をそそる完璧な角度で微笑んでいるのが、リリアーナ・フローレット男爵令嬢だ。学園に編入して以来、その可憐さでエリアス王子の心を射止めた──ということになっている。

(ああ、なんて素晴らしい演技力かしら。あの瞳の奥に宿る氷のように冷たい計算高さ。彼女は必要とあらば自身の手を汚す事すら厭わないでしょう。心から応援したくなるッ……!)

 彼女の完璧すぎる「可憐な令嬢」の仮面の下にある本性をデスデモーナは独特の感性で感じ取っていた。

 その上で、デスデモーナは彼女を心から気に入っていた。
 この退屈な学園生活においてリリアーナほど興味深く、愛すべき存在はいない──そう考えている。
 だからこそ、デスデモーナは彼女にヘルゲート家流の最大限の歓待を行ってきたのだ。

 純粋で、混じり気のない、善意を示してきた。

「デスデモーナ」

 硬く、抑揚のない声が彼女を呼ぶ。振り返ると、そこには嫌悪と軽蔑を隠そうともしないエリアス王子がリリアーナを伴って立っていた。

「ごきげんよう、殿下。そして、愛しのリリアーナ様。今夜も素敵に欺瞞に満ちていらっしゃるわ。その仮面、とてもお似合いよ」
 デスデモーナは優雅にカーテシーを行った。

 リリアーナの肩がピクリと小さく震える。その微細な反応にデスデモーナは満足げに微笑んだ。

 エリアス王子は顔をしかめた。

「相変わらず、何を言っているのか分からん女だ。だが、貴様のその陰鬱で邪悪な態度に耐えるのも、今日で終わりだ」

 その声に呼応するかのように、楽団の演奏が止んだ。会場中の視線がバルコニーに立つ三人に集まる。

(胸が躍るわ。どんな言葉で私を貶めてくださるのかしら!)

 エリアスはリリアーナを伴って会場の中心に進み出ると、まるで世界の中心に立った英雄のように高らかに宣言した。

「皆、聞いてくれ! 私は今この瞬間をもって、我が婚約者、デスデモーナ・ヘルゲートとの婚約を破棄する!」

 会場が大きくどよめいた。令嬢たちは扇で口元を隠して目を輝かせ、令息らは眉をひそめる。

「彼女のこれまでの非道な行い、私はもはや許容できない!」

 エリアスは安っぽい舞台劇の主人公のように、デスデモーナを指さした。

「デスデモーナ! 貴様は己の公爵令嬢という立場を笠に着て、この心優しきリリアーナに対し、数々の陰湿な嫌がらせを行ってきた! 違うとは言わせないぞ!」

「嫌がらせですって……?」

 デスデモーナは心底不思議そうに小首を傾げた。

「まあ、心外だわ。あれはすべて、私の親愛の情の表現でしたのに」

「デスデモーナ様……私、怖かったのです……。あの時、親睦を深めるためにと貴女がくださったクッキー……あれを食べた後、三日三晩、恐ろしい悪夢にうなされたんです……! 私が化け物に拷問される、あまりにも鮮明な夢を……!」

 リリアーナが計算され尽くした完璧なタイミングで涙をこぼしながら訴える。

 その声は震えていたが、デスデモーナにはそれが演技ではない本物の恐怖によるものだと分かって、ますます嬉しくなった。

 エリアスが力強く頷く。

「そうだ! 侍医が調べたところ、あれには強力な幻覚作用のある、西方の禁じられた毒草が盛られていた! 貴様、リリアーナの心を破壊するつもりだったのだな!」

 デスデモーナは、はぁ、とため息をついた。

「本当に失礼ね。あれは我が家に代々伝わる秘伝のレシピ、『素敵な悪夢(ナイトメア・ディライト)』よ。親愛なる友人への歓迎の証なの。貴女、最近お疲れのようだったでしょう? 間諜というのは神経が張り詰めるもの。だから凝り固まった精神を解き放ち、新しいインスピレーションを得るために刺激的な悪夢でリフレッシュしてほしかったのよ」

「間諜……? また訳の分からんことを……」エリアスは怪訝な顔をする。

 リリアーナの顔がさっと蒼白になった。

「それに、あれを定期的に摂取すれば尋問や自白剤への耐性がつくのよ。貴女のような危険な任務に就いている方には、必須の訓練だと思ったのだけれど。私の善意が伝わらなくて残念だわ。三日三晩も楽しめたなんて、実に羨ましい。ああ、それにしても、夢の中で拷問されていたの? どんな拷問だったのかしら。詳しく教えてちょうだい。今後の参考にしたいわ」

 デスデモーナが純粋な好奇心で瞳を輝かせると、リリアーナは小さく「ひっ」と声を呑んだ。

「黙れ! 言い訳など聞きたくない! さらに貴様は、リリアーナに『友情の証』と称して悍ましい食虫植物を贈っただろう!」

「あら、あれは私の心遣いよ」デスデモーナは微笑んだ。「お誕生日プレゼントとして、執事に届けさせたの。我が家自慢の『人喰いヴィーナス』の鉢植えよ。毎晩、新鮮な生肉を求めて蠢く姿は、実に愛らしいでしょう? 貴女の孤独な隠密活動の良い相棒になると思ったのだけれど」

 デスデモーナの言葉に、会場の貴族たちの何人かがざわつき始めた。

「隠密だと……?」

「どういうことだ?」

 視線がリリアーナに疑念と共に注がれ始める。

 エリアスは眉をひそめた。

「待て、デスデモーナ。間諜だの、隠密活動だの、一体何のことだ? リリアーナ、君は……?」

 リリアーナは計算された完璧なタイミングで、涙をこぼした。

「エリアス様……デスデモーナ様は、いつも私のことをそんな風に……まるで私が悪い人間であるかのように仰るんです。私はただの男爵令嬢なのに……」

「そうだ!」

 まんまと乙女の涙に感化されたエリアスは再び怒りを燃え上がらせた。

「デスデモーナ、貴様はいつもそうやって、訳の分からない妄想でリリアーナを貶めようとする!」

「妄想ですって?」デスデモーナは愉快そうに笑った。

「まあ、殿下がそう思われるなら、それでも構いませんわ。真実はいずれ明らかになるものですから」

「どこまでも悪びれないのだな! 貴様のような陰鬱で、邪悪で、死と陰謀の匂いを纏った女がこの国の未来の王妃など、あってはならない! 私はこの心優しく、光に満ちたリリアーナこそを、真実の愛する者として王妃に迎える!」

 エリアスがリリアーナの肩を抱き寄せると、彼の取り巻きたちからは万雷の拍手が沸き起こった。

 リリアーナはエリアスの腕の中で、勝利を確信した笑みを浮かべかけた──だが、デスデモーナと目が合った瞬間、その笑みは凍りついた。

 デスデモーナは、その場にいる誰よりも輝かしい、恍惚とした表情を浮かべていたからだ。

「素晴らしいわ!」

 デスデモーナは両手を胸の前で組み、まるでオペラのプリマドンナのように、朗々と響く声で言った。

「ああ、なんて素晴らしい響きでしょう! 『婚約破棄』! この甘美なる絶望、予期された破滅、そして何より、この見事な謀略の成就! これほどの悲劇、これほどの陰謀、私の人生において、これ以上の幸福がありまして? エリアス様……私は貴方の愚鈍さには辟易としておりましたけれど、この様に貶めて下さることに対しては確かな愛を感じますわ!」

 会場が水を打ったように静まり返った。

 エリアスはぽかんと口を開けている。

「殿下、そしてリリアーナ様。貴方がたには感謝しかありませんわ」

 デスデモーナは優雅に一礼した。

「このような劇的で、情熱的な舞台を用意してくださるなんて! 凡庸な幸福など、私たちヘルゲート家にとってもっとも忌むべきもの。私たちは常に、不幸と、悲劇と、そして濃厚な陰謀の匂いの中でこそ、生の輝きを感じるのです!」

 デスデモーナはステップを踏むように二人に近づいた。

 悪意を煮詰めたかのような漆黒の瞳は興奮で爛々と輝いており、控えめにいっても邪悪だ。

「リリアーナ様、貴女の計画は実に見事だったわ。殿下のあの絶望的なまでの鈍感さを利用し、国家の機密に近づき、そしてこの私を悪役令嬢に仕立て上げて排除する。ブラボー! その邪悪さ、その計算高さ、そしてその冷酷さ! ああ、貴女は本当に素晴らしいわ! ぜひ、私の友人になってちょうだい!」

「な、何を言っているんだ、貴様は……?」

 エリアスは困惑していた。

「リリアーナは邪悪ではない! 彼女は被害者だ!」

「あら、殿下。貴方、本当に何も見えていらっしゃらないのね。その曇りなき眼(まなこ)、いっそ清々しいほどに愚かだわ。だからこそ、彼女のような素敵な女性に利用されるのよ」

 デスデモーナは震え始めたリリアーナの前に立った。リリアーナはポーカーフェイスを維持しようと努めたが、頬が引き攣っていた。計画は完璧だったはずだ。それが、なぜ。なぜこの女は、すべてを知った上で、自分を称賛しているのか? そんな思いがリリアーナの胸中を渦巻いている。

「貴女、私からのプレゼント、本当は気に入らなかったの?」

 デスデモーナは悲しそうに眉尻を下げた。

「貴女の部屋に送った、あの美しい拷問器具のミニチュアセットも? あれがあれば尋問の練習ができると思ったのに。一緒に遊べると思っていたのに」

「ひっ……」

 リリアーナは声を呑んだ。あの精巧すぎるミニチュアの「鋼鉄の処女アイアンメイデン」や「毒刺の揺りかご」を見て、彼女はヘルゲート家が自分を疑い、警告しているのだと確信し、恐怖に震えたのだ。それが純粋なプレゼントだったなどと誰が想像できるだろうか。

「ふ、ふざけるな! リリアーナを侮辱するな!」

 エリアスが叫んだその瞬間だった。

 ──ドォォォン! 

 凄まじい爆音と共に、会場の巨大なステンドグラスが粉々に砕け散った。

「ダイナミック・エントリー!」

 陽気で、それでいて腹の底に響くようなバリトンボイスが響き渡った。砕け散った窓から月明かりを背に二つの人影が躍り込んでくる。

「ダーリン! 素敵な陰謀の匂いがすると思ったら、パーティーはもう始まっていたかね!?」

 燕尾服を着こなし、綺麗に整えられた口髭を蓄えた情熱的な瞳の紳士──ヘルゲート公爵、レドラムその人だった。手にした起爆装置を隠しもしないで満面の笑みを浮かべている。

 そして彼の隣には、まるで影が形を持ったかのような長身で痩躯の女性が音もなく着地した。レドラムの妻でありデスデモーナの母、ウェネフィカ公爵夫人である。

「あらあら、随分と素敵な雰囲気ですこと。血と硝煙の匂いが少し足りないけれど、まずまずの緊迫感ですわ」

 ウェネフィカは、感情の窺い知れない表情で静かに言った。

「父様! 母様!」

 デスデモーナが歓喜の声を上げる。

「おお、デスデモーナ! 我が愛しの小さな毒蜘蛛!」

 レドラムは娘の状況を即座に理解し、感極まった様子で駆け寄った。

「ついにやったんだな! こんなにも盛大に、公衆の面前で婚約破棄されるなんて! しかも、見事な国際的陰謀の真っ只中で! 父さんは感動したぞ!」

「ありがとうお父様! 私、今、人生で最高の不幸と謀略の只中にいるの!」

「それでこそヘルゲート家の女だ! 悲劇こそ我らの栄養! 陰謀こそ我らの活力! なあ、ウェネフィカ?」

 ウェネフィカは静かに頷いた。

「ええ、ダーリン。この子もようやく、心から信頼できる友人を見つけたようですわ」

 ウェネフィカの氷のような視線が、リリアーナを捉えた。リリアーナは腰が抜けそうになるのを必死に堪えていた。ヘルゲート公爵夫妻。この国の暗部を牛耳る化け物夫婦。彼らに関する恐ろしい噂は隣国にも鳴り響いている。

 ──レドラム公爵は敵国の捕らえたスパイたちを拷問し、情報を引き出した後、生き残った者には「優秀な情報提供者」として金一封を与えて本国に送還。帰国したスパイは味方からも裏切り者扱いされ、結果的に敵組織は内部崩壊した

 ──公爵夫妻は戦争中、どういう手を使ったのかは明らかにされていないが、手ごわい敵将軍の家族を「保護」と称して城に拉致監禁。子供たちには最高の教育と愛情を注ぎ、将軍に定期的に「元気に拷問器具で遊ぶお子様たちの絵」を送付。将軍は精神的に追い詰められて降伏。戦後、子供たちは「ヘルゲート家は最高!」と証言した。

 まあ後は魔族だとか水の代わりに血を飲むだとか、子供の肉が大好きだとか、そういう噂をされている。

 リリアーナは覚悟を決めた。もはや隠し通せない。彼女はエリアスを突き飛ばし、ドレスの裾からナイフを取り出した。

「よくも……!」

 ヘルゲート公爵家の面々は一様に表情を輝かせた。

 その時、会場の扉が勢いよく開かれ、荘厳な声が響き渡る。

「そこまでだ!」

 現れたのは、緋色のマントを翻した国王──リチャードその人であった。近衛騎士団を引き連れたその姿は威風堂々としていたが、その顔には深い疲労と頭痛が刻まれている。

「レドラム! またお前か! 頼むから、パーティー会場の窓を爆破して入ってくるのはやめてくれんか! 後片付けが大変なのだぞ!」

 リチャードの悲痛な叫びに、レドラムは満面の笑みで応えた。

「おお、陛下! ご無沙汰しておりますな! いやはや、この素晴らしい悲劇のクライマックスに、あなた様がご登場なさるとは! 最高の演出ですぞ!」

「親友の顔を見るたびに胃が痛くなる私の身にもなってくれ……」

 リチャードはこめかみを押さえた。レドラム・ヘルゲート公爵は、リチャードにとって最も信頼できる臣下であり、かけがえのない親友だった。もちろん理由はある。

 かつてリチャードがまだ継承順位の低い第三王子だった頃、彼の命を狙う刺客は後を絶たなかった。第三王子でありながら政治的手腕、軍事的才能、そして民衆からの人望のすべてにおいて二人の兄を凌駕していたリチャードは、兄たちにとって最大の脅威だった。毒殺、暗殺、事故に見せかけた謀殺──そのすべてを、当時まだ若きヘルゲート家当主だったレドラムが防いでいたのだ。

 しかもその理由というのが「あなたは三兄弟の中で一番濃厚な死の匂いがする。優秀すぎるがゆえに命を狙われ続ける運命──実に興味深い! きっと面白い王になる!」という、常人には理解不能なものだった。以来、二人の奇妙な友情は三十年以上続いている。

 レドラムの狂気じみた忠誠心と、リチャードの諦観混じりの信頼──それがこの王国の、ある意味で最も堅固な絆となっていた。

 しかし同時に、その奇天烈な言動は国王の悩みの種の筆頭でもあった。リチャードがヘルゲート家を全面的に信頼しているからこそ、ヘルゲート家の常軌を逸した振る舞いは常に黙認されてきたのだが、さすがにこれは見過ごせない。

 リチャードは粉々になったステンドグラス、ナイフを構える男爵令嬢、卒倒しかけている第一王子、そして恍惚の表情を浮かべるヘルゲート一家を見渡し、「うむ」と頷く。

 何一つ事情がわからなかったからだ。

「誰か、私に分かるように説明してくれ……」

 レドラムが葉巻に火をつけながら、陽気に説明を始めた。

「簡単な話です、陛下! そこの可愛らしいお嬢さん、リリアーナ・フローレット嬢は、隣国の諜報機関『毒蛇』が送り込んだ腕利きの間諜! 実に見事な手口でしてな、三年前に没落していたフローレット男爵家の遠縁の親戚という触れ込みで、偽造した家系図と贈賄で男爵位を継がせたのです! 本物のフローレット家の血筋は既に絶えていたので、誰も疑わなかった! いやはや、素晴らしい仕込みですな!」

 リチャードの顔から血の気が引き、リリアーナを鋭く睨みつける。

 すると彼女は観念したようにナイフを下ろし、力なく膝をついた。

「エリアス、お前は」

 リチャードの双眼にめらりと怒りの炎が揺れる。

 エリアスは震え上がり、釈明をした。

「ち、父上……! わ、私は騙されていたのです! 彼女がスパイだなどと、知る由も……!」

「知らぬ、では済まされん!」

 リチャードは激怒した。

「一国の王子たる者が、女の色香に迷い、己の立場もわきまえず、国を危険に晒すとは何事か! 愚か者めが!」

 エリアスは完全に沈黙した。

 リチャードはしばし腕を組んで思案した後、裁定を下すべく再び口を開いた。

「リリアーナ・フローレット。貴様は敵国の間諜。即刻、反逆罪で処刑──」

 言いかけた所で、「陛下!」とデスデモーナが突然、前に進み出た。

「お願いがございます。どうか、リリアーナ様の処刑はおやめください」

 国王は意外そうに眉を上げた。

「ほう? 君が慈悲を求めるとは珍しい」

「慈悲? とんでもない事でございます」

 デスデモーナは輝くような笑顔を浮かべた。

「彼女を殺してしまうなんて、もったいなさすぎます! こんなに素晴らしい才能を持った間諜、こんなに完璧な悪意と計算高さを併せ持った逸材を、たかが処刑などという退屈な方法で失うなんて!」

 デスデモーナはリリアーナの前に跪き、恍惚とした表情で彼女の手を取った。

「陛下、彼女は私が今まで出会った中で最高の『友人』なのです。私に向けられた恐怖、私への殺意、そして私を排除しようとした見事な陰謀! ああ、こんなに心が通じ合える相手は他にいません! どうか、彼女を私にくださいまし。生涯をかけて、この素晴らしい友情を育んでいきたいのです」

 リリアーナは震え声で「い、嫌だ……処刑の方がマシ……」と呟くが、そんな皮肉などデスデモーナには通じない。彼女は空気が読めない事で定評があるからだ。

「まあ! 照れているのね、リリアーナ!」

 デスデモーナは歓喜に頬を染めた。

 リチャードはちらりとデスデモーナを見て大きくため息をつく。

「……彼女の父であるレドラム公爵は、この国への多大なる貢献者でもある。その功績に免じ、特例を認めよう」

 リチャードは宣言した。

「リリアーナ・フローレットの身柄は、ヘルゲート公爵家に預けるものとする! これは温情だと思え」

 リリアーナは、目を見開いた。処刑よりも恐ろしい判決だった。

 ──この常軌を逸した一家に預けられる? 永遠に? 

「ありがとうございます、陛下!」

 デスデモーナが歓喜の声を上げた。

「最高のプレゼントですわ! ねえ、リリアーナ、これからよろしくね。私たちの友情は、永遠よ」

 リリアーナは想像を絶する恐怖に、ついに白目を剥いて気を失った。

「さて、次にエリアス。お前だ」

 リチャードの冷たい視線が、息子を射抜いた。

「お前の愚かさは、万死に値する。本来ならば王位継承権を剥奪し、辺境に幽閉するところだ。だがそれではヘルゲート家への面目が立たぬ」

 リチャードはデスデモーナに向き直り、深々と頭を下げた。

「デスデモーナ嬢。この度は我が愚息が大変な無礼を働いた。心から詫びる」

「まあ、陛下。お顔をお上げくださいまし」デスデモーナは微笑んだ。

「私は、心から楽しませていただきましたもの。感謝しているくらいですわ」

「その言葉、実にありがたい。だが、王家の威信に関わる。よって、エリアスには、相応の罰を与えねばならん」

 国王は、顔面蒼白のエリアスに向き直り、宣告した。

「第一王子エリアス・セラ・ルミナスに命ずる! 貴様は、その愚行への罰として、そしてヘルゲート公爵家への謝罪の証として、改めてデスデモーナ・ヘルゲート嬢と婚約せよ! これは命令である! そして、これはお前にとって、終生の『罰』であると心得よ!」

「そ……そんな……!」

 エリアスは絶望に膝から崩れ落ちた。婚約破棄を宣言した相手と、罰として再び婚約させられる。これ以上の屈辱はない。しかも、相手はあのデスデモーナなのだ。

 一方、デスデモーナはその言葉に、今日一番の輝かしい笑みを浮かべた。

「まあ……! 陛下、よろしいのですか? こんな私に、殿下を?」

「ああ。君なら、この馬鹿息子を立派に(ある意味で)矯正してくれるだろう」

 リチャードは心底疲れた顔で言った。

「頼んだぞ、デスデモーナ嬢」

「お任せくださいまし」

 デスデモーナは崩れ落ちるエリアスの前に跪き、その顎を優しくすくい上げた。

 彼女の漆黒の瞳が、絶望に染まった青い瞳を覗き込む。

「これからよろしくお願いしますわね、殿下。私の愛しい婚約者様。貴方のその絶望に満ちた顔、実に素敵だわ。もっともっとその表情を曇らせたい……沢山沢山悲鳴をあげて下さいましね」

 エリアスはその美しくも恐ろしい笑顔を前に意識を失った。

 ヘルゲート一家はリチャードの判断に満足げだった。レドラムはリチャードの肩を叩き、「いやあ陛下、さすがですな! 最高の裁定でしたぞ!」と笑い、リチャードは「もう帰ってくれ……」と呟いた。

 こうして王立学園卒業記念パーティーはヘルゲート公爵家の介入で無事(?)に終わることとなる。

 ・
 ・
 ・

 そしてあの卒業記念パーティーから数か月後。

 ヘルゲート公爵邸の薄暗いが豪奢な一室。

 エリアス憔悴しきった顔で朝食のテーブルについていた。目の前には銀の皿に載せられた紫色の奇妙なオムレツが湯気を立てている。

「さあ、殿下、召し上がれ。今朝は特別に新鮮な毒蜘蛛の卵で作ったの。滋養強壮に効きますわよ」

 デスデモーナがにこやかに勧める。

 エリアスは震える手でフォークを握りしめ、泣きそうになるのを必死に堪えた。断れば何をされるか分からない。

 隣の席ではリリアーナが虚ろな目で人形のように座っていた。彼女もまたヘルゲート家での「新しい生活」に順応……いや、精神を破壊されつつあった。

「おはよう、リリアーナ。私の大切なお友達。昨夜はよく眠れたかしら? 貴女の寝室に私のペットの吸血コウモリたちを放しておいたの。寂しくないようにって」

 デスデモーナの言葉にリリアーナの肩が小さく震える。彼女はもはやこの悪夢から逃げ出す気力さえ失っていた。一流のスパイだった彼女の心は、デスデモーナの純粋で、悪意のない、だが致命的な「友情」によって、完全に飼いならされようとしていた。

「二人ともそんな落ち込まなくてもよろしくてよ! まだまだ貴方たちには公爵家の歓待を受けてもらわないといけないのだから! 私はとてもうれしいのです──これまで、お友達なんて出来た事がなかったから……」

 デスデモーナは絶望に染まる婚約者と、心を失った親友を眺めながら心からの幸福に満ちた微笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。

有賀冬馬
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。 選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。 涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。 彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。 やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...