令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

文字の大きさ
16 / 35

第10話 闇の執事

しおりを挟む

 夢だ――と分かっているのに、全身を焦燥感が襲う。


「あなたは誰――?」


 午後の眩しい日差しの中、とりどりの花がむせ返るように咲き乱れた中庭の、奥のまた奥にある東屋――。

 軒下の薄い帳からまだどこか幼い、しかし随分大人びた目をした白銀の少女が現れる。
 精霊に見初められた天からの預かり物――本当にその形容句そのままの少女が、琥珀色に虹を通したような不可思議な色の眼を向けてくるのだ。

 令嬢と口をきいてはならぬこと。訊かれたら答えねばならぬこと、喉の奥に引っかかって言葉が出ないこと、どれもがせめぎ合い、何一つ答えられない。

 ただただ焦燥感に苛まれ、最後にその手元の白い花を見た。

 逃げるように踵を返せば目の前に大きな海が広がり、空には一等星が輝いて自分を手招いている。しかし白波に一歩踏み出そうとすればそこは一瞬にして強い風の吹きすさぶ崖の上へと変わり、海も星も遠く厚い雲に隠れていく。



 カーテンの隙間から朝焼けの光が差しこんでいた。

 朝鳥のさえずりにシドは薄っすらと目を覚ました。しかし、まだ時間ではないと気付いて一つ嘆息し、シーツに顔を埋める。

 上級使用人の個室はそれなりに広く、ベッドも質の悪い物ではない。
 以前はバゼルが使っていた部屋だそうだから普段は割とよく眠れていたのだが、最近やけに寝起きが悪い。
 きっとこの間フィリアが口にした言葉が原因だ。
 黒髪の騎士が気になっていると言いながら、彼女はなぜあんな風に上気した表情を自分へ向けてきたのだろう。白銀の令嬢は、気の迷いだとしても罪深い。

 従僕のノックで身を起こし、用意された紅茶で一息ついてから執事服に着替えると、すぐに部屋を出て一日が始まった。

 朝食を兼ねた朝礼では、侯爵の侍従であるモアを筆頭に、候爵夫人の侍女リギア、女中長のエリス、フィリア付きのミーナ、そして執事補佐のノイグへ前日に秘書官から下りてきたスケジュールを渡して仕事を確認しあった。

 それを終えると、月末のこの日は食料の備蓄庫へ向かった。
 小麦や干し肉などの備蓄食料は思いのほか少なく、初めの頃は不正でも行われているのかと訝しんだものだが、確認したところ最後の戦が終わってから久しい近年では、候爵は無駄に蓄えることなく食料が領民へ広く渡るように計らっているのだと言う。

 倉庫番と監察官が定期的に数を数え、領地を回る土地の監督官たちが帳簿を確認し、その上で執事が再確認するのだから不正のしようがない。
 それだけでも侯爵の周到さを感じるが、候爵本人も時間さえあれば領地を回って農村や街の様子を確認し、災害の一つでもあればすぐにどこに何を用意させられるかを知っているというのだから、いかに現在のオリーズ候が領主として優れているかが分かる。

 そういえば使用人として田舎屋敷を転々としていた頃に、様々な場所へオリーズ候が現れていたことを思い出す。
 悪名高い数代前のオリーズ候との約定により強制的に忠誠を誓わされている身の上ではあるが、現代のオリーズ候が聡明であることには感謝しかない。


 赤絨毯の敷かれた廊下に白く透き通った昼の日差しが落ちている。

 シドが侯爵の部屋へ向かって歩いていると、侍女や数人の護衛を引き連れたフィリアとすれ違った。
 肩口の開いた黄色の社交用ドレスに白地のコートを羽織り、髪は丁寧に編みこんで結い上げられ、唇には普段より分かりやすく濃い紅が施されている。

 彼女は、月に一度、王都で開かれる舞踏会へ出かけて行く。
 名目は誰かの誕生日だの騎士達の昇格祝いだの様々だが、フィリアの親にしてみれば結婚相手を検討させる為の恰好の見合いだ。

 会場には美しいフィリアを射止める為に大勢の貴族連中が集うことだろう。
 例え本人が行きたくないと言っても、候爵から命令を受けている従者達がそれを許さない。だから折角の外出だというのに、いつもふてくされて参加しているのだと、休憩室でミーナが愚痴をこぼしていた。

 シドが廊下の脇に立ち、左手を腹へ当てて一礼すると彼女は微笑を返して通過して行った。

 薄紅に染まった頬や淡い琥珀色の不可思議な瞳は、以前よりずっと女らしくなった。
 候女の様子がおかしいことに、シドはなんとなく気付いていた。始めは勘違いかとも思ったが、自分に向ける眼差しが、どうにも一使用人に向けるそれではないのだ。

 これまで他家の屋敷でも令嬢に気に入られることはよくあった。
 腐ったような目をして与えられた仕事を遂行しているだけの自分のどこが良いのか、と、彼には皆目見当もついていないが、なぜか令嬢から言い寄られることは多い。
 遊び半分の娘たちを相手にその気になる訳にもいかず、毎回のらりくらりとかわしてきた彼であったが、今回ばかりはさすがに動揺していた。
 相手は自分が忠誠を誓っているオリーズ家の候爵令嬢――フィリア・オーウェンだ。例え遊び半分だとしても、まかり間違って迫られでもしたらどう回避すればよいのか……。

 彼女は知らないのだ。暗闇の書庫へ呼び出される度、あの潤んだ瞳で見つめられる度、執事の張り巡らしてきたバリケードが一つ一つ剥がれていくことを。


 執事室は城の北一階にあった。
 事務仕事用の部屋で、大きな窓の前に執務机がニ台、それから応接のソファテーブルが整然と置かれているだけの場所だ。

 部屋へ入ると執事補佐のノイグが革張りの椅子に背中を押し付けて疲れを取っているところだった。
 補佐の仕事は主に書類の作成や候爵へ来た瑣末な書簡への返答である。
 壮齢の彼は今日ものっぺりとした顔でふぅと息を吐き、席へつこうとしたシドに書類を一枚差し出した。

「シド殿、先ほど秘書官が来られまして、候爵の大まかなスケジュールを置いて行かれました。どうも再来週は、ご家族の来客が十四件を越える見込みです」
「十四件……多いですね」
「候爵の来客数が多いのでシド殿にとっては多忙なことになりそうですが、重ねてフィリアお嬢様の来客も三件あります。内ニ件が同年代のご友人ですので私の応対でよろしいかと思いますが、一人、金曜日に男性のご予定がありまして……」
「男性……」

 渡された書類を見ると、一人だけ男の名で『マーナル伯爵家 ブリュリーズ・オランヴィス』と記されている。

「……、これは?」
「何も記載はありませんが、賓客扱いですのでフィリアお嬢様のお相手になる候補者だと思われます。ですのでこちらはシド殿の応対になるかと。王都にお住まいだそうですから日帰りなのは助かりますが、この忙しい時に厄介なことです」
「…………」
「奥様の方からお二人で軽いアフタヌーンティーをと指示が入っておりますので、料理人への手配も必要になるかと思います」
「分かりました。それはこちらで手配しておきます。ただ、ノイグ殿……」
「なんでございましょう?」

 シドは自分の机へ向かいながら歯切れ悪く言葉を選んだ。

「その客の応対も貴方にお願いできませんか」
「……おや、なぜでしょう」
「いえ……その日は、確か午前中に候爵の会議が入っていたような」
「それは来年の開発地域への投資予算を詰める会議ですからそれほど長引かないでしょう。そこに書かれておりますが、奥様からフォーマルなおもてなしをと重々釘が刺されておりますので、そちらはシド殿でなければならないかと」
「なるほど……」

 椅子に腰掛け、額に手を当てながら物思うように書類に目を通し始めたシドの横顔に、ノイグは口元に皺を寄せて微笑した。

「珍しいですね、あなたが賓客対応の交代を言い出すなど」
「いえ……、少し疲れましてね……」
「はっはっ、まだお若いのに何をおっしゃるやら。アイボット家の名が泣きますよ」
「はは……そうですね」
「ああ、そういえば――」

 ノイグは両肘を机に付き、指を組んで顎を乗せた。口元は微笑したままだ。

「そんな貴方に面白い事を教えましょう。この間、侍女のミーナがアイボット家について嗅ぎ回っておりましたよ。やれ、貴方の先祖は王族なのかとか、どんな歴史があるのかとか……フィリアお嬢様に頼まれたのでしょうな。お嬢様が貴方に興味を持たれているのは城内であればもはや誰もが知っていることです」
「……、はぁ、そうですか……」
「貴方は王族の血筋だと、知っていることは全部話しておきました。しかし使用人に心惹かれるとはお嬢様も困ったものだ。あの様子なら簡単に手玉にとれそうですな。侯爵に知れれば命はないが」
「……滅多なことを言わないでください」
「これは失礼、口が過ぎましたな」

 含むようにはっはっと笑ったノイグに、シドは小さく溜息を吐くと再び書類に目を通し始めた。
 そういえばこの間、自分の祖先が王族かどうかをフィリアが聞きだそうとしていた。それを知って何になるというのか。亡国の王の血筋だからといって今さら何の意味もありはしないのに。

 しばらくして再び立ち上がり、足早に出入り口へ向かってドアを開けた。

「どちらへ?」
「ワイナリーへ。今週の在庫調査がまだですので」



 フィリアはアイボット家とサイガド国の関係を知っていた。いずれシドの嘘にも気付いてしまうだろう。
 彼は確かにフィリアを謀っている。
 あの時暴漢から彼女を救ったのは彼であるし、当然あの書簡の文字がオリーズ家に滅ぼされた亡国のものだと知っている。といっても、知っているというだけで、何が書かれているかは一見しただけでは分からなかった。なぜならあれは子供の頃にバゼルから遊びで教わった文字だからだ。

 最初にフィリアから書簡を見せられた時、目の錯覚かと思った。なぜそんな怪しい物がそこにあるのかと、一体何が書かれているのかと、瞬時に判断できず知らない振りを装ってしまった――と同時に、名乗り出ることもできなくなった。
 恐らく、あれは瀕死のバゼルがシドに渡そうとしたのを、気付かずに取り落とした物なのだ。

 バゼルがなぜあんな怪しげな物を持ち歩いていたのかは分からないが、いつかフィリアに真実を暴かれる時、その内容を解読することができるのかもしれない。
 しかし、それは二人の時間の終わりを意味するのだと、彼だけが知っていた。


(運命の人……か……)

 シドははき捨てるように溜息をついた。

 居住棟地下の、使用人では執事だけが入ることを許されているワイナリー。
 石壁で覆われた薄暗い内部は書庫と同じだが、ランタンを掲げれば最奥の棚が視認できる程度に狭い。

 ここで今日も、ワインボトルの数を数えている。
 壁際に並べられた大量のボトルの中では、シドと同じ歳頃の――稀有な上物とされた年代の――赤ワインが灯りを受けて揺らめいている。

 いっそ飲み明かして打ち首にでもなろうか。

 そんなことを考え、ふんと鼻を鳴らして笑った。

 フィリアは黒髪の騎士を運命の相手だと思っているらしい。聞いた時は思わず自嘲しそうになった。
 今さら名乗り出たところで二人の時間は終わってしまう。名乗り出ずとも終わってしまうが……。

 恐らく、彼女は黒髪の騎士の正体を突き止めた後、すでに婚約者候補として選ばれているという三人と合わせて選り好むつもりなのだろう。
 しかしそれは時間の無駄でしかない。捜し求めている男の正体が身分のない大ぼら吹きの使用人だと知ったらどれだけ気落ちするだろうか。想像するだけで罪悪感に押し潰されてしまいそうだ。

 全てが明るみになればフィリアは恐らく自分を許さないだろうとシドは思う。
 なにせ、婚期が遅れていくことを知っていて、自分は彼女を謀り続けているのだから。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!! お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。 皆様、お気に入り登録ありがとうございました。 現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。 辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

【完結】転生したらラスボスの毒継母でした!

白雨 音
恋愛
妹シャルリーヌに裕福な辺境伯から結婚の打診があったと知り、アマンディーヌはシャルリーヌと入れ替わろうと画策する。 辺境伯からは「息子の為の白い結婚、いずれ解消する」と宣言されるが、アマンディーヌにとっても都合が良かった。「辺境伯の財で派手に遊び暮らせるなんて最高!」義理の息子など放置して遊び歩く気満々だったが、義理の息子に会った瞬間、卒倒した。 夢の中、前世で読んだ小説を思い出し、義理の息子は将来世界を破滅させようとするラスボスで、自分はその一因を作った毒継母だと知った。破滅もだが、何より自分の死の回避の為に、義理の息子を真っ当な人間に育てようと誓ったアマンディーヌの奮闘☆  異世界転生、家族愛、恋愛☆ 短めの長編(全二十一話です) 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、いいね、ありがとうございます☆ 

処理中です...