「嫌な公爵家」

haniwaba

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厭な求婚

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 ◆

「素晴らしい! いつきても火刑場は素敵な場所だな!」

 若きレドラム・ヘルゲートは火刑場を取り囲む群衆の中で、一人だけ場違いなまでに陽気な声を上げた。燃え盛る薪の山、立ち昇る黒煙、そして群衆の恐怖と興奮が入り混じった叫び声──それらすべてが彼にとっては最高級のオペラのようだった。

 時は三十年前。まだレドラムが二十五歳の青年貴族だった頃の話である。

 実は、レドラムがこの火刑場に来たのは偶然ではなかった。

 三ヶ月前、ヘルゲート家の情報網が興味深い噂を掴んだ。それは、各地で不可解な死が相次いでいるという情報であった。そういった事件・事故の解決はヘルゲート公爵家の領分である。

「これは調べる価値がありそうだ」

 レドラムは自ら調査に乗り出した。ヘルゲート家の情報網と、時には拷問も辞さない尋問技術を駆使して、彼は真相に辿り着いた。

 犯人はウェネフィカ・モルテという名の魔女。

 そして彼女の犠牲者たちの「真の顔」も明らかになった。

「なるほど、餞別しているということか……素晴らしい才能だ」

 以来、レドラムは彼女の行動を追い続けた。そしてそのウェネフィカが捕らえられ、今日処刑されることを知った。

「本物の邪悪な魔女が、この時代にまだ存在していたとは! しかも、これほど洗練された美学を持った魔女が!」

 レドラムは期待に胸を躍らせながら火刑場へと向かった。

「被告人、ウェネフィカ・モルテを引き出せ!」

 裁判官の声と共に、鎖に繋がれた女が引きずり出されてきた瞬間、レドラムの心臓は激しく高鳴った。

 痩せ細った長身。病的なまでに白い肌。まるで深淵を覗き込むような虚無的な黒い瞳。そして何より、その表情──群衆の憎悪も、裁判官の正義も、迫り来る死さえも、すべてを退屈そうに眺める、完璧なまでの無関心。

「美しい……」

 レドラムは思わず呟いた。それは容姿の美醜を指すものではなかった。その佇まい、その雰囲気、その存在そのものが放つ、純粋で、濃密で、一切の妥協を許さない「邪悪」の美しさだった。写真や似顔絵で見るより、実物は百倍素晴らしかった。

 裁判官が罪状を読み上げ始めた。

「第一の罪! 被告人は過去五年間で、実に二百七十三名の人間を呪殺した!」

 群衆がどよめく。レドラムは感嘆の溜息を漏らした。

「第二の罪! 被告人は悪魔と契約し、人の魂を生贄として捧げた!」

 素晴らしい、とレドラムは心の中で拍手を送った。

「第三の罪! 被告人は教会の聖水を腐敗させ、聖職者三名を発狂させた!」

 これほどの逸材がまだこの世に存在していたとは! レドラムの瞳は少年のように輝いていた。

 しかし、当のウェネフィカはあくびを噛み殺しているようだった。まるで自分の罪状など、朝食の献立程度の関心しか持っていないかのように。

「被告人、何か申し開きはあるか?」

 裁判官の問いに、ウェネフィカは初めて口を開いた。

「ございません」

 氷のように冷たく、それでいて不思議な魅力を持つ声だった。

「ただ一つ、訂正させていただきたいのですが」

「なんだ?」

「二百七十三名ではなく、二百七十四名です。今朝、牢番の一人が急死したでしょう? あれも私の仕業ですわ。正確な記録は大切ですから」

 会場が凍りついた。

 レドラムは恋に落ちた。

 さらに彼は、群衆の恐怖を無視して前に進み出た。

「ちょっと待った!」

 レドラムの声に、全員の視線が集まる。

「裁判官殿、重要な情報が抜けていますぞ!」

「何者だ、貴様は!」

「レドラム・ヘルゲート。ヘルゲート公爵家の嫡男です」

 その名を聞いて、裁判官は顔を青くした。ヘルゲート家──王国の暗部を司る、恐怖の一族。王権すらも及ばない大貴族家だ。その理由は彼らが代々この国を守護してきたからである。この国を侵さんとする国は今はもうどこにもいない。なぜなら、そんな事をしようとすれば死ぬからだ。一人二人ではない。何千、何万と死ぬ。

 国家秩序の縁に据えられた、制度化された暗黒の守護者──それがヘルゲート公爵家であった。

「な、何か申されたいことでも……?」

「ええ、大いに!」レドラムは陽気に言った。「この裁判、実に不公平だ! 彼女が殺した者たちの『素性』について、何も語られていないではないか! フェアではないね! なぜ殺したのか、それは裁判において大切な事ではないのかな?」

 司教が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「黙れ! 殺人は殺人だ! 理由など関係ない!」

「ほう?」レドラムは懐から分厚い書類の束を取り出した。「では、我々が三ヶ月かけて調査した結果を発表させていただこう! まず最初の百名──彼らは飢饉の際に穀物を買い占め、法外な値段で売りつけ、払えない村人の娘たちを奴隷として売り飛ばしていた商人とその一味だ!」

 群衆がざわめいた。

「次の五十名! 偽の魔女狩りで無実の女性たちを処刑し、その財産を奪っていた貴族とその手下ども! 皮肉なことに、本物の魔女には気づかなかったわけだ!」

 レドラムは書類をめくりながら続けた。

「さらに、貴方が言及した三名の聖職者! 彼らは孤児院への寄付金を着服し、子供たちの食事を自分たちの贅沢に回していた! そして今朝死んだ牢番──彼は囚人から賄賂を受け取り、女囚への『夜の訪問』を繰り返していた獣だ!」

 裁判官は言葉を失った。ウェネフィカでさえ、初めて興味深そうな表情を見せた。

「私の調査によれば」レドラムは誇らしげに胸を張った。「彼女が殺した二百七十四名、全員が何らかの悪事を働いていた! しかも、その多くは法では裁けない類の悪事だ! これは単なる殺人ではない、芸術的な悪の淘汰だ!」

 ぎゃあぎゃあと叫びながら、レドラムは群衆をかき分けて最前列まで進み出た。視線はウェネフィカから片時も離れない。

 ウェネフィカもまた、初めてレドラムの存在に気づいたようだった。彼女の無表情な顔に、かすかな興味の色が浮かんだ。

「黒いわね……なんて黒い魂。でも、穢れてはいない。どういうことなのかしら」

 彼女の呟きは、群衆の喧騒にかき消された。

 執行人は火がついた松明を手に持ちながら、呆然とレドラムを見ている。

 ◆

「聴け!」

 レドラムが朗々とした声で叫んだ。広場中の視線が彼に集まる。

「私はレドラム・ヘルゲート! 既に明らかにした通り、ヘルゲート公爵家の嫡男である! この処刑に異議を申し立てる!」

 司教が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「貴様、先ほどから何を言っているのだ! これは神聖なる裁きだ! 邪魔をするなら貴様も魔女の手先と見なすぞ!」

「邪魔?」レドラムは愉快そうに笑った。「とんでもない! 私はただ、この素晴らしい女性に求婚したいだけだ!」

 広場が水を打ったように静まり返った。

 ウェネフィカでさえ、初めて驚きの表情を見せた。

「……何を、言っているの?」

 レドラムは薪の山を軽々と駆け上がり、縛られたウェネフィカの前に膝をついた。懐から取り出したのは、黒曜石でできた不吉な指輪だった。ヘルゲート家に代々伝わる呪われた家宝である。

「ウェネフィカ・モルテ嬢! 私は三ヶ月前から貴女を調査し、貴女の全ての所業を調べ上げました! そして確信したのです、貴女こそが私の運命の人だと!」

 レドラムは情熱的に続けた。

「貴女が殺したマーチャント・ギルドの頭領、彼は表向き慈善家でしたが、裏では孤児を奴隷商人に売っていた! 貴女が呪い殺したレディ・カーマイン、彼女は夫の愛人を拷問して殺し、自殺に見せかけた! 貴女が発狂させたあの司祭、彼は懺悔に来た女性たちを脅迫していた!」

 ウェネフィカの目が、初めて真剣な光を帯びた。

「貴方……どうしてそこまで……」

「愛です!」レドラムは胸を張った。「貴女の噂を聞いた時から、私は確信していた! これほど完璧な悪の選別眼を持ち、これほど芸術的な処刑を行える女性こそ、ヘルゲート家の、いや、私の伴侶に相応しいと!」

「私と結婚してください! 共に暗黒の人生を歩みましょう! 朝は毒薬の調合を楽しみ、昼は拷問器具の手入れをし、夜は呪術の研究に勤しむ! なんて素敵な未来でしょう!」

 群衆は呆然としていた。司教は卒倒しそうになっていた。

 ウェネフィカは、生まれて初めて言葉を失った。彼女の長い人生において、これほど予想外の出来事はなかった。

「貴方……正気?」

「正気なものか!」レドラムは胸を張った。「正気な人間が、火刑台でプロポーズなどするものか! だが、狂気こそが真実の愛の証! 貴女のような素晴らしい魔女を前にして、正気でいられる方がおかしい!」

 ウェネフィカは、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。それは冷たく、残酷で、そして初めて見せる本物の感情だった。

「面白い男ね、貴方」

「面白いだけではありませんぞ!」レドラムは懐から小瓶を取り出した。「これは我が家秘伝の猛毒『甘き終焉』! もし貴女が私の求婚を断るなら、今ここで飲み干して貴女と共に死にます! なんてロマンチックでしょう!」

「あなた、クレイジーなのね?」

「その通り! そしてこれは我が愛の証明です!」

 二人の狂気に満ちた会話を、群衆は恐怖と共に見守っていた。

 その時、ウェネフィカが低く呟く。すると、彼女を縛っていた縄が音もなく朽ち果て、鎖が錆びて砕け散った。

「なっ……!」

 司教が驚愕の声を上げる。

「鎖は聖別されていたはず! なぜ!」

 ウェネフィカは優雅に立ち上がり、埃を払った。

「聖別? あんな児戯のような呪文で、私を縛れると思ったの? 退屈だから大人しくしていただけよ」

 彼女はレドラムを見下ろした。

「レドラム・ヘルゲート。貴方の求婚、実に不愉快だわ」

 レドラムの顔が歓喜に染まる──が、次の瞬間、ウェネフィカは続けた。

「でも、退屈な処刑よりは少しだけマシね。いいわ、結婚してあげる」

「本当ですか!」

 レドラムが声を上げた瞬間、広場全体が激しく震動した。地面に巨大な魔法陣が浮かび上がり、不吉な紫色の光が立ち昇る。

「た、助けてくれ!」

 司教が悲鳴を上げた。群衆は我先にと逃げ出した。

 しかし、レドラムは恍惚とした表情で立ち尽くしていた。

「ああ、なんて素晴らしい! これが貴女の本当の力! 予想以上だ!」

 ウェネフィカは初めて、心底呆れたような表情を見せた。

「貴方、本当に救いようがないわね」

「褒め言葉として受け取りますぞ!」

 魔法陣から無数の影が這い出し、逃げ惑う群衆を追い回し始めた。悲鳴と怒号が飛び交う中、レドラムはウェネフィカの手を取った。

「さあ、愛しい人! 我が城へ参りましょう! 両親もきっと貴女を気に入るはずだ!」

「両親?」

「ええ! 父は拷問の達人、母は暗殺の名手です! きっと話が合うでしょう!」

 ウェネフィカは、人生で二度目の驚きを覚えた。

「……ヘルゲート家、思っていた以上に異常ね」

「それも褒め言葉として受け取ります!」

 ・
 ・
 ・

 ヘルゲート城への道中、レドラムは終始上機嫌だった。

 彼は陽気に語り続けた。城の拷問部屋のコレクション、地下に広がる毒薬研究所、そして歴代当主が集めた呪術書の蔵書について。普通の花嫁なら卒倒するような内容を、まるで楽園の説明のように熱弁する。

 ウェネフィカは黙って聞いていた。時折、興味深そうに眉を上げることはあったが、基本的には無表情を保っていた。

「ところで」レドラムが唐突に話題を変えた。「貴女はなぜあんなところで捕まっていたんです? 貴女ほどの力があれば、簡単に逃げられたでしょうに」

「退屈だったから」

 ウェネフィカは簡潔に答えた。

「生きることに飽きていたの。二百年も生きれば、大抵のことは経験し尽くしてしまうもの。新しい刺激もなく、ただ同じような日々の繰り返し。だから、処刑されるのも一興かと思って」

「二百年!」レドラムの目が輝いた。「素晴らしい! それだけの時を経てなお、その美しい邪悪さを保っているとは!」

「美しい、ね」ウェネフィカは自嘲的に笑った。「私を美しいと言った人間は、貴方が初めてよ」

「他の連中は見る目がないのです!」レドラムは断言した。「貴女の放つ死の芳香、絶望の輝き、そして底なしの悪意──すべてが芸術品のように完璧だ!」

 ウェネフィカは、奇妙な感覚を覚えていた。これまでの人生で、彼女は恐怖され、憎まれ、呪われてきた。だが、称賛されたことは一度もなかった。ましてや、その邪悪さを愛されるなど。

「貴方は、私が何をしてきたか本当に知っているの?」

「ええ、全て調べました」

「村を丸ごと呪いで滅ぼしたこともあるのよ」

「ああ、北のグリムの村でしょう? あの村の連中は、隣村から逃げてきた戦争難民を『疫病を持ち込まれたくない』という理由で皆殺しにして、その持ち物を奪った。女子供も容赦なく。貴女は彼らに同じ恐怖を味わわせたのですな!」

 ウェネフィカは初めて、本当に驚いた表情を見せた。

「時には理由もなく、ただ退屈しのぎに人を殺したこともあるわ」

「それが実に興味深い! 私の調査によれば、貴女が『気まぐれ』で殺した十七名、全員が後に何らかの悪事が発覚している! まるで悪人の匂いを本能的に嗅ぎ分けているかのようだ!」

 レドラムは興奮を抑えきれずに続けた。

「貴女は自覚していないかもしれないが、貴女には『悪を見抜く邪悪な眼』がある! これは天賦の才能だ!」

 ウェネフィカは呆れを通り越して、ある種の感動すら覚えていた。この男は本物の狂人だったのだ。

 ・
 ・
 ・

 ヘルゲート城は、陰気なウェネフィカの目からみても明らかに陰鬱な城だった。

 黒い石で築かれた城壁、不吉な形をした尖塔、そして城全体を覆う瘴気のような霧。常人なら近づくことすら躊躇うような場所だった。

「我が家へようこそ!」

 レドラムが誇らしげに門を開く。

 出迎えたのは、不気味なほど青白い顔をした老執事だった。

「お帰りなさいませ、若様。そちらの方は?」

「私の婚約者だ! 今日火刑になるところを救い出してきた!」

「……は?」

 執事ですら、一瞬言葉を失った。

「また若様の奇行ですか……いえ、失礼いたしました。ようこそ、ヘルゲート城へ」

 城の中は外観以上に異様だった。

 廊下には拷問器具が装飾品のように飾られ、壁には歴代当主が処刑した敵の肖像画が並んでいる。そして何より、城全体に漂う毒物と血の匂い。

「素敵な場所ね」

 ウェネフィカが初めて自発的に感想を述べた。

「でしょう!」レドラムは嬉しそうに頷いた。「四百年の歴史が詰まっていますからな!」

 大広間に入ると、そこには二人の人物が待っていた。

 一人は筋骨隆々とした中年男性。もう一人は妖艶な美女だった。レドラムの両親、グリモア・ヘルゲート公爵とベラドンナ公爵夫人である。

「父上、母上! 素晴らしい報告があります!」

 レドラムが両親の前に膝をつく。

「私、結婚します!」

 グリモア公爵が眉をひそめた。

「また勝手なことを……相手は?」

「そこにいるウェネフィカ・モルテ嬢です! 今日処刑されるところを、火刑台でプロポーズして承諾をいただきました!」

 一瞬の沈黙。

 そして──

「素晴らしい!」

 グリモア公爵が豪快に笑い出した。

「さすが我が息子! 火刑台でプロポーズとは、実にヘルゲート家らしい!」

 ベラドンナ夫人も満足げに頷いた。

「それで、彼女はどんな罪で?」

「二百七十四名の呪殺です!」

「ほう!」両親の目が輝いた。「なかなかの戦績だな!」

 彼らはウェネフィカに向き直った。グリモア公爵が鋭い視線で彼女を値踏みする。

「ふむ……確かに、良い『死の匂い』がする。毒物にも詳しそうだ」

 ベラドンナ夫人も頷いた。

「魔力も相当なものね。これなら我が家の嫁として恥ずかしくないわ」

 ウェネフィカは、生まれて初めて面食らった。普通、息子が大量殺人犯を婚約者として連れてきたら、親は反対するものではないのか? 

「あの……反対しないの?」

「反対?」グリモア公爵が不思議そうに首を傾げた。「なぜ反対する必要がある? 君は充分に邪悪で、充分に有能だ。我が家にぴったりじゃないか」

「そうよ」ベラドンナ夫人も微笑んだ。「むしろ、レドラムがまともな令嬢など連れてきたら、そちらの方が問題だったわ」

 ウェネフィカは、この一家が根本的に常軌を逸していることを改めて理解した。そして不思議なことに、それが心地よかった。

 ・
 ・
 ・

 その夜、城では盛大な婚約祝いの宴が開かれた。

 といっても、ヘルゲート家の宴である。

 テーブルに並ぶのは、毒々しい色をした料理の数々。見た目は恐ろしいが、味は絶品だった。ただし、普通の人間が食べれば即死するような代物ばかりだったが。

「これは『死の接吻』という料理でしてな」グリモア公爵が説明した。「フグの肝とトリカブトを絶妙な配分で調理したものです。我が家の者は耐性があるから平気ですが、普通なら一口で昇天ですぞ」

「美味しいわ」

 ウェネフィカが淡々と感想を述べる。二百年の間に様々な毒を摂取してきた彼女にとって、これくらいは朝飯前だった。

「素晴らしい!」レドラムが感激した。「やはり貴女は最高だ!」

 宴の途中、ベラドンナ夫人が興味深そうに尋ねた。

「ところでウェネフィカさん、貴女の得意な呪術は?」

「死霊術と、呪詛全般」

「まあ!」夫人の目が輝いた。「私も若い頃は死霊術を嗜んでいたのよ。最近は暗殺術に傾倒しているけれど」

「暗殺術も興味深いわね」ウェネフィカが珍しく興味を示した。「呪殺とはまた違った美学があるでしょう」

「その通りよ! ところで、レドラムから聞いたけれど、貴女は悪人だけを選んで殺していたそうね」

 ウェネフィカは肩をすくめた。

「特に意識はしていないわ。ただ、善良な人間の血は……まずいのよ」

「まずい?」グリモア公爵が興味深そうに身を乗り出した。

「ええ。希望とか、愛とか、そういった感情に満ちた血は、呪術の触媒として質が悪いの。それに比べて、欲望、憎悪、裏切り──そういった感情に染まった悪人の血は実に芳醇で、呪術との相性も抜群」

「なるほど!」レドラムが手を叩いた。「だから自然と悪人ばかりを殺すことになったのか! 私の調査通りだ! 実に合理的だ!」

「調査?」ウェネフィカがレドラムを見た。「貴方、本当に私の全ての殺人を調べたの?」

「もちろん!」レドラムは誇らしげに言った。「二百七十四名全員の身元、経歴、悪事の詳細、死因、死亡時刻──全て記録してあります! 我が家の書斎に、貴女専用のファイルが十二冊!」

 ウェネフィカは呆れを通り越して、ある種の感動を覚えた。

「……ストーカーね」

「愛です!」

「それに」ウェネフィカは珍しく皮肉な笑みを浮かべた。「悪人を殺しても、誰も本気で悲しまないでしょう? 表面上は嘆いても、内心ではほっとしている人の方が多い。そういう偽善的な葬式を遠くから眺めるのも、なかなか面白い娯楽よ」

「素晴らしい哲学だ!」グリモア公爵が感嘆した。「我が家にぴったりの嫁じゃないか!」

 二人の女性は、まるで料理のレシピでも交換するかのように、殺人技術について語り合い始めた。

 グリモア公爵とレドラムも、拷問器具の最新トレンドについて熱く議論していた。

「最近の若い拷問師は、効率ばかり追求して美学を忘れている」

「全く同感です、父上! 拷問とは芸術! 被害者の悲鳴は音楽! 流れる血は絵画!」

「よく分かっているな、息子よ!」

 一家団欒の光景だった。ただし、内容が著しく一般常識から逸脱していたが。

 ウェネフィカは、奇妙な感覚に包まれていた。暖かさ、とでも言うべきか。二百年の孤独な人生で、初めて感じる感覚だった。

 彼女は、自分と同じ種の人間に出会ったのだ。

 ・
 ・
 ・

 宴の後、レドラムはウェネフィカを城の最上階にある塔へと案内した。

「ここが貴女の部屋になります」

 扉を開けると、そこは予想以上に素晴らしい空間だった。

 天井まで届く本棚には、禁書や呪術書がぎっしりと並んでいる。部屋の中央には巨大な錬金術の実験台。壁には様々な呪術道具。そして窓からは、不気味な沼地と墓地が一望できた。

「私の理想の部屋だわ」

 ウェネフィカが呟いた。

「そう言っていただけて嬉しい!」レドラムは誇らしげだった。「実は、貴女のために一年前から準備していたんです」

「……一年前から?」

「ええ! 最初に貴女の噂を聞いたのは一年前。それから情報を集め始めて、三ヶ月前から本格的な調査を開始。そして貴女がどんな女性か確信した時、この部屋の準備を始めたんです。貴女が使っていた呪術書の種類、好む毒薬の系統、全て調べ上げて、それに合うものを集めました」

 ウェネフィカは振り返った。

「貴方、完全にストーカーね」

「純粋な愛です!」レドラムは胸を張った。「運命の人を見つけたら、その人のことを全て知りたくなるのは当然でしょう?」

 普通なら気持ち悪いはずの告白だったが、ウェネフィカは笑った。声を出して笑った。二百年ぶりに。

「貴方、本当に救いようがないわね」

「それは最高の褒め言葉です!」

 レドラムは跪き、改めて黒曜石の指輪を差し出した。

 真っ黒い、実に不吉な色合いの指輪だが、これがヘルゲート公爵家のカラーというやつだ。

「ウェネフィカ・モルテ。改めて申し上げます。私と結婚してください。退屈とは無縁の、刺激的で、危険で邪悪に満ちた人生を約束します」

 ウェネフィカは指輪を見つめた。それは呪われたアイテム特有の、不吉なオーラを放っていた。

「一つ聞くわ」

「なんなりと」

「私と結婚して、貴方に何の得があるの? 私は邪悪よ。貴方を裏切るかもしれない。殺すかもしれない」

 レドラムは満面の笑みを浮かべた。

「それこそが魅力です!」

「は?」

「考えてもみてください! 毎朝、目覚めた時に『今日は妻に殺されるかもしれない』というスリル! 食事の度に『毒を盛られているかもしれない』という緊張感! なんて素晴らしい人生でしょう!」

 ウェネフィカは、完全に理解した。この男は、本物だった。救いようのない、純粋な狂人だった。

 そして、それが嫌ではなかった。

「いいわ」

 彼女は指輪を受け取った。

「結婚してあげる。但し、条件があるわ」

「何なりと!」

「退屈させたら、殺すわよ」

「望むところです!」

 レドラムは立ち上がり、ウェネフィカの手にキスをした。その瞬間、レドラムは全身をびくりと震わせた。

 ウェネフィカの皮膚は毒を分泌するのだ。

 甘く、香しく、妖艶で──死に至る毒を。

「むうッ!」

 レドラムは激痛に悶えながら──笑っていた。

「素晴らしい! これが貴女の呪い! 全身が焼けるようだ!」

「……死なないのね……気持ち悪い男」

 ウェネフィカは呆れたが、口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 ・
 ・
 ・

 結婚式は三ヶ月後に行われた。

 場所は、あの火刑場だった。

「ここで出会ったんだから、ここで式を挙げるのが道理でしょう!」

 レドラムの提案にウェネフィカも同意した。

 参列者は少なかった。ヘルゲート家の使用人と、一部の物好きな貴族だけ。まともな人間は、魔女と狂人の結婚式になど出席したくなかった。

 花嫁のドレスは純白──ではなく、漆黒だった。ウェネフィカの希望である。

「白なんて、私には似合わないわ」

「その通り! 貴女には、闇の色こそ相応しい!」

 神父の代わりに式を執り行ったのは、なんと悪魔だった。レドラムが喚びつけた下級悪魔である。

「人間の結婚式なんて初めてだ」悪魔はぼやいた。「しかも相手が魔女と狂人とは」

「文句があるなら、魂を十個ほど追加で捧げよう!」

「いえ、結構です」

 悪魔は慌てて誓いの言葉を読み上げた。もちろん、通常のものではない。

「汝、レドラム・ヘルゲートは、この魔女を妻とし、呪いも、毒も、死も分かち合うことを誓うか?」

「誓います! むしろ望むところです!」

「汝、ウェネフィカ・モルテは、この狂人を夫とし、その狂気を受け入れ、共に深淵を歩むことを誓うか?」

「誓うわ。退屈よりはマシでしょうから」

「では、魔王の名において、二人を夫婦と認める。接吻でも何でも勝手にしろ」

 レドラムがウェネフィカを抱き寄せ、キスをした。その瞬間、二人の周囲に黒い炎が立ち昇った。呪いと狂気が混ざり合い、新たな契約が結ばれた証だった。

 参列者たちは恐怖に震えながらも、拍手を送った。これほど不吉で、これほど完璧な結婚式を、彼らは二度と見ることはないだろう。

 ・
 ・
 ・

 結婚して一年が経った。

 ウェネフィカの腹は大きくなっていた。

「男の子だといいな」レドラムが嬉しそうに言った。「私のように情熱的で、破壊的で」

「女の子の方がいいわ」ウェネフィカは反論した。「私のように冷静で、残酷で」

「どちらでも素晴らしい! 我々の血を継ぐ子供だ! きっと最高に邪悪な子供になる!」

 その予言は的中した。

 生まれてきたのは女の子だった。デスデモーナと名付けられた。死の乙女、という意味である。

 赤子は生まれた瞬間から不吉だった。産声の代わりに不気味な笑い声を上げ、助産師を失神させた。

「素晴らしい!」レドラムは感涙した。「これぞヘルゲート家の子!」

「確かに、私たちの子ね」ウェネフィカも満足げだった。

 グリモア公爵とベラドンナ夫人も大喜びだった。

「初孫だ! しかもこんなに邪悪なオーラを放っているとは!」

「きっと立派な悪女に育つわ」

 デスデモーナは期待通りに成長した。三歳で初めての呪いを覚え、五歳で毒薬の調合を始め、七歳で拷問器具のコレクションを始めた。

 そして興味深いことに、彼女も母親と同じく「素材の選別」に不思議な才能を示した。学園でいじめられた時、彼女が報復として悪夢のクッキーを送った相手は、後に横領と脅迫で逮捕される令嬢だった。まるで本能的に、邪悪な魂を嗅ぎ分けているかのように。

「さすが私たちの娘ね」ウェネフィカは満足げだった。「悪を見抜く邪悪な眼を持っている」

「将来が楽しみだ!」レドラムも同意した。「きっと素晴らしい悪女になって、最高に邪悪な相手と結ばれるだろう!」

「それか、とんでもなく無能な男とかね」

 ウェネフィカの言葉にレドラムは破顔する。

「無能! それは良い! 無能とはこの世で最も憎むべき罪だ……そんな罪人を伴侶にできたなら、娘も酷く不幸な結婚生活を送れることだろう」

 二人は娘を溺愛した。普通の親が子供に与えるような、玩具やお菓子の代わりに、呪術書や毒薬や拷問器具を与えた。デスデモーナはそれらを心から喜んだ。

 ・
 ・
 ・

 ある日、ウェネフィカはレドラムに尋ねた。

「後悔してない?」

「何を?」

「私と結婚したこと。普通の、善良な女性と結婚していれば、もっと平穏な人生だったでしょう」

 レドラムは大笑いした。

「平穏? そんなものが何の価値がある! 貴女といる毎日は、刺激的で、危険で、最高に楽しい! これ以上の幸せがあるものか!」

 レドラムは愛おしそうにウェネフィカを見つめた。

 ウェネフィカは微笑みを返す。この十年で、彼女の表情は豊かになっていた。

「貴方も、私の退屈を完全に癒してくれたわ。まさか火刑台でプロポーズされるとは、二百年生きてきて初めての経験だった」

「それは何より!」

 二人は手を取り合った。その手は血と毒にまみれていたが温かい──まるでさらけ出したばかりの臓物のように。

 こうして、史上最も邪悪で、最も幸福な夫婦の物語は続いていく。

 めでたし、めでたし──いや、全然めでたくない。
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