リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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リィングリーツの闇の中

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「こ、殺ッ……」
 
「声がでかい」
 
 ドスの効かせた声を出しながらオーガン卿が騎士団総長コルアーレの肩を強く掴む。公爵という肩書ながらその膂力は凄まじく、近接パワー型の貴族であることを窺わせる。
 
「いいか、よく聞け」
 
 有無を言わせぬ凄み。この国の軍事を司る一軍の将を相手取って全く臆するところがない。そしてそれは恐らく、王子が相手でも同じであるのだろう。しかしだからと言って娘の元婚約者を「殺せ」とは如何なることか。
 
「もはや仮にキシュクシュが戻ったとしても今更イェレミアスとの婚約など望むべくもない。いや、この醜聞があっては他の有力貴族ともくっつけるのは難しかろうな」
 
「で、ですが……」
 
 騎士総長コルアーレにはそれと、王子の暗殺が繋がらない。
 
「他の者に盗られるくらいなら、いっそのこと殺してしまった方がせいせいする」
 
 すっぱい葡萄は始末するに限る。
 
「それを、王別の儀で……?」
 
「左様。あの森は法の埒外。獣に食われたとて見なかったことにするのが森の習いよ」
 
「し、しかし、我ら騎士団の任務は儀の間の。王子がその最中に亡くなれば我らの失態となります」
 
 コルアーレの言葉にオーガン卿は大きくため息をついた。王子を殺そうというのに心配するのは己の保身か、という心持ち。自分の事は棚に上げて落胆の意を示した。
 
「いいか、お前はまだ総長になって日が浅いから知らんかもしれんがな。お前、王別の儀が何のために行われるのか知っておるのか?」
 
 国民ならば誰もが知っている事。儀式を通して王たる者の胆力と実力を示す。その威によって国を治めるために。だがオーガン卿はゆっくりと首を振った。
 
「表向きはな。だがそんなくだらない肝試しで資格を得たからと言って取るに足らないうつけ者が王の視覚を得たとしたらなんとする」
 
 そうは言われてもそう決まっているのだから仕方あるまい。当然コルアーレはそう思ったが。
 
「王別の儀の真意は全く逆にある。すなわち、王の資質に欠ける者、政治上王になられては困る者を森の闇の中で密かに始末することにある」
 
「ほ、本当ですか……?」
 
 寝耳に水とはこの事。この男、知らないのをいいことに適当ぶっこいて上手いこと丸め込もうとしているのではないか、確証の得られないコルアーレは当然ながらそう考える。
 
「疑うなら陛下にも聞いてみろ。おそらくは肯定はするまいが、しかし否定もせんだろう。いいか、あのバカ王子は生きていても何の役にも立たん。先ほどの肝の細い振舞いを見ていただろう。女の陰に隠れる奴などが生き続けて、将来くだらない奴に神輿にされて国を割ることにでもなって見ろ、それこそ目も当てられぬぞ」
 
 ダメ押しというものをする。
 
「いいか、これは国を愛する行為だ。お前が争いの芽を摘むことで、将来何千何万の命が救われることになるのだぞ……これができるのは、お前だけだ」
 
 王別の儀が始まれば、グリムランドの国民は何人なんぴとたりとも森に立ち入ることはできない。それは王妃であろうと、近衛騎士であろうと同じ事。ただ一つの例外、国家騎士団総長の直属の警護の者を除いては。完全犯罪の成立である。
 
「……分かりました」
 
 ようやく覚悟を決めたようである。実際この国は国王が絶対的な権力を握っているわけではない。地方の有力諸侯、その中でも公爵オーデン・オーガンは強い力を持つ。さらにそれが将来の不安の芽を摘む行為にもなるのだと言われればもはや拒否などできまい。むしろここで強硬な態度に出れば今度は自分にどんな「不幸」が降りかかるかもわからない。
 
 「説得」の形をとっているが、これは「命令」なのだ。
 
「必ずやこのコルアーレ、自らの手にて奴を葬ってやりましょう」
 
「それでよい」
 
 オーガン卿の八つ当たりにも近い王子の殺害計画。この国において、森の闇の中で行われてきた『王別』、その実態は当然ながら王妃インシュラも、女騎士ギアンテも知らぬことである。ましてや一回の平民に過ぎない少年ヤルノが、知る由もない。
 
「大変な目にあったな、イェレミアス」
 
 そんな謀略が針目ぐされているとは露知らず、必死の思いでオーガン卿から距離を取ったヤルノとガッツォは安堵していた。
 
「お前をだしにして逃げちまってすまんな」
 
「いえ、僕も助かりました」
 
 ガッツォは次兄のアシュベルとはだいぶ受ける印象が違う。まさに「実直」を絵にかいたような性格であった。少なくともヤルノはそう判断した。
 
「ああいった腐った貴族がのさばっているようじゃ、この国ももう長くないかもな」
 
 ため息をつきながら率直な不満を表明するガッツォ。ヤルノはまるで「聞こえませんでした」とでも言うかのように黙って目線を逸らした。
 
「殿下、そろそろ日も暮れます。リィングリーツ宮の方に戻りませんと」
 
 これ以上面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ、とばかりにギアンテはそう発言したが、しかしガッツォはこれに大袈裟に不満を表明した。
 
「おいおい子供じゃないんだから『日が暮れたから帰ります』はないだろう。そうだイェレミアス、俺が面白いところに連れて行ってやるよ」
 
 思いつきなのか最初から考えていたのか、ガッツォは奇妙な申し出をしてきた。ギアンテは露骨に不満な表情を見せる。
 
「イェレミアス、お前王別の儀は受けるんだろう? だったら絶対に今日の経験は役に立つぞ」
 
「一体何をするつもりなのですか、ガッツォ殿下」
 
「ああ、このうるさい女騎士は置いていこう。イェレミアス、お忍びで町に繰り出すぞ」
 
「え?」
 
 豪胆で知られるガッツォ王子ではあったが、まさかお忍びで町に出るなどとは思ってもみなかった。ギアンテだけでなくヤルノもこれには驚いた。
 
「王を目指すんなら市民の生活は絶対に知っておくべきだ。これはお前のためでもあるんだぞ」
 
「しかし殿下! 護衛も連れずに危険です!!」
 
 ギアンテが心配しているのは当然それだけではない。もちろん王位継承のライバルであるガッツォが何か仕掛けてくるという懸念はあるものの、しかし市井の生活に混じればふとしたことからヤルノの身分がバレるかもしれない。
 
「ギアンテ、お前小説の読み過ぎだ。町に出たってそうそう危険な目なんてないさ。何よりこの俺が守ってやるさ」
 
 そう言って力こぶを作って見せるガッツォには後ろ暗いところなど見えなかったが、しかしギアンテは当然それでも不安である。
 
「本当に、町に行けるんですか? 殿下」
 
 ヤルノも期待の目を向ける。当然演技ではあるが。
 
 一方ギアンテは、不安であると同時に「これでいいのではないか」という気持ちもある。ここ数ヶ月自分と王妃インシュラの心を乱し続けるヤルノ少年。
 
 もしこれでボロが出てバレるようなことがあれば。もしくは何かトラブルに巻き込まれて命を落とすようなことがあれば、その甘く、苦い日々からも解放されることになる。
 
 ヤルノが強硬に行動を起こしたのならば、まだ言い訳も聞く。インシュラも内心ほっとするのではないだろうか。そう考え始めていた。
 
「おいおい、町に出たら『殿下』なんて絶対に言うなよ。今日行く酒場の奴らは『知ってて知らないふり』してくれてるんだからな」
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