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第一話 満月の訪問者
しおりを挟む「見ろよこれ!謎の飛行物体!」
興奮気味に野崎真は、自分のスマートフォンを望月巽の前にかざした。画面には夜空に黒い影が写った写真が一枚、記事とともに載っている。
「暗くてよくわかんないや」
人もまばらな、東南高校の放課後の教室。ホームルームが終わると、二人はこうしておしゃべりをしてから解散するのが常であった。大概は真が一方的にしゃべるのだが。
「これによると宇宙人の可能性もあるらしいんだよ。巽も宇宙人だと思う?」
「うーん、どうかな。蛾がたまたま通り過ぎて、それが写っただけじゃないかなぁ」
「モスマンってことか!?」
「何それ?適当に言っただけだよ。そういうのマコくんの方が詳しいじゃん」
「『プロフェシー』って映画知ってるか?モスマンってそれに出てくるんだよ!見たら死ぬってやつだったかな?さっそく部活で話し合ってみるわ。巽はもう帰んの?」
「うん。夕飯の買い物があるんだ」
「そっか」
野崎真は映像研究部所属の映画マニア。専門はホラーやミステリーものだ。彼は黒髪をハーフアップにして、眼鏡をかけている。
二人は一年生では別々のクラスだったが、体育館で行われた新入生オリエンテーションの時に知り合った。オリエンテーションの途中、機材トラブルで長時間その場で待機となった。その際、クラス別で一列になった時、ちょうど隣にいた真が巽に話しかけたのがきっかけで、仲良くなったのだ。二年生では同じ二年二組だ。
二人はなおも雑談しながら教室を出て、やっと下駄箱で別れ、巽は駅前のスーパーに寄りながら家路についたのだった。
東京にある、古びたアパートの二階の角部屋。ここが望月巽とその母親の住まいだ。
彼は居間のコタツで、黙々と計算を解いている。左手の横には、すでに終わった課題が積まれていた。
開け放たれた窓からは四月の優しい風が入り、頬をなでていく。巽は手を止めて、壁にかけられた時計に視線を投げた。時刻は十一時四十七分。
(母さん、今日も帰らないのかな…)
両親は彼が中学を卒業するのと同時に離婚し、巽は母親とともにこの北西アパートに移り住んだ。離婚の原因は父親の浮気であり、相手の女性はすでに妊娠していた。彼は全ての否を認め、妻に多額の慰謝料を払い、息子の成人するまでの養育費を負担することを約束した。
しかし父と別れたショックからか、母親は日に日に仕事の帰りが遅くなり、ついに今年の一月下旬頃からは帰らなくなっていたのだ。巽は何度も連絡をしたが、決まって仕事が忙しいと返され、それも近頃では途絶えている。
急にドンドンドンドンと、玄関から音が聞こえてきた。自分の悪い予想が裏切られ、巽は自然と笑みがこぼれる。
「待って!今開けるよ」
廊下の電気もつけずに玄関へ走ったが、ドアの前までくると不意に足を止めた。
(母さん…?)
望月巽は現在高校二年生の帰宅部。明るい髪の色が印象的な、やや小柄な体躯。勉強はクラスで上から十番目ほど、運動は下から数えたほうが早い。これと言って得意なことも熱中するものもなく、進路調査の趣味・特技の欄には比較的好きな料理と書いている。
そんな彼だが、今は不思議な力が足をとどめていた。というより、異様なこの状況下にも関わらず、頭が妙に冴えていたのだ。
(…本当に母さんなのかな?)
もし母親であれば、鍵を開けて入ってくるのではないだろうか。鍵を忘れたのであれば、一声ありそうなものである。少なくとも彼女は、こんな真夜中に、近所迷惑なほどドアを叩いたりはしないだろう。
(借金の取り立てとか…?)
先程も触れたように、父親からは毎月生活費がきちんと振り込まれていた。にわかにうちに借金があるとは思えなかったが、脅迫するような音がなり続ける中では、テレビで見たような取り立てのシーンばかりが思い浮かんでしまう。
このまま耳を塞いで踵を返そうかとも考えたが、その決心を鈍らせるほど、けたたましく異様な音であった。
巽は傘立てから一本傘を取り出すと、それを握りしめて恐る恐る覗き穴に近づいた。打音がより一層強くなるなか、外を覗き込む。
「…っ!!」
叫び声をなんとか両手で抑えて後ずさった。
(誰…!?)
黒い帽子と服を着た、見知らぬ人物である。なによりも気味が悪いのは、顔が妙に真っ白で生気がないことであった。
ふと巽は、先程までの騒音がうそのように鳴り止んでいることに気がついた。諦めて帰ったのかもしれない。そう言い聞かせながら、もう一度覗き穴に近づくと、
「先生」
と声がしたのだ。同時に裂けるような音とともに、玄関ドアが巽の頭上にのしかかってきた。
「うわあぁぁ!!!」
幸いドアは木製だったが、頭と腕をしたたかに打った。目に涙がしみ出る。
ドアから這い出した巽は反射的に顔を上げ、目の前にたたずむ人間に見入った。
何度か野崎真に連れられて、映像研究部に顔を出したことがあった。その時に部員の誰かが、DVDのパッケージを示しながら教えてくれたのだ。目の前の死人のことを。
「キョ…キョンシー?…」
満月の月明かりに照らされた蒼白い顔の男もまたこちらを見つめ、「先生」と再び呟いた。
とっさに巽は部屋へ逃げようと走り出したが、ぐいっと服が後ろに引っ張られたかと思うと、頭を上から押されて顔面ごと床に叩きつけられた。
「がはっ」
額から大量の血が流れ出る。キョンシーは頭を掴んで吊り上げてきたが、急に動きが止まると、巽を放り落として苦しそうに呻きだした。
その時、居間から携帯の着信音が聞こえてきた。巽は無我夢中で駆けこむと、スマートフォンに向かって叫んだ。
「警察!!警察を呼んでください!!」
「はぁ?おれだよ」
「あっ!マコくん!?」
「こんな時間にごめ…」
「警察呼んで!キョンシーが出たんだよ!僕を殺そうとしてるんだ!」
「えええっ?!キョンシー!!」
「あれは絶対そうだよ!本当なんだよ、マコくん助けて!キョンシーってどうすれば倒せるの!?」
「うーん、キョンシーかぁ。『霊幻道士』とか『幽幻道士』が有名だよな。巽は観なかったっけ?」
などと、親友はのんきに話し込み始めた。
「観てないよ!だから聞いてるんだよ!」
「それもそうだな。映画ン中じゃキョンシーっておでこにお札をつけてて、それで道士の言う事を聞くんだよ」
「お札!?」
「そうそう。黄色いお札だったかな。詳しくは知らないけど、力を封印できるとかなんじゃねぇの?お前んとこのキョンシーは?」
「…付けてない」
「それだ!今ネットで見てみるわ…。ちょくれい…ずいしん…?漢字がいっぱい書いてあるな」
「封印って言われても…。お札なんか持ってないよ…。どうしよう」
「あっおれそっち行くわ」
「ええ!?危ないよ!!もしもし?もしもし?マコくん!?」
すでに電話は切られていた。
「とっとにかくお札…いや、まずは警察に連絡して…!?」
テーブルに、カンフー靴を履いた蒼白い足が立っている。キョンシーの背後の窓から風が吹き抜け、カーテンがなびく。
逃げる間もなく、気がつけば廊下まで蹴り飛ばされていた。
「う…うう…」
強烈に痛む腹部を抑えながら、玄関から逃げようと廊下を這って進む行く手に、再び蒼白い足が見える。顔を上げると、キョンシーが恍惚とした表情で、右足を垂直に高く振り上げた。
(ああ…これは逃げられない…父さん、母さん…)
せめてもと、頭を手で守って目をつぶり、全身に力を入れて死への最後の抵抗を試みた。しかし死に際に思い浮かんだのは、両親や親友の顔ではなく、なぜか目の前の、美しさゆえにより残酷に映るキョンシーの姿であった。
「何してるの?警察を呼びますよ?」
「え…」
聞き慣れた声に目を開けると、このアパートの大家、乾あかりがキョンシーの腕を掴んでいる。彼女は寝間着の浴衣に羽織をかけた姿だ。
「乾さん!?危ない!!早く逃げ…て…あれ?」
先ほどまでの攻撃的なキョンシーは一転して、困惑気味に乾から逃れようとそろりそろりと動いている。彼女はキョンシーを捕まえたまま、「巽くん大丈夫!?あらやだ、ケガしてる!これは一体どういうこと!?」と、キョンシーを問い詰めだした。
巽は立ち上がると、何かに導かれるように居間へ駆け戻った。大慌てでテーブルの上をペタペタと探る。
「紙…ペン…ペン…」
散乱したテーブルから白紙のメモ用紙は見つけたが、ペンがない。代わりのものはないか。ふと巽は自分の手が汚れていることに気がついた。血だ。
額の傷口に指を押し当て、メモ用紙に血で“封”と書く。急いで駆け戻り、大家に向かって叫んだ。
「乾さん捕まえてて!!」
キョンシーが気がついてこちらを振り返るが、巽は急いで彼の額にメモ用紙を押し当てた。
「止まれ!!止まれ!!」
慌てたせいか紙は顔の左半分にくっつく形となったが、急に青白く光始めた。
「何なの!?」
キョンシーは苦しそうに呻いていたが、光が弱まるとともに静かになり、巽と乾あかりは顔を見合わせた。
「と…止まった…終わり?」
「一体何なの…巽くん、この人は誰よ…?」
髪をお団子にして右耳に鈴の耳飾りをつけた男は、廊下の壁にもたれかかり腕組みをしてそっぽを向いている。
「キョンシーではないかと…」
「キョンシーですって?映画に出てくるあのお化け?」
「はい…。格好もそんな感じですし…」
「本物なの?そういう格好してるだけなんじゃないの?」
乾が怪訝な顔で、キョンシーを覗き込む。するとサイレンの音が近づいてきて、すぐ近くで鳴り止んだ。
「あら、ちょうどいいところに警察かしら?」
「あっ!マコくんが呼んでくれたんだ!」
巽は困ったように呟いた。「でももう平気だし…どうしよう…」
「よくないわよ!警察に引き渡さなきゃ!」
バタバタと階段を駆け上がる靴音が聞こえてきたかと思うと、二人の警察官が、ドアのない玄関から懐中電灯で望月巽と乾あかりを照らした。
「警察です!」
「何かありましたか?」
巽はしどろもどろで、「あの…」と、小声でぼそぼそと言うばかりだ。
「あなたが保護者の方ですか?」
「いえ。私はこのアパートの管理人です」
大家の乾はきりっとした声で答えると、暗がりでふんぞり返っている長身の男を指さした。
「不法侵入者です…」彼女が言い終わらないうちに、巽は両手を振って大声で遮った。
「ああっ違います!違います!実は友達の勘違いで、通報してしまいました!」
「ちょっと巽くん!」
「ですがドアも壊れていますし…」警察は巽よりも乾に向き直った。
ちょうどその時「巽ー!!」と、壊れた玄関から親友の野崎真がずかずかと上がり込んでくる。
「あっマコくん!」
「無事か!?」
「うん。なんとか」
「よかった!それでキョンシーは!?」
「あそこに…」
巽が示した先には、蒼白い顔をした中国服の男が立っている。額からは封と書かれた紙が垂れ下がっていた。
真は瞳を輝かせてキョンシーに抱きつくと、「すげえ冷たい!本物だぞこれっ!!」と一人ではしゃいでいる。さっきまで大人しかったキョンシーはやにわに動き出し、まるでプロレスのコブラツイストのような技を真にかけ始めた。
警察官たちも、目を丸くしている。
「キョンシーだ」
「コスプレか?」
驚く警察官を尻目に、乾あかりは落ち着き払って言い放った。
「本物なわけないじゃありませんか。この男がこの子に乱暴したんです。連行してください」
「ちょっと待って、乾さん!!ちっ違うんです!!間違えて…あの、友達…友達とふざけてたんです!お騒がせしてすみませんでした!!」
実際、キョンシーは真を張り倒してはいるが、真の嬉しそうな顔も相まって、じゃれているだけにしか見えなかった。警察官たちも少し表情を緩めて巽に向き直る。
「間違いってことでいいのかな?今後はこういうことがないように気をつけてね」
「あんまりハメを外すなよ」
一人が何かメモをとり終えると、二人の警察官はその場を後にした。
巽は胸をなでおろしてちらっと乾を見たが、彼女はじっとキョンシーを見つめており、表情からはその感情は読み取れなかった。
北西アパートの大家乾あかりは、普段から着物を着こなし、パリっとした身なりの六十代ぐらいの女性であった。以前は旦那がこのアパートの管理人をしていたが、三年ほど前に彼が急死してしまい、それ以来彼女が引き継いでいる。子どもは息子と娘がそれぞれいるが、独立して遠方で暮らしていた。
「はい。今はこれぐらいしかできないから、明日病院に行きましょう」
乾に応急手当をしてもらい、「ありがとうございます。乾さんのおかげで助かりました」と、巽は恐縮している。おそらく彼女が来てくれなければ、死んでいただろう。なぜかはわからないが、あのキョンシーは乾を怖がっているように見える。
廊下では真がキョンシーの近くをうろつき、ことごとく技を食らっているようだ。
「まったく巽くんも物好きね。なんであんな男を招き入れたのよ」
「その…なんとなく。警察が来ても逃げなかったので、本物なのかなって」
「巽くんのことを“先生”って呼んだのよね?先生って誰かしら?巽くんこと?」
「はぁ…そうみたいです」
「大体キョンシーって中国の映画じゃなかったっけ?あのキョンシーは中国人?中国に親戚とか知り合いがいるの?」
「いえ…いないと思います。父も母も日本人なので…。今度電話で聞いてみようかな…」
「あら、それはいいわね。じゃあ今日はもう休みましょうか。彼については明日どうするか決めましょう。ずっとここに置いておくのもね…」
時刻は一時半を過ぎている。そこへボロボロの真が、這うようにして居間へ入ってきた。
「そうおっしゃらず!キョンシーが家にいたら眠れないだろう?こうなった以上、キョンシーについて何も知らないのはまずいんじゃないかな?」
手にはキョンシー映画のDVDが、何本か握らている。
「キョンシーからは何も聞き出せなかったけど、おれはこれは何かの縁だと思うな。あのキョンシーと巽はどこかで繋がってるんだよ。あいつがここへ来たのも、巽が封印できたのもきっと何かあると思うし、おれはそれを知りたいな」
野崎真には他者の現実という名の映画に、割って入れる勢いがあった。本人は特に深く考えて言っているわけではないのだが、彼の言葉やその笑顔には妙な説得力があるのだ。
「巽もそう思うだろう?最後まで知りたくないか?」
親友の屈託のない笑顔に釣られるように、巽にも笑顔が戻った。
「そうだね」
「だよな!おれは映画はエンドロールまで見る派だからな!」
二人の様子を見ていた乾あかりは、ため息をひとつつくと苦笑いをした。
「じゃあ私も。しょうがないじゃない。巽くんが信じるなら私も信じます。でもキョンシーなんて初めてだし、さっきのこともあるから様子見ね。巽くんの所に、しばらく居候させてもいいわよ」
「乾さん!ありがとうございます!」
「それと君ね…」
今度は廊下の壁に寄りかかり、仁王立ちをしているキョンシーに詰め寄った。キョンシーは驚いて、少しずつ彼女から距離をとり始める。
「そういえば乾さんがきたら、キョンシーの動きが止まったよ」
巽の言葉に、再び真の瞳は輝き出した。
「もしかしてこの件の黒幕は大家さんで、大家というのは仮の姿であって、本当は闇を司る暗黒魔導士で…」
「なにそれ」長くなりそうなので、巽があわててツッコミを入れる。乾あかりは後ずさるキョンシーをにらみつけた。
「君ね、ここにいる限りは暴力禁止ですから!わかった?あとちゃんと巽くんに謝りなさい!ドアも直すこと!」
それから乾は、巽と真を振り返えってお茶目な声を出した。
「じゃあもうこんな時間だし、オールしましょう」
「おお!」元気よく返す真とは正反対に、巽は「おっええええ!?」と、困惑気味に叫ぶ。
「これ見て勉強するんでしょう?私、一度オールナイトってやってみたかったのよねぇ」
真の持ってきたDVDを手にしている。
巽も気がついたように呟いた。「…僕もオールってしたことないなぁ」
真は「おれはしょっちゅう」と、眼鏡を指でクイっとあげて自慢げである。
「じゃ、決まりね。キョンシーくんは謝罪と反省を込めて、ドアを直しておくこと!」
乾あかりはそう言い残すと、ぴしゃりと襖を閉めた。
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