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麻里菜のことをよく知るための付随情報

02:居眠りはだらしない?(後編)

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 ガシャン!

 放課後、麻里菜が音楽室の隣の準備室に入ろうとすると、中から嫌な音が聞こえた。恐る恐るドアを開ける。
 こちらを見て高笑いする、同じパートの同級生。

「寝てるくせに 勉強できて、クラもうまく吹けますよ~って、調子乗ってるからこうなるんだよね~!」

 麻里菜は、バラバラに散乱しているクラリネットに思わず膝からくずおれる。

 落とされたのか、欠けてヒビが入ったマウスピース。とんでもない方向に曲がったキィ。ベルも曲がってしまい、これでは吹けないどころの話ではない。

 泣きたいのに、泣けない。声を出そうとしても、出ない。人って、本当に悲しいときは涙も声も出せなくなるんだな……。
 今日の朝練の時まで一緒に吹いていた相棒が、数時間後こんなことになるなんて。





 さっき高笑いした奴らが顧問から説教を受ける現場を、麻里菜はこっそり伺っていた。

「先生、わざとじゃないです! 小林さんのクラのケースと私のケースが似てるので、間違って開けちゃって、それで中身を落っことしちゃったんです!」

「なるほど。わざとではないんですね」
「はい。私の不注意です」

 え……? わざとじゃない?
 でも、さっきあんなにゲラゲラ笑ってたのに、わざとじゃないわけ……。

 麻里菜は隠れていた壁から飛び出した。

「先生、今不注意だったって言ってましたけど、あの状態のクラリネットを見た私に向かって、ゲラゲラ笑ってたんですよ。『寝てるくせに調子乗ってるから、こうなるんだよ』って」
「違います、先生! そんなこと言ってないです!」

 必死に麻里菜の主張を否定する。

「ゲラゲラ笑ってたのは、他の人としゃべって話が面白かったから笑ってただけですよ」
「そうだよ、麻里菜。勘違いしないでくれる?」

 挙句の果てに、向こうは開き直った。

「わざとやったのなら、親御さんを呼び出して弁償ということも考えましたが、わざとじゃないなら仕方ないですね」

 ……は?

「でも、先生! さっき『調子乗ってるから――」
「今日のうちに修理に出すので、小林さんは余ってるもので練習してください。でもマウスピースは新しく買うしかなさそうですし、曲がったベルも完全には……」

 いや、そういうことじゃなくて。

「先生、二人の言い分をそのまま鵜呑みにするんですか?」
 はっきりと、先生の方を見て言う麻里菜。

「……他に目撃者がいないので。いや、小林さんの主張を否定しているわけじゃないですよ」

 ああ、やっぱりこの顧問は最低だ。

「学校に行けなくなるくらいのことをされたことがあるのに、先生はそっち側なんですか!」

 感情的になり、麻里菜は涙目になった。

「そっち側って……。わざとやったか聞いてみても、してないって言われてしまえば言及できませんよ」

 そりゃあ、してないって言うに決まってるだろ。入部した時から「楽器は大切に扱う」「楽器をぶつけたら謝る」って、先輩からしつこく教育されたんだから。
 なるべく穏便に収めようとする顧問は、いつも加害者側についてしまう。





「あー、ビビったー! どうなるかヒヤヒヤしたよ!」
「まさか、私たちの言ったことそのまま信じちゃうなんてね!」
「麻里菜すごい必死だったよね! 面白かった!」

 地獄耳の麻里菜には、そんな会話も筒抜けである。
 ほら、わざとだったじゃねぇかよ。

 マウスピースは買い直し、ベルは結局直らずそこだけ交換。曲がったキィは何とか支障のないほどにまで直った。修理費用が莫大になったことは、言わんでもない。





 同級生からの信頼は顧問の髪より薄かったが、後輩からの信頼は厚かった。麻里菜以外は威圧的で怖く、近寄り難い雰囲気を醸し出している。が、麻里菜は能力関係なく平等に扱い、少しでも何かできるようになると、よく褒めていた。

 陰キャぼっちの麻里菜は『他人を褒める』ことが苦手だが、褒められて嬉しくない人などいない。
 自然と、後輩は麻里菜を慕うようになったのだ。

 クラリネットパートは代々、『先輩がすごく怖いから怒らせない様に注意した方がいいよ』と、他のパートからささやかれている。麻里菜はこの風潮を止めるべく、後輩を褒め、優しい先輩と言われるようにしてきた。

 先輩が怖いとストレスがたまり、いざ自分たちが先輩になった時、たまりにたまったストレスを後輩に吐き出していると考えているからだ。どこかで止めないと無限ループになると。
 麻里菜がパートリーダーになったのは、実力だけでなく、後輩からの人望もあったからであろう。

 しかし、クラリネットを壊されてから思うように吹けなくなってしまった。音色もどこか汚く、音の高さも合わせづらい。吹き心地もだいぶ変わっていた。

 顧問から、音色やピッチが合っていないと注意される度に悩んで睡眠不足となり、居眠りがより悪化し、陰口を言われ、麻里菜はうつ状態となってしまった。





 学校を何日か休み、全ての元凶である『生活リズムを整えても治らない居眠り』について調べるべく、麻里菜はついに病院に行った。

 検査してようやく判明した。麻里菜は別名『居眠り病』とも言われる『ナルコレプシー』という病気だったのだ。しかも『Ⅱ型』の、ただの居眠りと余計見分けがつきにくい方だったのである。

 幸い、授業で寝ていてもテストの点数と提出物で成績をつけてくれる学校だったので、授業態度として成績に響くことはなかった。担任や顧問にも診断結果を伝え、コミュ障で説明が下手な麻里菜は、資料も何枚か持っていって説明した。

「それで、これは治るものなんですか?」

 真っ先に、顧問がそんなことを聞いてきた。

「治るんだったら、小林さんはパートリーダーですし、早く治してもらいたいんですが」

 本当に何なの、この顧問。居眠りで悩んで二回も不登校になったヤツに言う言葉かよ。
 麻里菜は怒りを押し殺して説明する。

「ここに書いてある通り、根本的な治療法はなく、薬を飲み続けるしかないです」

 今度は担任が聞いてきた。

「その薬の副作用ってありますか。こちらも把握しておきたいので」

 担任はメモ用紙とペンを持っている。

「飲み始めてすぐは、頭痛や吐き気、動悸、食欲低下とかですね」
「なるほど。食欲ない時は、給食の量減らしてもいいからね」
「ありがとうございます」

 担任がまだこの学校ではマシな方でよかった。

 だが、時すでに遅し。今さら、同級生に病気だったと公表しても、今度は病人扱いされて虐げられることは分かっていた。
 麻里菜は諦めた。どうせ卒業まであと一年切ったし、我慢しようと。投薬を始めれば、居眠りが減って楽になるかもしれないから。





「麻里菜先輩、最近ソロの調子よくないですか?」
「そう言えばそうか。何だろ、自分に自信が持てるようになったとか。あと、修理した直後だったから、楽器のクセをつかむのに時間がかかっただけ」
「先輩の楽器が壊された時、ホントにどうなっちゃうんだろうって思いましたよ。先輩の隣で吹きたかったので」

 同じファーストの相棒の「先輩の隣で吹きたかった」の言葉に、麻里菜の目にこみ上げるものがあった。
 治療を始める前からそう思ってくれてたんだ。

「そうだったんだ……心配かけてごめん……」

 麻里菜は涙目で後輩の背中をトントンと叩いた。

「少なくとも二年生は、先輩のこと心配してましたよ。好きな先輩のクラリネットの音が変わっちゃってたんですもん。またあの音が復活してよかったです」

 その後輩の瞳は揺れることなく、まっすぐに麻里菜を見ている。ウソではないだろう。

 麻里菜は後輩を見ていられなくなり、目を背ける。
 心が折れても、麻里菜の涙は正直だった。というより涙もろい。『完璧な先輩』ではなく『時々弱みを見せる先輩』であったことも、麻里菜が人間的にも好かれた理由であった。


 ◇  ◆  ◇


 この中学三年間は『居眠り』に翻弄された日々だった。

「やる気がない」
「怒られてるのによく寝られるよね」
「みんな眠いの我慢してるのに」
「だらしない」
「どうせ夜更かししてるんでしょ」

 陰口なのか、聞こえるように言っているのかは分からないが。
 別に、寝てる人なんて放っておいてくれればいいのに。先生が起こしてくれるのは分かるけど。

 お医者さんから言われた。

「今までよく頑張ったね。今の状況から抜け出したいなら、高校は偏差値が高いところをおすすめするよ。頭のいい人は『他人をいじめることが時間の無駄だ』って考えるんだって。麻里菜ちゃんも頭いいからそう思うでしょ?」

 分かる。ものすごく分かる。
 バカな奴ほど他人をいじめたがるってことだよな。例外はあるけど。
 そういうわけで塾に行き始め、数学が四十九点から九十四点へと大幅に伸び、学年一位を取ったのである。

 麻里菜が人生をリセットしたかった理由は、『居眠り』でわざわざいじめてくる奴らから離れたかったからなのだ。
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