海の向こう側

杠葉 縞

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07.失恋

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 せっかく昔の同級生たちに会ったのだから、思い出話にふけりたいところ。しかし十一時から講習会の予定だったので、生徒たちと講師(今回は竹川と大西)以外は、リビングから追い出されてしまった。級友とはいえお金が発生するから仕方ない。
「まさかこんな形で、昔のクラスメイトに会うとは」
 竹川や大西も、あらかじめ教えてくれたっていいじゃないか。
「そういえば竹川が、行きのボートで何か言っていたっけ」
 あいつらが生徒だってことを伝えようとしていたのか。そんな直前じゃなくて、決まったときに言えっての。
 俺はブツブツ言いながら、ボートから姫島南側の砂浜近くの物置小屋まで、明日からの実技演習で使うメッシュバッグに入った器材や、スキューバタンク(呼吸や浮力調整のための圧縮空気が詰まっている)を運んでいた。
 相変わらず砂浜には、空のペットボトル、お菓子の袋、煙草の吸殻、釣り糸、なんかが落ちている。誰も見ていないし、俺は派手に顔をしかめた。
 潮の流れの関係で、島の周囲のゴミはすべてこの砂浜に流れ着くようになっている。これを掃除するのも俺たちダイビングのインストラクターの仕事だ。俺は個人的に姫島の管理をしているクリスがやるべきだと思っている。しかしたまに危険物が流れてくることもあるから、男性がやるべきだと言いくるめられて、渋々と従ってしまっていた。一度だけ使用済み注射器が流れてきたこともあるし、仕方ないか……。
 とりあえずいつものことだが、タンクが重い。網島の設備で圧縮空気を入れたタンクを六人分(四人の生徒につき二人のインストラクターをつける予定)でダイビング四回分、計二十四本。さらに予備分六本で、合わせて三十本のタンクを網島から持ってきた。
 タンク一本の重さは、容量や材質、製造元にもよるが、十リットルのもので十五キログラム弱。そしてボートから物置小屋にタンクを運ぶのは、講義担当でも女性でもない俺の仕事だ。もちろんメッシュバッグに入った器材を運ぶのも俺の仕事だ。網島港付近にあるクマノミダイビングクラブの店舗から、網島港までの器材運びに参加しなかったのは悪かった。しかしここまでの仕打ちは、ひどいじゃないか。
 とりあえずタンクは運び終わった。まだ若いとはいえ、さすがにこの量と重さを一人で運び切るのはつらい。俺は小屋の側の砂浜に休憩という名目で、大の字に寝転がった。
「それにしても、仁美にまた会う日が来るとは」
 俺は五年前の夏を思い出そうと、空をぼんやり眺めた。
 あのとき俺は高校二年生だった。部活は陸上をやっていたが、強豪ではなくみんなでのんびり島をランニングするだけのゆるい活動だった。アルバイトはやっていたけれど、たまに三枝さんの漁を手伝うくらいだった。
 クラスメイトに不幸があったことを除けば、良くも悪くも非凡なことなど何もない、平和な人生を送っていた。そして夏休みを目前にしていたある日、同級生の仁美から交際を申し込まれた。
 仁美とは、学校では雑談したり、休みの日はグループで遊びに行ったり……女子の中では比較的、仲が良かった方だと思う。それでもまさか、異性として好かれているとは思わなかった。
『もしオッケーしてもらえるなら、一緒に網姫祭に行ってくれるかな?』
 仁美は待ち合わせ場所だけ指定してきた。時間を指定してこなかったのは、祭りが終わるまでいつまでも待っている、ということを意味していたのかもしれない。
 仁美に対して不満なんてない。もし付き合ったら、きっと毎日が楽しいだろうと思った。しかし俺の頭には、小さい頃から想いを寄せていたサクラのことがチラついて離れなかった。
 サクラには何度か冗談っぽく「俺たち付き合わないか?」と提案したことがある。先月にも言った気がする。そしてそのたび「もう、何を言っているの!」という、完全に冗談だと思われている回答が来る。本気にしてもらえないのは、俺の伝え方が原因だろうが。
 自分の恋心を伝えるのは、ギャンブルと一緒だ。晴れて恋人同士になれれば良し。それが叶わなくても、友人でいられればまあ良し。最悪なのは、友人ですらいられなくなる状況だ。告白できないのは、勇気がないからではない。最悪な状況になることを怖れるのは、まともな人間なら当たり前。なんて、告白できない男の言い訳に聞こえるだろうが。
 仁美に告白されたとき、俺は悩んだ。このまま実らない想いを引きずるか。それとも自分を好いてくれる別の女の子と新しい関係を築くか。
 俺は網姫祭当日まで誰にも相談せず、悩みに悩みぬいた。誰かに相談すれば良かったかもしれないが、断る可能性があるのに他の人にペラペラ話すなんて、仁美に対して失礼だと思った。
 当日、俺は待ち合わせ場所に行かなかった。網姫祭にすら行かなかった。いつまでも来ない俺を待たせるより、待ち合わせ場所で断る方がいいかもしれないとも思った。しかし俺の姿を見せた瞬間だけでも期待させるというのも、残酷な気がしたんだ。
 相手を傷付けない振り方なんて存在しない。しかしサクラ以外の女性と付き合うなんて、あのときの俺には考えられなかったんだ。
「カエデー! 明日の準備は終わった?」
 その声に、俺は上半身だけを起こした。サクラが向こうから、俺を大声で呼んでいるのが見える。大声を出すだけで立ち止まっていることから、どうやら俺の近くまで寄ってくる気はないようだ。ちょっとだけ寂しい。
「あ、サボっているじゃん。あのね、クリスちゃんが、もう少しでお昼ご飯だから、カエデも呼んでこいだって!」
 そういえば、もうそんな時間か。お昼ご飯と聞いて、途端に腹が……鳴らなかった。村松さんのとこで食べたカステラが意外と腹にたまったからなあ。昼飯前にちょっと腹を空かせておいた方が良さそうだ。
「もう少ししたら行くって、伝えておいてくれ!」
 サクラは「分かった!」と言って、元来た道を戻っていった。俺がちょうど今あいつのことを考えていたなんて、きっと本人は夢にも思っていないんだろうな。
 サクラが視界から消えたので、俺はひと泳ぎすることにした。これはサボりでなく、クリスが用意した食事を余すことなくいただくための腹ごなしという立派な作業だ。
 俺はTシャツを脱ぎ捨てた。そして砂浜に置いておいたメッシュバッグから、ゴーグルとシュノーケルを取り出して装着し、海の中へと突入した。海水パンツ(黄)は最初から短パン代わりに履いている。
 ちなみに俺が履いているこの海水パンツ(黄)は、透明度が低い海に下半身だけ浸かると、体と一体化して何も履いていないように見える仕様だ。そんな訳で周りからはとても不評だ。でも俺は気に入っている。履きやすいし、シルエットが俺好みだし、ポリエステル製だからすぐに乾くし。
 ザブーン、と気味のいい音がした。仕事柄、人より海に入る回数は圧倒的に多いけど、やっぱり海はいい。海は世界中と繋がっている。地球の三分の二を覆っている。つまり海に入ることで、地球と一体になったような気がする。つまり俺自身がすごく大きな存在になった気がするのだ。
 俺は最初こそ、クロールや平泳ぎなどで泳ぎを楽しんでいた。しかしやがて背中を水面につけるだけの形になって、空を見上げながら体中の力を抜いて海面をただよった。
 太陽の光がサンサンと降り注いでいる。今日は日に焼けそうだ。そういえば日焼け止め塗り忘れたな。そろそろ上がって昼飯に合流するか。
 そう思い、陸を目指して泳ごうと海面に足を入れたときだった。両脚のふくらはぎに何か柔らかいものが触れたと思った瞬間、ふくらはぎ全体に鋭い痛みが走った。驚きのあまりふくらはぎに両手をかけ、それと同時に俺の身体は海の中へと沈んだ。
 何だ今のは? クラゲか? でもまだお盆じゃないし、この辺りは潮の関係でクラゲは滅多に出ない。そう三枝さんから聞いた。それよりも息継ぎをどうにかしないと。
 俺はシュノーケルの先端を口にくわえたが、海面まで距離が足りない。それなら息が苦しくなる前に砂浜まで泳ぐしかない。両脚が使えないから両手だけで泳ぐしかない。
 そう思ったとき、海の中で、人影のようなものが見えて、それに目が釘付けになった。初めはボンヤリとしか見えなかったが、徐々に浴衣を着た人間の女性のような形を作っていった。一瞬、サクラかと思ったが、その人影は長い髪を海藻のように海の流れにそって、ゆらゆらと揺らしてこちらを見ていた。
 あれは網姫だ。直感的にそう思った。目が青いかどうかは判断できないが、あの髪は確かに村の人たちの言う通り、海藻を連想させる。
『網姫があなたを攫っていくわ』
 マジかよ。こういうことかよ。俺をこのまま海に引きずり込む気か。
 俺は陸に向かって泳ごうとしたが、網姫と目を逸らすことができなかった。そうこうしているうちに、俺の意識はここで途絶えた。
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