【完結】男装ホスト令嬢は今宵も愛を売る-婚約破棄?ご自由に。私には仕事《ホスト》がありますので。-

天堂 サーモン

文字の大きさ
10 / 18

第10話 【エリナ視点】断罪

しおりを挟む
 ――『ルクレール』でクロードに別れを告げた日の翌日。

 呼び出しに応じる形で、私は懇意にして頂いているさる高貴な方のお屋敷から、数日ぶりにグレイハート邸へ向かった。

 外は雨。雨は嫌いじゃない。馬車が時おり水溜まりを踏む音が心地いい。立ち上る泥と草のにおいも、なかなか悪くない。


 正門前で馬車が止まるや否や、衛兵が無言で近づいてきた。軽蔑を込めた視線で私を一撫でし、無言のまま背を向ける。無機質な足音に先導され、当主の書斎へと辿り着く。

 扉をくぐると、ひたりと、静まり返った空気がまとわりつく。

 厚いカーテンに遮られた室内は暗く、辛気臭い。仄かなシャンデリアの明かりだけが、黒檀の大机越しにグレイハート侯爵の顔を照らしていた。深い皴が刻まれた冷たく武骨な見た目は、まるで古びた石像だ。

 大机の手前には左にアデライド、右にレオがそれぞれ椅子に座っていた。

 アデライドは私が入ってくるなり、ものすごい形相でこちらを見てきた。悪い魔女のような顔。憎しみと怒りで歪み、醜いったらなかった。それとは対照的に、レオはといえば、すっかり気力を失った情けない顔をしていた。どちらの顔も、あまりに極端で、思わず笑いそうになる。

 アデライドは私の表情の変化に気が付いたのか、音を立てて椅子から立ち上がり、こちらにまっすぐ指先を突きつける。

「あなた……よくも、よくも……またこの家の門をくぐれましたね……!」
「呼ばれたので来ただけですが」

 顔もあわせず言ってやると、甲高い罵声が彼女の口から次々と叫ばれる。……貴族のくせに、随分小物っぽい反応ですこと。


 金切り声を遮るようにグレイハート侯爵が鋭く咳払いをする。瞬間、アデライドはぐっと口をつぐみ、この場に再び静寂が戻った。

 グレイハート侯爵は見たことがないほどの眼光で、私を見た。色素の薄いヘーゼルの瞳はレオと同じ色なのに……圧が、全く違う。

 彼は、岩のように重く、固い声で告げる。

「……エリナ・バレット。今日、ここに呼ばれた理由はわかっているな」

 じわりと手汗が滲む。首筋にも、冷たいものが伝った気がした。

 でも、この空気に負けたくなくて、私は改めて背筋を伸ばし直す。だって、クロードは『私の強さに憧れる』と言ってくれた。だから最後まで……強くありたい。

「さあ。心当たりが色々あって分かりません」

 決意して吐いた言葉は、我ながら挑発的に聞こえた。アデライドは興奮を隠そうともせず、私に一歩踏み出す。

「何ですかその態度は! どれだけ私たちを馬鹿にするつもりです?!」

 しかし、グレイハート侯爵に目で制され、わなわな震えつつ、椅子に腰を下ろした。

「アデライドから、君が我がグレイハート家の財産を隠れて売り払ったと聞いているが、それは真実か?」

 ようやく本題か。貴族というのは何事にも前置きが長くてまどろっこしい。

「はい。真実です」
「その行いが罪だと、分かっていたのかね」
「……ええ」

 『ルクレール』でクロードに出会ってから、私は彼に溺れていった。彼の顔が見たくて、彼の声が欲しくて……次から次へとシャンパンを注いでもらった。

 けれど、当然のことながらそれには金が必要だった。はじめは独身時代に贈ってもらった宝飾品を売って金を作っていたけれど、そんなものはすぐ、底をついた。

 ならば、とやったことはふたつ。ひとつめは、高貴なお方に『相談』をして援助頂くこと。ふたつめは、グレイハート家の倉庫に眠っていた金目の物を密かに売り払うこと。

 そうしなければ私は『ルクレール』に通えず、心を壊しただろう。だから私の行いは、心を生かすためにやったこと。……開き直ってる? ええ、その通り。


 ――開き直って何が悪い?!


「あなた! この女は……この女は、私とレオの想い出の品を何もかも盗んで、売ってしまったのよ! レオが初めて食事をした、銀のスプーンもよ!」

 アデライドが掠れ、上ずる声で訴えるようにグレイハート侯爵に叫ぶ。侯爵は微動だにせず、アデライドに目を向けることさえしない。

「……その他、社交界で複数の男性から援助を受けていると聞いている」
「はい。義母でもない方に毎日いびられて大変だとお話したら、哀れに思って下さった方がお金を恵んで下さいました」

 アデライドは私を振り返り、キィっと短く唸った。……へえ、貴族って、本当にこんな風に鳴くのね。

「いびられて?! 家庭教師までつけて、教育を授けてあげて……その言いざまはなんなの? その上、レオというものがありながら、この女は……!」
「そ、そんな……エリナ、その話は嘘じゃ、なかったの……?」

 アデライドが髪を振り乱す横で、レオがようやく動揺したような素振りを見せる。久しぶりに会ったけれど、のろまなのは相変わらずのようだ。

「窃盗の上、家の評判を下げるような売春まがいの行為……君をこれ以上、我が家に置いておくことはできない」

 アデライドとレオの発言など最初からなかったかのように、グレイハート侯爵は私にそう、宣告した。

 少し前まで、自分を殺してでもしがみつこうとしていたこの家。けれど今、そこから追い出されることを宣告され……逆に、胸の重しが失せた気がした。

「さらに、君を自由にする気もない。我が家の醜聞がこれ以上広まることは、到底許容できない」

 私は自由になった肺で、深く、大きく息を吸い……覚悟を決め、ただひとつ、問う。

「……私を、どうするおつもりですか」
「辺境の修道院へ送る。そこで一生を送りなさい」

 ……どんな沙汰が下されるかと思えば、そんなことか。噂話で聞いていた罰より、よほど温情にあふれている。

「そんな、生温い! きちんと我が家としても仕置きを……」
「前時代的な処罰をすれば我が家の品格に関わる。控えなさい」

 アデライドがほとんど額がぶつかるような距離でグレイハート侯爵に食い下がったが、あっさりとその提案は却下された。ざまあない。

「父上、あの……」

 レオが少し顔を引き締め立ち上がり、何かを言いかけたが……。

「も、申し訳ありません……」

 グレイハート侯爵の視線を受けると、すぐに小さくなって椅子に座った。彼が何を主張しようとしたのか分からないが……驚くぐらい興味が湧かなかった。私の中で、彼は終わってしまったのだと、改めて実感する。

「話は終わりだ。……エリナ・バレットを連れていけ。準備が整うまで地下牢につないで、逃さぬように」

 侯爵の命令を受け、ふたりの衛兵が私の背後に立つ。乱暴に後ろ手を縛られ、追い立てられるように部屋を出る。

 手首に食い込む縄の感触が、じわじわと痛みに変わっていく。引かれながら歩く私の目の前には冷たい床の石目だけが、どこまでも続いていた。



 地下牢? 辺境の修道院? ――上等よ。

 帝都から追い出されてクロードに会えなくなるのは身を引き裂かれるように辛いけれど……それでも、生きていられれば、いつか逃げ出すこともできるはず。


 そして……クロードに会うことだって、きっと。


 薄暗い屋敷のなかを進む私の胸のうちには、彼への恋の炎が、まだ確かに灯っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!

志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」  皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。  そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?  『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

ループした悪役令嬢は王子からの溺愛に気付かない

咲桜りおな
恋愛
 愛する夫(王太子)から愛される事もなく結婚間もなく悲運の死を迎える元公爵令嬢のモデリーン。 自分が何度も同じ人生をやり直している事に気付くも、やり直す度に上手くいかない人生にうんざりしてしまう。 どうせなら王太子と出会わない人生を送りたい……そう願って眠りに就くと、王太子との婚約前に時は巻き戻った。 それと同時にこの世界が乙女ゲームの中で、自分が悪役令嬢へ転生していた事も知る。 嫌われる運命なら王太子と婚約せず、ヒロインである自分の妹が結婚して幸せになればいい。 悪役令嬢として生きるなんてまっぴら。自分は自分の道を行く!  そう決めて五度目の人生をやり直し始めるモデリーンの物語。

聖女は秘密の皇帝に抱かれる

アルケミスト
恋愛
 神が皇帝を定める国、バラッハ帝国。 『次期皇帝は国の紋章を背負う者』という神託を得た聖女候補ツェリルは昔見た、腰に痣を持つ男を探し始める。  行き着いたのは権力を忌み嫌う皇太子、ドゥラコン、  痣を確かめたいと頼むが「俺は身も心も重ねる女にしか肌を見せない」と迫られる。  戸惑うツェリルだが、彼を『その気』にさせるため、寝室で、浴場で、淫らな逢瀬を重ねることになる。  快楽に溺れてはだめ。  そう思いつつも、いつまでも服を脱がない彼に焦れたある日、別の人間の腰に痣を見つけて……。  果たして次期皇帝は誰なのか?  ツェリルは無事聖女になることはできるのか?

元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨
恋愛
 バートン侯爵家の跡取りだった父を持つニナリアは、潜伏先の家から祖父に連れ去られ、侯爵家でメイドとして働いていた。18歳になったニナリアは、祖父の命令で従姉の代わりに元平民の騎士、アレン・ラディー子爵に嫁ぐことになる。  ニナリアは母のもとに戻りたいので、アレンと離婚したくて仕方がなかったが、結婚は国王の命令でもあったので、アレンが離婚に応じるはずもなかった。アレンが初めから溺愛してきたので、ニナリアは戸惑う。ニナリアは、自分の目的を果たすことができるのか?  元平民の侯爵令嬢が、自分の人生を取り戻す、溺愛から始まる物語。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

処理中です...