不気味な念仏

いち こ

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四  川渡り①

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 街に行く用意を始めると、ユウジのお経は聞こえなくなった。
 俺はポンポンと耳を叩いた。
 やはり耳鳴りは聞こえない。

「なぜか、耳鳴りがやんだ。街に行くのをやめようか。めんどくさいし。俺はあんな人がたくさんいる所に行きたくないね」

 ミレイは怒った顔をする。
「だめよ。きちんと医者に診てもらいなさい。第一、死んだ子供の声が聞こえるなど、尋常でないよ」

「でも、面倒くさいし。大丈夫だ。またの機会にすればよい。俺はいやだ」
 ミレイはあきれた顔をする。

「喉元すぎれば、暑さ忘れるとは、まさにこのことだね。まあいい。勝手にすれば」
 ミレイが窓から、川向こうをみる。

「今日は天気が良くて、向こう岸もはっきりと見えるよ。風もないし、舟で渡るのはちょうどいいね」
 ミレイの取って付けたような言い方に、腹が立つ。

「何だい! その言い方。お前は皮肉しか言えないのか? 俺の耳がせっかく良くなったのに、ちっとも嬉しそうな顔をしない」

「馬鹿。ハヤトのことを心配しているからじゃない。早期発見というではないの。何か重い病気だったらどうするの? ハヤトは、五年前に胃がんが見つかったじゃない。それも、早期発見だから助かったのよ」

 確かに五年前、胃がんを患った。幸い、ステージ・ワンの、それもごく早期に発見で、幸い命を失うことはなかった。

 ただ、抗がん剤が辛かった。飲んだ途端に具合が悪くなり、薬によって、髪の毛がパラパラと落ちてしまった。
 確かに、早期発見をすることは大切だ。
 少し考え直す。耳鳴りが脳から来ていると恐ろしいので行くことにする。


「わかったよ。いくよ。家の近くの脳神経外科と、耳鼻科にいけば良いのだな?」
「そうそう。病気は早めに診てもらい、異常があったら、早めに治す。これにかぎるよ」

 俺はジーパンをはいて、青いTシャツを着た。9月というのに、秋風は吹かない。
 ミレイも同じ種類のジーパンをはいて、赤いTシャツ着た。おそろいである。

 簡単に化粧を済ますのを待って外に出た。ミレイは結構化粧上手で、テキパキと上手に化粧をする。

 玄関の前では、隣の家のサチが待っていた。
「おや? どうした? 何をしている?」

 サチはキラキラとした目を向けてくる。
「一緒に連れて行って。お願い。お母さんが逢いたいと言っているの」

「小さい頃、生き別れになったお母さん? 電話でも来たのか?」
「まあ。そんなものね。とにかく、久しぶりに逢ってみたいの?」

 多分、LINEか、メールか何かでやりとりをしていたのかも知れない。ミレイが尋ねた。

「サッちゃんのお母さんは、今どこにいるの?」
「福丸町よ。そこの1丁目1番地に澄んでいるわ」

 すかさず、俺が声を上げた。

「そのことをお父さんも知っているのかい?」
 離婚をした片親に子供が逢うのは、やはり、もう片親の了承のようなものがいるだろう。
 サチは暗い顔になって、黙ってしまう。

「お父さんに言ったら、お母さんと会うのを止められるもの。話してない・・」
「ならば、ダメだね。親権者の了承がなければ、連れて行けない』

 俺が強めの言葉で言うと、サチが泣きそうな顔になる。目が涙でうるうるとしてきた。
 ミレイが割って入った。

「いいじゃないか。どっちみち日帰りなのだし、そんなに遅くならないうちに帰ってくるよ。それに、私が途中で、スマホから連絡するよ」
 俺は納得しなかったが、ミレイが確信をもったように言うので、ついついと了承してしまう。

「わかった。今回だけ。以後、認めないからな」
 サチは飛び上がって喜ぶ。
「おじさんありがとう。うれしい」

 サチは俺に思わず抱きつく。俺はまだ40そこそこだが、まだ、体は若い。
 サチのような二十歳少し前の女に、きつく抱きつかれて、少しめまいが起こりそうになる。

 一瞬ミレイが、イヤな顔をする。
「さっさと行くよ。早くしないと、今日中にかえってこれないよ」
 太陽を見ると、頭の上から少し西に傾きかけている。

「わかった急ごう。川を渡って、少し歩くとJRの駅がある。何かの小説にみたいに、トンネルを抜けるとすぐに福角町に着く」

 我々はゆっくりと川の渡し船のところに歩き始めた。



 
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