海の向こう側

杠葉 縞

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06.再会

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「カエデさん、着きましたよ。起きてください。まったく俺の話なんて、ちっとも聞いてくれないんですから。しかも俺の肩、ヨダレだらけですよ」
 揺さぶられて目を開けた俺の視界に真っ先に飛び込んできたものは、野郎の顔のアップだった。
「何だよ、竹川かよ」
 どうせなら稲島さんに起こしてもらいたかった。ついでにもたれかかる相手も彼女が良かった。ついでにもたれかかる場所は……おっと何でもない。
 俺は周りを見渡した。ボートを係留させている橋は、網島のものよりずっと規模が小さい。陸を見渡すと、平坦な道の端と端に、手入れが行き届いていない草木が生い茂っている。
 道の向こう側には、白い壁の小さな建物が見える。あれが合宿で利用する、クリスの管理するペンションだ。
 どうやら姫島に無事、到着したようだ。さっきの不安は俺の思い過ごしだったようだ。まったく、クリスの奴め。
「もう生徒さんたちは、着いているって。ほら急いで!」
 稲島さんにお尻を叩かれながら、俺と竹川はスポーツバッグを抱えてペンションに向かった。
 急いでいる途中、チラッと後ろを振り向くと、ロープを結んでボートを係留させた大西が見えた。彼は特に急ぐ風でもなく、のんびり後ろを歩いてくる。
 大西はマイペースなくせに、稲島さんに怒られる確率は、俺や竹川よりずっと低い。なぜだ? 既婚者だからか? 俺も別に独身を謳歌したくて未婚なわけじゃないぞ。
 俺たちはペンションの入り口にたどり着いた。玄関付近には、橋までの道とは違って、クリスによって手入れされた黄色い花、紫の花、白い小花が生い茂っている。
 初めて見たときは、ガーデニングをするなんて、何とも女性らしい趣味だと思った。そして後に、黄色い花はカボチャで、紫の花はナスで、白い小花は人参だということを知った。自給自足の家庭菜園だったわけだ。
 ペンションのドアを開けて玄関で靴を脱ぎ、ホールの隅にボストンバッグを置いた。そしてスリッパに履きかえると、ホール左奥のキッチンでクリスがドリンクを用意しているのが目に入った。アイスティーらしい色の飲み物と氷で満たされたグラスに、ストローが差さっている。
 今日のクリスは、真っ白な半袖ブラウスに、ロンドンの夜景をイメージしたような絵柄の紺色のスカートを履いていた。ゴスロリっぽさを残しつつ、一般人でも着られるようなファッションの中間点、といったところか。
 ところでクリスには文句を言ってやらないと気がすまない。俺はズカズカと彼女に近付いていった。
「おい」
「何かしら?」
 俺の声でクリスが振り返った。そのとき、青いリボンで2つに結わえた髪が、俺の鼻にぶつかった。ちょっとだけ痛かった。
「お前のせいで散々な目にあったんだぞ」
 俺はクリスの青いカラーコンタクトが入った目を睨みつけながら言った。
「何の話よ?」
 彼女は全身から、ハテナマークを放出している。どうやら本気で俺が何を言っているのか分からないようだ。変質者を見るような目で俺を見ている。
「お前が昨日、網姫に攫われる、とか言ったんじゃないか」
「ええ、言ったわ」
 何だ、覚えているんじゃないか。
「あれって俺が、海でヤバい目に合うってことじゃないのか?」
「そうよ。海に入るなら、気を付けることね」
 あっさりと認めやがった。言われなくても仕事柄、人の十倍は気を付けているぞ。
「お前が変なことを言ったせいで、昨日は寝つけなかったり、村松さんの話し相手になったりしたんだぞ」
「だって占いでそう出たんだもの。ちゃんと忠告してあげたんだから、ありがたく受け取っておきなさい」
「何で俺のこと勝手に占っているんだよ!?」
 どんな占いなんだか分からないが、人の運勢を勝手に占ったりするな。俺たち、お互いのスマホの番号すら知らない仲なのに。
 いや待てよ。勝手に俺のことを占うなんて、俺のことを意識しているのか。それならそうと、素直にそう言えばいいのに。いやでも……。
「気持ちは嬉しいが、やっぱり好みじゃないんだ。他を当たってくれ」
「昨日から何の話よ?」
 何だよ。俺のことが好きだから俺のことを占っているんじゃないのか。単に網島の全員を勝手に占っているということか。この不思議ちゃんめ!
 そして俺は、クリスのさらに奥の方に、人影を確認した。彼女は赤い花が描かれた白地の浴衣を着て、おかっぱ頭に浴衣の柄と同じ赤い花を挿している。
「って、サクラじゃねえか!」
 思わず叫びそうになった俺は、直前で口を両手でふさいだ。稲島さんや竹川が、いきなり口をふさいだ俺を、変質者を見るような目で見ている。大西はいつものことながら、表情が読めない。
 俺は思い出し笑いをしたフリを決めて、こっそりとキッチンの方に足を運んだ。
「おい、サクラ。何でお前がここにいるんだよ」
 俺はサクラの隣で、小声で耳打ちした。ところで浴衣がまた右前になっているぞ。もうこれ以上、何も言うまいが。
「カエデが今日、ここでお仕事って聞いて、クリスちゃんに連れてきてもらったんだよ。カエデのお仕事、間近で見られるの、楽しみ!」
 講習はともかく実技は海の中だから、間近では見られないと思うぞ。それとも海の中までついてくる気か。
「よくクリスが許可したな。気味悪がったりしなかったか?」
「仕事を手伝ってくれれば、ここにいてもいいって。ウィルちゃんと遊んだり、外の天気を確認したり」
 ウィルというのはクリスが飼っている黒い犬の名前だが……それらは仕事のうちに入るのか? いやそれを生業にしている人だっているだろうし、今の発言は失礼だったな。
「望月さん。暇そうだし、生徒さんたちにお茶を運んでくださらない? 私、箸より重い物、持てないのよ」
 クリスがそう言って、キッチンに用意したドリンクとお茶菓子を残し、さっさと隣のリビング(玄関から見て右奥)に行ってしまった。昨日、箸より重いヒラヒラの傘を差していたくせに。
 そして稲島さんも竹川も大西もサクラも、クリスの後に続いて、さっさとリビングに行ってしまった。誰も俺を手伝おうとしなかった。
「まったく仕方ないな」
 クリスといい、サクラといい、村松さんといい。俺の周りの女はどうしてこう俺を振り回すのが好きなんだ。
 ストローが差された来客用のグラス四つとお茶菓子を乗せたお盆は、想像していたより重かった。わざわざこんな重いグラス、使う必要ない。落としたら割れそうだし。次から紙コップで出せよ。
 お盆一式を持ってくる時間は、ほんの数秒だったはずだ。しかし俺以外のメンバーは、生徒たちとすでに打ち解けておしゃべりをしていた。生徒たちは全員、俺と同じくらいの年代だった。大学の仲間たちとCカードを取得しに来た、といったところか。
 竹川は、縦にも横にもやたらでかい熊のような男(身長は2人とも同じくらいだが、横幅が3倍くらい違う)と、ダイニングテーブルを囲った椅子に座り、旧知の仲のように話している。大西は立っていたが、黒縁眼鏡をかけた茶髪の男に絡まれ、いつも通りの無表情で適当に相槌を打っている。
 そして女性陣は、肩も胸もやたら露出した下着のようなキャミソールを着た腰までかかる長い髪の女性と、それとは対象的に清楚な白いワンピースを着たショートボブの髪の女性を加え、足の低いテーブルをLの字に囲ったソファに座っておしゃべりに夢中だ。
 俺の入れそうな隙間はまったくなかった。ウィルだけは俺を見つめてくれている。俺の抱えているお茶菓子目当てだろうが。俺の心の友はお前だけだ。でも人間用の菓子を犬に与えるわけにはいかないんだ。今だけはあっちに行ってくれないか。
「あ、カエデ。久し振り。昔と全然、変わってないわね。元気だった?」
 俺がお盆を足の低いテーブルに置いた直後、俺の腕に絡みついてきた女がいた。やたら露出した格好の長い髪の女性だ。
 久し振りだとか言われても、俺はこんな女、知らないぞ。とにかくサクラが見ている前で、俺に絡みつくのをやめろ。やるならサクラのいないところで……って、サクラのやつ、見ていないし!
「カエデ、もしかして覚えていないの? ひどいじゃない。私、瀬戸彩花よ。アーヤって呼ばれていた。思い出した?」
「アーヤ?」
 俺は記憶の糸を必死で手繰り寄せた。
 そうだ、思い出した。俺の同級生だった女子だ。男勝りで気さくな性格で、女子たちの中心的存在だった。こういう奴って、実は女子の大半に嫌われていたりもするが、彼女に限って言えば、特に誰かに悪口を言われていたりはしなかった。俺が把握していないだけかもしれないが。
「しょうがねえよ。こいつ昔から、テレビに出てくるアイドルとか女優とかの顔、まったく覚えられなかったくらいだし」
 そこで先ほど竹川とずっと話していた熊男が、アーヤの肩に馴れ馴れしく手を回してきた。誰だこいつ。彼氏か?
「でもまさか、俺のことは忘れてないよな?」
 忘れた。しかしこの感じだと、こいつも俺の同級生ってオチっぽいな。こんな熊みたいな体格のやつ、俺の同級生にいたかな。
「……ひょっとして、新田か?」
「正解だ」
 熊男の名は、新田直樹。高校のときだけ俺の同級生だった。元々は本島の高校に通っていたが、留年して父親に勘当され、網島の親戚に押しつけられたらしい。ただの噂でなく、本人が語っていたから間違いない。
 そんなわけで新田は一つ年上だが、俺らの同級生になる。預け先の親戚からは、網島でうまくやれるか心配されていたが……スポーツは得意だったし、兄貴キャラを通すことで彼を慕ってくる同級生が多く、島での高校生活はそれなりに楽しんでいたようだった。
「びっくりしたぞ、お前。ダイビングのインストラクターになったのか」
「俺もびっくりだ。まさかまだ、アーヤと付き合っていたのか」
 高校二年生の夏から二人は付き合い始めたと聞いている。卒業してからどうなったのか知らないが、新田は本島で就職、アーヤは本島で進学と聞いたし、進路が違うなら別れているだろうと勝手に思っていた。
「まあね。もう五年になるわ。まあ私も来年は就職だし、どうなるか分からないけど」
 否定はできないが、せめてそこは黙っていようぜ。言葉っていうのは、魂が宿っているんだし。
「おい。いつまでそこだけで、盛り上がっているんだ。望月、まさか俺のことを忘れているとは言わないよな」
「……ああ、覚えているよ。磯野だろ」
 本当は忘れたままでいたかった。似合わない茶髪、黒縁眼鏡、ねちっこい話し方、そして新田の金魚のフンということで思い出した。
 こいつは磯野正一。俺らの同級生だが、いつも人をバカにしたようなしゃべり方(こいつの頭がいいわけではない)をするせいで、クラスの大半どころか九割が彼を嫌っていた。ただクラスの中心人物である新田やアーヤにうまく取り入ったことで、表立って仲間外れにされることはなかった。
「お前、本当に俺たちのこと、教えられるのかよ。下手すれば命に関わるんだから、しっかりしてくれよ」
「ああ」
 もし命に関わることがあるとすれば、それはお前がインストラクターの指示を無視して、自分勝手な行動を取ったときだ。正直、こいつならやりかねないと思う。事故を起こすなら、よそで起こしてくれ。俺たちに迷惑はかけるな。俺はお前と、マウストゥマウスはしたくない。
「あの、カエデ君。私のことは、覚えているかな?」
 俺を磯野の魔の手から救ってくれたのは、最後の一人、清楚なイメージの白いワンピースを着た女性だった。
 その特徴的なハスキーボイスで、俺はその女性が誰だかすぐに分かった。彼女は確か、アーヤと同じ大学に進学したんだっけ。風の噂で、ルームシェアをしてお互い服の貸し借りをして楽しんでいる、と聞いたことがある。服の趣味が一致しているとは思えないから、そこだけはただの噂だろうが。
「久し振り。仁美」
 その女性の名前は、葉山仁美。控えめで清楚なキャラで、俺のクラスでは「現代の網姫」と並んで男子人気が高かった。そして彼女は、俺に初めて愛の告白をしてくれた女の子だった。
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