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第7話:規格外の事務能力

ルカ・ヴァイス商会での私の初日は、目も眩むような光景から始まった。

「ここが、今日から君の城だ。好きに使うといい」

ルカ様に案内されたのは、商会本部の三階にある、日当たりの良い広大な一室だった。
 そこには、バルサス邸の埃っぽい執務室とは比較にならないほどの最新設備が整えられていた。
 魔力伝導率の高い特殊な紙、書き続けても指が疲れない自動給墨式の羽根ペン、そして計算補助のための高価な魔導演算機アーティファクト

「……これほどまでの環境を整えていただけるとは」

「投資だよ、セリア。君の脳を事務作業の瑣末な不快感で汚したくない。君には、この商会のすべてを俯瞰し、不要な枝葉を切り落としてもらいたい」

ルカ様はそう言って短く笑うと、私のデスクに十数冊の分厚い帳簿を積み上げた。
 それは商会が十数年にわたって抱え込み、歴代の事務員たちが「解明不能」として匙を投げた不良債権デッドストックの記録だった。

私は静かに椅子に座り、深く呼吸を整える。

(演算開始。全感覚、情報処理に同期。……深層監査モード)

脳内で魔力がパチパチと音を立てて爆ぜる。
 私は山積みの帳簿の一番上に手を置いた。

めくる必要すらない。
 私の指先から浸透した魔力は、インクの染みをデータとして読み取り、脳内で立体的なフローチャート相関図を構成していく。

(……検知。七年前の港湾整備費、二パーセントの過剰請求。送り主は偽装されているけれど、この筆跡の癖と魔力波形は……王宮御用達の商人のものね)

不整合が次々と浮き彫りになる。
 それはまるで、複雑に絡み合った糸をで解いていくような快感だった。

部屋の外では、私を不信の目で見守っていた事務員たちが、隙間から中を窺っているのが分かった。
 「いくらなんでも、あれだけの量を一人でやるなんて」「どうせハッタリだろう」……そんな声が聞こえてくる。

私は無言のまま、ペンを走らせた。
 空中に浮かぶ魔力文字をそのまま紙へと叩きつけ、不整合の箇所に論理爆弾ロジックボム……真実を暴くための注釈を次々と書き加えていく。

数時間後。
 私が執務室の扉を開けると、そこには廊下を通りかかったルカ様と、呆然と立ち尽くす数十人の事務員がいた。

「終わりましたわ、ルカ様。こちらが精査済みの報告書です」

「……終わった?もうか?」

ルカ様が手渡された書類に目を通した瞬間、廊下の空気が凍りついた。

「なんだ……これは。不明金の一円単位まで追跡されている。それどころか、十年前に時効だと思われていた横領の証拠まで……。おい、管理長!すぐにこれを確認しろ!」

慌てて駆け寄った管理長が、書類を奪い取るようにして眺め、やがてその場に膝をついた。

「信じられない……。我々が数年かけても見つけられなかった不整合が、たった数時間で、しかも完璧な裏付けと共に……。彼女は、人間ではないのか……?」

事務員たちの間に、戦慄と畏怖が広がっていく。
 蔑みの視線は、瞬く間に「自分たちとは次元が違う存在」への敬意へと塗り替えられていった。

「……『数字の魔女』だ」

誰かが小さく呟いたその呼び名は、瞬く間に商会中に広まっていった。
 けれど、私にとっては当然の結果でしかなかった。
 これまでバルサス家という不毛の地で、私はこの魔法を独りで研ぎ澄ませてきたのだから。

私はルカ様に向き直り、静かに告げた。

「ルカ様、これらの不良債権を整理した結果、一つ分かったことがあります。……この街の物流が僅かに滞っている原因。それは、単なる管理ミスではありません」

私は地図の一点を指差した。

「王宮の関係者が、意図的に流通を操作して裏金を捻出しています。これは商会だけの問題ではなく、この国の経済構造ストラクチャそのものに仕掛けられた毒ですわ」

ルカ様の瞳が、鋭く細められた。
 彼は私の肩に手を置き、確信に満ちた声で囁いた。

「それを突き止めたのは、君が初めてだ、セリア。……やはり、私の目に狂いはなかった」

かつてバルサス家で、私は「無能」と罵られ、存在を否定されていた。
 「お前などいなくても家は回る」と夫に言われ、居場所を失った。

けれど今、私の目の前には、私の言葉を、私の魔法を、心から待ち望んでいるがいる。

「セリア、君に正式な依頼だ。商会だけでなく、この街……いや、王国の腐った膿を、その演算魔法で徹底的に洗い出してほしい。君が望むなら、私は王をも敵に回す準備ができている」

「ふふ……随分と物騒な勧誘ですのね」

私は微笑んだ。
 それは、バルサス邸では決して見せることのなかった、誇り高き魔法使いとしての微笑みだった。

私が私の価値を証明するたび、遠く離れたバルサス領の崩壊は加速していく。
 私が魔法で繋ぎ止めていた、あの領地の僅かな「均衡」が、今この瞬間も音を立てて崩れているのを、私の演算魔法は遠隔で検知していた。

「喜んで。私を蔑んだ者たちへの、これが最高のお返しになりますわ」

私は新しい羽根ペンを手に取った。
 今度の仕事は、ただの事務作業ではない。
 私の新しい人生を、そしてこの街の未来を書き換えるための聖戦だ。

執務室の窓から見える夕日は、燃えるような赤色をしていた。
 それは、私の胸の内に灯った情熱の色と同じだった。
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