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1 県立日輪高校
松田美根子
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正直言って、親父の言葉は今ひとつ腑に落ちない。彼らは悪霊であることが存在理由になってしまったから、並みの除霊では退散してもらえなくなったのではないか。滅霊を行うのは、悪霊になった責任を彼らに押し付けることだ。生者の都合を優先するから当然そうなるわけだが、このことは「それで何が悪い?」という暗黙の了解を前提にしている。
ここで俺は考えるのをやめる。
俺だって生きている。まだ16歳だし、この先の人生は長い。それがみんなの都合なら、合わせるしかないじゃないか。そう自分に言い聞かせるのだ。
記憶している限りの真言を誦していくうちに、状況が変わった。
扉の向こう──ちょうど床に魔法陣を描いたあたり──で物音がした。ゴム底の上履きで床を擦るような音が一瞬聞こえ、静かになったかと思うとまた聞こえる。断続的に5分ほどそれが続いたように感じてから、ため息まじりの声を確かに聞き取った。全身に鳥肌が立った。
「おかしいわね」
囁くような若い女の声。遂に現れたようだ。
「なんで消えないのよこれ? へったくそな絵」
暗闇の中を手探りで描いたことを少しも分かってくれない彼女の声は、次第に啜り泣くような調子に変わっていく。
「消してよ。いまいましいなあもう。嫌んなっちゃう。どうして、いつもこうなのよ。あたしが出てくると邪魔ばっかりして。あんた」
この「あんた」がドア越しに俺に向けられているのははっきり分かった。45年前に17歳で自らの命を絶った彼女が、今も生きているとすれば62歳。言葉遣いも今どきのJKと違ってどことなく古臭い。俺がどう応じたらいいか迷っていると、「彼女」は畳み掛けてきた。
「ここへ何しに来たの」
これは、答えざるを得ない。覚悟を決めた俺は、深呼吸してから「松田美根子様、ですね?」と囁き返した。
答えは無かった。
「わたくし、座光寺信光と申します。今宵は何とぞ松田さんにお鎮まりいただきたく、参上いたしました」
扉の向こうは沈黙したまま。しかし、まだ松田美根子がそこに留まっているのは、座光寺家の跡取りである俺の体感で分かる。
「わたくしは聖往学園──かつての耶麻根台高校──の在校生でもあります。有体に申しますと、女子在校生は満足に用足しもできぬとほとほと 困じ果てております次第で、どうかここは松田様にお鎮まり願いたく、無礼を顧みずこの座光寺が参上いたしました」
俺は待った。5、6秒経っただろうか。俺の耳は辛うじて、常人であれば錯覚とも判別しがたいような、か細い囁き声を聞き取った。
「あんた」
「はい?」
「男子でしょ」
「はい。確かに」
「ご不審は重々承知の上で」などと弁解しようとしたところ、扉の向こうから突然響いた怒鳴り声に俺は便座から飛び上がった。
「男がなぜ女子トイレにいるのよ!」
「申し訳ございません!」
「深夜に女子トイレを徘徊するのが趣味なの?」
「いいえそのような! 実はわたくし、」
「分かってるわよ! 私を『滅し』に来たんでしょう? 座光寺君」
「滅するなどと、そんな滅相も無い」
これは必ずしも嘘ではない。滅霊までせずとも、状況に応じて二度と生者の間に出没しないと確約させる「除霊」レベルにとどめることも俺の判断に委ねられている。ただ、無益な殺生を避けたいのはやまやまでも、それが限りなく望み薄だから俺がこの場にいるのも確かなのだ。結果的には、霊をなだめて仕事をやりやすくするための方便になってしまうわけだが、俺は頭のどこかで「これも仕方がない」と割り切っていた。そんな状況下に「滅するなど滅相も無い」と無用の軽口を叩くのは逆効果以外の何物でもないが、急場ゆえ悔やむ暇もなかった。
もっとも、当年62歳の松田さんには鼻で笑われただけだった。
「じゃ、やっぱり女子トイレ覗きに来たんだね」
せせら笑う松田美根子の声に、俺への憎しみとか悪意は感じられなかった。だから俺も開き直って「もう、何とでもおっしゃってください」と返すことができたのだろう。
「とにかく松田さん。今の在校生女子がみんな困ってるんです。どうかここはそのへんを理解して、お鎮まりくださいませんか」
しばしの沈黙を挟んで、松田さんは「話を聞いてくれる? 座光寺君」と尋ねてきた。嫌な予感がしたが、ここで逃げるわけにはいかないので「どうぞ」と答えた。
ここで俺は考えるのをやめる。
俺だって生きている。まだ16歳だし、この先の人生は長い。それがみんなの都合なら、合わせるしかないじゃないか。そう自分に言い聞かせるのだ。
記憶している限りの真言を誦していくうちに、状況が変わった。
扉の向こう──ちょうど床に魔法陣を描いたあたり──で物音がした。ゴム底の上履きで床を擦るような音が一瞬聞こえ、静かになったかと思うとまた聞こえる。断続的に5分ほどそれが続いたように感じてから、ため息まじりの声を確かに聞き取った。全身に鳥肌が立った。
「おかしいわね」
囁くような若い女の声。遂に現れたようだ。
「なんで消えないのよこれ? へったくそな絵」
暗闇の中を手探りで描いたことを少しも分かってくれない彼女の声は、次第に啜り泣くような調子に変わっていく。
「消してよ。いまいましいなあもう。嫌んなっちゃう。どうして、いつもこうなのよ。あたしが出てくると邪魔ばっかりして。あんた」
この「あんた」がドア越しに俺に向けられているのははっきり分かった。45年前に17歳で自らの命を絶った彼女が、今も生きているとすれば62歳。言葉遣いも今どきのJKと違ってどことなく古臭い。俺がどう応じたらいいか迷っていると、「彼女」は畳み掛けてきた。
「ここへ何しに来たの」
これは、答えざるを得ない。覚悟を決めた俺は、深呼吸してから「松田美根子様、ですね?」と囁き返した。
答えは無かった。
「わたくし、座光寺信光と申します。今宵は何とぞ松田さんにお鎮まりいただきたく、参上いたしました」
扉の向こうは沈黙したまま。しかし、まだ松田美根子がそこに留まっているのは、座光寺家の跡取りである俺の体感で分かる。
「わたくしは聖往学園──かつての耶麻根台高校──の在校生でもあります。有体に申しますと、女子在校生は満足に用足しもできぬとほとほと 困じ果てております次第で、どうかここは松田様にお鎮まり願いたく、無礼を顧みずこの座光寺が参上いたしました」
俺は待った。5、6秒経っただろうか。俺の耳は辛うじて、常人であれば錯覚とも判別しがたいような、か細い囁き声を聞き取った。
「あんた」
「はい?」
「男子でしょ」
「はい。確かに」
「ご不審は重々承知の上で」などと弁解しようとしたところ、扉の向こうから突然響いた怒鳴り声に俺は便座から飛び上がった。
「男がなぜ女子トイレにいるのよ!」
「申し訳ございません!」
「深夜に女子トイレを徘徊するのが趣味なの?」
「いいえそのような! 実はわたくし、」
「分かってるわよ! 私を『滅し』に来たんでしょう? 座光寺君」
「滅するなどと、そんな滅相も無い」
これは必ずしも嘘ではない。滅霊までせずとも、状況に応じて二度と生者の間に出没しないと確約させる「除霊」レベルにとどめることも俺の判断に委ねられている。ただ、無益な殺生を避けたいのはやまやまでも、それが限りなく望み薄だから俺がこの場にいるのも確かなのだ。結果的には、霊をなだめて仕事をやりやすくするための方便になってしまうわけだが、俺は頭のどこかで「これも仕方がない」と割り切っていた。そんな状況下に「滅するなど滅相も無い」と無用の軽口を叩くのは逆効果以外の何物でもないが、急場ゆえ悔やむ暇もなかった。
もっとも、当年62歳の松田さんには鼻で笑われただけだった。
「じゃ、やっぱり女子トイレ覗きに来たんだね」
せせら笑う松田美根子の声に、俺への憎しみとか悪意は感じられなかった。だから俺も開き直って「もう、何とでもおっしゃってください」と返すことができたのだろう。
「とにかく松田さん。今の在校生女子がみんな困ってるんです。どうかここはそのへんを理解して、お鎮まりくださいませんか」
しばしの沈黙を挟んで、松田さんは「話を聞いてくれる? 座光寺君」と尋ねてきた。嫌な予感がしたが、ここで逃げるわけにはいかないので「どうぞ」と答えた。
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