リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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全てが曖昧に

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「やはり駄目だな。温室育ちのガキは」
 
 ノーモル公オーデン・オーガンはまだ退出していくイェレミアス王子の姿が見えているうちにそう言い放った。
 
「聞こえますよっ、父上」
 
 それをたしなめるのは嫡男のウォホールであるが、ノーモル公はどこ吹く風といった感じであり、全く気に留める様子はない。
 
「人と衝突したことがないから『キレ方』というものすら分からんのだ。突然爆発して自分の体面も失い、相手の体面も潰すような怒り方をする。腹にためておくという事ができんのだ。やりようはいくらでもあろうに」
 
「昔気質のグリムランド風なら相手にいきなり切りつけるところでしょう」
 
「それならそれで切りつければよいのだ。それもできずに犬のようにワンワン吠えるだけではな」
 
「父上が『親に愛されていない』などというからですよ。ホストが口にしてよいような言葉ではなかった」
 
「事実愛されてないではないか。王別の儀で始末することを上奏した時も、陛下は異論など唱えなかったぞ」
 
 ウォホールは小さくため息をついた。やはりこの親に何を言っても言葉の無駄であるかと諦めたのだ。頑ななだけでなく、口も上手い。さすがに何十年も政治の場に身を置いてきただけはある。
 
「まあ、傀儡くぐつに出来ないなら形だけの援助をして、ガッツォに本腰を入れた方が賢そうだな」
 
 あの怒り方ではどちらも難しそうではあるが。しかしどう見てもイェレミアスは正気の状態ではなかった。冷静に戻ればおそらくは書簡なり直接会うなりして非礼を詫びてくるであろうことは想像に難くない。
 
「父上は人の情というものが無さすぎる。私はイェレミアス王子を支える所存です。多少の益を捨てても義理を守ることも時には必要でしょう」
 
「ふん、いずれは全てお前に任せるつもりだが、俺の目の黒いうちは好き勝手はさせんぞ」
 
 それぞれに立場の違いはあるものの、方向性としては一致しているのだろう。この親子は。
 
 一方でリィングリーツ宮に戻る馬車の方、こちらは一種異様な空気を孕んでいた。それも当然であるが。
 
 いつも泰然自若に構え、余裕を見せているイェレミアスがこの時ばかりは椅子に腰かけたまま膝の上に肘を置いて俯いている。まだ先ほどの事で怒っているのか、それとも醜態をさらした自分に対して違和感を覚えているのか。
 
 ギアンテの方は護衛として馬車に随伴して馬で移動するのが常であるが、イェレミアスの態度があまりにも異常であったため、護衛を部下に任せきりにして馬車に同席している。
 
 ここ数日はまるで死んだまま生きているかのように心ここにあらずであった女騎士が、イェレミアスの豹変を目の当たりにしてようやく目を覚ましたという形だ。
 
「もう、大丈夫ですか……殿下」
 
 イェレミアスは言葉に反応してちらりと顔を上げて彼女の方を見た。もう先ほどのように取り乱してはいないが、若干の焦燥感のようなものが見て取れる。
 
「先ほどの事は……忘れてください。自分でも何故あんな事を言ってしまったのか……」
 
 そう言ってまた俯き、頭を抱え込んでしまった。
 
 正直に言えばギアンテはここ数日間、意識も記憶もあいまいな状況が続いていた。敬愛する王子を自らの手で殺してしまったという現実が受け入れられず、また、真実を明かしながらもヤルノが自らをイェレミアスであると自称したこともあり、目の前にいるのがヤルノなのかイェレミアスなのか、判然としなくなり、全ては悪い夢だったのではないかと思ったりもした。
 
 やがてその「悪夢だったのだ」というありえない妄想を自分自身が信じる様になり、同時にそんな甘い現実などありえないと否定する自分も重なって存在し、この世界の全てが虚ろに見えてきていたのだ。
 
 だが、逆十字屋敷で危機的状況に陥ることでようやく自分を取り戻し、なんとか事に当たり対処することができた。
 
 心の危機的状況を解決しうる劇薬は、現実の危機的状況だったのだ。
 
 そこでようやく冷静に考える。
 
 先ほどの彼の激昂はいったい何だったのか。
 
 彼の怒りのトリガーになったのは何なのか。それは疑いようもなくノーモル公が「親に愛されていない」と発言したことだろう。そこは間違いない。
 
 問題なのは何故それでヤルノが怒ったかだ。
 
 当然のことながらイェレミアス王子が父王に愛されていない事はヤルノは事前に知っていたし、それは疑いようもない。仮にそこに意見の相違があったとしても切れる理由にはならないだろう。
 
 では、ヤルノの実の両親についてはどうだろうか。
 
 ギアンテは曖昧であった脳を稼働させて思い出す。ヤルノと両親の関係性を。
 
 ヤルノと両親の関係性についてはあまり情報を持っているわけではないが、一見して「最悪」であった。理由も言わずにヤルノの身柄を買い取りたいといったギアンテに対して彼らは全く躊躇なくヤルノを差し出したし、興味を示したのは金貨の袋だけであった。
 
 要は、全く愛情というもののかけらも感じなかったのだ。
 
 さらに、『空白の二時間』問題もある。
 
 直接的な証拠があるわけではないが、ヤルノは二時間の準備時間のうちに、自分の両親を殺害したとみてほぼ間違いあるまい。
 
 ヤルノがあれほどまでに他人を観察する術に長けているのは、常に両親の機嫌を伺いながら生きてきた可能性が考えられる。ならば、日常的に虐待なども受けていたのかもしれない。
 
 ヤルノが両親を殺害したならば、それは自分を愛してくれなかった事への恨み、復讐であるとギアンテは考えていた。しかし今日、彼は「両親が自分を愛してくれなかった事」自体を否定したのだ。これはいったい何を意味するのか。
 
 頭では分かってはいても、その事実を受け入れることが出来ず、無遠慮にその領域に(意図せずして)踏み込んでしまったノーモル公に対して怒りをあらわにしたのか。
 
 それとも、ギアンテが状況証拠から組み立てた推測が全く違っているのか。
 
「ノーモル公へは、後から非礼を詫びる書簡を送ります……情けない。たとえ和解しても、今日の件で、ノーモル公の心は僕から離れたでしょう。こんな中途半端な化け物、見捨てられて当然だ……」
 
 意気消沈したまま、独り言とも分からない言葉をヤルノは呟いていた。ギアンテはそれに返す言葉を持たない。
 
 しかしヤルノが弱い態度を見せたことが、彼女にまた心境の変化をもたらした。
 
 今まで正体不明の化け物かあやかしたぐいだと思っていた少年が、実は人間だったのだ。その事実がギアンテに小さな安堵の気持ちをもたらし、そして再び彼女の認識は曖昧になる。
 
「殿下……何があろうとも、私だけは、最後まであなたの味方です」
 
 ようやくヤルノはその顔を上げ、ギアンテの方を見上げた。両のまなこは涙に潤んでいた。
 
「ギアンテ……ギアンテ、ありがとう……」
 
 いつか見た光景のような。
 
 ヤルノは馬車の中で跪き、彼女に抱き着いてその膝の上で数分間だけ眠りについた。
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