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死の薫り
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「やっと、ここまで着いた」
ここは、魔女がいると言われている山の麓だ。
地面が見えぬ程、空が見えぬ程、木々が鬱蒼と繁っている。
特別なことがなければ、やって来る者などいない。
そんな場所に私エミューは、やっとの思いで辿り着いたのだ。
私の婚約者ゼロニが、行方不明になった。
その僅か6日前に、彼の秘密の恋人チレイが何者かに殺された。
顔をズタズタに傷つけられて、無惨な姿だったと言う。
犯人は見つからずじまいで、今もって調査中だ。
この婚約は政略で、いつもゼロニは私に目も合わせてくれない。
心からチレイが大切なので、私のことが気にくわないのだろう。
義務の為の2人のお茶会に赴けば、彼は不機嫌そうにお茶を飲んで書物を読んでいる。
私は侍女の入れるお茶を飲み、手入れの行き届いた庭を眺めるだけだ。
この婚約を私から断ることはできない。
貴族の結束の為に必要だからだ。
チレイの家はゼロニの家の反対派閥で、何代も前から敵対していた。
本来なら、2人が架け橋になれることが理想なのだけど……
だがそう旨くいかないのが、現実だ。
私の父は野心家で、せっかく結んだ高位の家との婚約を解消することはないだろう。
それくらいならば、邪魔な者を排除することに動く人だ。
ある日ゼロニは私の住む邸に押し駆け、彼女の死は君の仕業かと問うた。
私は直接何もしていないので、否定しかできない。
「預かり知らぬことでございます」
顔色一つ変えぬ私に、彼はイラつきを隠せず罵声を浴びせた。
「俺が君を愛することはない。俺の心はチレイの物だ。何一つ君の思い通りにはならない!」
眦を吊り上げて、捲し立てる。
怒りを宿した水色の双眸からは、憎しみしか感じなかった。
それに対して、私はやはり何も言えなかった。
でも何かを言わなければ、彼は納得しないようだ。
だから一言。
「畏まりました」
そう言って、淑女の礼をとった。
彼は君は感情がないのかと言い捨てて、踵を返す。
私はその後ろ姿を、切ない気持ちで見送った。
その姿を見て、父が怒りを滲ませた。
「何をやっているのだ! 何をしてでも、ゼロニ様を繋ぎ留めろと言っただろ。全く使えん奴だ。泣き落とし一つできんとは!」
感情のままに頬を殴られ、体が壁まで飛んだ。
ガツンッ。
右腰を強く打ち、声が漏れた。
「うぐっ」
何をしてもどう振る舞っても、父の思うようにいかなければ、叱責を受ける私。
そもそも感情が顔に出ぬように教育したのは、父の依頼した家庭教師だ。
その女教師も父の愛人で、全ては父の言いなりだ。
教鞭で殴られることも日常だ。
日頃の鬱憤も、私で晴らしているんだろう。
この国では、女性など消耗品で人権などない。
それは母も同じだった。
ただ母は父親が権力を持つ家の娘なので、さすがに暴力は振るわれなかった。
しかし、精神的な嘲りは日常である。
「お前の父があの方でなければ、不細工なお前など娶らなかった。俺が愛人を作るのは、お前のせいだからな」
「はい、その通りです。申し訳ありません、旦那様」
そして母は、理不尽な言葉に謝るのだ。
そうしなければ、責め苦は終わらないから。
ゼロニは私の家に来た後、消息が途絶えた。
ゼロニの父は私の父にも疑いの目を向けたが、調査後に疑いは晴れた。
彼は一人で、魔女のいる山の麓を目指したらしい。
この邸に来たままの姿で馬を走らす彼が、複数人に目撃されたそうだ。
大勢の人員で捜索したが、彼はそれきり見つからなかった。
ゼロニには兄弟が多く、それ程混乱はないらしい。
その後、私達の婚約は白紙にされた。
ゼロニの他の兄弟には既に婚約者がおり、私がゼロニの家に嫁ぐことはなくなった。
私は財産目当てで、二十も歳が離れた男の元に嫁ぐことになった。
私は後悔していた。
父に叱責されても、ゼロニに自分の気持ちを伝えれば良かったと。
その晩、母が私の部屋に訪ねてきた。
憔悴した私を優しく抱きしめ、そっと囁いた。
「エミュー。貴女はゼロニが好きだったのよね。……私は彼の気持ちが貴女になくても、長く暮らせば仲良くなれると思ったの。
普段の彼は、穏やかな子だったから。恋人がいたとしても、子供ができればそれなりに暮らせると思ってたのよ。
………でも今度婚約者になる男は、暴力的な人らしいの。私はそれが分かっているのに、そこに貴女をやりたくないのよ。
貴女はこの国を出て、男尊女卑のない隣国へ行った方が良い。お金なら、私が嫁いできた時の持参金を持っていくと良いわ。
どうせ此処から外出もできないから、お金なんて使わないもの。
私はね、貴女だけには幸せなって欲しいの。
今まで庇えなくて、ごめんなさいね」
そう言うと、泣きそうな顔で金貨の袋を私に渡してくれた。
厩舎に護衛がいるので、そのまま行くように促された。
そして私は護衛と2人で、暗闇の中邸を去ったのだ。
母はこの護衛が私のことを好きなのを知り、この計画に巻き込んだ。隣国まで行き夫婦になれば、暴力的な男の妻になるより良いと思ったのだろう。
護衛は隣国出身らしい。
でも私はどんなに拒絶されても、ゼロニが好きだったのに。
隣の町に着いたのは深夜で、護衛は宿に着くと部屋を1つだけ借りて、同意なく私を抱いた。
怖くて逆らうこと等できなかった。
でもどうしてもゼロニを思い出して、破瓜の痛みと合わさり涙が止まらなかった。
泣き止まぬ私に、護衛は慌てていた。
私には知らされていなかったが、何れ夫婦になって私を支えて欲しいと母に言われていたらしい。
護衛は共に逃げるのだから、もう夫婦になるのだと思い行為に及んだそうだ。
私は信じていた母にも、人権を軽んじられたのだ。例え少しは、ましな選択だったとしても。
翌朝私は、護衛に提案をした。
魔女の住む山の麓に私を連れて行ってくれれば、持っている金貨を全て渡すので、そこに置いて行ってくれと。
私はもう、彼に抱かれるのは嫌だった。
彼だけを嫌なのではない。
自分の体を他人に自由にされるのが、もう嫌になってしまったのだ。
母が私を守る為にしたことでも、他人に私の体に触れて欲しくない。
護衛には2人でいるより、1人で逃げる方が見つかりづらいと説得した。
父に捕まれば、貴方もチレイのようになると少し脅す。
そこまで言えば、受け入れてくれた。
あの夜から私が頑なに彼を避け、従順だと思っていた印象と違ったのもあるのだろう。
所詮、その程度の思いだったのだ。
全財産をくれた母には申し訳ないと思うが、どうせ手紙も出せないのだから、元気にしていると思ってくれるだろう。
護衛は、山の麓の魔女がいると言う場所で馬から私を下ろし、水の入った皮袋と、数日分の干し肉とプルーン等が入った鞄を渡してくれた。
「ここまでありがとう」と言えば、切なそうな顔で頭を下げて去って行った。
私は魔女の家を探して、森の中を2、3日さ迷った。
日中は暑く、夜間は底冷えがした。
舗装されていない獣道は、砂利が多くぬかるんで歩きづらい。
おまけに、何度も木の根でつまづいた。
夜は大きな木の根元が空洞になっている部分に、体を丸めた。
いつ狼等に襲われるか分からず、眠らずに過ごしていたが、とうとう3か目の夜は知らずに眠ってしまう。
幸いなことに、肉食動物には会わなかった。
さ迷い歩いた末に、漸く煙突からの煙の出ている、やけに年季の入った木の家を見つけた。
ノックをすると、中に入るように言われて扉を潜る。
部屋には黒いローブを羽織った、痩身で長い白髪を一つに束ねた初老の女性が、こちらを見ていた。
目だけが赤く光って、肉食獣のような威圧感がある人だ。
部屋を見渡すと、天井から干しているたくさんの薬草が見える。
奥のコンロには、何かが煮込まれているようだ。
草を煮詰めた、雨上がりの土の臭いがする。
そして木壁には、あの時ゼロニの被っていた帽子がかかっていた。やっぱりここに来ていたのだ。
不意に声がかかり顔を向けると、
「分かっていると思うけど、お前の望みを叶えればお前は死ぬよ。それでも良いのかい?」と魔女が言う。
無表情な顔からは、思考は読み取れない。
ビクッと体が強ばり一瞬だけ動揺したが、一呼吸してから「それで良いです。お願いします」と答えた。
今の私が叶えたいことは、一つだけだ。
ここで願わなければ、きっと一生後悔するだろう。
…………それにもう、ゼロニがいない世界は虚しいだけだ。
彼が生きていて、私の目にその姿を写せるだけで私は生きていけたのに。
愛までは求めてはいなかったのに。
私は壁の帽子を指差して、あの持ち主に伝えたいことがあると言った。
魔女は分かったと言い、頷いた。
私は赤い薬汁を飲まされてから、ベッドに寝かされた。
魔女がこちらを見つめていたが、強い眠気が襲い瞼が落ちる。
ああ、ここはゼロニ様と初めて会った、白薔薇の庭園だ。
今より少し若いゼロニ様は、不機嫌そうな顔で目を逸らしたままだ。
あの時は何も言えなかった私だけど、今度は伝えるわ。
「ゼロニ様。私は幼い時から、ずっと貴方が好きでした。落としたハンカチを拾ってくれた貴方に、憧れていました。だから政略でも、婚約できて嬉しいです」
満面の笑みで伝えた私に、ゼロニ様の空の様に澄んだ水色の双眸が、見開いて揺れた。
「エミュー。君はそんな顔ができたんだね」
ああ、やっと私を見てくれた。
私が、一番言いたかったことが言えたわ。
もう十分です。
眠っている私の口は、「ありがとう」と呟いて微笑んだ。
――――――――そして体の機能が全て停止した。
魔女は真っ白で生気のない、それでいて満ち足りた顔を見て思うのだ。
「やれやれ。なんだって、こんな所にまで命を捨てに来るんだろうね。
…………そうだね、人の心の限度なんて他人が決められないからね。まあね、本人が後悔してなきゃ良いよ」
ここは記憶の魔女の森。
記憶魔法は稀有な能力だが、彼女は金銭を要求しない。
それは救いを求める全員に、手を差し伸べられるようにする為だ。
本人が戻りたい時間まで、精神を戻してくれる。
『代償は依頼者の、全ての生命力』
「寿命の残り全てを捧げる程の覚悟だもの。
そもそもが私が生きてるうちだけの、期間限定の夢物語なんだから、たいしたものはいらないんだよ。私も後2、3年の命だろうし」
そして壁には、報酬として得た品を1つ飾る。
彼女からは水仙の模様がついた、銀細工のバレッタを。家門の花なのだろうか?繊細に彫られた逸品だ。
そして報酬を飾る木壁には、1000に近い遺品が並んでいた。
「私は記憶の魔女。あんた達のことは忘れないよ。ずっと憶えているさ。
…………でも私が死んだら、この家ごと業火で燃えるから、遺品も全部土に還るからね」
記憶の魔女が、ひき籠っているのには訳があった。彼女もまた、世を捨てた者の一人なのだ。
生命力を失ったエミューの亡骸は、森の獣の命の糧となる。
この森でさ迷う際に襲われないのは、もうすぐ糧となる死の薫りを纏っているからだと言われている。
彼女は彼が行方不明になった時から、きっと既にこの薫りを発していたのだろう。
この場所は、必要な者しか辿り着けない。
そしてゼロニも、同じように……………………
ここは、魔女がいると言われている山の麓だ。
地面が見えぬ程、空が見えぬ程、木々が鬱蒼と繁っている。
特別なことがなければ、やって来る者などいない。
そんな場所に私エミューは、やっとの思いで辿り着いたのだ。
私の婚約者ゼロニが、行方不明になった。
その僅か6日前に、彼の秘密の恋人チレイが何者かに殺された。
顔をズタズタに傷つけられて、無惨な姿だったと言う。
犯人は見つからずじまいで、今もって調査中だ。
この婚約は政略で、いつもゼロニは私に目も合わせてくれない。
心からチレイが大切なので、私のことが気にくわないのだろう。
義務の為の2人のお茶会に赴けば、彼は不機嫌そうにお茶を飲んで書物を読んでいる。
私は侍女の入れるお茶を飲み、手入れの行き届いた庭を眺めるだけだ。
この婚約を私から断ることはできない。
貴族の結束の為に必要だからだ。
チレイの家はゼロニの家の反対派閥で、何代も前から敵対していた。
本来なら、2人が架け橋になれることが理想なのだけど……
だがそう旨くいかないのが、現実だ。
私の父は野心家で、せっかく結んだ高位の家との婚約を解消することはないだろう。
それくらいならば、邪魔な者を排除することに動く人だ。
ある日ゼロニは私の住む邸に押し駆け、彼女の死は君の仕業かと問うた。
私は直接何もしていないので、否定しかできない。
「預かり知らぬことでございます」
顔色一つ変えぬ私に、彼はイラつきを隠せず罵声を浴びせた。
「俺が君を愛することはない。俺の心はチレイの物だ。何一つ君の思い通りにはならない!」
眦を吊り上げて、捲し立てる。
怒りを宿した水色の双眸からは、憎しみしか感じなかった。
それに対して、私はやはり何も言えなかった。
でも何かを言わなければ、彼は納得しないようだ。
だから一言。
「畏まりました」
そう言って、淑女の礼をとった。
彼は君は感情がないのかと言い捨てて、踵を返す。
私はその後ろ姿を、切ない気持ちで見送った。
その姿を見て、父が怒りを滲ませた。
「何をやっているのだ! 何をしてでも、ゼロニ様を繋ぎ留めろと言っただろ。全く使えん奴だ。泣き落とし一つできんとは!」
感情のままに頬を殴られ、体が壁まで飛んだ。
ガツンッ。
右腰を強く打ち、声が漏れた。
「うぐっ」
何をしてもどう振る舞っても、父の思うようにいかなければ、叱責を受ける私。
そもそも感情が顔に出ぬように教育したのは、父の依頼した家庭教師だ。
その女教師も父の愛人で、全ては父の言いなりだ。
教鞭で殴られることも日常だ。
日頃の鬱憤も、私で晴らしているんだろう。
この国では、女性など消耗品で人権などない。
それは母も同じだった。
ただ母は父親が権力を持つ家の娘なので、さすがに暴力は振るわれなかった。
しかし、精神的な嘲りは日常である。
「お前の父があの方でなければ、不細工なお前など娶らなかった。俺が愛人を作るのは、お前のせいだからな」
「はい、その通りです。申し訳ありません、旦那様」
そして母は、理不尽な言葉に謝るのだ。
そうしなければ、責め苦は終わらないから。
ゼロニは私の家に来た後、消息が途絶えた。
ゼロニの父は私の父にも疑いの目を向けたが、調査後に疑いは晴れた。
彼は一人で、魔女のいる山の麓を目指したらしい。
この邸に来たままの姿で馬を走らす彼が、複数人に目撃されたそうだ。
大勢の人員で捜索したが、彼はそれきり見つからなかった。
ゼロニには兄弟が多く、それ程混乱はないらしい。
その後、私達の婚約は白紙にされた。
ゼロニの他の兄弟には既に婚約者がおり、私がゼロニの家に嫁ぐことはなくなった。
私は財産目当てで、二十も歳が離れた男の元に嫁ぐことになった。
私は後悔していた。
父に叱責されても、ゼロニに自分の気持ちを伝えれば良かったと。
その晩、母が私の部屋に訪ねてきた。
憔悴した私を優しく抱きしめ、そっと囁いた。
「エミュー。貴女はゼロニが好きだったのよね。……私は彼の気持ちが貴女になくても、長く暮らせば仲良くなれると思ったの。
普段の彼は、穏やかな子だったから。恋人がいたとしても、子供ができればそれなりに暮らせると思ってたのよ。
………でも今度婚約者になる男は、暴力的な人らしいの。私はそれが分かっているのに、そこに貴女をやりたくないのよ。
貴女はこの国を出て、男尊女卑のない隣国へ行った方が良い。お金なら、私が嫁いできた時の持参金を持っていくと良いわ。
どうせ此処から外出もできないから、お金なんて使わないもの。
私はね、貴女だけには幸せなって欲しいの。
今まで庇えなくて、ごめんなさいね」
そう言うと、泣きそうな顔で金貨の袋を私に渡してくれた。
厩舎に護衛がいるので、そのまま行くように促された。
そして私は護衛と2人で、暗闇の中邸を去ったのだ。
母はこの護衛が私のことを好きなのを知り、この計画に巻き込んだ。隣国まで行き夫婦になれば、暴力的な男の妻になるより良いと思ったのだろう。
護衛は隣国出身らしい。
でも私はどんなに拒絶されても、ゼロニが好きだったのに。
隣の町に着いたのは深夜で、護衛は宿に着くと部屋を1つだけ借りて、同意なく私を抱いた。
怖くて逆らうこと等できなかった。
でもどうしてもゼロニを思い出して、破瓜の痛みと合わさり涙が止まらなかった。
泣き止まぬ私に、護衛は慌てていた。
私には知らされていなかったが、何れ夫婦になって私を支えて欲しいと母に言われていたらしい。
護衛は共に逃げるのだから、もう夫婦になるのだと思い行為に及んだそうだ。
私は信じていた母にも、人権を軽んじられたのだ。例え少しは、ましな選択だったとしても。
翌朝私は、護衛に提案をした。
魔女の住む山の麓に私を連れて行ってくれれば、持っている金貨を全て渡すので、そこに置いて行ってくれと。
私はもう、彼に抱かれるのは嫌だった。
彼だけを嫌なのではない。
自分の体を他人に自由にされるのが、もう嫌になってしまったのだ。
母が私を守る為にしたことでも、他人に私の体に触れて欲しくない。
護衛には2人でいるより、1人で逃げる方が見つかりづらいと説得した。
父に捕まれば、貴方もチレイのようになると少し脅す。
そこまで言えば、受け入れてくれた。
あの夜から私が頑なに彼を避け、従順だと思っていた印象と違ったのもあるのだろう。
所詮、その程度の思いだったのだ。
全財産をくれた母には申し訳ないと思うが、どうせ手紙も出せないのだから、元気にしていると思ってくれるだろう。
護衛は、山の麓の魔女がいると言う場所で馬から私を下ろし、水の入った皮袋と、数日分の干し肉とプルーン等が入った鞄を渡してくれた。
「ここまでありがとう」と言えば、切なそうな顔で頭を下げて去って行った。
私は魔女の家を探して、森の中を2、3日さ迷った。
日中は暑く、夜間は底冷えがした。
舗装されていない獣道は、砂利が多くぬかるんで歩きづらい。
おまけに、何度も木の根でつまづいた。
夜は大きな木の根元が空洞になっている部分に、体を丸めた。
いつ狼等に襲われるか分からず、眠らずに過ごしていたが、とうとう3か目の夜は知らずに眠ってしまう。
幸いなことに、肉食動物には会わなかった。
さ迷い歩いた末に、漸く煙突からの煙の出ている、やけに年季の入った木の家を見つけた。
ノックをすると、中に入るように言われて扉を潜る。
部屋には黒いローブを羽織った、痩身で長い白髪を一つに束ねた初老の女性が、こちらを見ていた。
目だけが赤く光って、肉食獣のような威圧感がある人だ。
部屋を見渡すと、天井から干しているたくさんの薬草が見える。
奥のコンロには、何かが煮込まれているようだ。
草を煮詰めた、雨上がりの土の臭いがする。
そして木壁には、あの時ゼロニの被っていた帽子がかかっていた。やっぱりここに来ていたのだ。
不意に声がかかり顔を向けると、
「分かっていると思うけど、お前の望みを叶えればお前は死ぬよ。それでも良いのかい?」と魔女が言う。
無表情な顔からは、思考は読み取れない。
ビクッと体が強ばり一瞬だけ動揺したが、一呼吸してから「それで良いです。お願いします」と答えた。
今の私が叶えたいことは、一つだけだ。
ここで願わなければ、きっと一生後悔するだろう。
…………それにもう、ゼロニがいない世界は虚しいだけだ。
彼が生きていて、私の目にその姿を写せるだけで私は生きていけたのに。
愛までは求めてはいなかったのに。
私は壁の帽子を指差して、あの持ち主に伝えたいことがあると言った。
魔女は分かったと言い、頷いた。
私は赤い薬汁を飲まされてから、ベッドに寝かされた。
魔女がこちらを見つめていたが、強い眠気が襲い瞼が落ちる。
ああ、ここはゼロニ様と初めて会った、白薔薇の庭園だ。
今より少し若いゼロニ様は、不機嫌そうな顔で目を逸らしたままだ。
あの時は何も言えなかった私だけど、今度は伝えるわ。
「ゼロニ様。私は幼い時から、ずっと貴方が好きでした。落としたハンカチを拾ってくれた貴方に、憧れていました。だから政略でも、婚約できて嬉しいです」
満面の笑みで伝えた私に、ゼロニ様の空の様に澄んだ水色の双眸が、見開いて揺れた。
「エミュー。君はそんな顔ができたんだね」
ああ、やっと私を見てくれた。
私が、一番言いたかったことが言えたわ。
もう十分です。
眠っている私の口は、「ありがとう」と呟いて微笑んだ。
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魔女は真っ白で生気のない、それでいて満ち足りた顔を見て思うのだ。
「やれやれ。なんだって、こんな所にまで命を捨てに来るんだろうね。
…………そうだね、人の心の限度なんて他人が決められないからね。まあね、本人が後悔してなきゃ良いよ」
ここは記憶の魔女の森。
記憶魔法は稀有な能力だが、彼女は金銭を要求しない。
それは救いを求める全員に、手を差し伸べられるようにする為だ。
本人が戻りたい時間まで、精神を戻してくれる。
『代償は依頼者の、全ての生命力』
「寿命の残り全てを捧げる程の覚悟だもの。
そもそもが私が生きてるうちだけの、期間限定の夢物語なんだから、たいしたものはいらないんだよ。私も後2、3年の命だろうし」
そして壁には、報酬として得た品を1つ飾る。
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そして報酬を飾る木壁には、1000に近い遺品が並んでいた。
「私は記憶の魔女。あんた達のことは忘れないよ。ずっと憶えているさ。
…………でも私が死んだら、この家ごと業火で燃えるから、遺品も全部土に還るからね」
記憶の魔女が、ひき籠っているのには訳があった。彼女もまた、世を捨てた者の一人なのだ。
生命力を失ったエミューの亡骸は、森の獣の命の糧となる。
この森でさ迷う際に襲われないのは、もうすぐ糧となる死の薫りを纏っているからだと言われている。
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