音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

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[-00:16:08]劣等犯

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 本日、快晴。
 夏の蒸し暑さは遠い昔のことのように、頬を撫でる秋風はからりと乾いている。見上げれば突き抜けるほどの青天井が広がっていた。
 同じデザインのTシャツを着た、家族連れから若いカップルまで様々な人々が駅の改札口から、ロックフェスの会場へと流れていく。
 透花はその人ごみに半ば押されるように、ふらふらと覚束ない足取りで進む。10月末とはいえ、昼間の日差しは連日の寝不足の身体には少々毒だ。俯きながら足元だけを見て歩いていると、ふと、足元に日影が差した。顔を上げると、猫のような双眸の下に青黒い隈をくっきりとつけた纏が、キャップ帽をより深く透花の頭に被せた。

「貸してあげる」
「……うん、ありがと」
「今にもぶっ倒れそうな顔してるけど、大丈夫?」
「それは纏くんもだよ」
「透花が寝かせてくれないからじゃん」
「ねかっ!? へ、変な言い回しないの!」
「ふふ、言い返せる気力あんなら大丈夫だね。ほら、こっち」
 透花と同じくらいの細腕に引かれ、人ごみをかき分けて突き進む纏の背中を透花は追いかける。その背中がいつの間にか、透花よりも大きくなっていることに気付くのに時間はかからなかった。



「───あ、来た来た! 透花! 纏! こっちこっち!」
『STAFF』と書かれた名札を首から下げた佐都子が、透花たちに向かって大きく手を振る。そのたび、ポニーテールにした髪の毛の先が跳ねる。その横で同じく名札を下げた律が、手にした楽譜をうちわ代わりに扇いでいる。
 巨大モニターが設置された特設ステージの裏側は、これから始まるフェスの準備に向けて慌ただしく動くスタッフでごった返していた。
 その雰囲気を感じただけで、透花の心は期待と不安で、心臓がどうにかなりそうだった。
 何度経験しても、永遠に慣れない感覚だと、透花は思う。創り上げた作品を発表する恐怖というものは、付きまとって離れない。どうにか顔には出さないようにと押し込めた緊張は、指先に伝わって、僅かに透花の手が震える。それに気づいた纏が繋いだ手を強く握り返した。氷のように冷たかった透花の手に、纏の熱が移る。

「大丈夫」
 雑踏に掻き消されるほど、小さな声で纏は囁く。
「出来栄えは僕が保証する」
 透花が顔を上げると、少しだけ目線の高くなった纏の目が細まる。
「自信持て、透花。僕らの創ったものが最強だよ」
 途方もない不安を塗り返るほどの、揺るぎない自信が纏の手の平から伝わってくる気がした。透花は緊張で凝り固まった頬を引き上げて、好戦的に笑ってみる。
「……うん。纏くんのお墨付きなら、絶対そうだね」
 不思議と震えは止まっていた。

 透花は纏とともに、佐都子たちの元へ駆け寄る。佐都子は透花の前髪を指先で少し上げて、もう、と呆れたようにため息をついた。
「透花、昨日の夜は結局徹夜したでしょ。顔色悪いし隈くっきり」
「えへ」
「えへ、じゃないから!」
 透花は、苦し紛れに舌を出してとぼけてみる。顔色を隠すためのコンシーラーもファンデーションも、佐都子の前では無意味だったらしい。
 今日の野外フェスライブに合わせて、動画サイトに投稿するMVの編集と修正に透花、纏、佐都子の3人は連日、徹夜で作業に追われていた。
 律とともに、にちかのお手伝いとしてスタッフに参加予定だった佐都子は、纏と透花を『アリスの家』に残し、早めに作業を切り上げ、帰り際に「ちゃんと家に帰って寝ること」と念入りに釘を刺して帰っていたことを、透花は思い出す。結局、MVが完成したのは朝日が昇るころだったわけだが。
 透花たちの会話を苦笑いしながら聞いていた律が、手元に握りしめたコンビニ袋を透花たちに差し出した。

「徹夜組、お疲れさん。お前らにエナドリ買ってきたけどいる?」
「律のくせに気が利くじゃん」
「くせには余計だわ。透花もいる?」
「いる。このままだとライブ中倒れちゃいそう」
「……で、動画の方は? 大丈夫?」

 栄養ドリンクを透花に手渡しながら、律が控えめに聞く。今回のスケジュール遅れの元凶そのイチとしては、聴き辛いものがあるのだろう。
 受け取った栄養ドリンクを一気に飲み干した纏が、フンっと鼻を鳴らした。

「ばぁーか、僕の辞書に納期遅れなんて言葉、存在しないんだよ。ちゃんと予約投稿済み。今日のライブで使うMVの300倍良くなってっから期待しとけ」
「まとい~~!! お前ほんと最高だな!」
「キモっ! 抱き着くな!」
「───二人とも仲いーね! あ、もしかして付き合ってる~?」
「「なわけあるか!」」

 見事に纏と律の声がシンクロする。透花でも佐都子でもない、晴れやかな声がする方へと4人は視線を向ける。

「よ! みんなおそろいで!」
 振り返った先にいたのは、片手を振るにちかだった。しかしいつもと様子が違うことに気付いた透花が、目を見開く。
「にちかちゃん! ……その、」
「あ、髪? 思い切って切ってみたんだ。どう? ニューにちかちゃんは」
 溌溂とした笑みを浮かべ、自慢げに胸を張るにちかが黒髪の毛先を人房を手にした。
 胸の下まで伸びていた黒髪は、ショートボブくらいまでバッサリと切られ、重かった前髪もセンターで分け、白い額が太陽に晒されている。
「うん、めちゃくちゃ似合ってる。かわいいしかっこいい!」
「でしょ~?」
 透花は思わずにちかの両手を握り、興奮気味に身を乗り出す。満更でも無い様子でにちかは、鼻の下を人差し指でこすりながら、柔く笑う。そして、透花にだけ聴こえるようにと、透花と額を合わせて瞳を閉じた。睫毛が、吐息が、握りしめた手の平が、震えている。それでもにちかの声だけは、雑音に紛れることなく鮮明に聴こえる。

「あの約束、ちゃんと守るからさ」
「うん」
「見てて、あたしのこと。一秒も目離さないでね」
「うん、ちゃんと見てるよ、にちかちゃんのこと」
「───こら。俺たちそっちのけで何話してんの?」

 口を尖らせた律が、ひょいっと透花たちの会話を遮る様に顔を覗かせた。すると、にちかはにんまりと悪戯っぽく口元を上げ、透花の腕に自分の腕を絡ませる。律に向かってべーっと舌を出し、おどけた顔で言った。

「今日の透花ちゃんはあたしが釘付けにするってだけ! 羨ましいかこの野郎! 結局、このあたしが透花ちゃんの一番ってことよ。ね、透花ちゃん」  
「はあ~? 言っとくけど、俺の方が透花のこといっぱい知ってるし。なんなら、透花が俺のファン1号だし! どう考えても俺が一番じゃん!」
「やだやだしょうもない嫉妬ですか~? 自信ない奴に限ってよく吠えるんだよねぇ」
「は~~? 売られた喧嘩は買うけど? 何ならここで決着つけるか? ま~~、透花はお前の歌より俺の曲がいいって言うけどな絶対!」
「あっはっは、何言ってんだか! 透花ちゃんは今日! あたしの歌を! 聞きに来てんのォ! そこんとこ忘れてもらっちゃ困るんですけど?」
 透花を挟んで、激しい火花を散らすふたりが一斉に透花の方を見やる。今にも刺殺されそうな鋭い視線に透花の肩が大きく跳ねる。
「透花は───」
「透花ちゃんは───」
「「どっちが一番!!??」」
 その勢いに気圧された透花は、大量の冷や汗をかきながら助けを求めるために纏と佐都子の方を振り向く。が、速攻逸らされた。現金な奴らである。

 ここでどっちも好き、という答えは絶対に受け入れてもらえなさそうな雰囲気に言葉を詰まらせていると、透花たちに向かってくる人影がひとつ。
『STAFF』のネームプレートを首から下げた、中年の男性が焦った様子でこちらに小走りでやってくる。
「すいませーん! 出演者の『mel』さんは……、」
「あっ、はい、あたしです」
「すいません、ちょっと緊急事態が……」
「緊急事態?」
 にちかの眉間にしわが寄る。おそらく、ライブ演出に関わるスタッフなのだろう、手に持った進行表がぐちゃぐちゃになっている。その焦りを滲ませた真剣な顔つきで、透花たちの間に流れる空気が氷が割れる瞬間のように張り詰める。
「今日、『mel』さんのバックミュージックでキーボード担当の方が、体調不良で急遽病院へ行くことになりまして……」
「キーボードって……」

 にちかが目を見開いたまま硬直している。『ITSUKA』の新曲は、冒頭からほぼピアノが構成に組み込まれているからだ。打ち込み音源と生演奏の同期演奏だから、キーボードがいなくても成り立つことは成り立つが、それでも音楽に一つ表現が消えるということがどれほど重大なことなのか、にちかと律は瞬時に悟った。
「代打を頼もうにも、ライブ開始まであと30分程度ですから……。練習もリハーサルする時間もないですし、本番一発勝負になってしまうので、全員断られてしまって」
「そんな」
「すいません、今回はキーボードは無しでお願いします」
「……」

 何も言い返す気力もなくなったにちかが、顔を伏せて固く拳を握った。透花はかける言葉すら見つからず、ただにちかの肩を抱き寄せる。何もできない無力感が、胸を締め付けた。そうして、一礼をしてその場を去ろうとするスタッフの男性を引き留める手があった。

「───待ってください」
 律だ、と気づくのに透花は数秒ほどかかった。
 心なしか、その横顔が透花は『Midnight blue』で額縁に飾られた一枚の写真と重なって見えた。迷いのない真っ直ぐな瞳だった。

「俺がやります」
「君が? ええと、」
「この曲作ったの自分なんで、大丈夫です。キーボードは貸してもらえるんですよね?」
「も、もちろんそれは大丈夫ですけど」
「ありがとうございます!」

 戸惑いながら何度もこちらを見返す男性のスタッフに律は深々と一礼する。そのまますくっと身を起こして、にちかの方へ足を進めた。自分より数十センチほど低いにちかの顔が、今にも泣き崩れそうになっていることに気付いた律は、少し強めににちかの頬を指で引っ張る。

「なに泣きそうになってんだよ」
「だ、だっへ」
「気休めだけど、お前の出演時間まで練習しよう。泣いてる暇なんかねーぞ」
「わひゃってるわ!」
『Midnight blue』での同じ失態を繰り返すわけにはいかない。
 律は大きく息を吐いて、覚悟を決めた。

「───あの夜のリベンジマッチだ」
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