リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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ブービートラップ

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「嘘だろ……なんでこんなことに……簡単な任務だって聞いてたのに」
 
 おそらくは毒矢を受けたユズリーズと個人的に親しかったのか、呼吸麻痺を起こして亡くなってしまった彼の体を抱きかかえながら涙を落とす騎士の男。
 
「フラーグ」
 
 暗闇の中から一人の男が姿を現し、騎士の名を呼んだ。表情は、険しい。
 
「初日っから三人もやられて動揺してるのは分かる。だが周りを見ろ」
 
 そう言ってゆっくりと首を振る。フラーグと呼ばれた男はそれに合わせるように顔を上げて辺りを見回した。どちらにしろ木の枝葉に隠されて空の模様はほとんど見えない状態であったが、すでに平地ですら日は沈み、森の中は月明かりすら届かず、空恐ろしいほどの闇夜。フラーグに声を掛けた老騎士ヴァルフシュは両手に抱えきれないほどの薪を抱えていた。
 
「とりあえずは夜を越さにゃならん。飯と水はまだ余裕があるが、このまま暖もとれなきゃ全滅するぞ」
 
 フラーグと共に現場に残っていた男達もただぼうっと待っていたわけではない。血の匂いに呼ばれて獣が集まってくる。三人の死体を埋めるための墓穴をナイフで苦心しながら掘っていた。
 
 ヴァルフシュはフラーグの胸倉を掴み上げて凄む。
 
「いいか、友の死に涙して動けなくなるような腰抜けはグリム人の騎士団にはいらん! 他の班の連中にも使いをやってもうすぐここに全員が集まる。それまでに立ち上がって、野営の準備をしろ」
 
 当然ながら作戦は続行だ。平時の訓練ならまだしも、この作戦は国の未来を大きく左右する可能性のある重大事。若干の変更を加えながらも、目的達成を狙う。
 
 当初計画としてはいくつかの班に分かれて森の中に散開、イェレミアスを見つけ次第各自の判断で始末する手筈であった。
 正直言って作戦もくそもないターゲットを舐めきったマンハントである。
 
 だが、ヴァルフシュは当初の作戦堅持を主張したものの、最終的にはコルアーレの考えに従い慎重策に変更。全員が集まり、万全の態勢でイェレミアスを圧し潰す方針に変更した。
 
 イェレミアスは衣類や保存食の他に石碑までの簡単な地図を支給されているし、事前に場所も確認しているだろう。それゆえこちらも一直線に石碑に向かえばいつか必ず森の中でバッティングするだろうという考えだ。
 
「もし、それを狙って脇道に逸れてたら、スルーされちまう可能性もありますぜ」
 
 ヴァルフシュが懸念しているのは当然そこである。
 
 もしも一連の殺人が先住民のコルピクラーニの仕業ではなく、イェレミアスの反撃であった場合、それの狙いとしてはまさに今の事態を引き起こすためであろう。
 
 森の中に散開する男達の攻撃全てを躱すのは無理でも、一点に固まってくれれば迂回するのはぐっと楽になるし、何より気配を断ちづらくなって見つけやすい。
 
 だからこそコルアーレ達は森の中でヤルノの痕跡を見逃さないように入念に探さねばならない。
 
 とにかく感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、イェレミアスの痕跡を見つける必要がある。
 
「しかし、本当にあの王子が……?」
 
 穴を掘り終わった男が、汗を拭きながらコルアーレ達に話しかけた。
 
 状況証拠、動機、手口、それぞれの要素がイェレミアス王子の仕業であると囁いている。しかし一方でその考えに抵抗する者もいる。
 
 彼らの本能が問いかけるのだ。あの穏やかでか弱い王子がこんな残忍な手口で人を殺すか? そもそも騎士に打ち勝つ実力があるのか? と。
 
「ヴァルフシュさん、ロークは、どこに行ったんでしょうね」
 
 ここに来た時にあった死体は二つ。一人は逆さ吊りにされた上、体も顔も皮を剥がされているので誰なのか判別はつかなかったが、しかし周囲に散乱している装備品から、殺されたのはロークの部下二人に違いない。では、ローク本人はどこへ行ったのか? それだけが不明だ。彼の装備も体も、ここにはない。
 
 ヴァルフシュは生唾を飲み込んだ。
 
 イェレミアス王子は前述の通りのすくたれ者だが、その周囲を固める王妃インシュラや女騎士ギアンテは頭が切れる上に、顔に似合わず豪胆だという。
 
 もし、王別の儀が始まる前から彼女らが調略をしており、ロークが裏切り者であったなら……
 
 話は全く変わってくる。裏切りであれば不意打ちをすることは容易であるし、残虐なマネにも躊躇はないだろう。
 
「……陳腐な言葉だが、仲間を信じろ」
 
 疑い始めたらきりがない。裏切り者がローク一人とも限らない。猜疑心を抱かせることこそが狙いの可能性もある。
 
 ヴァルフシュはまだ平常心を取り戻せないフラーグを無視して薪を積み上げ、野営の準備に取り掛かる。作業に没頭することで疑念の心を押し殺す。それがいいことなのかどうなのか。
 
 十名ほどのむくつけき騎士の男達。しかしその心はベッドの上で震える処女の様に頼りなかった。薪にメノウの火打石で火を点け、少し明るくなってくると、光と暖かさにようやく心が落ち着いてきた。
 
 たった一日で一人のガキ相手に三人の犠牲者と一人の行方不明者を出したものの、平静を保てればまだまだ自分達が圧倒的に有利なのだ。まだ『狩る者』と『狩られる者』ははっきりと分かれている。
 
「見ろ、他の班も戻ってきた」
 
 光の向こうから人影が見える。他の班を呼びに行っていた男が仲間を連れて戻ってきたのだ。
 
 しかし何かおかしい。随分と人が少ない気がする。
 
 いや、明らかに一人少ない。三人プラス呼びに行った一人が戻るはずだったが、全部で三人しかいない。しかも一人は血を流し、肩を借りてやっと歩いているのだ。
 
「やられた、ロークの裏切りだ」
「そんなばかな!!」
 
 思わず声を荒げるヴァルフシュであったが、静かな森の中に自身の声が響いたことで我に返って、今更ながら自らの口を押さえた。
 
「突然暗がりから切りつけてきて……エルデがやられちまった。俺もこの通りだ」
「間違いなくロークなのか?」
 
 王別の儀の秘密を共有する、国家騎士団の中でも限られた精鋭の騎士。裏切りなどありえない。それがヴァルフシュの考えである。
 
「聞いたことがある……最近のイェレミアス王子は、妙な魔力があるというか……人の心のすき間に入り込むのが上手いとな」
 
 コルアーレが口に手を当てながら呟いた。
 
 彼はつい最近王宮で王子を見かけたが、その時には以前の純真無垢な王子のままであった。だがキシュクシュの父、オーガン卿から色々と吹き込まれてはいる。その時は娘を失って冷静さを欠いているのだろうと話半分で聞いていたが。
 
「リィングリーツの獣だ……」
 
 誰かが呟いた。
 
「人を惑わし、心の隙に付け入り、肉体と魂を喰らう、リィングリーツの獣の仕業だ。獣が王子に取りついてるんだ」
 
「バカなことを言うな! 騎士が迷信を恐れてなんとする!!」
 
 コルアーレが怒鳴りつけて鎮めようとするが、恐慌は止まらない。ついに、一人の男が騎士達の集団から離れた。
 
「俺は降りる」
 
「フラーグ! 敵前逃亡する気か!!」
 
 親しい友人が毒矢で殺害されたのがよほどこたえたのか。離反者はフラーグであった。
 
「冗談じゃない。こんな殺人鬼がいる森にもう一秒だっていられるか! 俺は一人でも町に帰るぞ!!」
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