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10・番外編 昔話をすこしだけ

一時外泊1

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「こ、この車椅子って」

「買った」

もー!!  すぐ買っちゃうんだからっ!!
病棟で乗っているものより、ずいぶんと乗り心地が良い。さぞかし高いのを買っちゃったんだろうな。乗るの、あと数回なんじゃない?
俺がわなわなしているのを察したケントさんが、
「経済回してやってるんだ」
と弁解した。



駐車場までの距離は長く、車椅子に乗ってて良かったと安堵した。まだ支えなしの歩行には幾ばくの不安があった。

「日中1人になるから、しばらく入院でいいよな?」

ケントさんが車内で、確認してくれた。
高校を中退した俺は、退院したら部屋で1人で過ごさなければならない。
ケントさんちで、ケントさんのいない昼間。
想像しただけでゾッとした。

「うん、まだ怖いかも」

ケントさんは優しく頭を撫でてくれた。





玄関を開けると、ケントさんちの匂いがした。

「ケントさんちの匂いだあ~♡」

すうーと深呼吸する。
靴を脱ぐのを手伝ってくれるかと思ったら、そのまま抱えてくれた。

「え、あ、あ……」

リビングに入り、そのままいつものL字型ソファに横たわらせてくれた。

見つめる俺に気づいて、ケントさんは軽くキスをしてくれた。

「疲れただろ。なにか食べるか?」

途中で寄ったコンビニで、ケントさんは色々買ってくれてた。スパウトパウチのゼリーもある。一度、おいしかったと話した。それを覚えててくれたんだ。
おいしそうなロールケーキがあったので、それを指さす。
「これ、食べていい?」

「いいよ」

ペットボトルのお茶とロールケーキをローテーブルに置いて、残りを冷蔵庫にしまう。
「冷蔵庫にあるもの、どれでも食べていいんだからな」
と一言つけ加えながら。

「あー!!  野菜室、ヤバい」

珍しくケントさんが声を荒げる。

3、4ヶ月、ほとんど家で作ってなかったのだろう。どろどろに腐った野菜を想像して同情した。
掃除するかなと思ったけど、ケントさんはケトルでお湯を沸かし、コーヒーを淹れた。
俺との時間を優先してくれたらしい。

なんだか、以前よりずっと優しいな。

俺、お風呂入ってないけど先にくつろいでて良かったのかな。

「ケントさん、俺、お風呂入ろうか?」

「え?」
コーヒーを飲みながら、ケントさんは驚いた顔をした。

あ、セックスの準備ってとらえたかな?  えーと、えーと。

「い、いつも俺、ケントさんちに来たらお風呂でしょ?」
しどろもどろに答える。

「ああ……あー」
ケントさんは言葉に詰まっていた。

「その……あまねが汚いと思ってたわけじゃないからな?  先に風呂終わらせたら、ゆっくりできるだろ。今日はあとでいっしょに入ろう」

「うん」
ケントさんが言葉を選んで答えてくれたのは申し訳なかったけど、でも嬉しかった。

初めて食べたそのロールケーキはモチモチしておいしかった。
いつものコンビニと違うと品揃え違うんだなあ。








しばらくリビングでおしゃべりをしたあと、ケントさんに支えられながら浴室へと向かった。
買ってもらったシャツを脱がせてもらい、手術痕があらわになると、ゆっくりと撫でてくれた。
「キレイに治ってきてるな」

「そう?」

ろっ骨が肺に刺さり、たまたま搬送された病院が縫合の得意な先生だったらしく、ひきつれも目立たない傷痕にケントさんは感心していた。


そんな俺を、ケントさんは抱えてドボンと浴槽に入れた。

「えっ洗ってな……ああ」
驚いてとっさに声を発したが、意図がわかって俺はクスクスと笑った。

「ねえ、ケントさん。さっきめちゃくちゃ気を使った言い方したけど、昔バイト帰りにこの家に初めてお邪魔した時、俺が服着替えてなかったから汚いって思ったでしょ?」

cafeリコでケントさんに殴られ、床に転がされた時。俺は着替えずにその服のままだった。いちいちバイトに来る時に違う服を着ていかないのは洗濯物を増やしたくないからと、そんなに服を持ってなかったからだ。
ケントさんはそれに気づいて、よく服やらバッグを与えてくれている。
詳しく身の上話をしちゃったから、悪いと思ってるんだろうな。


「俺、今さら気にしてないから、汚いなら汚いって言ってよ~。俺が眠っている間、病棟で清拭してくれたのケントさんなんでしょ。ほんとは看護師さんとかヘルパーさんがするのに、ケントさんが何枚もタオル使って念入りに拭いてたって、俺聞いたよ?」
普通1人の患者さんに2枚しか渡さないタオルを、ケントさんは権力を駆使して何枚も使ったと聞いた。

「~~~ごめん」

「ケントさんがキレイ好きなのは知ってるから。今日はふやかして、ごっしごし念入りに洗うつもりなんでしょ」

ニヤニヤと笑って俺はケントさんに言ってやった。

「あーそうだよ。悪かったな。あんな洗い方で汚れ取れるわけないだろ」

「ケントさんの本音、嬉しいよー。じゃあ俺の身体、キレイに洗ってね?」

「ああ」

ケントさんは洗い場の椅子に座らせると、耳の中や指の間までめちゃくちゃ念入りに洗ってくれた。

それから、ケントさんはバスタオルで優しく拭いてくれたので、俺も一つ告白する。

「髪を拭かない癖はね、タオルが使えなかったから」
昨日聞かれたことの返事をしてあげた。

あの家で、部屋は与えられたものの、冷蔵庫の物を食べると怒られるしタオルを使うことも嫌がられた。自分の小さなハンドタオルで、拭いていた。

「寮に入って、タオルも買ったんだけど……つい拭かないでいると、色んな人がお世話してくれてさ。それが嬉しくて、いつも拭かなかった」

記憶の上書きができない俺は、髪を拭かないという行為は誰かに拭かせるためなのだと、シフトチェンジしたかった。

「ケントさんにこうやって拭いてもらえるの、すごく幸せ」

俺はにこりと微笑んだ。

「……話してくれて、ありがとな」

ケントさんは慈しむように、頭にキスを落としてくれた。

「あ、ケントさん~ナカ洗わなくていいの?」

「……お前ヤりたいの?」

「……ケントさん大丈夫なの?」

あんなに激しく求められていた日々が嘘みたいに、今日は優しいから。これで本当にいいのかなって。不安になった。

「……堂本コーチのこと、ごめんなさい」

森内くんの時にケンカしたのに、俺はまた同じことをしてしまった。しかも、当初は顔を隠した動画をアップするつもりで内緒にしておこうと思ってた。

「あー、それな。涼に、めちゃくちゃ怒って殴った」

「うそっ?!」

俺が巻き込んだのに、涼くん代わりに殴られちゃったんだ。あとで謝らなきゃ。

「お仕置きされると思ったか?」

「……しないの?」

「オレの裸見ても、お前のチンコ萎えたままだったぞ。まだそういう気分じゃないんだろ?」

「ケントさん~」

俺はまだ服を着ていないケントさんに抱きついた。

「今のあまねは、赤ん坊みたいだ。純真無垢な感じ。……大事にするから、ずっとそばにいてくれ」

そう言って、ケントさんは優しく抱き返してくれた。








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