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第一話:消せるらしいよ、記憶も。
しおりを挟むそのアプリ画面は、川瀬早織にこう宣言した。
『あなたの“黒歴史”を消去します』
彼女がタップした0.5秒後、記憶の中のあの笑顔の輪郭がぼやけた気がした。
***
文化祭からもう半年以上も経つというのに、早織は毎日その画像ページをチェックする。
去年の文化祭で、写真部が撮影した写真だ。
写真部は文化祭の写真をすべて校内SNSで公開している。
生徒なら誰でも見ることができるし、コメントを残すこともできる。
サッカー部の模擬店を撮影したその1枚は、1年生部員数人がピースサインしたり変顔をしたり。
200枚近い文化祭写真の中でも、アクセス数コメント数ともに上位の画像だった。理由は、この学校でも一番のイケメンと名高い松崎春翔が写っているからだ。
サッカー部員が店番をしながらの1枚は、彼がいちばん端にいて、そして満面の笑みを浮かべている。
私、川瀬早織はそれを見たとき思わずつぶやいた。
「うそ、でしょ…」
私の横顔が、写っていた。
この模擬店の客としていたわけではない。
ただ、奥のほうを歩いてただけ。違う模擬店で買ったジュースを飲みながら、友達とぶらぶらしてただけ。
それなのに。
写真部がどこからこの写真を撮影してたのか知らなかった。
でも、なぜか、これは。
角度や遠近感、ジュースのストローをくわえようと唇を尖らせた私、
あとはよくわかんないもろもろで、
私が、松崎君の頬に、
――キス、してるようにも見える構図になっていた。
コメント欄は、
「まじキュン💘じゃん」「春翔くんの顔面、国宝もの」「保存しました❣️」「右の奥の子だれ?」
……その“右の子”が、私。
「最悪……」
こんな写真、写真部はどうしてアップしたの――
写真部に文句を言いたかったけれどそんな勇気もないまま、何ヶ月も経ってしまった。
その間、毎日“キス写真”のページをチェックしている。
何ヶ月も経っていても松崎君人気でコメントはちょこちょこと増えていく。
「松崎君の笑顔貴重すぎる✨️」
「毎日見ちゃう」
「壁紙にしました📱」
「ハルトのところだけ欲しいな~💖」
画像は簡単に保存できる。
だからきっと、たくさんの生徒が保存したはず。
そして、保存した画像を他のSNSにもアップしたかもしれない。他校の子に送ったりしたかもしれない。
“私”が、私の知らないところで増えていっている。
誰か……、誰か、誰でもいいから
あの画像を消して
SNSからネットからスマホから跡形もなく消し去って
スマホを握りしめながら願わない日はなかった。
「早織、またその写真見てるの?」
昼休み、ひとけのない階段に座ってスマホを見ていた私に
声をかけてきたのは田ノ上ミキだった。
「……うん」
「写真部に頼んでみたら?消してくれって」
「無理だよ。そんなことしたら、余計になにか言われるに決まってる」
そう答えながら、喉がつまる気持ちになる。
ミキとは中学のときからの親友だ。
ミキはあの写真を見てすぐ私だと分かったし、こんなふうに映るなんて奇跡だね!なんて笑ってくれたけど。
でも、他の生徒はどう思ってるか。松崎君のファンの子たちがどう見たのか。
地味で目立たない私だから、単なる風景として見えたかもしれない。
でも、もしかしたら、
誰かが、
「キスしてるみたい」
なんて言い出したら
そんなことになったら
私は両目をぎゅっと閉じて首を振った。
「なんかさー、聞いたんだけど、そういうの消せるらしいよ」
私の横に座ったミキがパックジュースのカフェオレをすすりながら言った。
「え?消せる?」
「消したい画像とか過去を、消してくれるアプリがあるんだって。早織知ってる?」
「……なにそれ」
首を傾げた私に、ミキは、ずいっと顔を近づけ、少し小声になって続けた。
「ほんとに消えるんだって。写真とか、動画とか、投稿とか、ネットに出たもの全部。それと、記憶も一緒に」
「記憶?」
「うん、写真の記憶ごと飛ぶんだって。こわくない?てか便利すぎん?」
「…………」
バカみたいって思った。最初は。
でも……本当にそんなことができたら
そんな私の心を見抜いたように、ミキが言った。
「ダウンロードできるとこ、あとで送るね」
放課後、ミキが送ってきたアドレスをタップした。
ジャンプした先のページは単純に、「ダウンロード」の文字だけがあった。
怪しすぎて一回はページを閉じた。
けれど、夕食を食べても、お風呂に入っても、ずっとそのアプリのことが頭から離れなかった。
(あの画像だけ。あの画像を消すだけの一回きりだから)
私は、自分にそう言い聞かせるようにつぶやいて、「ダウンロード」の文字をタップした。
インストールすると、アプリのアイコンはただの真っ黒い四角。アプリ名は英字がランダムに並んでる感じで読み方が分からなかった。
アプリを起動する。『黒歴史消去君』という太字が表れた。
それが消えて、こんな文字が出てきた。
> “過去がなかったことになります”
> “画像も動画もSNS投稿も、その記憶も、消去できます”
> “ただし、消したものは二度と戻せません”
> “初回は無料。その後は広告を見てください”
手が震えた。
でも、どうしても消したい。
消してほしい。
消えてほしい。
『消したいデータを選択してください』
私はあの写真のページのアドレスを貼り付けた。
また少し迷ったけど、「消去」のボタンをタップする。
再度、警告文が出た。
『この画像に関する関連記憶も削除されます。本当に消去しますか?』
一瞬、迷いそうになった。
でも、この画像が消えて困ることなんて、ない。
私は「はい」を押した。
直後、画面が黒くなった。
真ん中に、また文字が浮かぶ。
『あなたの過去データ1件を消去しました』
スマホがふっと静かになる。
部屋の中も、私も、何も変わってない。
通知も来ないし、振動もない。
あれ?
これで終わり……?
なんだ、やっぱりただのいたずらアプリか。
そう思って、スマホを伏せた。
でも
……何を消したんだっけ?
胸の奥が、ちょっとだけスカスカしてるような感覚。
消したいことを消したら、何を消したのか分かんなくなってそれで終わりなんだ。
(第1話・了)
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