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妄執
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「父上、どうかお考え直しを」
「並ぶ者無きこの国の元首を『父上』などと呼ぶな、アシュベル」
諫言を無碍に扱うその態度に、王子アシュベルは歯噛みしつつも、しかしその言葉を尊重する。
「陛下、議会派に何を吹き込まれたのか分かりませんが、あのような言葉に惑わされてはいけません。国の要とは上の者が正しく力を見せ、下の者が従う。そうでなければ今まで築き上げた国の仕組みが崩れてしまいます」
いかめしい顔つきの兄のガッツォと比較して、若々しく「美しい」といっても支障のない容姿を持つ次男アシュベル。
しかしその父であるヤーッコは近頃急激に老境に入り、その二人の外見の差は親子というよりは祖父と孫のようである。髪はまばらに抜け落ち、体には痣が浮かび、体調の良くないことを窺わせる。
少数の護衛の者だけが控えている謁見の間には、他の主要な人物はおらず、その時を狙ってアシュベルは父に直訴に来たのだ。
「愚兄の主張する民主化など、国のありようを崩す劇薬に外なりません。あんなもの、議論の俎上に載せること自体が間違いです。陛下からも言ってやってください」
彼の主張としては明確である。王党派の自分と、議会派のガッツォなどもはや比較するのもバカバカしい。次代の王は自分で決まりだと。争わせる価値などないと。
「民なくして国はない。広く民の意見を募る議会派にも、理はあろう」
理はある。至極まっとうな言葉である。但し、抜け落ちている部分もある。
「陛下は、この国の識字率を御存じですか」
グリムランドの識字率は一割を遥かに下回る。
「そんな状態で民主制をしいても、まともに機能しません」
まるで民主主義政治がこの世界の裁量の形のように扱われることも多いが、実際にはそんなことはない。ある時ある場所である人々に、それぞれにおいて最適な政治体制というものは確かにあるかもしれないが、どんな時においても「これが最善である」などという政治体制は当然ながら存在しないのだ。
それゆえに過去には「制限民主主義」というものが機能していた時代もある。
基本的に完全民主主義というものは、全ての国民が思うがままに正しい情報を手に入れられて、それを有効に活用して自由意志を決定できる環境にあるということが十分条件となる。
そのために教育は必要条件であり、これがなければ話にならない。
すなわち無知蒙昧な民衆は扇動者に思うがままに操られて、もしくはそれと知らずに選挙を制限され、それは機能しなくなるのだ。実質的には一部の上級国民が政治を牛耳ることになり、何も現状は変わらない。
「私の前で綺麗事は無用です、陛下」
当然アシュベルはそれを分かっている。
「分かっているならば口を挟むな」
「だったら今政治形態を見直す必要は無いはずです。形の上だけでも民に政治を譲るなどということをすれば、いずれは国を民に奪われますよ」
国王は民主主義を金看板に政治の中央集権を目論んでいるのだが、アシュベルはそこまでは見通していない。彼の頭の中にあるのはただ一つ「自分が国王になる事」だけである。
「それは民に『国王は弱くなった』と取られかねません。増長しますぞ」
「ならばお前がそう主張し、ガッツォと争えばよい事。余はどちらの肩も持たん」
アシュベルの表情が苦悶に歪む。
「争えばよい」などと簡単に言ってくれる。それをしたくないから国王に直訴に来たというのに。アシュベルは労せずしてこの国を手に入れたかったのだ。敵がガッツォだけの時はそれが上手くいっていた。
彼の掲げる民主化など「バカバカしい」として、国王はじめとして誰一人まともに話を聞いていなかったのだ。
その潮目が変わったのはいったいどこだったのか。つい最近のような気もするが、もしかしたらもっと早くから動きはあったのかもしれない。なんにしろ、アシュベルは出遅れた。全ては自分の思い通りに進んでいると思っていたのに。思わず悪態が口をついて出る。
「父上は、老いたから、心が弱くなって民に権限を譲るなどと弱気をおっしゃるのだ」
「黙れ!!」
リィングリーツの森のどこかにあると言われている世界樹の枝から作られたといういわくつきの古い木の杖。
真偽は不確か。おそらくはただの木の棒であろうが、何代にもわたって使い込まれたそのがらくたはすでに歴史を有し、この国の権威の象徴の一つである。
その杖で国王ヤーッコは息子のアシュベルを殴りつけ、杖は真っ二つに折れた。
「戦うを恐れてグリムランドの男子が何とする。所詮はルール族の血が入った臆病者か」
「ぐっ……」
頭部から血を流し、父を睨みつけるアシュベル。しかし周りの男どもは動かない。国王の護衛だけでなく、アシュベルのお付きの者も同じである。
老境をきたして弱っているように見えた王であったが、まだまだその暴力は健在か。もしくは弱っているからこそ自制が効かなかったのか。
(なぜだ)
アシュベルは悔しさのあまり涙ぐんでいた。
(こんなはずでは……ガッツォ一人の時は、圧倒的に俺の方が優勢だったはず)
彼の中では一つの思いが渦巻いていた。
(イェレミアスだ……あいつが頭角を現してきてから、全てが悪い方向に、悪い方向に動き出している気がする)
それは八つ当たりにも近い妄執であると言ってよかった。
(何者かが、あの薄汚れた老人に入れ知恵している筈だ。以前は民主化の話など気にも留めていなかったはず。……イェレミアスの仕業か?)
時に、人の執念は意図せずして真実を射抜くことがあるのだ。
「並ぶ者無きこの国の元首を『父上』などと呼ぶな、アシュベル」
諫言を無碍に扱うその態度に、王子アシュベルは歯噛みしつつも、しかしその言葉を尊重する。
「陛下、議会派に何を吹き込まれたのか分かりませんが、あのような言葉に惑わされてはいけません。国の要とは上の者が正しく力を見せ、下の者が従う。そうでなければ今まで築き上げた国の仕組みが崩れてしまいます」
いかめしい顔つきの兄のガッツォと比較して、若々しく「美しい」といっても支障のない容姿を持つ次男アシュベル。
しかしその父であるヤーッコは近頃急激に老境に入り、その二人の外見の差は親子というよりは祖父と孫のようである。髪はまばらに抜け落ち、体には痣が浮かび、体調の良くないことを窺わせる。
少数の護衛の者だけが控えている謁見の間には、他の主要な人物はおらず、その時を狙ってアシュベルは父に直訴に来たのだ。
「愚兄の主張する民主化など、国のありようを崩す劇薬に外なりません。あんなもの、議論の俎上に載せること自体が間違いです。陛下からも言ってやってください」
彼の主張としては明確である。王党派の自分と、議会派のガッツォなどもはや比較するのもバカバカしい。次代の王は自分で決まりだと。争わせる価値などないと。
「民なくして国はない。広く民の意見を募る議会派にも、理はあろう」
理はある。至極まっとうな言葉である。但し、抜け落ちている部分もある。
「陛下は、この国の識字率を御存じですか」
グリムランドの識字率は一割を遥かに下回る。
「そんな状態で民主制をしいても、まともに機能しません」
まるで民主主義政治がこの世界の裁量の形のように扱われることも多いが、実際にはそんなことはない。ある時ある場所である人々に、それぞれにおいて最適な政治体制というものは確かにあるかもしれないが、どんな時においても「これが最善である」などという政治体制は当然ながら存在しないのだ。
それゆえに過去には「制限民主主義」というものが機能していた時代もある。
基本的に完全民主主義というものは、全ての国民が思うがままに正しい情報を手に入れられて、それを有効に活用して自由意志を決定できる環境にあるということが十分条件となる。
そのために教育は必要条件であり、これがなければ話にならない。
すなわち無知蒙昧な民衆は扇動者に思うがままに操られて、もしくはそれと知らずに選挙を制限され、それは機能しなくなるのだ。実質的には一部の上級国民が政治を牛耳ることになり、何も現状は変わらない。
「私の前で綺麗事は無用です、陛下」
当然アシュベルはそれを分かっている。
「分かっているならば口を挟むな」
「だったら今政治形態を見直す必要は無いはずです。形の上だけでも民に政治を譲るなどということをすれば、いずれは国を民に奪われますよ」
国王は民主主義を金看板に政治の中央集権を目論んでいるのだが、アシュベルはそこまでは見通していない。彼の頭の中にあるのはただ一つ「自分が国王になる事」だけである。
「それは民に『国王は弱くなった』と取られかねません。増長しますぞ」
「ならばお前がそう主張し、ガッツォと争えばよい事。余はどちらの肩も持たん」
アシュベルの表情が苦悶に歪む。
「争えばよい」などと簡単に言ってくれる。それをしたくないから国王に直訴に来たというのに。アシュベルは労せずしてこの国を手に入れたかったのだ。敵がガッツォだけの時はそれが上手くいっていた。
彼の掲げる民主化など「バカバカしい」として、国王はじめとして誰一人まともに話を聞いていなかったのだ。
その潮目が変わったのはいったいどこだったのか。つい最近のような気もするが、もしかしたらもっと早くから動きはあったのかもしれない。なんにしろ、アシュベルは出遅れた。全ては自分の思い通りに進んでいると思っていたのに。思わず悪態が口をついて出る。
「父上は、老いたから、心が弱くなって民に権限を譲るなどと弱気をおっしゃるのだ」
「黙れ!!」
リィングリーツの森のどこかにあると言われている世界樹の枝から作られたといういわくつきの古い木の杖。
真偽は不確か。おそらくはただの木の棒であろうが、何代にもわたって使い込まれたそのがらくたはすでに歴史を有し、この国の権威の象徴の一つである。
その杖で国王ヤーッコは息子のアシュベルを殴りつけ、杖は真っ二つに折れた。
「戦うを恐れてグリムランドの男子が何とする。所詮はルール族の血が入った臆病者か」
「ぐっ……」
頭部から血を流し、父を睨みつけるアシュベル。しかし周りの男どもは動かない。国王の護衛だけでなく、アシュベルのお付きの者も同じである。
老境をきたして弱っているように見えた王であったが、まだまだその暴力は健在か。もしくは弱っているからこそ自制が効かなかったのか。
(なぜだ)
アシュベルは悔しさのあまり涙ぐんでいた。
(こんなはずでは……ガッツォ一人の時は、圧倒的に俺の方が優勢だったはず)
彼の中では一つの思いが渦巻いていた。
(イェレミアスだ……あいつが頭角を現してきてから、全てが悪い方向に、悪い方向に動き出している気がする)
それは八つ当たりにも近い妄執であると言ってよかった。
(何者かが、あの薄汚れた老人に入れ知恵している筈だ。以前は民主化の話など気にも留めていなかったはず。……イェレミアスの仕業か?)
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