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10.強風
キャンプ場からパパの運転で帰宅している途中、ついに昴兄ちゃんが口を開いた。どうやら、ママが助手席で居眠りをし始めたタイミングを狙っていたらしい。
「父さん。三津井先生の生首を、監視カメラを通さずに校庭に置く方法が分かったよ」
「え? 昴、いつの間に?」
「何、本当か? どうやったんだ?」
「とりあえずちゃんと前を向いて運転しようね。現役の警察官が交通事故を起こすなんて、あってはいけないから」
「それを言うなら、このタイミングで言うんじゃないわよ!」
家に帰ってからで良かったじゃない。むしろ昨日、川から上がってお風呂に入った後でも良かったじゃない!
「ただね、その方法を再現するには、ある条件が必要なんだよね。仮にその条件をクリアできたとしても、無事に再現できるかどうか、こればかりは実験してみないと分からない。まず家に帰って母さんと乃恵留を置いてから、ホームセンターに行こうか。いろいろと準備が必要だし」
「ちょっと、何あたしを置いていこうとしているの! あたしももちろん、ついていくわよ!」
それに殺人事件に関係していなくても、ホームセンターって、ちょっとワクワクする場所なのよね。男の子だったら、何歳になってもワクワクする場所だって聞いたことがあるわ。あたしは「れでぃ」だから男の子じゃないけれど。
「……それで、事件と同じ状況の日がついにやってきたが。本当に大丈夫なのか?」
「分からないよ。だから実験が必要なんだってば」
「とりあえず、このトリックが使われたような跡はあったんだよね。テニスコートのネットをひっかけるポールに、何か細い糸でこすったような傷はあったし。しかも割と最近できたものっぽいし」
あたしと暁兄ちゃんと昴兄ちゃん、そしてパパは、緑が丘小学校の隣のテニスコートに来ていた。三津井が殺された日と同じくらいの強風の日に。そしてあの日と同じく、南から北に風が吹いていた。
運が良いのか、この日を待っていたら冬休みになっていたから、小学校の校庭には誰もいなかった。強風だからどちらにしても、誰も校庭を利用したりしないでしょうけど。
「これで実験に失敗したら、パパのお小遣いが、なかなか悲しいことになるんだが……」
ただでさえ、パパの新しいスーツを買ってあげられないほどの経済状況だ。ママは暁兄ちゃんと昴兄ちゃんが中学生になったらパートを始める予定だと言っていたけれど……あの天然な性格だもの。一日でクビになりそうだわ。
「その代わり成功したら、ホームセンターで買ったやつは、経費で落ちるんじゃない? それに事件を一つ解決したってことで、昇給できるかもしれないんだからいいじゃん。そしたら僕は、シュラスコ料理を食べに行きたいなあ」
昴兄ちゃんの頭には、事件解決の報酬としてシュラスコ料理店に連れてってもらえることしかないのね。ひょっとしてキャンプのとき、ニジマスを食べられなかったことを、まだ根に持っているのかしら。あと本当にシュラスコ料理店に行ったら、昴兄ちゃんは一発でそのお店を出禁になると思うわよ。
「父さん。昴のひらめいたトリックだけどさ、とりあえず理論上は可能みたいだよ。だから、もっとドッシリと構えていこうよ」
この中で一番、実験が成功すると確信しているのは、暁兄ちゃんだった。弟のことを信じる兄、素晴らしい兄弟愛だわ。
「理論上は可能って、何でそう言い切れるんだ?」
「チャットAIに聞いたから。計算式の辺りは、さすがに小学生の俺には分からなかったけど」
昴兄ちゃんのことを信じたんじゃなくて、人間が作り出した技術を信じていただけだったのね。今どきの子供らしい回答だわ。どうかハルシネーションを起こしていませんように。
「あとな、さすがに乃恵留は家に置いてきた方が良かったんじゃないか?」
「何でよ。あたしも三津井の首がどうやって校庭に現れたのか、気になるもの」
生徒じゃないのに、ここまで事件のことを知っちゃったんだもん。最後までどういうドラマになるか、気になるじゃない。
「乃恵留はさすがに置いてきたかったんだけどさ、連れてけってうるさいからさ。置いてったら俺の腕に噛みつきそうな目で凄まれたし」
「確かにそういう目をしたけど、でも実際に噛みつくなんてしないわよ」
だってあたしは立派な「れでぃ」だものね。
パパはあたしがいることに何かブツブツ言いたそうではあったけど「まあいいか」と呟いた。そしてその直後、一台の車がテニスコートに横付けされた。
「あ、あの人……!」
車から出てきたのは、三津井の生首が現れた日に小学校まで行ったときにパパを呼んでくれた、下島刑事だ。相変わらず、マッチョな体に高校生みたいな顔が乗っていて、全体のバランスが悪いわ。
「桐生さん。せっかく久々の非番で、昼間からオンラインゲームで赤龍を倒しに行くところだったのに。急に呼び出すなんてひどいですよ。しかもこんな強風の日に」
下島刑事は、どうやら暁兄ちゃんと同じオンラインゲームにはまっているらしい。ひょっとしたら暁兄ちゃんと下島刑事は、オンライン上でのパーティ仲間だったりするのかしら。
「下島、来てくれてありがとうな。何かうちの息子が、三津井数男の生首が校庭に現れたトリックを解いたらしくてな」
「えっ。まさか息子さんに、事件の詳細を話したんですか?」
これにはパパもタジタジしている。ちゃんと言い訳を準備しておけばいいのに。
「夜中にトイレに起きたとき、うちの父さんが、寝言で事件の詳細を話しているのを聞いちゃったんです。俺たちしか聞いていないですし、大目に見てあげてください」
暁兄ちゃんがすかさずフォローする。悪意でないとはいえ、寝言で言っちゃいけないことを話すだなんて、刑事としてなかなか致命的ではあると思うんだけど。
「それじゃあ三津井先生の首を、どうやって正門や裏門を通らずに、校庭に出現させたかを再現しますね。おーい、昴。準備はできたか?」
「多分」
そう言って昴兄ちゃんが持ってきたものに、パパと下島さんは頭をかしげた。
「これはホームセンターで買ってきた、リップストップナイロンの黒い布です。軽くて強度が高くて、主に登山用テントの布として使われています。そしてこちらはPEライン八号の黒い釣り糸です。強風や重い荷物に耐えることができます。僕たちはこれで、凧揚げ用の凧を作ってきました」
「は?」
昴兄ちゃんは布を広げた。確かに四隅に糸が引っかかっていて、巨大な凧になっていた。今日は風が強くて、ある意味、絶好の凧揚げ日和だとは思うけれど……。
「大きさは、一辺が一メートル半の正方形にしました。布面積が大きければ大きいほど、揚力……すごく簡単に言えば、上空に飛ぶ力が大きくなりますが、あんまり大きすぎても作るのが大変ですし、運ぶのも目立つので、この大きさにしました」
「ひょっとして……三津井の首って……」
どうやらあたしにも、分かってきちゃった。
「三津井先生の首は、この凧揚げで上空に浮いて二十メートルの防球ネットを越えた後、校庭に落下したんですよ」
パパも下島さんも、ポカンと口を開けている。あたしも同じようにするところだったけど、慌てて口を閉じた。「れでぃ」は人前であけすけなく口の中を見せるものじゃないのよ。
「おい、待てよ。まさか……人間の首は、五キロあるんだぞ? 凧揚げなんかで浮く訳……」
「もちろん普通の凧揚げじゃ無理ですよ。だから揚力を上げるために、大きいけど軽くて丈夫な布、そして強風や重い荷物に耐えられる糸、そして秒速十キロメートルの風が必要だったんです。揚力は、風速の二乗、凧の布面積、揚力係数(よくできた凧かどうか)で決まります。チャットAIで計算してもらいましたが、この凧と風速なら、十三キロ以上の浮力が得られます。つまり五キロの頭を持ち上げても、まだ八キロ以上の余力があります」
そこでいつの間にかあたしたちから離れていた暁兄ちゃんが、ゴミ袋に入った何かを持ってきた。
「暁兄ちゃん、それって……」
「おい、暁。それ、何が入っているんだ?」
「これは理科室から借りてきた、人体模型の首の部分を入れた黒いゴミ袋。人間の首と同じで、五キロくらいあるよ」
ひえっ。怖い! ひょっとして、大理先生から借りてきたのかしら? よく許可を出してもらえたわね。
「袋はしっかり縛っているけれど……結び目のところに余った釣り糸を通して、凧を引っ張る糸が集まった箇所……糸目口に引っかかるようにする。PEライン八号の引張強度は三十五キロあるから、五キロの鉄アレイを持ち上げるのも問題ない。当然、五キロの人間の頭を持ち上げるのも問題ない。じゃあさっそく、凧揚げを始めようか」
暁兄ちゃんと昴兄ちゃんは、凧揚げの糸の先と、ゴミ袋を引っ掛けた釣り糸を、テニスコートのポールのネットを張るための穴に巻き付けた。
「じゃあ皆で楽しい凧揚げをしましょう。僕たちはまだ力が弱い小学生の子供だから、父さんが一人でよろしくね。下島刑事は手伝わないでください。犯人は複数でなく、単独犯だったことを証明したいので。あと父さん、そのままだと手を切るから、このフィッシンググローブを装着してね」
パパは暁兄ちゃんからフィッシンググローブを受け取って、ちょっと童心に戻ってワクワクしたような表情を浮かべている。そして凧を広げて、糸目に手を添えながらそっと離した。最初は強風でクルクルと回っていた凧だったけど、糸を引っ張って調整して……見事に空に上がっていった。もちろん、人体模型の首が入ったゴミ袋も一緒に。
「まさか本当に飛ぶなんて……」
「地方のお祭りだと、これよりずっと大きくて重い凧を上げるイベントもあります。もちろんその場合は一人では無理ですが……この大きさなら、一人で何とか上げることができます」
「で、この凧はどうすればいいんだ?」
「そのまま糸を少しずつ伸ばして……凧が校庭の上空に差し掛かるように……」
パパは凧の糸を少しずつ伸ばしていって……南から吹く風のおかげで、ついに凧の部分は二十メートルの防球ネットを越えた。あたしは心の中で、ガッツポーズを取った。きっとここにいる全員が、そうだったに違いない。
パパ、良かったわね。これでホームセンターの領収書が、経費申請できるわよ。あと昇給できたら、ママに新しいスーツをおねだりするといいわ。
「あとはゴミ袋を引っ掛けている方の釣り糸を、釣り用ラインカッターで切って、そのまま引けば大丈夫」
パパは暁兄ちゃんに渡されたハサミで釣り糸を切った。その瞬間、支えを失ったゴミ袋は下に落下した。つまり校庭に落下したのだ。風の影響で少し北側にずれたけれど、校庭は広いから問題ない。
「これが、三津井先生の首が防球ネットを越えて校庭に出現したトリックだよ。これなら防犯カメラに映らず、三津井先生の首を校庭に出現させることができるよ」
昴兄ちゃんはいつの間にか用意していた、ソフトキャンディーをモグモグしながら答えた。
「しかし、凧揚げをしている不審者の目撃情報なんてなかったぞ?」
「あの日は風が強くて、しかも夜なら出歩く人もほとんどいなかったからね。それに布も釣り糸もゴミ袋も、全て黒で統一したから、目撃されづらかったと思うよ。月明かりもない夜だったし」
確かにあの日は、強風だっただけじゃない。月明かりがない夜だった。黒いゴミ袋を使ったのは、汚物扱いしていた訳じゃなかったのね。いや汚物扱いしたい気持ちもあったのかもしれないけど。
「もちろん風の具合やら生首の揺れやらで、うまくいかないこともあるけど。そのときはそのときで別に良かったんじゃないかな。犯人も、うまくいけばいい、くらいにしか思っていなかったと思う。でも運命は犯人に味方したから、成功しちゃった。『三津井先生の首を校庭に出現させた方法を示せない以上、犯人だと指摘されない』の目論見がね」
確かに警察はこの謎を解明できない以上、強引に誰かを逮捕したとしても、裁判で有罪判決に持っていけないだろう。ただ実験は成功してしまった。これなら裁判で勝てる見込みは充分にある。
「ちなみに、この凧揚げはどうやって回収したんだ?」
「力技で釣り糸を引っ張って回収したか、凧を支えていた方の釣り糸も切って風で飛ばしたか、風が弱くなるのを待ってから引き下げていったか、のどれかだと思うよ」
なるほど。一つ目はなかなか難しそうだけど、二つ目なら発見されても単なる放置されたゴミとしか思われないし、三つ目も夜中になれば風が弱くなるのを天気予報で知っていたなら可能よね。ポールに引っ掛けたままにしておくなら、ずっとテニスコートにいないといけない訳でもないし。
「そうか、それで、犯人は……」
「もう、パパったら。三津井の首を校庭に出現させた方法が分かった以上、それくらいは警察の方で尋問でもしてちょうだい」
ほら、テレビドラマでよくあるような、取調室でカツ丼を食べるやつ。ただ勘違いしている人もいるけれど、カツ丼代はしっかり本人に請求されるみたいだけど。
「さすがに風が強い屋外なんだし、ここから先は室内で……皆の前で話をしようか。ほら、容疑者たちを呼んでおいたからさ」
暁兄ちゃんが小学校の校舎に顔を向けた直後、あたしたち全員が同じ方向を見た。学校のどこかの教室の窓から容疑者たち六人が、あたしたちが凧揚げしていた様子をじっと見ていたことを今、知った。
「えっ。何で容疑者が全員、学校に集まっているんだ?」
「だって謎解きって、容疑者を集めてやるものでしょ? ちなみに下島刑事に頼んで、他に応援の刑事を二人ほど呼んでもらったから、逆上した犯人が暴れるかもしれないとか心配しなくていいよ」
「え? 下島、いつの間に?」
「ああ、実は桐生さんが楽しそうに凧揚げしているとき、暁くんに頼まれたんです。ちなみに自分もちょっと、凧揚げやってみたかったです」
パパが楽しそうに凧揚げしているとき、下島刑事がどこかに電話をかけていたのは気付いていたけど、応援の刑事を呼んでいたのね。
「それじゃあ皆も待っているし、移動しようか。あそこは校長室だね」
「あ、待ってください。このまま車を放置すると、切符、切られちゃうんで。今月ちょっとピンチなんですよ」
「じゃあ、ちょうど下島刑事が車で来てくれたし、校舎北側の駐車場を借りようか」
「あそこの駐車場って、教職員以外が使っていいんだっけ?」
何だかいまいち緊張感のないまま、あたしたちは容疑者たちが待っている校長室に向かった。
「父さん。三津井先生の生首を、監視カメラを通さずに校庭に置く方法が分かったよ」
「え? 昴、いつの間に?」
「何、本当か? どうやったんだ?」
「とりあえずちゃんと前を向いて運転しようね。現役の警察官が交通事故を起こすなんて、あってはいけないから」
「それを言うなら、このタイミングで言うんじゃないわよ!」
家に帰ってからで良かったじゃない。むしろ昨日、川から上がってお風呂に入った後でも良かったじゃない!
「ただね、その方法を再現するには、ある条件が必要なんだよね。仮にその条件をクリアできたとしても、無事に再現できるかどうか、こればかりは実験してみないと分からない。まず家に帰って母さんと乃恵留を置いてから、ホームセンターに行こうか。いろいろと準備が必要だし」
「ちょっと、何あたしを置いていこうとしているの! あたしももちろん、ついていくわよ!」
それに殺人事件に関係していなくても、ホームセンターって、ちょっとワクワクする場所なのよね。男の子だったら、何歳になってもワクワクする場所だって聞いたことがあるわ。あたしは「れでぃ」だから男の子じゃないけれど。
「……それで、事件と同じ状況の日がついにやってきたが。本当に大丈夫なのか?」
「分からないよ。だから実験が必要なんだってば」
「とりあえず、このトリックが使われたような跡はあったんだよね。テニスコートのネットをひっかけるポールに、何か細い糸でこすったような傷はあったし。しかも割と最近できたものっぽいし」
あたしと暁兄ちゃんと昴兄ちゃん、そしてパパは、緑が丘小学校の隣のテニスコートに来ていた。三津井が殺された日と同じくらいの強風の日に。そしてあの日と同じく、南から北に風が吹いていた。
運が良いのか、この日を待っていたら冬休みになっていたから、小学校の校庭には誰もいなかった。強風だからどちらにしても、誰も校庭を利用したりしないでしょうけど。
「これで実験に失敗したら、パパのお小遣いが、なかなか悲しいことになるんだが……」
ただでさえ、パパの新しいスーツを買ってあげられないほどの経済状況だ。ママは暁兄ちゃんと昴兄ちゃんが中学生になったらパートを始める予定だと言っていたけれど……あの天然な性格だもの。一日でクビになりそうだわ。
「その代わり成功したら、ホームセンターで買ったやつは、経費で落ちるんじゃない? それに事件を一つ解決したってことで、昇給できるかもしれないんだからいいじゃん。そしたら僕は、シュラスコ料理を食べに行きたいなあ」
昴兄ちゃんの頭には、事件解決の報酬としてシュラスコ料理店に連れてってもらえることしかないのね。ひょっとしてキャンプのとき、ニジマスを食べられなかったことを、まだ根に持っているのかしら。あと本当にシュラスコ料理店に行ったら、昴兄ちゃんは一発でそのお店を出禁になると思うわよ。
「父さん。昴のひらめいたトリックだけどさ、とりあえず理論上は可能みたいだよ。だから、もっとドッシリと構えていこうよ」
この中で一番、実験が成功すると確信しているのは、暁兄ちゃんだった。弟のことを信じる兄、素晴らしい兄弟愛だわ。
「理論上は可能って、何でそう言い切れるんだ?」
「チャットAIに聞いたから。計算式の辺りは、さすがに小学生の俺には分からなかったけど」
昴兄ちゃんのことを信じたんじゃなくて、人間が作り出した技術を信じていただけだったのね。今どきの子供らしい回答だわ。どうかハルシネーションを起こしていませんように。
「あとな、さすがに乃恵留は家に置いてきた方が良かったんじゃないか?」
「何でよ。あたしも三津井の首がどうやって校庭に現れたのか、気になるもの」
生徒じゃないのに、ここまで事件のことを知っちゃったんだもん。最後までどういうドラマになるか、気になるじゃない。
「乃恵留はさすがに置いてきたかったんだけどさ、連れてけってうるさいからさ。置いてったら俺の腕に噛みつきそうな目で凄まれたし」
「確かにそういう目をしたけど、でも実際に噛みつくなんてしないわよ」
だってあたしは立派な「れでぃ」だものね。
パパはあたしがいることに何かブツブツ言いたそうではあったけど「まあいいか」と呟いた。そしてその直後、一台の車がテニスコートに横付けされた。
「あ、あの人……!」
車から出てきたのは、三津井の生首が現れた日に小学校まで行ったときにパパを呼んでくれた、下島刑事だ。相変わらず、マッチョな体に高校生みたいな顔が乗っていて、全体のバランスが悪いわ。
「桐生さん。せっかく久々の非番で、昼間からオンラインゲームで赤龍を倒しに行くところだったのに。急に呼び出すなんてひどいですよ。しかもこんな強風の日に」
下島刑事は、どうやら暁兄ちゃんと同じオンラインゲームにはまっているらしい。ひょっとしたら暁兄ちゃんと下島刑事は、オンライン上でのパーティ仲間だったりするのかしら。
「下島、来てくれてありがとうな。何かうちの息子が、三津井数男の生首が校庭に現れたトリックを解いたらしくてな」
「えっ。まさか息子さんに、事件の詳細を話したんですか?」
これにはパパもタジタジしている。ちゃんと言い訳を準備しておけばいいのに。
「夜中にトイレに起きたとき、うちの父さんが、寝言で事件の詳細を話しているのを聞いちゃったんです。俺たちしか聞いていないですし、大目に見てあげてください」
暁兄ちゃんがすかさずフォローする。悪意でないとはいえ、寝言で言っちゃいけないことを話すだなんて、刑事としてなかなか致命的ではあると思うんだけど。
「それじゃあ三津井先生の首を、どうやって正門や裏門を通らずに、校庭に出現させたかを再現しますね。おーい、昴。準備はできたか?」
「多分」
そう言って昴兄ちゃんが持ってきたものに、パパと下島さんは頭をかしげた。
「これはホームセンターで買ってきた、リップストップナイロンの黒い布です。軽くて強度が高くて、主に登山用テントの布として使われています。そしてこちらはPEライン八号の黒い釣り糸です。強風や重い荷物に耐えることができます。僕たちはこれで、凧揚げ用の凧を作ってきました」
「は?」
昴兄ちゃんは布を広げた。確かに四隅に糸が引っかかっていて、巨大な凧になっていた。今日は風が強くて、ある意味、絶好の凧揚げ日和だとは思うけれど……。
「大きさは、一辺が一メートル半の正方形にしました。布面積が大きければ大きいほど、揚力……すごく簡単に言えば、上空に飛ぶ力が大きくなりますが、あんまり大きすぎても作るのが大変ですし、運ぶのも目立つので、この大きさにしました」
「ひょっとして……三津井の首って……」
どうやらあたしにも、分かってきちゃった。
「三津井先生の首は、この凧揚げで上空に浮いて二十メートルの防球ネットを越えた後、校庭に落下したんですよ」
パパも下島さんも、ポカンと口を開けている。あたしも同じようにするところだったけど、慌てて口を閉じた。「れでぃ」は人前であけすけなく口の中を見せるものじゃないのよ。
「おい、待てよ。まさか……人間の首は、五キロあるんだぞ? 凧揚げなんかで浮く訳……」
「もちろん普通の凧揚げじゃ無理ですよ。だから揚力を上げるために、大きいけど軽くて丈夫な布、そして強風や重い荷物に耐えられる糸、そして秒速十キロメートルの風が必要だったんです。揚力は、風速の二乗、凧の布面積、揚力係数(よくできた凧かどうか)で決まります。チャットAIで計算してもらいましたが、この凧と風速なら、十三キロ以上の浮力が得られます。つまり五キロの頭を持ち上げても、まだ八キロ以上の余力があります」
そこでいつの間にかあたしたちから離れていた暁兄ちゃんが、ゴミ袋に入った何かを持ってきた。
「暁兄ちゃん、それって……」
「おい、暁。それ、何が入っているんだ?」
「これは理科室から借りてきた、人体模型の首の部分を入れた黒いゴミ袋。人間の首と同じで、五キロくらいあるよ」
ひえっ。怖い! ひょっとして、大理先生から借りてきたのかしら? よく許可を出してもらえたわね。
「袋はしっかり縛っているけれど……結び目のところに余った釣り糸を通して、凧を引っ張る糸が集まった箇所……糸目口に引っかかるようにする。PEライン八号の引張強度は三十五キロあるから、五キロの鉄アレイを持ち上げるのも問題ない。当然、五キロの人間の頭を持ち上げるのも問題ない。じゃあさっそく、凧揚げを始めようか」
暁兄ちゃんと昴兄ちゃんは、凧揚げの糸の先と、ゴミ袋を引っ掛けた釣り糸を、テニスコートのポールのネットを張るための穴に巻き付けた。
「じゃあ皆で楽しい凧揚げをしましょう。僕たちはまだ力が弱い小学生の子供だから、父さんが一人でよろしくね。下島刑事は手伝わないでください。犯人は複数でなく、単独犯だったことを証明したいので。あと父さん、そのままだと手を切るから、このフィッシンググローブを装着してね」
パパは暁兄ちゃんからフィッシンググローブを受け取って、ちょっと童心に戻ってワクワクしたような表情を浮かべている。そして凧を広げて、糸目に手を添えながらそっと離した。最初は強風でクルクルと回っていた凧だったけど、糸を引っ張って調整して……見事に空に上がっていった。もちろん、人体模型の首が入ったゴミ袋も一緒に。
「まさか本当に飛ぶなんて……」
「地方のお祭りだと、これよりずっと大きくて重い凧を上げるイベントもあります。もちろんその場合は一人では無理ですが……この大きさなら、一人で何とか上げることができます」
「で、この凧はどうすればいいんだ?」
「そのまま糸を少しずつ伸ばして……凧が校庭の上空に差し掛かるように……」
パパは凧の糸を少しずつ伸ばしていって……南から吹く風のおかげで、ついに凧の部分は二十メートルの防球ネットを越えた。あたしは心の中で、ガッツポーズを取った。きっとここにいる全員が、そうだったに違いない。
パパ、良かったわね。これでホームセンターの領収書が、経費申請できるわよ。あと昇給できたら、ママに新しいスーツをおねだりするといいわ。
「あとはゴミ袋を引っ掛けている方の釣り糸を、釣り用ラインカッターで切って、そのまま引けば大丈夫」
パパは暁兄ちゃんに渡されたハサミで釣り糸を切った。その瞬間、支えを失ったゴミ袋は下に落下した。つまり校庭に落下したのだ。風の影響で少し北側にずれたけれど、校庭は広いから問題ない。
「これが、三津井先生の首が防球ネットを越えて校庭に出現したトリックだよ。これなら防犯カメラに映らず、三津井先生の首を校庭に出現させることができるよ」
昴兄ちゃんはいつの間にか用意していた、ソフトキャンディーをモグモグしながら答えた。
「しかし、凧揚げをしている不審者の目撃情報なんてなかったぞ?」
「あの日は風が強くて、しかも夜なら出歩く人もほとんどいなかったからね。それに布も釣り糸もゴミ袋も、全て黒で統一したから、目撃されづらかったと思うよ。月明かりもない夜だったし」
確かにあの日は、強風だっただけじゃない。月明かりがない夜だった。黒いゴミ袋を使ったのは、汚物扱いしていた訳じゃなかったのね。いや汚物扱いしたい気持ちもあったのかもしれないけど。
「もちろん風の具合やら生首の揺れやらで、うまくいかないこともあるけど。そのときはそのときで別に良かったんじゃないかな。犯人も、うまくいけばいい、くらいにしか思っていなかったと思う。でも運命は犯人に味方したから、成功しちゃった。『三津井先生の首を校庭に出現させた方法を示せない以上、犯人だと指摘されない』の目論見がね」
確かに警察はこの謎を解明できない以上、強引に誰かを逮捕したとしても、裁判で有罪判決に持っていけないだろう。ただ実験は成功してしまった。これなら裁判で勝てる見込みは充分にある。
「ちなみに、この凧揚げはどうやって回収したんだ?」
「力技で釣り糸を引っ張って回収したか、凧を支えていた方の釣り糸も切って風で飛ばしたか、風が弱くなるのを待ってから引き下げていったか、のどれかだと思うよ」
なるほど。一つ目はなかなか難しそうだけど、二つ目なら発見されても単なる放置されたゴミとしか思われないし、三つ目も夜中になれば風が弱くなるのを天気予報で知っていたなら可能よね。ポールに引っ掛けたままにしておくなら、ずっとテニスコートにいないといけない訳でもないし。
「そうか、それで、犯人は……」
「もう、パパったら。三津井の首を校庭に出現させた方法が分かった以上、それくらいは警察の方で尋問でもしてちょうだい」
ほら、テレビドラマでよくあるような、取調室でカツ丼を食べるやつ。ただ勘違いしている人もいるけれど、カツ丼代はしっかり本人に請求されるみたいだけど。
「さすがに風が強い屋外なんだし、ここから先は室内で……皆の前で話をしようか。ほら、容疑者たちを呼んでおいたからさ」
暁兄ちゃんが小学校の校舎に顔を向けた直後、あたしたち全員が同じ方向を見た。学校のどこかの教室の窓から容疑者たち六人が、あたしたちが凧揚げしていた様子をじっと見ていたことを今、知った。
「えっ。何で容疑者が全員、学校に集まっているんだ?」
「だって謎解きって、容疑者を集めてやるものでしょ? ちなみに下島刑事に頼んで、他に応援の刑事を二人ほど呼んでもらったから、逆上した犯人が暴れるかもしれないとか心配しなくていいよ」
「え? 下島、いつの間に?」
「ああ、実は桐生さんが楽しそうに凧揚げしているとき、暁くんに頼まれたんです。ちなみに自分もちょっと、凧揚げやってみたかったです」
パパが楽しそうに凧揚げしているとき、下島刑事がどこかに電話をかけていたのは気付いていたけど、応援の刑事を呼んでいたのね。
「それじゃあ皆も待っているし、移動しようか。あそこは校長室だね」
「あ、待ってください。このまま車を放置すると、切符、切られちゃうんで。今月ちょっとピンチなんですよ」
「じゃあ、ちょうど下島刑事が車で来てくれたし、校舎北側の駐車場を借りようか」
「あそこの駐車場って、教職員以外が使っていいんだっけ?」
何だかいまいち緊張感のないまま、あたしたちは容疑者たちが待っている校長室に向かった。
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