リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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王別の儀

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「それで、その『王別の儀』とはどういうものなんですか?」
「まあ、待て」
 
 グリムランド王国の首都、ウィンザーハーツの北端に位置する堅牢な城。冬になると雪に包まれ、白銀に飾られる厳しい環境のため、白鳥城と呼ばれるこの城は明確に防衛施設と王宮の区別はつけておられず、その中の王族が居を構える建造物群の区画を指して『リィングリーツ宮』と呼ばれている。
 
 そのリィングリーツ宮の中の一室。ヤルノ少年と女騎士ギアンテが話をしているのは王子イェレミアスの私室である。
 
「ギアンテ、そんな喋り方してましたっけ?」
 
 あくまでもにこやかに話しかけるのはイェレミアスではなくヤルノ。ギアンテは苦虫をかみつぶしたような表情を見せる。
 
 しかし彼に「王子の様に振舞え」と命令したのは当のギアンテ自身である。その「王子としての振舞い」があまりにもイェレミアス王子に似過ぎていることが彼女の癪に障るのだ。理不尽だとは分かっているのだが。
 
 さらに言うのなら二人がいるのが本来は王子の私室と言うのも気に入らない。これも彼女の発案であるが。
 
 現在本物の王子は余人に見つからぬよう別室で隔離状態。「王子が二人いる」などという噂が立っては全ての計画が水泡に帰すからだ。元々外に出ないタチなので王子は平気なのだが、ギアンテはまるでヤルノが王子の居場所を奪っているような気がしてこの事態を本能的に受け入れられなかった。
 
 何度も言うが、これは彼女の発案である。理性では「これが最善」と分かっていても本能が拒否反応をしているのだ。
 
 彼女は軽く咳払いをして呼吸を整える。
 
「王子はこの国の成り立ちというものを知っていますか? 神話の時代の」
 
 ヤルノは首を少し傾げて中指をこめかみにあてる。これは紛れもなく考え事をする時の王子の仕草だ。
 
「確か……元々リィングリーツ黒き森に暮らしてたけど、森の妖精と折り合いが悪くて、追放されて平原で暮らすようになったんでしたっけ?」
「民間にはそんな形で伝わってるんですか……正史ではリィングリーツを支配する悪神に王の祖先が反逆して、森を後にし、善神ボーグベロウの神託により次々と平原の諸部族を撃破し、従え、グリムランドを作りました」
 
 民間伝承と政府の扱う正史で若干の齟齬があるようだ。
 
「悪神?」
 
「昼なお暗いリィングリーツの森は夜の領域であり、夜と森の守護神であり死者の国の門を司り、獣を従える死神ボーグ、チェルノが支配しています。こういった神話も覚えてもらいませんと」
 
「じゃあ、王国の民にとって森は不浄の場所? 村は森に近かったから、そう意識はなかったけど」
 
「不浄の土地であるとともに、祖先の生まれた聖地でもあります。だからこそこの王宮にも同じ名をつけられています。そして、王となる者は聖地へ行って、森の民と、死神に認められなければなりません」
 
「具体的には何をすればいいの?」
 
 話が早い。ヤルノはあまりにも話の呑み込みが早すぎてギアンテは拍子抜けするようであった。本来なら文字を覚えて、最低限の礼儀を叩き込み、遠目に見れば王子と区別がつかないくらいになるまで三か月は見る予定であった。
 
 しかしふたを開けてみればヤルノは最初から文字の読み書きができていたし、その所作も洗練されており、口を開けばもはや肉親でも王子と見紛うほど。大幅に予定を前出しして、彼が王宮に来て二日目には王子と部屋を交代していた。
 
 本来ならば喜ぶべきことなのだが、ギアンテは、まるでヤルノが王子の地位を取って代わろうとしているように感じられて、言いようのない焦燥感を覚えていた。おそらくは王妃インシュラも同じであろう。
 
「そう怖い顔をしないで、ギアンテ」
 
 顔を近づけて優しい笑顔でそう言ったヤルノにギアンテはびくりと身を正した。
 
 まるで考えていたことを見透かされたような言葉。そしてその仕草はイェレミアスそのもの。
 
「僕が王子に取って代わるんじゃないかって思って、怖いの?」
 
 ヤルノはテーブルの上に乗せられていたギアンテの手を包み込むように優しく覆った。
 
「よ、よせっ……」
 
 顔を赤くしながら慌てて手を引っ込めるギアンテ。ヤルノはそれに気を悪くすることなく、相変わらず優しい顔つきでギアンテの顔を覗き込んでくる。
 
「……いや、よしてください、王子」
 
 あくまでも『王子として扱う』……そのルールを思い出してギアンテは慌てて言い直した。
 
「安心して。あなた達が望まない限り、僕は決して彼と入れ替わろうなんて思わないから」
 
 そう、ヤルノは王妃とギアンテに望まれてここにいるのだ。それを「成り代わろうとしている」などと疑うのは本末転倒もいいところなのである。なのであるが、しかし頭ではそれを理解していても、心で受け入れられないところがギアンテにはあったのだ。
 
 「僕は、ギアンテの事も、イェレミアスの事も、好きだよ。安心して。それよりも、僕は何をすればいいの?」
 
 ヤルノは手元に視線を落とし、タブレット(蝋板)に字の練習をしながらそう言った。さすがに筆跡は一朝一夕で真似は出来ないようだったが、鍛冶屋の息子に過ぎない彼が字を書けることもギアンテにとっては驚きであった。
 
「王別の儀……おそらくもう少し暖かくなってから改めて日取りが決められるが、リィングリーツの森に入り、チェルノ神を祀る石碑に自らの名を書き入れ、そして戻ってこなければならない。当然一人で、だ」
 
 一人で、とはいえ森の中に入ってマナーの悪い観光客よろしく落書きをして戻ってくるだけである。未開の森に危険が多いとはいえ、替え玉を用意してまで望まねばならないほどのことには思えない。ヤルノは少し考え込むような仕草をして、ギアンテに話しかけた。
 
「その石碑って、もしかしてグリムランドじゃなくてコルピクラーニが作ったもの?」
 
 ギアンテが無言で頷いた。道理で。合点がゆく。コルピクラーニとは黒き森リィングリーツの中に住む北方蛮族であり、グリムランドの国民ではない。
 
 要は、言ってしまえば『王別の儀』とは彼らの聖地を汚す肝試しなのだ。王国の威の及ばない蛮族の怒りを買う愚行である。それによって度胸と実力を示すという迷惑行為。
 
「森に入ったくらいじゃ彼らは怒ったりしない……危険っていうのはそういう事ですか」
 
 ヤルノは思わず笑いをこぼしてしまった。
 
「できるのか?」
 
「あそこは僕の庭みたいなもの。問題ないですよ」
 
 スッと立ち上がり、ヤルノはドアの方を眺めながら言葉を続ける。
 
「それよりは、外で盗み聞きしようとしている人の方が気がかりですね」 
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