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外伝6 沈まない熱
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脛を撫でる低い草を踏み分けながら、今更になって後悔する。近くだから自分が行くと言ったこと、一人でも大丈夫だと言ったこと。使いの一つも満足にできないと思われるのは自尊心が許せなかった。それでもこうして右も左も分からなくなってくると、素直に付いてきてほしいと頼めばよかったとノインは小さくため息を吐いた。
辺り一面が深緑に染められた森は、自分が育った東の緑の色とはまた異なる。どこか青みがかった西の森の木々は、まるで惑わせるような色をしている。記憶の神オルメスは、戸惑う様子さえも楽しんでいるのかもしれない。いつだったか、アスレイドと共に足を踏み入れた時は旧い祭りをしていた最中で、木々の間には仄かな灯りが見え隠れしたものだが、今はその光も見えない。
どうしたもんかな。アスレイドに頼まれた使いは果たしたものの、中枢に帰る方法が分からないのでは今日のうちに灰の教堂に辿り着けないかもしれない。迷子になった自分を、アスレイドは責めることはないだろう。それでも、帰りが遅いからと自分の姿を見つけられた時に、何も言わずに穏やかに細められる翠色の瞳に耐えられそうにない。もう少しだけ歩いてみようと決めて、どれくらい経っただろう。目に映る景色は変わらない。足音がやけに遠く、どちらへ進んでも同じ景色に見えた。
芽吹きの季を迎えてしばらく経つ。日差しが木漏れ日の隙間を縫って高いところからじりじりと肌を焼いている。しかし今ノインの背筋に走るのは、熱さからでない汗だった。
流石に心の中で焦りが顔を出した頃、何かの気配を察した。ゆらり揺れるような人影を視界の端に捉え振り返ってみると、そこには音もなくニィルが立っていた。深くかぶったフードからは相変わらず表情が読めないが、思いがけない人物に遭遇したことに驚いているように見える。
「……一人か。何の用だ?」
発せられた声は抑揚がない。見知った人物と会ったことに安堵する気持ちを押さえながら、ノインは言葉を返す。
「……迷っちまってな。中枢に帰るつもりだったんだが」
「……森が、鳴っていたから。誰かが来たんだろうとは思ったんだが」
森が鳴く。それは、鳥のことを指しているのだろうか。それとも風に揺れる葉のさざめきのことだろうか。空を覆うように伸びる木々のせいで、風があるかどうかも分からない。肩を竦めて見せると、ニィルは意外そうに小首をかしげて見せた。
「意志の子は森の声が聞こえると思っていたが」
「……東はこんな森じゃねえからな」
ノインの言葉に、ニィルは一瞬だけ視線を巡らせる。木々の間、足元、空気の流れ。確かめるような仕草。ニィルとて、東に点在する森に行ったことがないわけではない。しかし東の地は、西のように森に覆われているというよりは、草原の範囲の方がよほど多い。同じ葉であっても、その緑色は異なるものだった。
「あんたは、森の中で散歩か?」
自然に問いが零れたのは、西の森を具現化したような男に飲まれないための無意識な防衛策でもあった。自分以上に口数が少なく、しかも雲を掴ませるようなのらりくらりとした言葉しか発せない男だ。アスレイドの居ない今、場をもたせられる自信がない。それでも、帰り道を見失った自分にとっては、どこか藁にもすがる思いであったのは確かだ。そのきっかけとして会話を交わすことで、少しでも利を得られればいいと思ったのだが。
「散歩、とは少し違う。少し、迷ったから。聞きに行こうとしていた」
ニィルの言葉には主語がない。迷ったから、とフードから覗く唇が象ったが、何に対しての迷いなのかは分からない。まさか、西の民である彼でさえも森の中で道が分からなくなったとでもいうのだろうか。だとしたら性質の悪い冗談だと思った。
す、と深緑のコートが翻り、ニィルは背を向けた。それはまるでついてこいと言っているようで、ノインは男の背が木々の色に混じる前にその後を追う。地面を這ういくつもの木の根を踏み分け、時に足を取られそうになる。前を行く男は、まるで板の上を水が滑るように音もなく緑の中を分け入っていく。
そうして無言で追い続けてどのくらい経っただろう。ニィルが立ち止まった先には、木で造られた平屋が現れた。随分古い建物のようで、材木は蔓が幾重にも這い、細い蔓の隙間は苔むしている。遠目に見れば、森の中の遺跡としか認識できないだろう。
ノインが言葉もなく立ち尽くす前でニィルは歩みを進め、やはり濃い緑色に染まった境目の分からない扉を手の甲で二、三軽く叩いた。
「ニィルです」
戸を叩くという事は、中に誰かがいるかもしれないということだ。しかし男は許可を得る前に、扉を押し開いた。
躊躇しながら後を追って小屋の中に入ってみると、昼間のはずなのにひどく薄暗かった。瞳を細めて室内を見渡してみれば、様々な植物が雨のようにあちこちの天井や壁に逆さまに吊るされている。西は植物から作る薬草が名産とされるが、野草に慣れ親しんでいるノインでさえも見たことがない形をしているものばかりだった。
室内の中心には、円の形で敷き詰められた石の内側に灰が敷き詰められて、傍らにはいくつもの薬草が乾くのを待っている。その先に、地面に付きそうなほどの白髭を蓄えた老人が座っていた。髭ばかりでなく、ざんばらの白髪は両目を覆い隠している。瞳を見せないのは西の流儀なのだろうか。
闖入者であるニィルを遅れた動作で見上げて、老人は深緑のコートの隙間から細腕を上げて見せた。
「おお、ニィルか。久しいの」
「ええ、老翁もお変わりなく」
あまりに自然に交わされた挨拶に、ノインは何も言えず立ち尽くすしかない。所在ない心身にぴり、と緊張が走ったのは、瞳を隠す白髪の向こうから眼光を感じたからだ。まるで、思い切り引いた弓から放たれた矢が、鋭く影を縫うような、そんなまなざし。
「ふむ、お客さんかね」
灰を前にして座る翁が、頭の先から爪の先まで品定めするように視線をよこした。見られているだけだというのに、輪郭を撫でられているようだ。そんな奇妙な感覚がノインを襲って、背筋に冷たい汗が滲む。
「どおりで森が騒がしいと思ったわい」
一通りの観察が終わったのだろう、視線に肺を掴まれていた気分だ。漸くノインは大きく息を吸い込むことができたが、既に片膝を立てて鎮座しているこの老人には逆らわない方がいいと本能が悟った。
ニィルが、後ろを振り向くことなく口を開く。
「……森で、迷っていたので。道しるべをしようと思っています」
「そうかい。森が嫌う匂いをしているからの。早い方がいい」
「はあ?」
大人しくしていようと決めた手前であるが、森に嫌われるという言葉になぜか腹立たしさを感じてしまった。森に入ったのが機嫌を損ねたとでもいうのか、青葉を踏みながら歩いたのがいけなかったのか。かわり映えのない景色だと思ったのが気に障ったか。それでもノインとしては、いわれのない不名誉を押し付けられたように感じて、思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
「……老翁の前だ」
礼を欠いた対応をニィルが静かに非難する。反論の余地もなく押し黙ってしまったノインを見ながら、老人はからからと笑った。
「東の風だ。ここの森は、お前さんみたいな急ぎ足を嫌うもんだよ」
東、という言葉が発せられ、ノインは敵わないと内心両手を上げた。自分は、東の出身だとは一言も発していない。言い返す言葉は浮かんだが、どれも場違いだと分かってしまう。だからこそ出自を言い当てられた時点で、白旗を上げざるをえないのだ。
「……悪かったな」
低く吐き捨てるように言う。謝罪とも違う、反省とも言い切れない言葉だったが、老翁は気に留めた様子もなく灰の上に視線を落とした。
「今日は、どうした?」
ニィルは一歩だけ前に出る。森の中で歩いてきた時と同じ、静かな所作。
「森の奥で、変わった音を聞いたんです。風とも違う、獣でもない……よく分からなくて」
「ほう」
老翁は短く応じる。それだけで、話の続きを促していた。
「音?」
思わずノインが口を挟む。二人だけで進む話を一つも理解できず、まるで拗ねたような声色であったかもしれない。
森の音とは何を指しているのか。風か、鳥か、それとも獣か。風が吹けば葉擦れの音が、木々の間には羽休めをする鳥たちの会話も聞こえる。地を這う獣でなければ、もしかしたら異形の足音かもしれない。どれも思い当たるが、どれも違う気がした。そしてニィルが感じた違和感を自分に伝えられないまま、一人中枢までの道を指し示されても危険ではないか。
ニィルは振り返らない。ただ、少し考えるように間を置いてから言った。
「……西の森は、音で、機嫌が分かる」
「機嫌?」
やはりオウム返しのように言葉が口をついた。何一つ真新しい情報を得ることができないもどかしさより、与えられた話の欠片をつなぎ合わせることで何とか頭を働かせる。
そんなやりとりを聞いていた老翁が、わずかに口角を上げた。
「ニィルは昔から耳がいい。森が怒っているときも、泣いているときも分かった」
「……森が、泣くのかよ」
半ば呆れたように言いながらも、ノインの声には先ほどまでの棘がない。翁はゆっくりと顔を上げる。白髪の隙間から覗く視線が、今度はノインを正面から射抜いた。
「泣かない森なんて、あるのか?」
即答できなかった。
ノインは視線を逸らし、室内に吊るされた薬草へと目をやる。風に揺れた葉擦れの音が、さっきよりもはっきりと耳に届く。
それが、ただの音なのかどうか、急に分からなくなった。
「……そうなのかもな」
小さく返した言葉に、老翁は満足そうでも不満そうでもない、曖昧な笑みを浮かべた。
「分からんでいい。分からんまま、急がず歩けるかどうかじゃ」
ニィルが静かに頷く。
「それを、確かめに来ました」
老翁は再び灰へと視線を落とす。円の内側で、微かに残った熱が呼吸するように揺れていた。何も言わず、灰の円の中に手を伸ばす。指先で、ほんの少しだけ灰を撫でた。
その瞬間だった。外から、乾いた音が一つ、転がり込むように響いた。
「……今の」
ノインが言いかけた時、ニィルが僅かに身を強張らせた。
「違う」
低く、呟くような声。
「さっきと、音が変わりました」
ノインは耳を澄ます。だが、聞こえるのは相変わらず、葉擦れと遠い鳥の声だけだった。
「何がだよ」
ニィルは答えない。代わりに翁が、灰の上から視線を上げる。
「ほれな」
それだけ言って、からりと笑った。
老翁は立ち上がらず、ただ、戸口の方へ顎を向ける。
「行ってみるか」
外へ出ると、森の空気は小屋の中よりも少し冷えていた。少しばかり日が落ちた森の中を、ニィルを先導にして歩く。
黙ってついていく間にも、ノインは森の音に耳を澄ます。葉のざわめき、鳥の声。どれもノインが森の中で聞く音達だった。きっと一つ一つに意味があって、それこそ翁のいう通り機嫌までも分かるのかもしれないが、自分には到底真似できない芸当だ。
小屋を出てしばらく経つ。どこに向かうのか幾度か聞こうとしたけれど、深緑のコートで覆われた彼の背がそれを無言で制しているような気がして。開きかけた口を、誰にも知られずに何度も横に結び直した。
そしてふと、ニィルが足を止める。
「……いました」
ノインには、何がいるのか分からない。
視線を辿ってようやく、低い草の陰で小さく身をすくめる影に気づく。その先には、しゃがんで地に伏せるなにかがいた。長くしなやかな四肢の節を折り、草の中で身を潜めている。東の地でも見かける草を食む獣に似ているが、陽が落ちかけているせいか、その輪郭はぼんやりとしていて、どこか実体がないようにも見えた。
その何かはこちらに気付いて、脚を震わせながら立ち上がろうとしては崩れる。
「怪我か……?」
得体の知れないものだとしても、何もしないわけにはいかない。そんな思いがノインの足を一歩踏み出させたが、ニィルが静かに制する。
「近付きすぎるな」
はっきりとした声色に、ノインの動きが止まる。その代わりにニィルがそれに近付き、ゆっくりと屈み地面に片膝をつく。
手は伸ばさない。ただ、呼吸を合わせるように、その場に留まった。
しばらくして、獣の震えが少しだけ収まる。
「……聞こえた」
ニィルが言う。
「この音だ」
ノインは耳を澄ます。葉擦れも、風も、遠い鳥の声もある。だがそれ以上は、何も分からない。
「俺には……」
言い切れなかった。きっと、何かを囁いている。それは訴えているのかもしれない。それでも、ノインには届かない。受け取ることができない。幾重にも重なる声の渦巻の中心に立っているような感覚だった。坩堝の中に沈むこともできず、ただ音のない世界で一人だけのような感覚だった。
老翁が背後で、静かに言う。
「それでいい」
その言葉は、ニィルに向けたものだったのか、それとも。
輪郭のない獣は、星のような双眸をじっとニィルに向けていた。しゃがみこんだ男の背からは、どのような瞳の色で応えているのかは分からない。それでも、彼らの間では何かが交わされていることは理解できるような気がした。
声のない会話が終わったのだろう、四足の獣が静かに脚を伸ばし立ち上がった。その姿は初めて見た時よりも更にぼやけたように見える。そして身を翻すと、振り返りもせず森に溶ける。
ニィルは立ち上がり、土を払った。今日出会ってから、初めて真っすぐに見つめられた。
「……もう、聞こえない」
静かに告げられた出立の声を聞いた後、ノインは一瞬だけ、森の一部が消えた方角を見た。
何かを聞き逃した感覚だけが、胸の奥に残っていた。
ニィルが指差した方向へ真っすぐ歩くと、徐々に視界が開けていく。森の迷宮は、夕日のきらめきを受けながら出口を広く開けていた。正直なところ、どの道を辿ってきたのか分からない。ただ、いつの間にか中枢の白畳を靴底が踏んでいた。
慣れた景色を寄り道せず、灰の教堂に向かって歩みを進める。どうにか日が落ちる前に戻ってこれた安心感で、今更のように疲労感が全身に圧し掛かってきた。汗で張り付いた布がわずらわしい。一刻も早く、帰りたかった。
そんな思いが歩幅を拡げていたのだろう。気が付くと橙色に染まる門をゆっくりと押していた。人気のない聖堂を足早に抜けて、居室へと続く扉を開く。
「戻った」
中にいるだろう人影を確かめることもなく、頼まれていた品物をケープの内側から取り出し机の上に置く。扉の開く音で、調理中であったアスレイドが振り向いて口元に笑みを象った。
「おかえり、西の森を抜けていくのは大変だったろう」
「……二度と一人では行きたくねえな」
苔色のケープを椅子の背もたれに預け、大仰に溜息をつきながら腰かける。アスレイドは疲労困憊のノインに微かに肩を震わせた後、冷えた水が入ったカップを目前に置いた。
「できれば僕も、一人では行きたくないかな」
「あんた、そんなとこに使いを出したのか、俺を」
「君なら問題ないと思ったから」
一体どこまでが冗談なのか分からない。苛立つより前に、同じ場所を通ってきたような気がして、ノインは黙って水を飲み干した。
ようやく見知った風景に戻ってきた気がする。この時期は昼の時間が長すぎて、窓から差し込む光は鉄が打たれた時の輝きと同じ色をしていた。
食事の準備を進めるアスレイドの背を眺めながら、今日の出来事を一人反芻する。森の中の邂逅、言葉にならない対話。自分は西の森で何を得ることができたのだろうか。ただ、雲を掴むような西の住民と意味があるのか分からない交流をしてきただけのようにも思う。
自然に眉間に皺が寄っていたのだろうか。コトン、と音を立てて目前に湯気の立つ肉料理が入った皿が置かれて、ノインは視線を上げた。
「難しい顔をしているね」
金色の髪が揺れる。翠色の瞳が、真っすぐにノインを見つめている。その底にあるのは、好奇心か、それとも労わりの思いかは読み取ることができなかった。
ノインは軽く首を左右に振ると、姿勢を正して椅子に座り直す。アスレイドはそれ以上何も聞かず、調理台から自分の分の食事とパンが入った皿を持って、ノインと向かい合わせに座った。食事の挨拶の声が重なると、それからは他愛のない会話で空気が満たされていく。いつもと同じ、自分達の生活が作られていくような気がした。
食事を終えて食器を片付けると、アスレイドは肩越しに軽く振り向いて見せる。
「じゃあ、僕は、水を浴びに行ってくるよ」
居住する地に水浴びをする場所があるのは珍しい。大抵の者は中枢に点在する大衆に開かれた湯浴み所に行くのだが、宣託者ともなるとやはり扱いは別格なのだろう。一度、アスレイドにそのことを伝えたことがある。宣託者の仕事は、なにも衆人に在り方を説くだけではないのだとどこか寂しそうに言うものだから。だから、それ以上は追究したことはない。とにかくこんな暑い夜にはありがたい話である。居室の更に奥へ消えていった男の残り香は、もうない。
扉が閉じる音がしたわけでもないのに、空気が一段冷えたような気がした。
さっきまで、確かにそこにいたはずなのだ。
金色の髪が揺れて、翠色の瞳がこちらを見て、いつも通りの声で言葉を交わしていた。それだけで、知らず知らずのうちに息を整えていたことに、今になって気づく。
森の中で聞き逃したもの。受け取れなかった声。分からないまま置いてきた感覚。
それらが、何の前触れもなく胸の奥で息を吹き返す。不安、と呼ぶには輪郭が曖昧で、焦りと呼ぶには熱を持たない。ただ、足元がわずかに浮くような、地に立っていない感覚だけが残る。
自分でも驚くほど自然に椅子から立ち上がっていた。理由を考える前に、身体の方が動いている。
水浴びをする、と言っていた。それだけのことだ。追う必要なんて、どこにもない。それでも、このまま一人で居室に残るという選択肢が、ひどく心もとなく感じられた。昼間の非日常は、もう終わったはずだ。中枢に戻り、食事をし、いつもの夜を迎えようとしている。それなのに、胸の奥ではまだ、森の音が鳴り止んでいない。
廊下へ足を踏み出すと、ひんやりとした石の感触が靴底から伝わってくる。その冷たさが、かえって現実を確かめるようで、ノインは歩みを止めなかった。
ただ、確かめたかった。今ここにいる自分が、どこに立っているのかを。
そして、あの男の声が。今も届く距離にあるのかを。
アスレイドは昼間の熱で温められた水で金糸に絡んだ汗を軽く流すと、素肌を湿らせる。身体を少し起こすと、こっそり持ち込んだ小瓶のコルクを軽く捻った。傾けてとろみのある液体を三本の指で受け止めると、自分の尻へと運ぶ。そして、指先から蜜のようにオイルを滴らせながら、ゆっくりと一番長い指を自身の後孔に滑り込ませた。
「ん……っ」
くちゅ、と少し重みのある音が狭い室内に響く。これからここを暴くだろう質量を思うと、指一本ではなんの準備にもならない。毎日のように拡げられている縁は、指が入ってきた瞬間に呆れたように自然に力が抜けて他の指も迎え入れる。
「ふ、ぅう……」
縁を湿らせて、少しずつ指を中に差し入れる。元々何かを受け入れるためにある器官ではないそこは、異性のように自然に濡れることはない。きっと、そういうことに使われることは想定されていなかったのだろう。だからこそ、こうして準備が必要なのだ。
それが、欲しているからなのか。それとも、そうあるべきだと知っているからなのか。アスレイド自身にも、その境目は分からない。ただ、身体が覚えてしまった手順だけが、静かに順を追っていく。
日課となった行為は、まるで儀式のように静かに熱を持って行われる。
祈りのようでもあり、習慣のようでもあり、そして時折、どうしても否定しきれない熱を伴うこともある。それを、求めていると呼ぶには、言葉が強すぎる。
だが、何も感じていないと言い切るには、あまりに身体が正直だった。
あくまで、オイルを中に忍び込ませるだけ。後のことは、彼に任せる。快感を得るのはここでの役ではない。アスレイドは一度指を全て抜き取ると、再びオイルを垂らして再び体内へと塗り込んでいく。少しでも湿り気を帯びさせるために。
「はぁ、あ」
とっぷりと粘つく液体が馴染んできたのが、前後に指を動かすのも大分滑らかになってきた。ここまでくると、爪先が内側の膨らみを引っ掻いて、図らずも喉が甘えたような声を出してしまうから。そろそろ湯浴みを終えようとしたところで、廊下と隔てる扉が外側から軋みながら開く音がした。
「――っ、ノイン、くん……っ」
翠色の瞳が、入り口に立つ男を捉えて揺れる。途端、無意識に身体の奥が熱くなる。火のついた芯を冷ますことができる唯一の存在が、目の前にいた。
触れられる前から、身体の奥に、静かな熱が揺れていた。それは期待とは違う。望みとも、欲とも、少し違う。けれど、完全に無関係だと言い切れるほど、冷え切ってもいなかった。
ノインは立ち上がることのできないアスレイドを見下ろしながら、衣服も脱がずに背中から濡れた身体を抱き締めた。呼ばれた気がしたのだ。声が聞こえなくても。だから、それに応えようと思った。求められているのだと思ったのだ。
夜の熱だけでは説明しきれない熱い身体に腕をまわし、しがみつくように身体を密着させる。湿った肌を掌で滑らせていると、小さく腕の中にある身体が震えるのが分かる。
ああ、やっぱり。アスレイドの声なら、俺は聞けているはずだ。
ノインは両の掌を、片方はしなやかな胸へ、もう片方は腹の丘を越えて茂みの下にある芯へとそれぞれ反対方向へ遊ばせる。指先で胸の頂にある柔らかい蕾を摘むのと、まだ硬さを持たない茎の根元をやんわりと握るのは、ほぼ同じ瞬間だった。
「ふ、ぁ、っあ」
アスレイドの眉尻が困ったように下がる。身体の異なる弱い部分を同時に責められて、否でも応でも欲が起きる。漏れ出た声に気をよくしたのか、無体を働く男の動作が大胆なものに変わる。やんわりと爪を立てて胸の先端を軽く引っ掻いては、捩じるように軽く引っ張った。
「……っぁ゛……っ!」
戦慄く背中に額を擦り付けながらノインは一人笑みを浮かべると、掌で包み込んだ茎の根元からゆっくりと扱き上げる。二本の指で弄ぶ乳首が、反応が大きくなるにつれて硬く尖っていく、こんなにも快感に素直な身体を、どうして取りこぼすことができようか。石壁に手をつき崩れるのを耐える男の背中に、ゆっくりと舌を這わせると仄かに塩の味がした。
「なあ、気持ちいいんだよな? ……いや、やっぱり、答えなくていい」
言葉で聞かずとも、反応を見れば分かる。指の腹で押し潰せば押し返してくるほどに膨らんだ乳頭も、五指に包まれて太く育った熱芯も。そして言葉にならない甘い声。どれもノインが与えた行為によって現れたものだと思うとそれだけで満たされたような感覚になる。
ノインは前の張った下腹部を、ズボン越しにアスレイドの太腿に擦り付ける。この熱もまた、あんたが育てたものだと伝えるかのように。
「っぁ、くっ、あっ……声、出ちゃ……っ!」
「構わねえ、聞かせてくれよ」
掌が、水よりも粘着質な液で濡れていく。散々重ねてきた身体だ。どんなことを望んでいるかなんて分かっている。上下に扱く手を止めて、親指で亀頭を優しく撫でつけると、耐えきれなくなったのか背中が大きく反った。金色の髪が、水を滴らせながら重く、そしてどこか軽やかに宙を舞う。
びくびくと震えるアスレイドに瞳を細めると、胸と下腹部で遊んでいた手を放して手早くズボンと下着を押し下げる。途端飛び出してきた陰茎は、愚直なまでに昂ぶりを隠そうとせずに息衝いている。ノインは片手で腹に付く勢いの茎の根元に手を添えると、空いた手でアスレイドの尻の丘をぐいと引っ張った。一人で準備されていたそこからは、とろりとオイルが垂れている。まるで、口から零れた唾液のようだ。
赤く熟れた切っ先を、寂しいと言わんばかりにひくつくそこに押し当てた。
「――っ、ぐ、ぅ……っ!」
いくら慣らしたといっても。いくら毎日のように繋がっているとしても。受け入れるその時ばかりは裂かれる苦しみでアスレイドの口から重い呻きが零れる。それでもどのように力を抜けばよいのか分かっているから、吐く息の調子に合わせて侵入物を奥へと飲み込んでいく。潤滑油の助けを借りながら一番太い個所を迎えてしまえば、あとは流れるように幹が体内へと沈んでいく。
ノインもまた、強い締め付けを耐えたあとに訪れる甘い痛みに、ぶるりと身体を震わせた。アスレイドの腰をしっかりと掴むと、ゆるゆると前後に腰を動かす。アスレイドの掌が、壁に縋りつくように指を拡げた。
「っぁあ゛……あ、っあ、ぅっ……ッ」
突き上げられた瞬間、全身が痺れるような快楽に捕らわれる。既にノインの形の覚えてしまった後ろを擦られるたびに、甘い声を漏らしてしまう。亀頭が腹の内側にあるこりこりとした部分を掠めると、挿入で一度萎えてしまったアスレイドの芯が応えるように再び頭を擡げ始める。
突き出された尻を掴み、ノインは徐々に抽挿を速めていく。見下ろした先には、赤黒い自分の陰茎が、白いアスレイドの肌に沈んでは浮かぶのが見える。何度も見てきたはずなのに、いつまで経ってもひどく蠱惑的で倒錯的だ。
「は……すげ……」
それは視覚的な快感か、それとも肉感によるものか。両方なのかもしれない。とんとんと一定の調子で打ち付けていた腰をぴたりと止めると、アスレイドの太腿の下に腕を潜らせ脇に挟むように持ち上げた。
「ひっ……ぁ゛……っ! あっ!」
重心が崩れて、石壁に添えられた掌が居場所を求めてさまよった。ずるりと硬い質感を滑っていった手首を掴まれ、ノインの首の後ろに回される。片脚を高く上げさせられ、密着した体勢になったせいで、アスレイドの瞳に一瞬だけ影が差し込んだ。
「ノイン君、ぃ、だ……っ、こんなの……!」
快感で蕩けた顔を見られるには心の準備が足りていない。腰を押しのけようとするが、ノインは意に介さない。
「……いやだって言いながら、締めつけてきてる」
ノインが笑って囁く。揺れる翠と射抜く青の瞳が交差して、新たな熱を生み出していく。更に奥まで突くことで、アスレイドの最も深いところは言葉に反して逃したくないと切なく訴えているようだった。
「ぁっ、あ゛ぁあっ……っ!」
脚を抱え上げられ、深く突き込まれるたびにアスレイドの腰が跳ねた。奥を擦られる感覚に全身が痺れて、頭が真っ白になる。いっぱいに伸びた首の筋に、ノインは何度も舌を這わせる。
「ぉ、っ、あ、あ、ノイン君、ぁ゛、はぁ……っ、無理、だめ、っぇ……っ!」
必死に言葉を紡いでも、喉の奥は甘く崩れて涙混じりになる。穿たれるたびに、アスレイドの脚の付け根では肉の茎がだらしなく揺れている。先端から雫を零しながら、床に点々とした跡を残していた。
言葉でどれだけ繕っても、こうして求めているのだ。だからこそ、よく感じるところを突いていたい。あちこちの器官から溢れる体液で全身を濡らしてやりたい。それこそが、あんたの望んでいることだろ?
ノインの手がアスレイドの茎を捉え、上下に擦るときゅうと後孔が締め付ける。それは、ノインを絶頂へと誘うには十分だった。
「っ……あぁ゛、アスレイド……!」
内側から伝わる熱と、すべてを搾り取るかのように絡みつく肉の轟きに、ノインは眉間に皺を寄せた。奥まで満たしたくて、忙しなく腰を振り数回深く突き入れた後、低く唸りながら包まれた中で奔流を注いだ。同時に、アスレイドの髪が視界いっぱいに舞ったかと思うと、楔から吐き出された白濁がぱたぱたと滴り地を汚していた。
ゆるゆるとアスレイドの脚を下ろして、身を引く。栓を失ったことで締まりきらない彼の孔から、音もなく白色が漏れて内股を伝っていく。その感触に身を震わせながら振り向いた翠の瞳の深いところで、何かが揺れていた。
それが合図だったのかどうかは、誰にも確かめようがない。
少なくともノインは、迷わず応えたと思っている。
そしてアスレイドは、それを否定する言葉を、とうに持たなくなっていた。
澄み切った空の下、音はもう聞こえない。静かだと言うべきなのか、それとも聞き逃しているだけなのかは分からない。
太陽が顔を出してまだ数時間も経っていないというのに、既に衣の下はじんわりと汗ばんでいる。アスレイドは一人、庭に出て届かない天を眺めていた。
東から放たれる眩い光に、思わず瞳を細める。音は、まだ目覚めていない。
透き通るような天を仰いでいると、一羽の鳥がどこからともなく視界を横切っては、聖堂の近くにある高木に留まった。
鳥は鳴かなかった。
羽ばたく音さえ立てず、ただそこに留まっている。見つめられているのだと気づいたのは、しばらく経ってからだった。
何かを問われている気もしたし、何も求められていないようにも思えた。
どちらだとしても、答えは用意されていない。アスレイドはそれを、よく分かっている。
逆光に染まる鳥は、何も語らずアスレイドをじっと見つめている。それでも視線を逸らさなかったのは、逃げなかったからでも、向き合ったからでもない。ただ、そこに在ったからだ。
鳥は、しばらくして空に溶けるように姿を消した。
残されたのは、静けさだけだった。音がないのか。それとも、自分が聞かなかったのか。
その違いを確かめる必要は、もうなかった。
辺り一面が深緑に染められた森は、自分が育った東の緑の色とはまた異なる。どこか青みがかった西の森の木々は、まるで惑わせるような色をしている。記憶の神オルメスは、戸惑う様子さえも楽しんでいるのかもしれない。いつだったか、アスレイドと共に足を踏み入れた時は旧い祭りをしていた最中で、木々の間には仄かな灯りが見え隠れしたものだが、今はその光も見えない。
どうしたもんかな。アスレイドに頼まれた使いは果たしたものの、中枢に帰る方法が分からないのでは今日のうちに灰の教堂に辿り着けないかもしれない。迷子になった自分を、アスレイドは責めることはないだろう。それでも、帰りが遅いからと自分の姿を見つけられた時に、何も言わずに穏やかに細められる翠色の瞳に耐えられそうにない。もう少しだけ歩いてみようと決めて、どれくらい経っただろう。目に映る景色は変わらない。足音がやけに遠く、どちらへ進んでも同じ景色に見えた。
芽吹きの季を迎えてしばらく経つ。日差しが木漏れ日の隙間を縫って高いところからじりじりと肌を焼いている。しかし今ノインの背筋に走るのは、熱さからでない汗だった。
流石に心の中で焦りが顔を出した頃、何かの気配を察した。ゆらり揺れるような人影を視界の端に捉え振り返ってみると、そこには音もなくニィルが立っていた。深くかぶったフードからは相変わらず表情が読めないが、思いがけない人物に遭遇したことに驚いているように見える。
「……一人か。何の用だ?」
発せられた声は抑揚がない。見知った人物と会ったことに安堵する気持ちを押さえながら、ノインは言葉を返す。
「……迷っちまってな。中枢に帰るつもりだったんだが」
「……森が、鳴っていたから。誰かが来たんだろうとは思ったんだが」
森が鳴く。それは、鳥のことを指しているのだろうか。それとも風に揺れる葉のさざめきのことだろうか。空を覆うように伸びる木々のせいで、風があるかどうかも分からない。肩を竦めて見せると、ニィルは意外そうに小首をかしげて見せた。
「意志の子は森の声が聞こえると思っていたが」
「……東はこんな森じゃねえからな」
ノインの言葉に、ニィルは一瞬だけ視線を巡らせる。木々の間、足元、空気の流れ。確かめるような仕草。ニィルとて、東に点在する森に行ったことがないわけではない。しかし東の地は、西のように森に覆われているというよりは、草原の範囲の方がよほど多い。同じ葉であっても、その緑色は異なるものだった。
「あんたは、森の中で散歩か?」
自然に問いが零れたのは、西の森を具現化したような男に飲まれないための無意識な防衛策でもあった。自分以上に口数が少なく、しかも雲を掴ませるようなのらりくらりとした言葉しか発せない男だ。アスレイドの居ない今、場をもたせられる自信がない。それでも、帰り道を見失った自分にとっては、どこか藁にもすがる思いであったのは確かだ。そのきっかけとして会話を交わすことで、少しでも利を得られればいいと思ったのだが。
「散歩、とは少し違う。少し、迷ったから。聞きに行こうとしていた」
ニィルの言葉には主語がない。迷ったから、とフードから覗く唇が象ったが、何に対しての迷いなのかは分からない。まさか、西の民である彼でさえも森の中で道が分からなくなったとでもいうのだろうか。だとしたら性質の悪い冗談だと思った。
す、と深緑のコートが翻り、ニィルは背を向けた。それはまるでついてこいと言っているようで、ノインは男の背が木々の色に混じる前にその後を追う。地面を這ういくつもの木の根を踏み分け、時に足を取られそうになる。前を行く男は、まるで板の上を水が滑るように音もなく緑の中を分け入っていく。
そうして無言で追い続けてどのくらい経っただろう。ニィルが立ち止まった先には、木で造られた平屋が現れた。随分古い建物のようで、材木は蔓が幾重にも這い、細い蔓の隙間は苔むしている。遠目に見れば、森の中の遺跡としか認識できないだろう。
ノインが言葉もなく立ち尽くす前でニィルは歩みを進め、やはり濃い緑色に染まった境目の分からない扉を手の甲で二、三軽く叩いた。
「ニィルです」
戸を叩くという事は、中に誰かがいるかもしれないということだ。しかし男は許可を得る前に、扉を押し開いた。
躊躇しながら後を追って小屋の中に入ってみると、昼間のはずなのにひどく薄暗かった。瞳を細めて室内を見渡してみれば、様々な植物が雨のようにあちこちの天井や壁に逆さまに吊るされている。西は植物から作る薬草が名産とされるが、野草に慣れ親しんでいるノインでさえも見たことがない形をしているものばかりだった。
室内の中心には、円の形で敷き詰められた石の内側に灰が敷き詰められて、傍らにはいくつもの薬草が乾くのを待っている。その先に、地面に付きそうなほどの白髭を蓄えた老人が座っていた。髭ばかりでなく、ざんばらの白髪は両目を覆い隠している。瞳を見せないのは西の流儀なのだろうか。
闖入者であるニィルを遅れた動作で見上げて、老人は深緑のコートの隙間から細腕を上げて見せた。
「おお、ニィルか。久しいの」
「ええ、老翁もお変わりなく」
あまりに自然に交わされた挨拶に、ノインは何も言えず立ち尽くすしかない。所在ない心身にぴり、と緊張が走ったのは、瞳を隠す白髪の向こうから眼光を感じたからだ。まるで、思い切り引いた弓から放たれた矢が、鋭く影を縫うような、そんなまなざし。
「ふむ、お客さんかね」
灰を前にして座る翁が、頭の先から爪の先まで品定めするように視線をよこした。見られているだけだというのに、輪郭を撫でられているようだ。そんな奇妙な感覚がノインを襲って、背筋に冷たい汗が滲む。
「どおりで森が騒がしいと思ったわい」
一通りの観察が終わったのだろう、視線に肺を掴まれていた気分だ。漸くノインは大きく息を吸い込むことができたが、既に片膝を立てて鎮座しているこの老人には逆らわない方がいいと本能が悟った。
ニィルが、後ろを振り向くことなく口を開く。
「……森で、迷っていたので。道しるべをしようと思っています」
「そうかい。森が嫌う匂いをしているからの。早い方がいい」
「はあ?」
大人しくしていようと決めた手前であるが、森に嫌われるという言葉になぜか腹立たしさを感じてしまった。森に入ったのが機嫌を損ねたとでもいうのか、青葉を踏みながら歩いたのがいけなかったのか。かわり映えのない景色だと思ったのが気に障ったか。それでもノインとしては、いわれのない不名誉を押し付けられたように感じて、思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
「……老翁の前だ」
礼を欠いた対応をニィルが静かに非難する。反論の余地もなく押し黙ってしまったノインを見ながら、老人はからからと笑った。
「東の風だ。ここの森は、お前さんみたいな急ぎ足を嫌うもんだよ」
東、という言葉が発せられ、ノインは敵わないと内心両手を上げた。自分は、東の出身だとは一言も発していない。言い返す言葉は浮かんだが、どれも場違いだと分かってしまう。だからこそ出自を言い当てられた時点で、白旗を上げざるをえないのだ。
「……悪かったな」
低く吐き捨てるように言う。謝罪とも違う、反省とも言い切れない言葉だったが、老翁は気に留めた様子もなく灰の上に視線を落とした。
「今日は、どうした?」
ニィルは一歩だけ前に出る。森の中で歩いてきた時と同じ、静かな所作。
「森の奥で、変わった音を聞いたんです。風とも違う、獣でもない……よく分からなくて」
「ほう」
老翁は短く応じる。それだけで、話の続きを促していた。
「音?」
思わずノインが口を挟む。二人だけで進む話を一つも理解できず、まるで拗ねたような声色であったかもしれない。
森の音とは何を指しているのか。風か、鳥か、それとも獣か。風が吹けば葉擦れの音が、木々の間には羽休めをする鳥たちの会話も聞こえる。地を這う獣でなければ、もしかしたら異形の足音かもしれない。どれも思い当たるが、どれも違う気がした。そしてニィルが感じた違和感を自分に伝えられないまま、一人中枢までの道を指し示されても危険ではないか。
ニィルは振り返らない。ただ、少し考えるように間を置いてから言った。
「……西の森は、音で、機嫌が分かる」
「機嫌?」
やはりオウム返しのように言葉が口をついた。何一つ真新しい情報を得ることができないもどかしさより、与えられた話の欠片をつなぎ合わせることで何とか頭を働かせる。
そんなやりとりを聞いていた老翁が、わずかに口角を上げた。
「ニィルは昔から耳がいい。森が怒っているときも、泣いているときも分かった」
「……森が、泣くのかよ」
半ば呆れたように言いながらも、ノインの声には先ほどまでの棘がない。翁はゆっくりと顔を上げる。白髪の隙間から覗く視線が、今度はノインを正面から射抜いた。
「泣かない森なんて、あるのか?」
即答できなかった。
ノインは視線を逸らし、室内に吊るされた薬草へと目をやる。風に揺れた葉擦れの音が、さっきよりもはっきりと耳に届く。
それが、ただの音なのかどうか、急に分からなくなった。
「……そうなのかもな」
小さく返した言葉に、老翁は満足そうでも不満そうでもない、曖昧な笑みを浮かべた。
「分からんでいい。分からんまま、急がず歩けるかどうかじゃ」
ニィルが静かに頷く。
「それを、確かめに来ました」
老翁は再び灰へと視線を落とす。円の内側で、微かに残った熱が呼吸するように揺れていた。何も言わず、灰の円の中に手を伸ばす。指先で、ほんの少しだけ灰を撫でた。
その瞬間だった。外から、乾いた音が一つ、転がり込むように響いた。
「……今の」
ノインが言いかけた時、ニィルが僅かに身を強張らせた。
「違う」
低く、呟くような声。
「さっきと、音が変わりました」
ノインは耳を澄ます。だが、聞こえるのは相変わらず、葉擦れと遠い鳥の声だけだった。
「何がだよ」
ニィルは答えない。代わりに翁が、灰の上から視線を上げる。
「ほれな」
それだけ言って、からりと笑った。
老翁は立ち上がらず、ただ、戸口の方へ顎を向ける。
「行ってみるか」
外へ出ると、森の空気は小屋の中よりも少し冷えていた。少しばかり日が落ちた森の中を、ニィルを先導にして歩く。
黙ってついていく間にも、ノインは森の音に耳を澄ます。葉のざわめき、鳥の声。どれもノインが森の中で聞く音達だった。きっと一つ一つに意味があって、それこそ翁のいう通り機嫌までも分かるのかもしれないが、自分には到底真似できない芸当だ。
小屋を出てしばらく経つ。どこに向かうのか幾度か聞こうとしたけれど、深緑のコートで覆われた彼の背がそれを無言で制しているような気がして。開きかけた口を、誰にも知られずに何度も横に結び直した。
そしてふと、ニィルが足を止める。
「……いました」
ノインには、何がいるのか分からない。
視線を辿ってようやく、低い草の陰で小さく身をすくめる影に気づく。その先には、しゃがんで地に伏せるなにかがいた。長くしなやかな四肢の節を折り、草の中で身を潜めている。東の地でも見かける草を食む獣に似ているが、陽が落ちかけているせいか、その輪郭はぼんやりとしていて、どこか実体がないようにも見えた。
その何かはこちらに気付いて、脚を震わせながら立ち上がろうとしては崩れる。
「怪我か……?」
得体の知れないものだとしても、何もしないわけにはいかない。そんな思いがノインの足を一歩踏み出させたが、ニィルが静かに制する。
「近付きすぎるな」
はっきりとした声色に、ノインの動きが止まる。その代わりにニィルがそれに近付き、ゆっくりと屈み地面に片膝をつく。
手は伸ばさない。ただ、呼吸を合わせるように、その場に留まった。
しばらくして、獣の震えが少しだけ収まる。
「……聞こえた」
ニィルが言う。
「この音だ」
ノインは耳を澄ます。葉擦れも、風も、遠い鳥の声もある。だがそれ以上は、何も分からない。
「俺には……」
言い切れなかった。きっと、何かを囁いている。それは訴えているのかもしれない。それでも、ノインには届かない。受け取ることができない。幾重にも重なる声の渦巻の中心に立っているような感覚だった。坩堝の中に沈むこともできず、ただ音のない世界で一人だけのような感覚だった。
老翁が背後で、静かに言う。
「それでいい」
その言葉は、ニィルに向けたものだったのか、それとも。
輪郭のない獣は、星のような双眸をじっとニィルに向けていた。しゃがみこんだ男の背からは、どのような瞳の色で応えているのかは分からない。それでも、彼らの間では何かが交わされていることは理解できるような気がした。
声のない会話が終わったのだろう、四足の獣が静かに脚を伸ばし立ち上がった。その姿は初めて見た時よりも更にぼやけたように見える。そして身を翻すと、振り返りもせず森に溶ける。
ニィルは立ち上がり、土を払った。今日出会ってから、初めて真っすぐに見つめられた。
「……もう、聞こえない」
静かに告げられた出立の声を聞いた後、ノインは一瞬だけ、森の一部が消えた方角を見た。
何かを聞き逃した感覚だけが、胸の奥に残っていた。
ニィルが指差した方向へ真っすぐ歩くと、徐々に視界が開けていく。森の迷宮は、夕日のきらめきを受けながら出口を広く開けていた。正直なところ、どの道を辿ってきたのか分からない。ただ、いつの間にか中枢の白畳を靴底が踏んでいた。
慣れた景色を寄り道せず、灰の教堂に向かって歩みを進める。どうにか日が落ちる前に戻ってこれた安心感で、今更のように疲労感が全身に圧し掛かってきた。汗で張り付いた布がわずらわしい。一刻も早く、帰りたかった。
そんな思いが歩幅を拡げていたのだろう。気が付くと橙色に染まる門をゆっくりと押していた。人気のない聖堂を足早に抜けて、居室へと続く扉を開く。
「戻った」
中にいるだろう人影を確かめることもなく、頼まれていた品物をケープの内側から取り出し机の上に置く。扉の開く音で、調理中であったアスレイドが振り向いて口元に笑みを象った。
「おかえり、西の森を抜けていくのは大変だったろう」
「……二度と一人では行きたくねえな」
苔色のケープを椅子の背もたれに預け、大仰に溜息をつきながら腰かける。アスレイドは疲労困憊のノインに微かに肩を震わせた後、冷えた水が入ったカップを目前に置いた。
「できれば僕も、一人では行きたくないかな」
「あんた、そんなとこに使いを出したのか、俺を」
「君なら問題ないと思ったから」
一体どこまでが冗談なのか分からない。苛立つより前に、同じ場所を通ってきたような気がして、ノインは黙って水を飲み干した。
ようやく見知った風景に戻ってきた気がする。この時期は昼の時間が長すぎて、窓から差し込む光は鉄が打たれた時の輝きと同じ色をしていた。
食事の準備を進めるアスレイドの背を眺めながら、今日の出来事を一人反芻する。森の中の邂逅、言葉にならない対話。自分は西の森で何を得ることができたのだろうか。ただ、雲を掴むような西の住民と意味があるのか分からない交流をしてきただけのようにも思う。
自然に眉間に皺が寄っていたのだろうか。コトン、と音を立てて目前に湯気の立つ肉料理が入った皿が置かれて、ノインは視線を上げた。
「難しい顔をしているね」
金色の髪が揺れる。翠色の瞳が、真っすぐにノインを見つめている。その底にあるのは、好奇心か、それとも労わりの思いかは読み取ることができなかった。
ノインは軽く首を左右に振ると、姿勢を正して椅子に座り直す。アスレイドはそれ以上何も聞かず、調理台から自分の分の食事とパンが入った皿を持って、ノインと向かい合わせに座った。食事の挨拶の声が重なると、それからは他愛のない会話で空気が満たされていく。いつもと同じ、自分達の生活が作られていくような気がした。
食事を終えて食器を片付けると、アスレイドは肩越しに軽く振り向いて見せる。
「じゃあ、僕は、水を浴びに行ってくるよ」
居住する地に水浴びをする場所があるのは珍しい。大抵の者は中枢に点在する大衆に開かれた湯浴み所に行くのだが、宣託者ともなるとやはり扱いは別格なのだろう。一度、アスレイドにそのことを伝えたことがある。宣託者の仕事は、なにも衆人に在り方を説くだけではないのだとどこか寂しそうに言うものだから。だから、それ以上は追究したことはない。とにかくこんな暑い夜にはありがたい話である。居室の更に奥へ消えていった男の残り香は、もうない。
扉が閉じる音がしたわけでもないのに、空気が一段冷えたような気がした。
さっきまで、確かにそこにいたはずなのだ。
金色の髪が揺れて、翠色の瞳がこちらを見て、いつも通りの声で言葉を交わしていた。それだけで、知らず知らずのうちに息を整えていたことに、今になって気づく。
森の中で聞き逃したもの。受け取れなかった声。分からないまま置いてきた感覚。
それらが、何の前触れもなく胸の奥で息を吹き返す。不安、と呼ぶには輪郭が曖昧で、焦りと呼ぶには熱を持たない。ただ、足元がわずかに浮くような、地に立っていない感覚だけが残る。
自分でも驚くほど自然に椅子から立ち上がっていた。理由を考える前に、身体の方が動いている。
水浴びをする、と言っていた。それだけのことだ。追う必要なんて、どこにもない。それでも、このまま一人で居室に残るという選択肢が、ひどく心もとなく感じられた。昼間の非日常は、もう終わったはずだ。中枢に戻り、食事をし、いつもの夜を迎えようとしている。それなのに、胸の奥ではまだ、森の音が鳴り止んでいない。
廊下へ足を踏み出すと、ひんやりとした石の感触が靴底から伝わってくる。その冷たさが、かえって現実を確かめるようで、ノインは歩みを止めなかった。
ただ、確かめたかった。今ここにいる自分が、どこに立っているのかを。
そして、あの男の声が。今も届く距離にあるのかを。
アスレイドは昼間の熱で温められた水で金糸に絡んだ汗を軽く流すと、素肌を湿らせる。身体を少し起こすと、こっそり持ち込んだ小瓶のコルクを軽く捻った。傾けてとろみのある液体を三本の指で受け止めると、自分の尻へと運ぶ。そして、指先から蜜のようにオイルを滴らせながら、ゆっくりと一番長い指を自身の後孔に滑り込ませた。
「ん……っ」
くちゅ、と少し重みのある音が狭い室内に響く。これからここを暴くだろう質量を思うと、指一本ではなんの準備にもならない。毎日のように拡げられている縁は、指が入ってきた瞬間に呆れたように自然に力が抜けて他の指も迎え入れる。
「ふ、ぅう……」
縁を湿らせて、少しずつ指を中に差し入れる。元々何かを受け入れるためにある器官ではないそこは、異性のように自然に濡れることはない。きっと、そういうことに使われることは想定されていなかったのだろう。だからこそ、こうして準備が必要なのだ。
それが、欲しているからなのか。それとも、そうあるべきだと知っているからなのか。アスレイド自身にも、その境目は分からない。ただ、身体が覚えてしまった手順だけが、静かに順を追っていく。
日課となった行為は、まるで儀式のように静かに熱を持って行われる。
祈りのようでもあり、習慣のようでもあり、そして時折、どうしても否定しきれない熱を伴うこともある。それを、求めていると呼ぶには、言葉が強すぎる。
だが、何も感じていないと言い切るには、あまりに身体が正直だった。
あくまで、オイルを中に忍び込ませるだけ。後のことは、彼に任せる。快感を得るのはここでの役ではない。アスレイドは一度指を全て抜き取ると、再びオイルを垂らして再び体内へと塗り込んでいく。少しでも湿り気を帯びさせるために。
「はぁ、あ」
とっぷりと粘つく液体が馴染んできたのが、前後に指を動かすのも大分滑らかになってきた。ここまでくると、爪先が内側の膨らみを引っ掻いて、図らずも喉が甘えたような声を出してしまうから。そろそろ湯浴みを終えようとしたところで、廊下と隔てる扉が外側から軋みながら開く音がした。
「――っ、ノイン、くん……っ」
翠色の瞳が、入り口に立つ男を捉えて揺れる。途端、無意識に身体の奥が熱くなる。火のついた芯を冷ますことができる唯一の存在が、目の前にいた。
触れられる前から、身体の奥に、静かな熱が揺れていた。それは期待とは違う。望みとも、欲とも、少し違う。けれど、完全に無関係だと言い切れるほど、冷え切ってもいなかった。
ノインは立ち上がることのできないアスレイドを見下ろしながら、衣服も脱がずに背中から濡れた身体を抱き締めた。呼ばれた気がしたのだ。声が聞こえなくても。だから、それに応えようと思った。求められているのだと思ったのだ。
夜の熱だけでは説明しきれない熱い身体に腕をまわし、しがみつくように身体を密着させる。湿った肌を掌で滑らせていると、小さく腕の中にある身体が震えるのが分かる。
ああ、やっぱり。アスレイドの声なら、俺は聞けているはずだ。
ノインは両の掌を、片方はしなやかな胸へ、もう片方は腹の丘を越えて茂みの下にある芯へとそれぞれ反対方向へ遊ばせる。指先で胸の頂にある柔らかい蕾を摘むのと、まだ硬さを持たない茎の根元をやんわりと握るのは、ほぼ同じ瞬間だった。
「ふ、ぁ、っあ」
アスレイドの眉尻が困ったように下がる。身体の異なる弱い部分を同時に責められて、否でも応でも欲が起きる。漏れ出た声に気をよくしたのか、無体を働く男の動作が大胆なものに変わる。やんわりと爪を立てて胸の先端を軽く引っ掻いては、捩じるように軽く引っ張った。
「……っぁ゛……っ!」
戦慄く背中に額を擦り付けながらノインは一人笑みを浮かべると、掌で包み込んだ茎の根元からゆっくりと扱き上げる。二本の指で弄ぶ乳首が、反応が大きくなるにつれて硬く尖っていく、こんなにも快感に素直な身体を、どうして取りこぼすことができようか。石壁に手をつき崩れるのを耐える男の背中に、ゆっくりと舌を這わせると仄かに塩の味がした。
「なあ、気持ちいいんだよな? ……いや、やっぱり、答えなくていい」
言葉で聞かずとも、反応を見れば分かる。指の腹で押し潰せば押し返してくるほどに膨らんだ乳頭も、五指に包まれて太く育った熱芯も。そして言葉にならない甘い声。どれもノインが与えた行為によって現れたものだと思うとそれだけで満たされたような感覚になる。
ノインは前の張った下腹部を、ズボン越しにアスレイドの太腿に擦り付ける。この熱もまた、あんたが育てたものだと伝えるかのように。
「っぁ、くっ、あっ……声、出ちゃ……っ!」
「構わねえ、聞かせてくれよ」
掌が、水よりも粘着質な液で濡れていく。散々重ねてきた身体だ。どんなことを望んでいるかなんて分かっている。上下に扱く手を止めて、親指で亀頭を優しく撫でつけると、耐えきれなくなったのか背中が大きく反った。金色の髪が、水を滴らせながら重く、そしてどこか軽やかに宙を舞う。
びくびくと震えるアスレイドに瞳を細めると、胸と下腹部で遊んでいた手を放して手早くズボンと下着を押し下げる。途端飛び出してきた陰茎は、愚直なまでに昂ぶりを隠そうとせずに息衝いている。ノインは片手で腹に付く勢いの茎の根元に手を添えると、空いた手でアスレイドの尻の丘をぐいと引っ張った。一人で準備されていたそこからは、とろりとオイルが垂れている。まるで、口から零れた唾液のようだ。
赤く熟れた切っ先を、寂しいと言わんばかりにひくつくそこに押し当てた。
「――っ、ぐ、ぅ……っ!」
いくら慣らしたといっても。いくら毎日のように繋がっているとしても。受け入れるその時ばかりは裂かれる苦しみでアスレイドの口から重い呻きが零れる。それでもどのように力を抜けばよいのか分かっているから、吐く息の調子に合わせて侵入物を奥へと飲み込んでいく。潤滑油の助けを借りながら一番太い個所を迎えてしまえば、あとは流れるように幹が体内へと沈んでいく。
ノインもまた、強い締め付けを耐えたあとに訪れる甘い痛みに、ぶるりと身体を震わせた。アスレイドの腰をしっかりと掴むと、ゆるゆると前後に腰を動かす。アスレイドの掌が、壁に縋りつくように指を拡げた。
「っぁあ゛……あ、っあ、ぅっ……ッ」
突き上げられた瞬間、全身が痺れるような快楽に捕らわれる。既にノインの形の覚えてしまった後ろを擦られるたびに、甘い声を漏らしてしまう。亀頭が腹の内側にあるこりこりとした部分を掠めると、挿入で一度萎えてしまったアスレイドの芯が応えるように再び頭を擡げ始める。
突き出された尻を掴み、ノインは徐々に抽挿を速めていく。見下ろした先には、赤黒い自分の陰茎が、白いアスレイドの肌に沈んでは浮かぶのが見える。何度も見てきたはずなのに、いつまで経ってもひどく蠱惑的で倒錯的だ。
「は……すげ……」
それは視覚的な快感か、それとも肉感によるものか。両方なのかもしれない。とんとんと一定の調子で打ち付けていた腰をぴたりと止めると、アスレイドの太腿の下に腕を潜らせ脇に挟むように持ち上げた。
「ひっ……ぁ゛……っ! あっ!」
重心が崩れて、石壁に添えられた掌が居場所を求めてさまよった。ずるりと硬い質感を滑っていった手首を掴まれ、ノインの首の後ろに回される。片脚を高く上げさせられ、密着した体勢になったせいで、アスレイドの瞳に一瞬だけ影が差し込んだ。
「ノイン君、ぃ、だ……っ、こんなの……!」
快感で蕩けた顔を見られるには心の準備が足りていない。腰を押しのけようとするが、ノインは意に介さない。
「……いやだって言いながら、締めつけてきてる」
ノインが笑って囁く。揺れる翠と射抜く青の瞳が交差して、新たな熱を生み出していく。更に奥まで突くことで、アスレイドの最も深いところは言葉に反して逃したくないと切なく訴えているようだった。
「ぁっ、あ゛ぁあっ……っ!」
脚を抱え上げられ、深く突き込まれるたびにアスレイドの腰が跳ねた。奥を擦られる感覚に全身が痺れて、頭が真っ白になる。いっぱいに伸びた首の筋に、ノインは何度も舌を這わせる。
「ぉ、っ、あ、あ、ノイン君、ぁ゛、はぁ……っ、無理、だめ、っぇ……っ!」
必死に言葉を紡いでも、喉の奥は甘く崩れて涙混じりになる。穿たれるたびに、アスレイドの脚の付け根では肉の茎がだらしなく揺れている。先端から雫を零しながら、床に点々とした跡を残していた。
言葉でどれだけ繕っても、こうして求めているのだ。だからこそ、よく感じるところを突いていたい。あちこちの器官から溢れる体液で全身を濡らしてやりたい。それこそが、あんたの望んでいることだろ?
ノインの手がアスレイドの茎を捉え、上下に擦るときゅうと後孔が締め付ける。それは、ノインを絶頂へと誘うには十分だった。
「っ……あぁ゛、アスレイド……!」
内側から伝わる熱と、すべてを搾り取るかのように絡みつく肉の轟きに、ノインは眉間に皺を寄せた。奥まで満たしたくて、忙しなく腰を振り数回深く突き入れた後、低く唸りながら包まれた中で奔流を注いだ。同時に、アスレイドの髪が視界いっぱいに舞ったかと思うと、楔から吐き出された白濁がぱたぱたと滴り地を汚していた。
ゆるゆるとアスレイドの脚を下ろして、身を引く。栓を失ったことで締まりきらない彼の孔から、音もなく白色が漏れて内股を伝っていく。その感触に身を震わせながら振り向いた翠の瞳の深いところで、何かが揺れていた。
それが合図だったのかどうかは、誰にも確かめようがない。
少なくともノインは、迷わず応えたと思っている。
そしてアスレイドは、それを否定する言葉を、とうに持たなくなっていた。
澄み切った空の下、音はもう聞こえない。静かだと言うべきなのか、それとも聞き逃しているだけなのかは分からない。
太陽が顔を出してまだ数時間も経っていないというのに、既に衣の下はじんわりと汗ばんでいる。アスレイドは一人、庭に出て届かない天を眺めていた。
東から放たれる眩い光に、思わず瞳を細める。音は、まだ目覚めていない。
透き通るような天を仰いでいると、一羽の鳥がどこからともなく視界を横切っては、聖堂の近くにある高木に留まった。
鳥は鳴かなかった。
羽ばたく音さえ立てず、ただそこに留まっている。見つめられているのだと気づいたのは、しばらく経ってからだった。
何かを問われている気もしたし、何も求められていないようにも思えた。
どちらだとしても、答えは用意されていない。アスレイドはそれを、よく分かっている。
逆光に染まる鳥は、何も語らずアスレイドをじっと見つめている。それでも視線を逸らさなかったのは、逃げなかったからでも、向き合ったからでもない。ただ、そこに在ったからだ。
鳥は、しばらくして空に溶けるように姿を消した。
残されたのは、静けさだけだった。音がないのか。それとも、自分が聞かなかったのか。
その違いを確かめる必要は、もうなかった。
6
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