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靄の中
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じわりと靄のかすむ春の朝方。リィングリーツの森以外にも当然ながら点在する王都から近い森の中。
草木の吐き出した靄はまとわりつくように粘り、質量のある空気のように感じられる。
まだ日が昇る前の薄暗いベールの中で、ぼわりと光が揺らぐ。何者かがカンテラをもってうろついているようだった。いや、うろついているというのとは少し違うか。大きな荷物を肩に担いで、背にはスコップを背負い、何かを探しているようである。
「この辺でいいか」
乱杭の黄色くてところどころ抜けている不揃いの歯に、薄汚れた服。正直に言ってあまり育ちの良さそうな様子であるとはとても言えない男ではあるが、これでも一応城の下働きをしている、ドンレスのバザールドという男である。
バザールドは肩の荷をどさりと地面におろして一息つく。百六十センチほどの長さの細長い荷物。かなりの重さがあり、柔らかいが、どころどころ硬く、決まった一部の場所でしか荷が折れない。
通常は下水の掃除や廃棄物の処理をまかされているバザールドにはこれがどんな『ゴミ』なのかはなんとなく想像はつく、が、考えない事にしている。
「女騎士様からの直々の大金貨一枚の仕事だ。文句は言うめえ」
大麻でも吸って一服しようかとも考えたが、この先もまだ仕事がある。それが終わってからにしようと、土の柔らかいところを探して穴を掘り始める。
バザールドは、大きさとしてはやっと人が一人寝られるくらい、深さはほんの膝までも満たないほどの浅い穴を掘ってふう、とため息をついた。
死体を埋めるには随分と浅い穴である。これではすぐに野犬などに掘り返されるか、雨の日に土が流されて死体が見つかってしまう。だが今日は埋めるのではなく燃やせと申し付けられている。
バザールドは脇に置いていた荷物を穴に押し込み、瓶に入れておいた油をかけてからカンテラの火を移そうとし、そして妙な雰囲気を感じ取って動きを止めた。
「足音……?」
一人のものではない。人間のものと、それに軽い、細かい足音がいくつか。カンテラを地面に置き、スコップを握る。
金貨一枚では少し手に余るが、目撃者を生かしてはおけない裏の仕事である。
「おとなしくしていろ小僧」
靄の向こうから姿を現したのは小柄な老人。爺一人くらいなら消すのは訳ない。しかし現れたのは彼一人ではなかった。
いくつかの荒い息遣いが聞こえる。細かい足音の正体はこれであった。
「騒げばこいつらがお前の喉笛を食い破る」
ウシャンカという毛皮の帽子をかぶった老人の方は体格も小さく、無手。始末するのはわけないと思われたが、その老人とほとんど目方が変わらないとさえ思えるほどに大きな犬が四頭、連れられていたのだ。
はっきりと言えばスコップ一本では一匹でも手に余る。それが四頭いるうえに、無駄に吠えることをせずに大人しく、しかし油断せずにこちらの様子を窺っている。明らかに訓練を受けている猟犬。弓矢で武装してこちらも同じ数で当たれば勝てるかもしれない、という戦力である。
「な、なんだよ爺さん。仕事の邪魔しねえでくれ」
「死体を秘密裏に処理するのがお前の仕事か」
「し、死体? なんのことやら」
「知って」いても「知らない」。それが長生きのコツである。言われたことだけをする。それ以外の事はしないし、詮索しない。その点においてはこの貧相な男は信用されていた。闇から闇へと何かと隠し事の多いリィングリーツ宮ではそういった仕事が多く、実を言うとそれによってこの男はすでに一財産築いていたのだが、今日ばかりは日が悪かったとしか言いようがない。
「少し中身を確認するだけだ。仕事の邪魔はせん」
「ま、待てよ爺さん。余計なことは」
「オンッ!!」
老人の肩を掴もうとすると犬が吠えた。
「ラウド、ガルトリア、ヴェリコイラ、イパッシ! そいつを見張っておれ」
「ひっ、ま、待ってくれ。中身を見たことが知られたら俺は殺されちまうよ」
老人はさっき掘られたばかりの穴に足を踏み入れ、油まみれになった布に手をかける。
「引っ込んでおれ。どうせ燃やすのだろう。バレはせん」
逃げることも抵抗することもできず、バザールドは怯えた表情のままその場に立ち尽くした。四頭の犬はそのまま彼を囲むように陣取り、老人は悠々と死体に巻かれた布を剥ぎ取る。
「む? こりゃ……どういうことだ」
老人の表情が困惑に歪む。その言葉につられてバザールドも「見てはいけない」と思いつつも覗き込んでしまう。
「あ……し、知ってるぞ、その顔……まさか、イェレミアス王子?」
布に巻かれた死体は、間違いなくイェレミアス王子のものであった。降り積もる雪の如くその見事な白銀の髪に、妖精のように美しい顔。こんな美しい少年がこの世に二人といるはずがない。バザールドも遠くからではあるが、何度か王宮で見かけたことがある。
だがおかしい。
いくら何でも王子が王宮の中で死んで、その死体を秘密裏に処理するなどということがあろうか。いや、あるはずがない。もし本当に死んだのなら、それこそ蜂の巣をつついたような騒ぎになっている筈なのだ。
「この間のガキか……いや、待てよ」
老人はぶつぶつと何かつぶやきながら死体の髪の毛を鷲掴みにし、自分の顔をそのまま寄せて匂いを嗅いだ。
「どういうことだ……? 別人?」
何に納得がいかないのか分からないが、老人はまだぶつぶつと何かつぶやいては首を捻っている。
「影武者か……それしか考えられん。それを秘密裏に処理するという事は……」
「な、なんなんだ爺さん。どういう事なんだ」
「知りたいか?」
「いや、知りたくない」
バザールドはやっと自分の仕事を思い出した。これは恐らく『知ってはいけない事』だ。自分は何も見ていない。何も知らない。
老人は穴から出てくると犬たちに合図して警戒態勢を解かせた。ようやく解放されたバザールドは安堵のため息を漏らす。
「もういいぞ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「じいさん、分かってると思うが、今日俺は森の中で老人にも会ってねえし、荷物の中身が何なのかも見てねえ。頼まれた荷物を森の中で焼いた。ただそれだけだ」
「ふん、知らんで済めばいいがな。そのうち否が応でも関わることになるぞ。この国の国民なら一人残らずな」
「どういうことだ?」
「リィングリーツの獣が、人のふりをして王宮に紛れ込んでいる、という事だ」
草木の吐き出した靄はまとわりつくように粘り、質量のある空気のように感じられる。
まだ日が昇る前の薄暗いベールの中で、ぼわりと光が揺らぐ。何者かがカンテラをもってうろついているようだった。いや、うろついているというのとは少し違うか。大きな荷物を肩に担いで、背にはスコップを背負い、何かを探しているようである。
「この辺でいいか」
乱杭の黄色くてところどころ抜けている不揃いの歯に、薄汚れた服。正直に言ってあまり育ちの良さそうな様子であるとはとても言えない男ではあるが、これでも一応城の下働きをしている、ドンレスのバザールドという男である。
バザールドは肩の荷をどさりと地面におろして一息つく。百六十センチほどの長さの細長い荷物。かなりの重さがあり、柔らかいが、どころどころ硬く、決まった一部の場所でしか荷が折れない。
通常は下水の掃除や廃棄物の処理をまかされているバザールドにはこれがどんな『ゴミ』なのかはなんとなく想像はつく、が、考えない事にしている。
「女騎士様からの直々の大金貨一枚の仕事だ。文句は言うめえ」
大麻でも吸って一服しようかとも考えたが、この先もまだ仕事がある。それが終わってからにしようと、土の柔らかいところを探して穴を掘り始める。
バザールドは、大きさとしてはやっと人が一人寝られるくらい、深さはほんの膝までも満たないほどの浅い穴を掘ってふう、とため息をついた。
死体を埋めるには随分と浅い穴である。これではすぐに野犬などに掘り返されるか、雨の日に土が流されて死体が見つかってしまう。だが今日は埋めるのではなく燃やせと申し付けられている。
バザールドは脇に置いていた荷物を穴に押し込み、瓶に入れておいた油をかけてからカンテラの火を移そうとし、そして妙な雰囲気を感じ取って動きを止めた。
「足音……?」
一人のものではない。人間のものと、それに軽い、細かい足音がいくつか。カンテラを地面に置き、スコップを握る。
金貨一枚では少し手に余るが、目撃者を生かしてはおけない裏の仕事である。
「おとなしくしていろ小僧」
靄の向こうから姿を現したのは小柄な老人。爺一人くらいなら消すのは訳ない。しかし現れたのは彼一人ではなかった。
いくつかの荒い息遣いが聞こえる。細かい足音の正体はこれであった。
「騒げばこいつらがお前の喉笛を食い破る」
ウシャンカという毛皮の帽子をかぶった老人の方は体格も小さく、無手。始末するのはわけないと思われたが、その老人とほとんど目方が変わらないとさえ思えるほどに大きな犬が四頭、連れられていたのだ。
はっきりと言えばスコップ一本では一匹でも手に余る。それが四頭いるうえに、無駄に吠えることをせずに大人しく、しかし油断せずにこちらの様子を窺っている。明らかに訓練を受けている猟犬。弓矢で武装してこちらも同じ数で当たれば勝てるかもしれない、という戦力である。
「な、なんだよ爺さん。仕事の邪魔しねえでくれ」
「死体を秘密裏に処理するのがお前の仕事か」
「し、死体? なんのことやら」
「知って」いても「知らない」。それが長生きのコツである。言われたことだけをする。それ以外の事はしないし、詮索しない。その点においてはこの貧相な男は信用されていた。闇から闇へと何かと隠し事の多いリィングリーツ宮ではそういった仕事が多く、実を言うとそれによってこの男はすでに一財産築いていたのだが、今日ばかりは日が悪かったとしか言いようがない。
「少し中身を確認するだけだ。仕事の邪魔はせん」
「ま、待てよ爺さん。余計なことは」
「オンッ!!」
老人の肩を掴もうとすると犬が吠えた。
「ラウド、ガルトリア、ヴェリコイラ、イパッシ! そいつを見張っておれ」
「ひっ、ま、待ってくれ。中身を見たことが知られたら俺は殺されちまうよ」
老人はさっき掘られたばかりの穴に足を踏み入れ、油まみれになった布に手をかける。
「引っ込んでおれ。どうせ燃やすのだろう。バレはせん」
逃げることも抵抗することもできず、バザールドは怯えた表情のままその場に立ち尽くした。四頭の犬はそのまま彼を囲むように陣取り、老人は悠々と死体に巻かれた布を剥ぎ取る。
「む? こりゃ……どういうことだ」
老人の表情が困惑に歪む。その言葉につられてバザールドも「見てはいけない」と思いつつも覗き込んでしまう。
「あ……し、知ってるぞ、その顔……まさか、イェレミアス王子?」
布に巻かれた死体は、間違いなくイェレミアス王子のものであった。降り積もる雪の如くその見事な白銀の髪に、妖精のように美しい顔。こんな美しい少年がこの世に二人といるはずがない。バザールドも遠くからではあるが、何度か王宮で見かけたことがある。
だがおかしい。
いくら何でも王子が王宮の中で死んで、その死体を秘密裏に処理するなどということがあろうか。いや、あるはずがない。もし本当に死んだのなら、それこそ蜂の巣をつついたような騒ぎになっている筈なのだ。
「この間のガキか……いや、待てよ」
老人はぶつぶつと何かつぶやきながら死体の髪の毛を鷲掴みにし、自分の顔をそのまま寄せて匂いを嗅いだ。
「どういうことだ……? 別人?」
何に納得がいかないのか分からないが、老人はまだぶつぶつと何かつぶやいては首を捻っている。
「影武者か……それしか考えられん。それを秘密裏に処理するという事は……」
「な、なんなんだ爺さん。どういう事なんだ」
「知りたいか?」
「いや、知りたくない」
バザールドはやっと自分の仕事を思い出した。これは恐らく『知ってはいけない事』だ。自分は何も見ていない。何も知らない。
老人は穴から出てくると犬たちに合図して警戒態勢を解かせた。ようやく解放されたバザールドは安堵のため息を漏らす。
「もういいぞ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「じいさん、分かってると思うが、今日俺は森の中で老人にも会ってねえし、荷物の中身が何なのかも見てねえ。頼まれた荷物を森の中で焼いた。ただそれだけだ」
「ふん、知らんで済めばいいがな。そのうち否が応でも関わることになるぞ。この国の国民なら一人残らずな」
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