リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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黒幕は

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 薄暗い部屋の中、ガッツォ・リンスール・ベスペリプスは椅子に座り、しかし机に向かうでもなく、本を読むでもなく、ただ壁に向かっていた。

 まるでそこに姿鏡でもあるかのように空中を見つめ、腕組みをしたまま微動だにしない。

 グリムランドでは基本的に王位継承者に順位というものをつける習慣がないが、よほどのことがなければ継承権を持つ者の中の年長の王子が継ぐものとなっている。

 その、王位継承権最上位のガッツォ王子が、蟄居を命じられているのだ。

 それも王宮、リィングリーツの自室ですらない。王都ウィンザーハーツにあるリンスール伯爵邸の部屋である。

 ここは国内の少数民族、ルール族の長でもあるリンスール伯爵の王都の屋敷であり(ノーモル公で言えば逆十字屋敷に当たる)、彼の母親である王の側室ディーリッツの実家というわけだ。

 事実上の島流しにも近い仕打ち。尋常の事態であれば廃嫡となっても仕方のないやらかしをしたのだろうという所であるが、周囲の反応は意外に冷静であった。

 「王は今、冷静でいられないのだ」「冷静になればいずれは解かれるだろう」「それが分からないガッツォ殿下でもない」「なにしろ」

 多くの声はこれは一時的な処置であり、そう長くは続かないだろうし、ガッツォ意外に次の王位継承はないだろうと踏んでいた。

「なにしろ、アシュベル殿下があのような惨殺体で見つかったのだから」

 しかしただ一人、この事態を冷静に受け止められない人物がいたのだ。

「俺はいったい、どうなるんだ」

 ガッツォ本人である。

「アシュベルは誰に殺されたんだ。なぜ俺が蟄居を」

 目は落ちくぼみ、その周りには深い隈が出来ている。よく眠れていないのであろう。蟄居を命じられてまだ二日目だというのにこのやつれよう、よくよく肝の小さい男のようだ。

 と、愚弄することは簡単であるが、現在のウィンザーハーツの動きはどう考えても尋常ではなかった。

 アシュベルの死体が下水道から見つかったことにより国王は恐慌状態に陥り、誰の諫言も聞かずに恐怖政治に没頭している。

 誰の入れ知恵か分からないが、アシュベルの殺害を民主化勢力の仕業と思い込み、激しい弾圧を加え始めた。また、無根拠に怪しいと感じた家臣に蟄居を命じ、迂闊な行動をとったために首を落とされた者までいる。

 むしろ実際に民主化勢力と密接な関係にあったガッツォがこの程度で済んだのは幸運だったかもしれない。

「おかしい……おかしいぞ! なぜこんなことになった? 陛下も民主化に理解を示していたはず」

 当然全ての引き金はアシュベル殺害にある。

 しかし実際にアシュベルを殺害したのは何者の仕業なのか。それが判然としない。

 民主化勢力の中心であったグリムランド民主共和党は犯行声明と取られても仕方のないような迂闊な発言をして現在激しい弾圧下に晒されている。この団体の党首は下院の議員でもあり、聡明な人物であった。ガッツォとはとある人物の手引きで知り合い、知己の仲である。こんな迂闊な発言をする人物であったか。

「党首のゲンメルはそんな愚かな男ではなかったはず」

 何かが狂っている……誰かが狂わせているのではないか。そう感じるほどに見事に全ての歯車が絶妙に嚙み合わずに軋みを上げてぶつかり合っている。自らのその歯をボロボロに破壊しながら。

「殿下」

 ノックと共に家宰の声が聞こえた。

「グリムランド民主共和党のゲンメル様が殿下とお話ししたいと」

「だっ、誰が会うもんか! 居ないと言ってくれ!」

 蟄居しているのだからいないはずがないが、むしろそれくらい「会いたくないのだ」という気持ちをストレートに伝えた方がよいのかもしれない。それほどまでに今民主化勢力と接触するのは危険なのだ。恐怖に支配されていても、ガッツォの判断は賢明であった。

 それから一時間も経った頃であろうか、再び家宰の声がドア越しに聞こえる。

「誰にも会いたくないと言っている! とにかく! 蟄居を命ぜられた以上ただ静かに時が過ぎるのを待つんだ!!」

 用件を聞くより先にガッツォは家宰を怒鳴りつけて追い返そうとしたが、しかし次の言葉に態度を変えた。

「それが……『ヤルノ』と名乗る美しい少女で……民主化勢力と関係のある人物には見えませんが、追い返しますか?」

「……ま、待ってくれ!!」

 幽鬼のような表情を見せていたガッツォに初めて希望の光が灯った様に見えた。

 彼は当然ながら知らない。ヤルノの正体を。

「通してくれ」

 ようやく自分の心を理解してくれるものが現れたと受け取ったのだ。

「かわいそうな王子様」

 月夜の青く暗い光の中で美しく見えるのは、月の魔力がそうさせるわけではない。

「あの愚かな老人にあらぬ疑いを掛けられて、こんなところに押し込められるなんて」

 昼の光の中で見ても、その少女はやはり美しかった。

「おお……ヤルノ、来てくれたのか」

 蒼白く、頬がこけていたように見えたガッツォの顔に、紅がさす。

 相対する者に勇気と自信を与え、暴力性を増す魔性の瞳。最早ガッツォは先ほどまで自分が何を悩んでいたのかも覚えていまい。

 そう、アシュベルを殺したのは何者の仕業なのかという事を。

 恐慌状態に陥った王に入れ知恵をしたのは誰なのかという事を。

 冷静であったはずの党首ゲンメルに、阿呆としか言いようのない声明を出させたのは何者なのかという事を。

「ヤルノ……ヤルノ、俺に、知恵と、勇気を」

 跪き、幼子が母に縋る様に抱きついて助けを求める。

「かわいそう。このままぼうっとしていたら、本当にあのいかれた老人に縊り殺されてしまうわね」
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