リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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二つの影

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「わあ、すごい! 本当にそっくりですね!」
 
 ヤルノの滞在している部屋とは違い、明らかに華美な装飾の施された調度品で統一された豪華な部屋。ただ、王族の部屋というにはギラついた印象は受けない。それよりも、意図してか観葉植物などの緑が多いように感じられるのは本人の趣味か。それとも体が弱く、外に出られない王子を気遣っての周りの配慮なのか。
 
 ベッドに腰かけた美しい銀髪の少年は、年相応と言うよりは、少し幼く感じられるような笑顔で自分にそっくりな容姿を持つヤルノに対して感嘆の声を漏らした。
 
「初めまして、王子殿下。ヤルノ・イスケラウタといいます。イスケラウタとは古語で、家業の鍛冶師を意味します」
 
 余人に知られてはいけない秘密の計画、王子の替え玉作戦。部屋の中にいるのは王子イェレミアス本人と、替え玉のヤルノ、それに王子の母である王妃インシュラ。警備の兵はわずかに一人、近衛騎士のギアンテのみである。
 
(やはり別人だ……)
 
 ギアンテは気付かれぬよう静かにほっと溜息をつく。
 
 ヤルノ少年の身なりは王宮に来たばかりの頃とは一変している。もはや小汚い村の鍛冶屋の息子ではない。仮眠を取った後、身を清め、質素ながらも王子の服と同等の高価なシャツを着ている。
 
 一見してみればもう王子とヤルノを見分けることは不可能であろう。確かに王子が無邪気にはしゃいでいる通り、二人はそっくりなのだ。
 
 しかし先ほどの王妃との初対面の時と違って、ヤルノはあくまで礼儀正しく、一線を引いたように王子に相対している。一方イェレミアスはよく言えば純真、悪く言えば幼い印象を受ける。
 
 二人の一挙手一投足には明確な違いがあった。ギアンテも王妃も安堵の色を浮かべる。やはり先ほどの事は何かの間違いだったのだ。実の母親でも見間違うほどにヤルノが王子に似ていたことは。外見は同じであっても、中身は全くの別物。王子と鍛冶屋の息子。生きてきた場所も教育も全く違う。
 
 とはいえギアンテは少し気がかりなこともある。
 
「すみませんね、ヤルノさん。こんな不正に、あなたを付き合わせてしまって」
「いえ、私のような平民が王子のお役に立てるなんて恐悦至極の極み、恐れ多いことです。全力を尽くします」
 
 あまりにも『出来過ぎている』のだ。
 
 村で見た彼の父親はいかにも学のない、礼儀も知らない十人並みの粗野な男であった。しかし今目の前にいるその息子はまるで貴族の子弟の様に礼儀をわきまえた立ち振る舞い。このような挙動をいったいどこで覚えたというのか。
 
「ヤルノ」
 
 悩んでも仕方がない。ギアンテは話を進めることとした。
 
「これからお前は四六時中、寝ているときでさえも王子殿下として振舞ってもらうことになる。周りに恐縮するような言動はたとえ無礼であろうとも不要。私もお前を王子殿下として扱う」
 
「ふふっ、じゃあギアンテも、もう『お前』なんて言っちゃいけませんね」
 
 いたずらっぽく笑って見せるイェレミアス。ギアンテは恥ずかしそうにこほん、と小さく咳払いをした。
 
「では、妃殿下の事も『お母様』と呼ばせてもらいますね」
 
 ヤルノの発言に王子は隣で笑みを浮かべてみていた。
 
「え、ええ。もちろん」
 
 王妃は戸惑いながらもこれを了承した。
 
「じゃあ僕のことも『イェレミアス』って呼んでよ。本人と同じなんだから敬語はおかしいでしょ?」
 
「そ、それは……」
 
 王子の提案に戸惑いの言葉を発したのはギアンテである。当のヤルノはというと……
 
「ふふっ、よろしく、イェレミアス。僕の事を『ヤルノ』って呼ぶのは、じゃあキミだけの特権だね」
 
 二人の会話にギアンテはめまいを覚えた。王妃もこのやり取りに強い違和感を覚えたのか少し手を上げて二人の会話を止めようとしたのだが、それよりもヤルノが機先を制した。
 
「お母様も。これからよろしくお願いします」
 
 屈託のない笑みを向けられて、王妃インシュラは言葉を失ってしまった。代わりに上げかけた手を下げて、ギアンテに話しかける。
 
「ギアンテ、すみません。少し気分が……今日は色々あって疲れているでしょうし、先々の事は、明日話しましょう」
 
 実際ヤルノからすれば昨日の夜半に生まれ育った村と両親に別れを告げ、一晩かけて馬車で移動、その中で青天の霹靂の様に王子の替え玉となることを告げられ、仮眠を挟んで王子と、その母と面会したのである。疲れているのが普通だ。
 
「妃殿下、お手を……」
 
 しかしそのヤルノよりも王妃の方がよほど疲弊しているように見受けられた。ふらりとよろけた王妃インシュラをギアンテが支え、ドアの方に歩いていく。
 
「お前も、今日は自分の部屋で休め」
 
 首だけで振り返りヤルノに声をかける。しかし彼女の発言をたしなめる声。
 
「ギアンテ、王子として扱うんでしょう?」
 
「……そうでした」
 
 今、優しい笑みを浮かべながらそう言ったのは、いったいどちらだったのか。
 
 王妃の手を引きながら廊下を歩くギアンテ、その相貌は、二人とも血の気が引いたようであった。まるで悪夢を見ているような気分。
 
 部屋に入ったばかりの時は、確かにヤルノとイェレミアスの間には明確な差があった。しかしその溝はほんの数分の会話の内に埋まっていった。部屋を出る頃にはどちらがどちらなのか、実の母親でも見紛うほどに。
 
「隊長」
 
 王妃インシュラを部屋に送り届け、疲れ切った表情でため息を吐く騎士ギアンテに声をかける男がいた。
 
 それはヤルノの村での作戦に同行していた騎士。
 
「どうした。首尾よくいったのであろうな」
 
「それが……」
 
 よくない雲行き。ギアンテの顔にもはや先ほどまでの疲労の色は無く、いつも通りの騎士のペルソナを被る。
 
「いえ、取り逃がしたりはしてません。村人は一人残らず殺し、火もかけました……村から、特にヤルノの家から逃げた人間がいないのは監視もしてたんで間違いないです」
 
 では何が問題だというのか。
 
「奴の家に、両親がいなかったんです」
 
「逃げられたんじゃないのか」
 
 普通に考えればそうである。今回の作戦の最重要人物。この二人が逃げては元も子もない。王子の影武者は絶対にバレてはいけない極秘事項。そのため安全を取って村の人間、とりわけヤルノの両親を殺害して口封じとする計略であった。
 
 外から見張っていて逃げた形跡がないというのなら地下道でもあってそこから逃げたというのか。もしくは井戸の中にでも逃げ込んでやり過ごしたか。
 
「それが、家の中には金子きんすがそのまま置いてあったんです。二つとも」
 
 元々金が目的でヤルノを売り払ったはず。ならばそれを置いていけばたとえ命あっても丸損である。
 
「どういうことだ」
 
 しかし誰も答えを持ち合わせてはいない。まるで神隠しにでもあったかのように、ヤルノの両親は消え去ってしまったというのだ。
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