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[-00:16:08]劣等犯
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しおりを挟む「僕は、それを知ってる」
纏は、その理不尽を知っている。
未だ薄れることなく脳裏に刻まれた、最悪な結末を。
「その才能に群がって持ち上げるだけ持ち上げた後、無責任な大人たちが一斉に手のひらを返してわが身可愛さに保身に走るクソみたいな光景を。血反吐吐く想いで生み出した物語を食い散らかすだけ食い散らかして、結局盗作じゃんってゴミ屑みたいに吐き捨てる人間の残酷さを。何にも知らないくせに憶測ばっかの薄っぺらいネットニュースを読んで知った気になって、SNSでお気持ち表明とか批評家気取りでいいねで承認欲求と優越感を満たす無責任な人間の愚かさを」
胸の奥を燻るどす黒い感情が、纏の声を勝手に震わせる。
「許せなかった」
纏は無意識に握り合わせた指先が赤く染まるほど、強く爪を立てる。
「あんな理不尽で、あんな不合理で、奪われていい才能じゃなかった。僕がどれほど望んでも一生手にすることが出来ない才能だった。なのに、誰も、アイツを信じなかった。誰も、アイツを守ってやらなかった! ネットなんかさ、見るも無残な罵詈雑言嵐だったよ。……ねえ、律、知ってた? 匿名で正義を盾にして正論振りかざす人間は、どんな暴言も罵りも、なんだって言ってもいい。ネットに本名晒してもいいし、デマ流してもいい。すべて許されるんだって。───だって、盗作した人間の方が悪だから!」
きっと、真実なんてどうでもよかったのだ。
ただそこに殴ってもよさそうなサンドバックが転がっていた。だから殴った。だって、画面から腕でも生えない限り、殴り返されることもない。安心して心置きなく自尊心を満たすにうってつけの、暇つぶし。
運悪く、夕爾はその標的にされた。
ただ、それだけ。
「……っ、ざけんな。そんな理不尽が、あってたまるかよ」
纏は呼吸すら苦しくなるほど、張り裂けそうな痛みを抱えて絞り出すような声で吐き出す。
「───あいつはまだ16歳の、無力な、ただの高校生だったのに!」
透花と同じ年の少年が抱えることなど、到底不可能だった。
幼い纏の無垢な瞳を通して見ていた世界からでも、それは一目瞭然だった。ならば、彼の目を通して見た世界がどれほど醜く歪んで見えたのか、今の纏にも想像がつかない。
「だから、夕爾は壊れた」
それが、笹原夕爾という天才の結末。
優しい世界を描く彼の物語は、現実という無慈悲によって打ち砕かれ、永遠に綴られることのない終わりだけが残された。
「……僕は、その結末がどうしても許せなかった」
理不尽な悪が現れても、仲間たちとともに協力しあって、最後は大団円。
勧善懲悪が物語の基本だと、幼い纏は思っていた。そして、それは現実でも一緒だと思っていた。
纏は、願っていたのだ。誰か、誰でもいい、夕爾を苦しめる人間たちを懲らしめ、救い出してくれるヒーローが現れることを。ご都合主義だと誰しもが嘲笑う展開を纏は願って、願って、願い続けて、ヒーローが現れるよりも先に───夕爾は壊れた。
纏はそこで、ようやく、現実を思い知る。
この世界にヒーローは存在しないのだと。
じゃあ、一体、どうすれば夕爾は壊れない未来に辿り着けたというのか。正気を失っていく夕爾の背中を見るだけの苦痛を味わうのは、もう御免だ。何も出来ないからと目を背け続ける無責任な大人になるのも、嫌だった。
「……本当はさ、別にどうでもいいんだ。お金とか、知名度とか、実績とか、全部どうだっていい」
どうして、『ITSUKA』をやるのか? ───いつか、透花に問いかけられた質問の答えは、本当は嘘だった。
「ただ僕は……透花が、夕爾と同じように理不尽に壊される未来が、我慢ならないだけだ」
笹原透花という人間は、天才だ。それは素人である纏ですら、一目瞭然だった。
凡人がどれほど努力を積み重ねたとしても手に入らない才能が、彼女にはある。そして、その繊細な世界を表現する彼女の心がどれほど脆く、危ういのかも、纏は知っている。
いずれ、彼女の才能に気付いた大人たちが群がって、透花の才能が搾取されるときが来るかもしれない。もし、夕爾と同じようにクソみたいな理不尽に晒された瞬間───透花の心はガラス細工のように脆く砕け散るだろう。
夕爾は、壊れた。誰も彼を守らなかったからだ。
だから、纏は誓った。『ITSUKA』に入ると決めたその時に。
決して、透花は同じ結末にさせない、と。
「だから、僕が守る。そのために必要なもんだったら、何だってやってやるよ。金が必要ならかき集めてやる。無責任な大人どもをねじ伏せるくらいの実績を立ててやる。この世界の何を犠牲にしてでも、透花の創る世界を誰にも壊させない」
それが幼く、無知で、無力で、何も出来なかったあの頃の自分に対するせめてもの反抗だった。
「透花を守れるなら、僕は何だってする」
纏は笑う。
律の視界に映るその笑みは、あどけなく年相応の幼さを残しながらも、ブレることない芯の通った揺るぎないものだった。
律はううん、と喉を鳴らし頬を掻きながら首を傾げる。
「それ、告白にしか聞こえんけど」
少し間を開けて、纏はにっと歯を見せながら悪戯っぽく微笑んだ。
「は、当たり前じゃん。好きじゃなきゃ、ここまでしないよ」
からん、と入口のドアベルが鳴った。控えめに開けられるドアの隙間から、晴れやかな声色が流れ込んでくる。振り返らずともその声の正体はすぐ察した。
それに気づいた纏は椅子から飛び降りて、律の横を通り過ぎる寸前に軽く肩を叩いた。そして、律の耳元に顔を寄せ囁く。
「───悪いけど、透花のこと、渡すつもりないからね」
「な、」
「ライバルに手加減とか無理だから」
動揺のあまり言葉を紡ぐことさえ忘れた律を尻目に、纏はドアの付近で立ち尽くす来客者を迎え入れる声が店内に響く。
数秒ほど呆けていた律の名前を呼ぶ声で、はっと我に返った。
顔が熱いことには気づかないふりをして、律は立ち上がる。まずは目の前の問題を解決する方が先だろう。
互いに顔を見合わせ、にちかとほぼ同時に勢いよく下げた頭同士が派手にぶつかって、後頭部に大きなたんこぶが出来たのは、また、別の話である。
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