リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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騎士との逢瀬

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 夜のリィングリーツは冷える。それは木で囲まれた黒き森が冷えるのは当然であるが、石造りの王宮である、同じ名を冠するリィングリーツ宮も同様である。
 
「まったく、調子が狂う……」
 
 暖炉の炎に薪を追加しながら騎士ヒルシェンは独り言をつぶやいた。
 
 まるで狐につままれたようであった。
 
 いつも通り我儘ばかり言う公爵令嬢につきあわされ、婚約者いびりを見せつけられるのかと思ったら訳の分からぬうちに王子と決闘することになり、あまつさえ手を抜いたわけでもないというのに敗北するという失態。
 
 それでキシュクシュの機嫌が悪くならなかったのがせめてもの不幸中の幸いではあったが……
 
「不思議な人だ……」
 
 炎をぼうっと眺めながら王子の事を思い出す。勝敗以上の実力差を感じた。技の読みあいとか膂力の差だとか、そんなものを越えたところで戦う前から敗北している気がした。
 
 騎士団の実力者を手合わせをしてもらったこともある。あとから考えて「ああすれば勝てる」「こうすれば勝てた」「まだ実力が足りない」といろいろ思うことはそれはある。だが今日の決闘はそういうものとは全く異次元だった。
 
 何をどうやっても勝てる絵が浮かばないのだ。
 
 戦った後に握った手は剣ダコなどなく、まるで少女のように柔らかかったというのに。
 
 ヒルシェンは鼓動が高まっていることに気付き、服の上から自分の胸を押さえた。美しい少年だとは聞いていたが、実際に会ってみると、ただ美しいだけではない。妖しく、危うい。その色香にて湖に引き込むという妖精ニンフのよう。
 
 その時リィングリーツ宮の客室の扉をノックする音が聞こえた。こんな夜更けに何事か。またキシュクシュが我儘でも言うのか、いや、いくら彼女でも夜中に男女二人で会うような阿呆ではない。用があるなら騎士ギアンテが昼間の文句でも言いに来たか、と急いで扉を開ける。
 
「ぅ……」
 
 その時、再びあの妖しく濃厚な、雌花の香りが彼の鼻腔をくすぐった。
 
「失礼……まだ寝ていませんでしたか?」
 
「……イェレミアス王子」
 
 専属の調香師でもいるのか、それとも元々こんな体臭なのか。理性を失わせるほどの妖艶な芳香。ヒルシェンの思考力が奪われる。
 
「うふふ、昼間のお怪我は大丈夫ですか? 少しお話したいと思いまして」
 
 光を放つほどに愛らしい笑顔の魔力に押され、ヒルシェンは彼を部屋に招き入れて扉にカギをかけた。
 
「おはなし、とは」
 
 朦朧とする意識の中、王子を支える様に肩を抱き、部屋にある椅子に座らせる。あり得ぬほどに近すぎる距離は、本能が少しでも多くこの天使のかぐわしき雰囲気を体に纏いたいと思ったから。
 
「王別の儀も控えていますから、騎士のヒルシェンさんに剣技など教えて頂きたいな、と」
 
 その言葉でヒルシェンはハッと我に返った。自分の方こそ聞きたいことがあったのだ。
 
「王子、王子殿下は武の心得がないと聞いていましたが、昼の立ち回りはとてもそうは思えませんでした。あれはいったい……」
 
「ヒルシェンさんが体調が悪かっただけなのでは?」
 
 即座にそう答えられてヒルシェンは固まってしまう。
 
「ほら、今もなんだか顔が赤いですよ。熱があるのでは?」
 
 そう言いながらイェレミアスはヒルシェンのうなじに手を廻して頭部を固定するとゆっくりと顔を近づけて額同士を当てた。
 ヒルシェンは自分も椅子を出してイェレミアスの対面に座っていたために逃げることも叶わず、されるがまま、不思議な魔力により目を閉じることもできずに硬直していた。
 
「ああ、やっぱり熱がある。それになんだか呼吸も荒いですよ」
 
 額を離し、しかし鼻先が触れそうなほどに近い距離のまま王子が話す。顔にかかる吐息もやはり甘い香り。
 
 これが町娘であればヒルシェンはとうの昔に理性を失い、むしゃぶりつくように細い腰を抱きしめ、すぐ隣にあるベッドに押し倒していたであろう。しかし相手は男。その上この国の王子である。かろうじてつながった理性の糸が彼を止める。
 
 しかしそれも無駄な抵抗であった。
 
「!?……」
 
 恍惚の表情を浮かべてイェレミアスが静かにヒルシェンの唇に口をつけた。
 
 人を殺したことはないが女を抱いたことはある。人並みに娼館にもいくし、涼やかな目元と騎士の位があれば女遊びに困ることはない。だがその唇で感じた柔らかさはこれまでに経験したことのないものであった。
 
 脳が痺れたように麻痺して、何も考えられなくなる。そのくせ体の感覚はやけに鋭敏に感じられた気がした。
 
「今日、王宮の方に泊まられていくと聞いて、嬉しかったんです」
 
 王子は耳元でそう呟いて耳たぶを甘噛みした。今日キシュクシュと護衛のヒルシェンが王都のオーガン家の屋敷に戻らずリィングリーツ宮に泊まっていくことになったのには深い意味はない。ただ、王子がそれとなく引き留めるようなそぶりを見せ、食事もしていくことになったので、婚約者同士、これは何か婚前交渉もあるのかもしれない。その時はまあ自分は目を瞑っておくか、と考えていたのだが、まさか王子が自分の寝室に来るとは思ってもいなかった。
 
 思ってはいなかったのだが、期待はしていたのかもしれない。
 
 ともかく、首筋に甘いキスをし、猫のように擦りついてくる王子の香りを嗅いでいると、何もかもどうでもよくなってきていた。
 
 王族からの誘いを断れるはずもなし、という都合のいい言い訳と、主人の婚約者に何をしているのか、というなけなしの抵抗の間で揺らぐ心も、次の瞬間王子が彼の熱く滾る部分に手を触れたことで消し飛んでしまったように感じられた。
 
「よかった……断られるんじゃないかって、ずっと不安だったんです。ココは、嫌がってないみたいですね」
 
 いたずらっぽく王子はそう言うと再びヒルシェンに口づけをし、今度は舌までも進入させてきた。
 
 もはや我慢というものを置き去りにしたヒルシェンは相手が王族という事も忘れて無遠慮に、仕返しとばかりに口の中を蹂躙し、そして少々乱暴に王子の体をベッドになぎ倒した。
 
「どういうつもりか分かりませんが……」
 
 よりにもよって王族と、それも自分の使える主の婚約者と。たとえ異性であっても許されぬ関係を、同性同士で。思考がまとまらず、ヒルシェンはその先を言葉にできずに王子に覆いかぶさる事しかできなかった。
 
「どういうつもりもなにも、人が愛し合うことに理由が必要ですか?」
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