獣ノ記(ケダモノノキ)

魚矢 羊

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虎視眈々

第一話 巨大虎、現る

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 午後。帰りのホームルームは足早に済まされ、俺はそそくさと教室を出ようとしていた。嫌な予感がしたからである。
「おーい、桐林」
教室を出るすんでのところで呼び止められる。やっぱりか。
「ちょっと俺、予定あるからさ。教室掃除変わりにやっといてくれよ。頼む」
クラスのガキ大将的存在である二階堂だった。二階堂 博太。彼に頼まれた以上、断るわけにはいかなかった。
「あっ、いいよ」
「おーそれでこそ、親友だ!じゃあ、頼むな」
そう言って二階堂は鞄片手に教室を出ていった。
ツイてない。思えば、最近は不幸続きだ。課題の提出を忘れたり、何もない道で転んだり、スマホをトイレに落としたり…。 
 教室には、まだ数人の生徒が残っていた。だが、掃除当番であるはずの生徒は帰ってしまっていた。いわゆるサボりというやつだ。たった一人で掃除か…。渋々掃除ロッカーを開けると、中からほうきが飛び出してきた。受け止めきれず、ほうきたちは俺の頭に向かって突進してきた。大して痛くはないものの、恥ずかしさの余り周りを見回す。幸い、俺に目を向けている生徒は誰一人としていなかった。
 教室に残っている大半は女子で、会話に花咲かせている。だが、たった一人、窓際に座って本を読んでいる女子を発見する。御法川美麻。今年の春に、都市部からこの田舎町に越してきた転校生だ。彼女は今、虐めのターゲットにされている。虐めと言っても、そこまで過激ではなく、あくまで仲間外れにされる程度だ。それも、収束しつつあった。そして、また違う生徒がターゲットにされる。この中学ではよくある事だ。この学年の主導権が二階堂にある限り、虐めは続いていくのだろう。気の毒だが、仕方がない。そう割り切るしかないのだ。俺は、それを止める術も勇気も持ち合わせていないのだから。

 俺が下校する頃には、廊下の窓からオレンジ色の夕日が差し込んでいた。教室の掃除が終わるや否や担任の渡辺に呼び止められ、配布物の整理などの雑務を手伝わされて結局こんな時間になってしまった。本当にツイていない。肩を落としながら上履きを脱ぎ、靴を取り出そうと下駄箱に手を伸ばす。
「なあ、いいだろう?」
静まり返った学校の玄関で声がした、様な気がした。というのも、忍び声であった為、はっきりとは聞こえなかったのだ。
「これまでみたいな酷いことはしないからさ」
教職員用の下駄箱の辺りから聞こえてくる声。聞き覚えがあるというか、完全に二階堂の声であった。ここで何をしているのだろうか。興味本位で俺は聞き耳を立てた。
「いや!離して!」
女子の叫び声。だが、誰なのかは分からなかった。まあ、無理もない。何故なら、他学年の女子は愚か、クラス内の女子とも真面に会話したことが無い。この2年間。
悲しい現実に浸っていると、今度は衣服が激しく擦れる音が聞こえてくる。何が行われているのか、下駄箱が邪魔で分からない。突然、ピシャリという甲高い音が静まり返った校内に響き渡った。
「痛ってぇなぁ」
その言葉から、平手打ちを受けたのは二階堂だという事が分かる。今や校内で一番恐れられている存在である彼に平手打ちとは。相手は一体…。
 平手打ちを食らわせるや否や両手で鞄を抱え、一目散に逃げだした。黒いウェリントン眼鏡をかけ、髪はショートボブ。先程まで教室で本を読んでいた御法川だ。全く状況が掴めない。すでに帰った筈の二階堂が何故こんなところに?彼は、御法川を追うこともせず、ただその場に立ち尽くしているようだった。そして、舌打ちをすると一人こう呟いた。
「必ず手に入れてやる」

 今日の夕焼けは、極めて不気味である。空は仄かに赤みを帯び、雲は薄紫色に染まっている。そんな空の下を歩いていると、魔界に迷い込んでしまったのではないかと思わず錯覚してしまう。はぁ。全く、中二病もここまでくると手が付けられない。
 帰路に近づくころには、辺りは薄暗い闇に包まれていた。歩いていると、俺が幼少期によく遊んでいた小さな公園に差し掛かる。公園の遊具は殆ど錆びており、通り過ぎる度に憂鬱な気持ちに苛まれる。久しぶりにブランコに揺られようと、俺は閑散とした公園に入る。薄暗くてよく見えなかったが、ブランコには先客がいるようだった。
「御法川…」
うちの中学の制服と、特徴的な眼鏡ですぐに分かった。御法川は、うつむきながらぽたぽたと涙を零していた。
「止めて!来ないで!!」
俺を見るなり、彼女はヒステリックを起こした。俺の心に軽くヒビが入る。
「やっぱり、貴方も——。もう嫌…」
「貴方もって——どういう意味だよ」
俺は突如として女子に拒絶されたことに動揺を隠せず、思わず声が震えた。彼女は立ち上がると、俺の問い答えず去ってしまった。
「何なんだ、あの女」

 それから一夜明けて、俺は相変わらずノロノロと、学校へ行くため身支度をしていた。朝は気が重い。俺は、制服のボタンを付けながら昨日の出来事を思い出していた。御法川は恐らく、ただでは済まないだろう。しかし、彼女が公園でとったあの態度。ほぼ初対面の俺を本気で拒絶していた。男性恐怖症なのだろうか。それとも、純粋に俺の事が嫌いなのだろうか。

 教室の引き戸は立て付けが悪く、片手で開けるのは困難だった。俺は両手で力一杯スライドさせると、ものすごい音と共に扉が開いた。
「おはよう。桐林」
挨拶をしたのは二階堂だった。教室の空気は殺伐としていて、生徒達は声を細めて会話をしていた。
「あっ、おはよう」
戸惑いつつ返答する。状況を把握しようと、教室中を見回す。すると、鼻を啜りながら、雑巾で自分の机を拭いている御法川の姿が目に入った。机上をよく見ると、黒色のマッキーで「死ね」、「ブス」、「学校来るな」など悪口で敷き詰められていた。幾ら拭いても文字は消えない。きっと油性ペンなのだろう。その姿を見て、二階堂の仲間数人はゲラゲラと笑っていた。それでも必死に、彼女は机を拭き続ける。鼻を啜る音は次第に大きくなっていく。
 可哀そうだ。折角、虐めが収束してきたというのに。そう思いながら、席に着いた。
「油性は水じゃ落ちねーよ。馬鹿だなぁ。あいつ」
仲間の一人である清田が手を叩きながら笑う。
他人事だと俺は割り切る。それでも心は正直で、モヤモヤとした気持ちは治まらない。結局、成す術なく、机に突っ伏した。
それから約五分後。担任の渡辺が教室に入ってきた。今年で定年退職する頭が剥げ散らかっている化学教師だ。
「せんせー。御法川さんが自分の机に落書きしてるんですけど。油性のマッキーで」
二階堂が言う。その後ろで仲間が腹を抱えて笑っている。
「そうか…。まあ、後でエタノールを貸してやるから、それで拭け」
渡辺はろくに彼女の方を見ようともしない。目を逸らしていた。面倒ごとをできるだけ避けたいのだ。教師失格だと誰もそう思っているのだろう。だが、それを口に出せる者などここには一人もいない。教師や生徒でさえも、二階堂には逆らえない。逆らおうとしないと言った方が適切だろうか。とにかく、それ程にまでに彼は絶対的なオーラを放っていた。絶対王政。そんな彼の敵意は、完全に御法川に向いている。にしても、やり過ぎだ。収束するどころか、ますます悪化している。
 頭では分かっている。二階堂に敵う訳がないと。そう自らの本能を宥めようとするほど、彼を許せなくなる気持ちは強まっていく。我慢の限界だ。俺は本能のままに椅子を引いて立ち上がった。
「どうした?桐林」
渡辺の言葉と共にクラス中の目がこちらに向けられる。しかし、ここで二階堂と教師の渡辺に反抗したってやはり、勝ち目なんてない。
「いや、何でもないです」
反射的にそう言った。惨めな限りである。小さくため息を吐きながら席に着く。何をしているんだ俺は。
青空に浮かぶ太陽は、俺を嘲笑うかのようにギラギラと光り輝いている。雨が多いこの梅雨の季節に、珍しい晴れ間であった。落胆しながら窓の外を見ていると、一瞬、白い物体が横切った。大きな目の上には尖った耳の様なものが付いていて、翼などが生えていないにも関わらず、不自然に浮遊していた。そんな不可思議な事が起きたにも関わらず、俺以外のクラス中の誰一人としてそれを気に留める者はいなかった。渡辺は気だるそうにホームルームを続けた。

自分の無力さと不甲斐なさを噛みしめながら放課後を向かえた。俺は、友人の嘉戸に誘われ二人で下校した。嘉戸は情報通で、クラス内の恋愛事情や噂などをよく教えてくれる。道中、二階堂と御法川の関係について聞いてみたが、嘉戸でさえもよく知らないようだった。俺は別れ際に、彼から不思議な噂を聞いた。
「そういえばさ、知ってるか?黒安神社の噂」
「何それ」
「近頃、大きなトラが黒安神社を出入りしているっていう噂だよ。中には、襲われた人もいるとかで」
黒安神社は奏山町の南東に位置する古い神社で、動物の霊を供養するために建てられたと聞いたことがある。
「まさか動物園から逃げ出したのか?」
「いや、聞いた話によると、その虎、幽霊みたいに半透明だったらしい。目撃者もいるから信憑性高いぜ」
「ふーん」
「信じてないだろ?」
「まあな」
奏山町では今朝の様な不可解な現象が多々起きるらしい。UFOやUMA、超常現象を一目見ようと、全国から観光客が集まる。しかし、どうしても俺はそういう類の噂を信じられない。今朝の出来事は一瞬だった為、自分の気のせいであると考えてしまうのだ。
 嘉戸は俺に黒安神社へ行くことを強く勧めた。結局、俺は根負けして彼と別れた後、仕方なく神社へと向かった。どうせ何もいやしないのだ。そうなれば、彼をオカルトマニアだとからかってやろう。
黒安神社の前まで着くと、重々しく異様な空気を感じた。あまりの不気味さに浮足立ってしまい引き返そうとするが、ここで逃げてしまっては嘉戸に合わせる顔がない。俺はやや色の禿げた赤い鳥居をくぐると、果てしなく続く長い石段を一歩一歩確実に登っていった。
「さあ、こっちだ…こっち」
石段の三分の一を上り切った頃、本殿の方からその声は聞こえた。どうせ、すでに先客がいるのだ。心にそう言い聞かせながら上を目指す。息を切らし、やっとの思いで石段を登りきると、古めかしくも立派な本殿が目の前に現れた。だが、周囲には人っ子一人居なかった。そして、本殿の前に置かれた賽銭箱の上には、何故か白い招き猫が無造作に置かれていた。
 こんなところに招き猫?誰かの忘れ物だろうか。疑問に思い、賽銭箱に近づく。そして、招き猫に手を掛けようとしたまさにその時、今までただ前を見つめていた両目がギョロっと視線を変えて、俺を睨み始める。驚きの余り、俺は手を引っ込めた。
「奇遇じゃのう。まさかお主から、出向いてくれるとは」
置物であるはずの招き猫が口を開き、挙句の果てには浮遊し始めた。先ほど聞いた声とそっくりである。俺は摩訶不思議な光景に暫く言葉を失った。
「招き猫が…しゃべった?」
右手で小判を持ち、左手を挙げている何の変哲もない白い招き猫だ。だが、一つ違う所は小判には何の文字も書かれていないということだ。気のせいでは説明がつかない状況に思わず息を飲んだ。すると、真上から強い殺気を感じた。
「グウウウウォォォーン!!」
見上げると、本殿の屋根には巨大な猛獣がこちらに牙を向け、俺を睨みつけながら威嚇の体制をとっていた。猛獣は屋根から飛び上がると、俺の目の前で着地した。獣の正体は黒い縦縞模様が特徴的な巨大虎。嘉戸が言っていたのはこれか。虎は、直立二足歩行で俺に近づいてくる。物凄い形相をして。自分の身長の倍近い猛獣に俺はただ圧倒され、立ち尽くした。
第二話へ続く
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