リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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相まみえる獣

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「だから、弟に会いに来るのになぜ止められなきゃいけないのか、納得できれば僕はおとなしく帰るって」
「すいませんが、妃殿下以外は何人なんぴとも通すなと、それしか……」
 
 イェレミアス王子の私室の外では衛兵と何者か、若い男が押し問答をしていた。若い男の語り口はあくまでも穏やかではあるが、しかしなかなかに頑固な様でおそらくは地位の高いのであろう、この男の対応に衛兵は苦慮しているように見えた。
 
「アシュベル王子殿下」
 
 ドアを開いて騎士ギアンテが声をかけた。ただ名を呼びかけただけではない。これは部屋の中にいるヤルノに「誰が来たのか」を伝えるための合図でもある。
 
 着席したままのヤルノの片眉がぴくりと動く。
 
(アシュベルといえばイェレミアスの二人いる兄のうちの一人、確か次兄だったな)
 
 まだ家族関係などの細かいレクチャーは受けていないヤルノであるが、如何に平民と言えども王子の名前くらいは聞いたことがある。そしてその名を呼んだギアンテが言外に「まだお前の対処できる相手ではない、来るな」と言っていることも理解する。しかし。
 
「いかがいたしましたか、アシュベル殿下。ここに来るなど珍しいですね。今イェレミアス殿下に幾何学の講義をしていたところですが」
 
「いかがもなにも、病弱な弟が気がかりで、様子を見に来ただけだよ」
 
 弟に会いに来た。
 
 そのことに特段の理由など必要ないのは、それが平民の場合だけであろう。次兄アシュベルは女好きで人懐こい性格ではあるが、同時に疑り深く、頭が切れる。ギアンテはその瞳の中に言いようのない不安を感じた。
 
(今までに一度だって用もないのに見舞いに来たことなどなかった。王位争奪戦のライバルであるイェレミアス殿下を疎んでいるのだと思っていたが)
 
 例にもれず、王族の兄弟間の仲はよくはない。それは如何にイェレミアスが穏和な性格であろうと変わらない。王位を狙うものとしてはそれが「生きている」だけで邪魔なのだ。
 
(まさかとは思うが、『恐れていた事』はすでに発生しているのでは? 疑われているのでは?)
 
 ギアンテの思う『恐れていた事』とは無論、影武者計画の事である。口封じに村民を皆殺しにし、焼き払った。計画は迅速かつ完璧に行われた。
 
 しかし、イェレミアスとヤルノはあまりにも似ている。もしかすれば自分達がその情報を仕入れる前にこの如才ない男はすでにそれを知っていた可能性だってあるのだ。「イェレミアス王子に瓜二つの少年がいる」と。
 
 もしそうならばこれは非常に危険だ。まだ計画を実施して二日目。ヤルノに家族関係のレクチャーすら済んでいない状態。「疑い」を持ってアシュベルが訊ねてきたのなら、ヤルノの正体を看破される危険性が高い。
 
「王子は体調がすぐれないので……」
「どうしましたか、ギアンテ」
 
 ドアを少し開け、顔だけを見せて対応していたギアンテだったが、後ろからヤルノが姿を見せ、ドアをあけ放ったのだ。余りにも軽率な行動に驚き、ギアンテは思わず目を剥いてしまい、慌てて表情を平静に戻す。
 
「おお、イェレミアス。聞いてくれ、ギアンテが酷いんだよ。僕ら兄弟の仲を引き裂こうとして! 僕は『兄様にいさま兄様にいさまと慕ってくれる弟のことが心配なだけだっていうのに!」
 
 演技過剰なセリフでおどけてみせるアシュベル。しかしその心の底は計り知れない。ヤルノはただにこにこと笑うだけで言葉を返さなかった。
 
「ん? イェレミアス……なんか雰囲気変わった?」
 
 直球である。どこまで気付いているのか、ギアンテは内心で驚きつつも、表面上は冷静なままであった。
 
「香水を変えたので、そう感じるのでは?」
 
「……そうか。ま、勉強もいいが無理をするなよ。体調には気をつけてな」
 
「そちらこそ」
 
 互いに相変わらずのにこやかな表情。しかしヤルノの方はともかく、アシュベルの方は内心「当てが外れた」と感じていた。
 
(『例の村』が先日焼き払われた、と聞いてまさか、とは思ったが……別段変わりないな。それともこっちは『本物』か?)
 
 アシュベルはやはり「イェレミアスに瓜二つの少年」の情報を掴んでおり、それとなくイェレミアス周辺の事情を見張らせていて、動きがあったために様子を見に来たのだ。そのために普段はイェレミアスに呼ばれていない「兄様」という言葉を誘導してカマをかけてみようとしたが、不発に終わった。
 
(まあいい。たいして信ぴょう性もない情報だしな。もし本当に影武者なら、正体を暴く時間はいくらでもある)
 
「殿下、イェレミアス王子の体調もすぐれませんので、そろそろ」
 
 演技なのか本気なのか、困ったような表情を見せてギアンテが声をかける。
 
「ハハ、邪魔してすまんな。妙齢の女騎士が見張りまで立てて密室にこもってるから、これはいよいよイェレミアスにも春が来たのかと思ったんだ。大事な弟を搾り取らないでくれよ?」
 
「左様な事は」
 
 目を伏せ、言葉少なにギアンテが否定すると、アシュベルは肩をすくめて回れ右した。
 
「エルエト人が性に奔放なのは知ってるが、ほどほどにな」
 
 最後の言葉は何も収穫が無かったことの憂さ晴らしか。捨て台詞に対し侮辱されたギアンテは小さな声で「肝に銘じます」と答えただけであった。
 
 兎にも角にも、ギアンテは歩き出し、少しずつ小さくなってゆくアシュベルの背中を見てホッと胸をなでおろす。いずれは肉親の、それも『敵』との接触は避けられない事態であっただろうが、まさか王宮に来て二日目でそんな事態になるなどとは思いもよらなかった。まさかアシュベルが最初から影武者についての情報を得ているなどとはこうなった今も半信半疑である。
 
 しかし無事危機は去ったのだ。庇ったつもりのヤルノが途中勝手に部屋から出てくるというアクシデントはあったものの。
 
 とりあえず部屋の扉を閉めて、そのことをヤルノに叱責しようと思った時であった。
 
「その言葉、取り消してください」
 
 アシュベルの背中越しに声をかける者がいた。
 
「……なに?」
 
 足を止めたアシュベルが、自らの背中越しに視線を送る。
 
「ギアンテを侮辱するような言葉は、取り消してくださいと言ったんです」
 
 静謐なる王宮の廊下の中、教会の鐘の音の様によく通る、力強い声。ヤルノが毅然とした態度で声を上げたのだ。
 
「……イェレミアス……お前が言ったのか」
 
 半ばまで体をヤルノの方に向け、爛と輝く目でまるで獲物を見つけた猫のように照準を定める。
 
「お前は今まで、一度だって僕に意見したことはなかったじゃないか」
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