7 / 94
相まみえる獣
しおりを挟む
「だから、弟に会いに来るのになぜ止められなきゃいけないのか、納得できれば僕はおとなしく帰るって」
「すいませんが、妃殿下以外は何人も通すなと、それしか……」
イェレミアス王子の私室の外では衛兵と何者か、若い男が押し問答をしていた。若い男の語り口はあくまでも穏やかではあるが、しかしなかなかに頑固な様でおそらくは地位の高いのであろう、この男の対応に衛兵は苦慮しているように見えた。
「アシュベル王子殿下」
ドアを開いて騎士ギアンテが声をかけた。ただ名を呼びかけただけではない。これは部屋の中にいるヤルノに「誰が来たのか」を伝えるための合図でもある。
着席したままのヤルノの片眉がぴくりと動く。
(アシュベルといえばイェレミアスの二人いる兄のうちの一人、確か次兄だったな)
まだ家族関係などの細かいレクチャーは受けていないヤルノであるが、如何に平民と言えども王子の名前くらいは聞いたことがある。そしてその名を呼んだギアンテが言外に「まだお前の対処できる相手ではない、来るな」と言っていることも理解する。しかし。
「いかがいたしましたか、アシュベル殿下。ここに来るなど珍しいですね。今イェレミアス殿下に幾何学の講義をしていたところですが」
「いかがもなにも、病弱な弟が気がかりで、様子を見に来ただけだよ」
弟に会いに来た。
そのことに特段の理由など必要ないのは、それが平民の場合だけであろう。次兄アシュベルは女好きで人懐こい性格ではあるが、同時に疑り深く、頭が切れる。ギアンテはその瞳の中に言いようのない不安を感じた。
(今までに一度だって用もないのに見舞いに来たことなどなかった。王位争奪戦のライバルであるイェレミアス殿下を疎んでいるのだと思っていたが)
例にもれず、王族の兄弟間の仲はよくはない。それは如何にイェレミアスが穏和な性格であろうと変わらない。王位を狙うものとしてはそれが「生きている」だけで邪魔なのだ。
(まさかとは思うが、『恐れていた事』はすでに発生しているのでは? 疑われているのでは?)
ギアンテの思う『恐れていた事』とは無論、影武者計画の事である。口封じに村民を皆殺しにし、焼き払った。計画は迅速かつ完璧に行われた。
しかし、イェレミアスとヤルノはあまりにも似ている。もしかすれば自分達がその情報を仕入れる前にこの如才ない男はすでにそれを知っていた可能性だってあるのだ。「イェレミアス王子に瓜二つの少年がいる」と。
もしそうならばこれは非常に危険だ。まだ計画を実施して二日目。ヤルノに家族関係のレクチャーすら済んでいない状態。「疑い」を持ってアシュベルが訊ねてきたのなら、ヤルノの正体を看破される危険性が高い。
「王子は体調がすぐれないので……」
「どうしましたか、ギアンテ」
ドアを少し開け、顔だけを見せて対応していたギアンテだったが、後ろからヤルノが姿を見せ、ドアをあけ放ったのだ。余りにも軽率な行動に驚き、ギアンテは思わず目を剥いてしまい、慌てて表情を平静に戻す。
「おお、イェレミアス。聞いてくれ、ギアンテが酷いんだよ。僕ら兄弟の仲を引き裂こうとして! 僕は『兄様、兄様と慕ってくれる弟のことが心配なだけだっていうのに!」
演技過剰なセリフでおどけてみせるアシュベル。しかしその心の底は計り知れない。ヤルノはただにこにこと笑うだけで言葉を返さなかった。
「ん? イェレミアス……なんか雰囲気変わった?」
直球である。どこまで気付いているのか、ギアンテは内心で驚きつつも、表面上は冷静なままであった。
「香水を変えたので、そう感じるのでは?」
「……そうか。ま、勉強もいいが無理をするなよ。体調には気をつけてな」
「そちらこそ」
互いに相変わらずのにこやかな表情。しかしヤルノの方はともかく、アシュベルの方は内心「当てが外れた」と感じていた。
(『例の村』が先日焼き払われた、と聞いてまさか、とは思ったが……別段変わりないな。それともこっちは『本物』か?)
アシュベルはやはり「イェレミアスに瓜二つの少年」の情報を掴んでおり、それとなくイェレミアス周辺の事情を見張らせていて、動きがあったために様子を見に来たのだ。そのために普段はイェレミアスに呼ばれていない「兄様」という言葉を誘導してカマをかけてみようとしたが、不発に終わった。
(まあいい。たいして信ぴょう性もない情報だしな。もし本当に影武者なら、正体を暴く時間はいくらでもある)
「殿下、イェレミアス王子の体調もすぐれませんので、そろそろ」
演技なのか本気なのか、困ったような表情を見せてギアンテが声をかける。
「ハハ、邪魔してすまんな。妙齢の女騎士が見張りまで立てて密室にこもってるから、これはいよいよイェレミアスにも春が来たのかと思ったんだ。大事な弟を搾り取らないでくれよ?」
「左様な事は」
目を伏せ、言葉少なにギアンテが否定すると、アシュベルは肩をすくめて回れ右した。
「エルエト人が性に奔放なのは知ってるが、ほどほどにな」
最後の言葉は何も収穫が無かったことの憂さ晴らしか。捨て台詞に対し侮辱されたギアンテは小さな声で「肝に銘じます」と答えただけであった。
兎にも角にも、ギアンテは歩き出し、少しずつ小さくなってゆくアシュベルの背中を見てホッと胸をなでおろす。いずれは肉親の、それも『敵』との接触は避けられない事態であっただろうが、まさか王宮に来て二日目でそんな事態になるなどとは思いもよらなかった。まさかアシュベルが最初から影武者についての情報を得ているなどとはこうなった今も半信半疑である。
しかし無事危機は去ったのだ。庇ったつもりのヤルノが途中勝手に部屋から出てくるというアクシデントはあったものの。
とりあえず部屋の扉を閉めて、そのことをヤルノに叱責しようと思った時であった。
「その言葉、取り消してください」
アシュベルの背中越しに声をかける者がいた。
「……なに?」
足を止めたアシュベルが、自らの背中越しに視線を送る。
「ギアンテを侮辱するような言葉は、取り消してくださいと言ったんです」
静謐なる王宮の廊下の中、教会の鐘の音の様によく通る、力強い声。ヤルノが毅然とした態度で声を上げたのだ。
「……イェレミアス……お前が言ったのか」
半ばまで体をヤルノの方に向け、爛と輝く目でまるで獲物を見つけた猫のように照準を定める。
「お前は今まで、一度だって僕に意見したことはなかったじゃないか」
「すいませんが、妃殿下以外は何人も通すなと、それしか……」
イェレミアス王子の私室の外では衛兵と何者か、若い男が押し問答をしていた。若い男の語り口はあくまでも穏やかではあるが、しかしなかなかに頑固な様でおそらくは地位の高いのであろう、この男の対応に衛兵は苦慮しているように見えた。
「アシュベル王子殿下」
ドアを開いて騎士ギアンテが声をかけた。ただ名を呼びかけただけではない。これは部屋の中にいるヤルノに「誰が来たのか」を伝えるための合図でもある。
着席したままのヤルノの片眉がぴくりと動く。
(アシュベルといえばイェレミアスの二人いる兄のうちの一人、確か次兄だったな)
まだ家族関係などの細かいレクチャーは受けていないヤルノであるが、如何に平民と言えども王子の名前くらいは聞いたことがある。そしてその名を呼んだギアンテが言外に「まだお前の対処できる相手ではない、来るな」と言っていることも理解する。しかし。
「いかがいたしましたか、アシュベル殿下。ここに来るなど珍しいですね。今イェレミアス殿下に幾何学の講義をしていたところですが」
「いかがもなにも、病弱な弟が気がかりで、様子を見に来ただけだよ」
弟に会いに来た。
そのことに特段の理由など必要ないのは、それが平民の場合だけであろう。次兄アシュベルは女好きで人懐こい性格ではあるが、同時に疑り深く、頭が切れる。ギアンテはその瞳の中に言いようのない不安を感じた。
(今までに一度だって用もないのに見舞いに来たことなどなかった。王位争奪戦のライバルであるイェレミアス殿下を疎んでいるのだと思っていたが)
例にもれず、王族の兄弟間の仲はよくはない。それは如何にイェレミアスが穏和な性格であろうと変わらない。王位を狙うものとしてはそれが「生きている」だけで邪魔なのだ。
(まさかとは思うが、『恐れていた事』はすでに発生しているのでは? 疑われているのでは?)
ギアンテの思う『恐れていた事』とは無論、影武者計画の事である。口封じに村民を皆殺しにし、焼き払った。計画は迅速かつ完璧に行われた。
しかし、イェレミアスとヤルノはあまりにも似ている。もしかすれば自分達がその情報を仕入れる前にこの如才ない男はすでにそれを知っていた可能性だってあるのだ。「イェレミアス王子に瓜二つの少年がいる」と。
もしそうならばこれは非常に危険だ。まだ計画を実施して二日目。ヤルノに家族関係のレクチャーすら済んでいない状態。「疑い」を持ってアシュベルが訊ねてきたのなら、ヤルノの正体を看破される危険性が高い。
「王子は体調がすぐれないので……」
「どうしましたか、ギアンテ」
ドアを少し開け、顔だけを見せて対応していたギアンテだったが、後ろからヤルノが姿を見せ、ドアをあけ放ったのだ。余りにも軽率な行動に驚き、ギアンテは思わず目を剥いてしまい、慌てて表情を平静に戻す。
「おお、イェレミアス。聞いてくれ、ギアンテが酷いんだよ。僕ら兄弟の仲を引き裂こうとして! 僕は『兄様、兄様と慕ってくれる弟のことが心配なだけだっていうのに!」
演技過剰なセリフでおどけてみせるアシュベル。しかしその心の底は計り知れない。ヤルノはただにこにこと笑うだけで言葉を返さなかった。
「ん? イェレミアス……なんか雰囲気変わった?」
直球である。どこまで気付いているのか、ギアンテは内心で驚きつつも、表面上は冷静なままであった。
「香水を変えたので、そう感じるのでは?」
「……そうか。ま、勉強もいいが無理をするなよ。体調には気をつけてな」
「そちらこそ」
互いに相変わらずのにこやかな表情。しかしヤルノの方はともかく、アシュベルの方は内心「当てが外れた」と感じていた。
(『例の村』が先日焼き払われた、と聞いてまさか、とは思ったが……別段変わりないな。それともこっちは『本物』か?)
アシュベルはやはり「イェレミアスに瓜二つの少年」の情報を掴んでおり、それとなくイェレミアス周辺の事情を見張らせていて、動きがあったために様子を見に来たのだ。そのために普段はイェレミアスに呼ばれていない「兄様」という言葉を誘導してカマをかけてみようとしたが、不発に終わった。
(まあいい。たいして信ぴょう性もない情報だしな。もし本当に影武者なら、正体を暴く時間はいくらでもある)
「殿下、イェレミアス王子の体調もすぐれませんので、そろそろ」
演技なのか本気なのか、困ったような表情を見せてギアンテが声をかける。
「ハハ、邪魔してすまんな。妙齢の女騎士が見張りまで立てて密室にこもってるから、これはいよいよイェレミアスにも春が来たのかと思ったんだ。大事な弟を搾り取らないでくれよ?」
「左様な事は」
目を伏せ、言葉少なにギアンテが否定すると、アシュベルは肩をすくめて回れ右した。
「エルエト人が性に奔放なのは知ってるが、ほどほどにな」
最後の言葉は何も収穫が無かったことの憂さ晴らしか。捨て台詞に対し侮辱されたギアンテは小さな声で「肝に銘じます」と答えただけであった。
兎にも角にも、ギアンテは歩き出し、少しずつ小さくなってゆくアシュベルの背中を見てホッと胸をなでおろす。いずれは肉親の、それも『敵』との接触は避けられない事態であっただろうが、まさか王宮に来て二日目でそんな事態になるなどとは思いもよらなかった。まさかアシュベルが最初から影武者についての情報を得ているなどとはこうなった今も半信半疑である。
しかし無事危機は去ったのだ。庇ったつもりのヤルノが途中勝手に部屋から出てくるというアクシデントはあったものの。
とりあえず部屋の扉を閉めて、そのことをヤルノに叱責しようと思った時であった。
「その言葉、取り消してください」
アシュベルの背中越しに声をかける者がいた。
「……なに?」
足を止めたアシュベルが、自らの背中越しに視線を送る。
「ギアンテを侮辱するような言葉は、取り消してくださいと言ったんです」
静謐なる王宮の廊下の中、教会の鐘の音の様によく通る、力強い声。ヤルノが毅然とした態度で声を上げたのだ。
「……イェレミアス……お前が言ったのか」
半ばまで体をヤルノの方に向け、爛と輝く目でまるで獲物を見つけた猫のように照準を定める。
「お前は今まで、一度だって僕に意見したことはなかったじゃないか」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる