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第6話 休日の買い物
しおりを挟む久しぶりの半休だった。
リリナは外套の紐を結び直し、王宮の外門をくぐる。
市へ行く理由は単純だ。石鹸と糸、それから消耗した靴底の替え。休みといっても、用事は実用的なものばかりになる。
市は昼前から賑わっていた。
呼び込みの声、焼き菓子の匂い、人の流れ。王宮の中とはまるで違う空気に、歩調がほんの少しだけ緩む。
布屋の前で足を止めたときだった。
棚の前で立ち尽くしている背中に、見覚えがある。
落ち着いた色の外套。装飾のない靴。人混みに溶け込む姿――それでも、間違えようがなかった。
「……王子」
小さく声をかけると、その男は一瞬だけ肩を強張らせ、それから振り返った。
「ここでは、その呼び方はやめてくれ」
低い声。
変装しているつもりらしいが、完全とは言い難い。
「休暇ですか」
「視察、という名目だ」
そう言って、彼は布を一枚手に取った。
「どれを選べばいいのか分からなくてな」
棚には、色も質も違う布が並んでいる。
貴族向けの華やかなものから、実用一点張りのものまで。
「用途は」
「私室用だ。派手なのは要らない」
「洗濯に耐えるものがいいですね」
リリナは迷わず、少し厚手で色落ちしにくい布を指した。
「これです。丈夫で、長く使えます」
王子はわずかに意外そうな表情を浮かべ、その布を見下ろしてから頷いた。
「……なるほど。君らしい」
「雑務係の判断です」
「それが一番信用できる」
短いやり取りだったが、不思議と居心地は悪くなかった。
王宮で話すときよりも、言葉が少ない。
「助かった」
王子は店員に布を包ませる。
おせっかいを焼いてしまった自覚はあるが、役目は果たした。
「それでは」
踵を返しかけた、そのとき
「待て」
背後から、低く声がかかる。
リリナは足を止め、振り返った。
王子は包みを受け取ったまま、こちらを見ている。
その視線の意味は、まだ分からない。
市の喧騒だけが、二人の間を流れていた。
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