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キュウカンチョウの刺青

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彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。


「キュウカンチョウの刺青」


この物語で、


女は残された意味を知る。


―意地の悪い女― 


長椅子に、ある女が腰掛けていた。


陰口を叩く事で、腹に溜まった毒素を吐き出す意地の悪い女だった。


だが、陰口を叩くわりにはこの女、陰口の意味を理解していなかった。


女は、陰口というものが、聞かせた相手と自分にしか聞こえないものだと思い込んでいた。


陰口はあらゆる形で伝わるというのに…。


-三人の女たち-


黒いローブの男の背後で喧しく鳴くのは、長椅子に並んで腰掛け、鳥のように覚えたての言葉を発する女たちだった。


一人は「セキセイインコオパーリンライトブルーの刺青を刻む女」で、


もう一人は、その女に妬まれて殺される「亭主持ちの女」


そしてもう一人は、これから始まる死の連鎖の引き金となる「陰口を叩く女」


今回の標的の一人だった。


黒いローブの男は、三人の会話に聞き耳を立てると分厚い本を開いた。


そこには「キュウカンチョウの刺青」と黒文字で書かれていた。


-三人の会話-


その会話の内容は、ありふれた内容だった。


それは世間話から始まり、やがて恋の話に繋がった。


だが、恋の話になると、自然と男の話が出始め、段々と話の内容が複雑になってきた。


そうなると亭主持ちの女が亭主との夜の生活に不満を漏らし始め、その話を聞いた二人の女が静かに嫉妬し始めた。


二人の女には恋人がいなかった。


だから亭主持ちの女の事が羨ましかった。


それが態度に出たのかもしれない。


嫉妬して、つい鼻で笑ってしまった。


亭主持ちの女は、これに怒った。


同情しなかった女たちに散々悪口をぶつけて帰っていった。
  

黒いローブの男は、それを見て鼻で笑っていた。


しばらくして、亭主持ちの女の陰口が叩かれた。


陰口を叩いているのは、標的の女だけ。


その女の酷い陰口が長く続いた。


気が付くと女は、陰口を叩く中でその女には漏らしてはならない情報まで漏らしていた。


それは、亭主持ちの女の情報だった。


情報の中には亭主持ちの女の「亭主の情報」まで含まれていた。


仕事場の情報から仕事の時間帯まで、女が知っている事は全てだった。


―死の連鎖―


数日後。


二人の女が行方不明になった。


「セキセイインコオパーリンライトブルーの刺青を刻む女」と


「亭主持ちの女」だった。


その数ヶ月後。


亭主持ちの女と、その亭主の男が変死体で発見された。


顔面を鉄仮面で覆い隠され、腹を裂かれていたという。


犯人は、亭主持ちの女の生き方を妬んだ女。


女が、陰口を聞かせた女だった。


更にその数日後。


犯人の女が獄中で死亡した。


その後も、次々と変死体が発見された。


変死体で発見された人たちの共通点は「陰口」


女が、陰口の対象にしていた人たちばかりだった。


犯人の女は、この女の話を鵜呑みにし、幸せに気付けない者たちを罰するかのように殺人を繰り返していた。


主犯は犯人の女だが、殺人に必要な情報を与えたのは「陰口を叩いた女」


その事実を「分厚い本」は決して許してくれなかった。
 

―遺品の分厚い本―


その証拠に分厚い本は、犯人の女の遺品という形で女のもとに届いていた。


宛名の書かれていない手紙には、「読み解け」と命令文だけが書かれ、分厚い本にはキュウカンチョウの尾羽が、しおりとして挟まれていた。


しおりの挟まれたページを開くと、そこには自分たちの事を監視していたかのような物語が書かれていた。


その内容は陰口を叩く女が、その陰口で他人を操り、人を殺害するというもので、最後の文には「陰口は病みを伝い歩き、やがて還ってくる」と書かれていた。


女はこの時、陰口というものが恐ろしいものだと初めて理解した。


だが、もう手遅れ。


あの声はこの女の耳にも聞こえ始めていた。


【陰口を叩く愚か者よ、お前の喧しい声は、病みを伝い歩き、陰口の対象に伝わるのだ、陰口の言葉の意味も理解せずに言葉を発した自分自身を罰するがよい、だが、気を付けろ、罰する箇所を誤ると誰かが死ぬ】


女は、絶叫した。


―嘆き―


陰口を叩く事を 罪だと理解した女は、陰口を恐れて他人を拒絶するようになっていた。


他人の視線が不気味に感じるようになり、他人の口がトラバサミのように見え始めたのが原因だった。


女は自室に閉じ籠ると、手鏡に自分の歪んだ顔を映し出しながら言った。


きっとわたしもあの女みたいに殺される、


陰口が罪だということに気付けなかったから、


どうすれば神さまはこんなわたしを許してくれるのかしら、


あの女みたいに死ねばいいのかしら、


けれど死んでしまったら何もできなくなる、


わたしの悪い部分は「陰口」だけ、


それを吐き出しちゃう腹を銀のナイフで裂けば…


駄目、そんな事をしたら死んでしまうわ、 

どうすればいいの、


そうだわ、悪いのはこの「口」なのだから、この口が陰口を叩けないようにすればいい、


大丈夫、陰口を叩けなくするだけ、


女は、針と糸を手にして立っていた。


―罰する箇所―


女は、自分の口を糸で縫った。


針を突き刺しては、糸を引いてを繰り返した。


痛みに耐えて鏡を見ると、口をツギハギに縫った化け物がそこに見えた。


女は、思わず悲鳴をあげそうになったが、糸で縫った口は思うようには開かなかった。


代わりに、女の眼からは涙が溢れていた。


けれど、これで陰口は叩けない、


神様に罪を許される、


女は泣きながらも、そう思い込んでいた。


だが、それは大きな誤りだった。


糸で口を縫っても自分が陰口を叩けなくなるだけで、他人の叩く陰口は伝わり、罪が許される事は無かった。


女は苦悩した。


だからあの声の事を必死に思い出し「罰する箇所」を変えた。


可能な限り自分の身体を傷付け、意識を朦朧にして町を歩いた。


罪人らしく身体を晒し者にして、神の許しを求めて泣き声を漏らさずに泣いた。


だが、他人に避けて歩かれるだけで、神には許されなかった。


「どこを罰すれば許されるの」


やがて、女の腹が溜まった毒素のせいか膨らみ始め、下腹部に激痛が走った。


女は、ついその毒素を吐き出そうとしたが、糸で縫った口を指で押さえて我慢した。


だが、我慢が出来なくなると、道端に座り込み、その膨れ上がった腹をさすりながら、心の中で誰かに語りかけた。


「もう二度と陰口は叩かない、わたしが陰口を叩いたせいで誰かが勘違いをして誰かを殺した、小さな罪がやがて大きな罪に変わり死を連鎖し続ける、神様、わたしの事は許さなくていいから、もう犠牲者だけは出さないようにしてください、お願い、この子を助けて」


女は、腹を守るようにして眼を閉じた。


―残されたキュウカンチョウ女―


その後。


女は、優しい老夫婦に命を救われた。


他人を拒絶する事も少なくなった。


酷く縫った口も微かな縫い痕を残して元に戻り、傷付けた身体も衣服を纏うことで覆い隠された。


だが、罪の痕だけは永遠に消えなかった。


女は、乳母車に愛らしい我が子を寝かせると、乳母車を押して歩き、暗く淀んだ空を見上げて呟いた。


「わたし、この為に残されたのね」と。


死の連鎖の引き金となり、殺人鬼を陰口で操った女、


その下腹部には、鳥籠の中で死を待ち続ける黒い鳥乙女、


「キュウカンチョウの刺青」が刻まれていたという…。

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