追憶の天河

ネロ

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第三話 おかえり

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 まどろみの中、心の中には確信のようなものが芽生えていた―

「…ん…リン…?」
 望月巽もちづきたつみは重たい頭をもたげると、カーテンの隙間から差し込む朝のやわかい日差しに目を細めた。
(あ…そうか、寝ちゃったんだ)
「よ!おはよう」
「マコくん…」
 居間のコタツで眠ってしまった自分とは違い、親友の野崎真のざきまことはそのままキョンシー映画を観ていたらしい。
「僕、寝ちゃったよ。映画最後まで観れなかった」
「まっ、昨日は色々あったからな。大家さんも寝てるぞ」
 大家のいぬいゆかりもコタツで眠っていたが、二人の話し声でハッと飛び起きた。
「あらやだ寝ちゃった!二人とも起きてたの?学校は?」
「乾さん、おはようございます」
「大丈夫ですよ。まだ五時半なんで」
 乾はあわててこたつから這い出したが、男子高校生達はなおものんびりとしている。
「でも準備とかあるでしょう?朝ごはん食べてく?」
「いや、コンビニでなんか買って帰るんで平気です」
「そぉ…巽くんは食べて行くでしょう?病院行かないといけないし…」
 急かすように乾に肩を叩かれ、ようやく真も映画を停止させて帰る支度を始めた。
「先生にはおれから言っとくよ」
「ありがとう、マコくん」
 乾は一度家に戻ろうと廊下に出てたが、電気も付けてないのに妙に明るい。まさかと思って走っていくと、昨夜と同じ状態でドアは床に倒れおり、玄関からは燦々と朝日が差し込んでいた。
「ちょっとキョンシーは!?なんでドアが直ってないの!?」
 大家の叫び声に巽と真も飛び出してくる。靴箱の影に、膝を抱えてうずくまるキョンシーがいた。
「どうしたんだろう?」
「フフフ、おれに聞いてくれよ」
 野崎真のざきまことの言動には少々芝居がっかたところがあった。彼が映画を愛していることも要因だろうが、それ以前に性格や若さも手伝っているのだろう。眼鏡を指でクイっとあげると、したり顔で演説を始めた。
「昨夜はキョンシー映画漬けだったんだぜ。いいか、キョンシーってのは日の光に弱いんだ。ヴァンパイア、つまり吸血鬼と同じだな」
 乾はあきれた顔でキョンシーを見下ろしている。
「なら夜中のうちに直しておけばいいじゃないの」
「いいご指摘です!これを見てください」
 玄関を覆うように倒れているドアの横をすり抜けながら、真は壁にかかっていた鏡を指さした。
「キョンシーは鏡も苦手なんですよ。だから鏡の前を通ってドアを直すことは不可能というわけです」
 巽は昨日の急襲を思い出していた。そういえば自分に一撃を食らわせた後、なぜかキョンシーが玄関先で急に苦しみだしたのは、そういうわけか。
 このままではキョンシーが日にあたってしまうので、三人はどうにかこうにか大男を引きずって、居間の押し入れの中に押し込んだ。キョンシーは昼間は眠っているようである。
 玄関ドアなしでは防犯上よろしくないため、いぬいゆかりが残って修理屋を呼ぶことが決まり、簡単に朝食をとると巽は制服に着替えて病院へ向かった。
 一歩外に出るといつもと変わらない街の光景に、巽は妙な気分になった。自分は昨晩のことでまだ心臓が高鳴っているのに、往来する人々はみな無表情で、自分の高ぶった感情との落差に居心地の悪さを覚えたのだ。
 生きとし生ける者であれば、どんな心情や境遇の者にも等しく朝がくることを、痛みとともに実感せざるを得なかった。

 結局、望月巽もちづきたつみが学校に着いたのは昼過ぎで、ちょうど五時間目の授業の休み時間だった。頭に包帯を巻いた姿で教室に入ると一瞬ざわついたので、視線を避けるように急いで自分の席へと向かった。すぐに聞き慣れた明るい声が聞こえてきて安堵する。
「よ!ケガ大丈夫だった?」
「マコくん、先生に伝えてくれてありがとう。病院混んでて、遅くなっちゃったよ。僕、今日の授業六時間目だけだ。こんな仰々しいけど、おでこが切れただけだから問題ないって」
「それはなにより。なぁなぁ巽、今日の放課後ちょっと映研に寄ってかね?例のニュースをさ、みんなに巽から発表して欲しいんだけど」
 世の中があまりにも普段通りなので、昨夜のことは夢だったのではないかと思い始めていた巽は、真の一言にほっとするものがあった。
「マコくんが発表していいよ。大家さんに留守番頼んじゃってるから、今日は早く帰らなくちゃ」
「だよな。キョンシーくんも気になるし!」
「確かに…ねえマコくん、キョンシーって何食べるのかな?」
「そりゃあ人間の生き血だろ」
「血!?」
 巽の頭の中に、乾の顔が浮かんだ。
「大丈夫だよ。キョンシーはおでこにお札が貼ってある時は、道士の命令に従うんだ。巽は今日から巽道士ってわけだ!それに大人しい時は、お線香がご飯みたいだったぞ。『霊幻道士』で言ってた!」
「じゃあさ血に飢えて人を襲ったりしたら大変だから、ドリップでもいいかな…」
「なんだよそれ…いや、そもそもドリップって血なの?赤いけど…」
 そうこうしているうちに、六時間目の授業を告げるチャイムが鳴り響いた。真はああは言っていたが、乾ゆかりの安否が気がかりで巽は授業どころではなかった。

 ホームルームが終わるとまことは映像研究部、たつみは家路を急いだ。幸い徒歩圏内の高校へ通っているため、十五分弱ほどの道のりだ。しかもまだ日は沈みきっておらず、キョンシーは押し入れから出てこられないはずである。
 そう何度も言い聞かせながら、小走りでアパートまで戻ると、一気に階段を駆け上がって角部屋まで走った。
 玄関のドアはきれいに直っている。自分の家なのだが、中にいぬいがいるかもしれないと思うと気が引けて、チャイムを鳴らした。しかし何度鳴らしても反応がない。ドアノブを回すと鍵がかかっている。あわててかばんから鍵を取り出し、家の中へ転がり込んだ。
「乾さん?」
 室内は真っ暗で静まり返っている。巽は居間へ飛び込むと押し入れの襖を開けた。
「いない…」
 中はからっぽで、家にはキョンシーも、乾の姿も見当たらない。
 ローファーをつっかけて外に出ると、転がるように階段を下りて、一階にある管理人室兼乾ゆかりの部屋のドアを叩いた。
「乾さん!乾さん!」
 しかし物音ひとつ聞こえてこない。
「どうしよう…」真の言葉を思い出して青ざめた。
 とりあえずアパートの近くを探そう。日は沈みかけているが、まだ明るい。そう遠くには行けないはずだ…
「巽くん。こんばんは」
 不意に背後から声をかけられ、心臓が止まりそうになるほど驚いた。
「内藤さん!」
 振り返ると、同じアパートの一階に住む内藤崇生ないとうたかおという老人がニコニコしている。
「おかえり。学校は楽しかった?あれ、その頭は?」
「あっ内藤さん、すみません…今、ちょっと急いでて…」
「学校に忘れ物かな?」
「いや、そうじゃなくて…っ。あっ内藤さん、こう黒くて長い服を着た、背の高い男の人を見かけませんでしたか!?」
「うん。一緒にいるよ」
「ええっ!?どこ!?」
「こっちだよ」と内藤はゆっくり歩きながら、手に持った小さなシャベルを見せた。
「巽くんのお友達かな?手伝ってもらってたんだよ」
 巽は状況が読めないまま、内藤に誘われてアパートの裏に回った。そこは裏庭になっていて、ベランダがないこのアパートの共有の物干し竿が設置されている。木の影に日傘をさしたキョンシーが立っていた。
「あっ!!リン!!」
 とっさに口をついて出ていた。名前を呼ばれたキョンシーは特に反応もなく、黙ってこちらを見つめている。
「りん君というのかい?彼に土を運んでもらっていたんだよ」
 裏庭には庭木の他に小さな花壇もあり、土いじりが好きな内藤がよく手入れをしている。キョンシーの足元には、培養土と書かれた土の袋が積まれていた。
「でも日差しは大丈夫なのかな…?あ…日傘…」
「これは乾さんのだよ」
「乾さん!乾さんは!?」
「買い物に行ったよ」
 ちょうどその時、買い物袋を持った乾が裏庭に回って来た。
「ただいま。あら巽くん、帰ってたの?怪我は大丈夫だった?」
「大丈夫です!それよりも乾さん、キョンシー、危ないですよ!」
「ああ、そうよね。映画でもお札がはがれちゃうと暴れてたものね。勝手に借りちゃってごめんなさいね。でも助かったのよ。やっぱり男手があると違うわね」
 キョンシーは相変わらずじっとしていて、一見すると無害そうに見える。しかし自分が貼り付けたメモ用紙一つで豹変するのかと思うと、巽にはゾッとするものがあった。
「りん君すごいんだよ。片手でこれを一度に運んじゃったんだからね」
 内藤は相変わらずニコニコしながら、積まれた培養土を軽く叩いている。
「え?リン?」途端に乾が、いぶかし気な声を出した。なぜか責められたような気分になり、巽は口ごもる。
「あっそれはその…たぶん…そう呼ばれてた人と似てるから…」
「知ってる人だったの?」
「いや…知り合いではないんですが…夢で会ったというかなんというか…」
 乾は言いよどむ巽を見て、優しく微笑むと話題を変えた。
「そうだ内藤さん、リンの顔についてるあの紙は絶対に剝がさないでくださいね。リンはキョンシーだからね」
「え?教師?学校の先生なのかね?」
「違う違う。キョンシー!おばけ!」
「おばけ?ああ、通りで色白なんだね」
 辺りはすっかり夕闇に包まれ、内藤の言う通りキョンシーの真っ白い顔だけが不気味に闇に浮かんでいた。

 いぬいゆかりが夕飯にと買ってきてくれたお弁当をもらい、巽はキョンシーとともに二階に上がって行った。キョンシーはただ黙って巽の後をついて来る。
 部屋の前まで来ると鍵を回したが、中からガチャと錠の閉まる音が聞こえた。
「開けっ放しだったんだ!」
 もう一度鍵を回して家に入ったが、振り返るとキョンシーは外で突っ立っている。
「どうしたの?」
 黙ってそっぽを向いているで、巽はとりあえず手を引いて中へ入れようと、靴に足を入れて気がついた。
「鏡だ!ちょっと待ってて!」
 あわてて壁にかけてあった鏡を取り外すと、靴箱の中にしまう。
「どうぞ!」
 キョンシーはぼーっとその様子を見ているので、巽はさっきまでの恐怖が薄れていくのを感じた。
「あっそうだ…リン、おかえり。おかえりなさい」
 相変わらず無表情ではあったが、巽が言い終わると同時にリンは靴を履いたままずかずかと家に上がり、玄関先に仮置きしていた弁当を踏みつけて行ってしまった。
「ああああ!!ちょっちょっと待って!靴!靴脱いで!」
 巽は潰れた夕飯を抱えて、あわてて彼の後を追いかけたのだった。
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