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猜疑心
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「おおおおおぉぉん……」
獣の檻と揶揄される深夜のリィングリーツ宮。
王国の北部に存在する彼らにとって未踏の地であり、蛮族の掟と力の教えが支配する『黒き森』に由来する名を持つ王宮である。
古の時代においてはその森は彼らの生まれ故郷であったにもかかわらず、現在は森にすむ蛮族を『獣』と称して蔑視している。
しかし人の情薄く、政争に明け暮れた血生臭い王宮の方がよほど獣ではないかと揶揄された名がこの『獣の檻』の蔑称の由来である。
その王宮にまさしく獣の遠吠えの如き鳴き声が響いているのだ。聞きつつも、皆聞かぬふりをする。
なんとならば、その遠吠えの主は他ならぬこの国の主、国王ヤーッコなのだから。
使用人も衛兵も、皆聞きつつも気づかぬふり。仕方あるまい。彼の息子の一人であるアシュベルが下水道から無残な死体となって見つかったのだから。
時を同じくして、ノーモル公の令嬢であるキシュクシュも死体が発見されたという報が入った。そして、当のノーモル公オーデン・オーガン卿も行方不明の憂き目にあっている。
先のイェレミアス王子の王別の儀では国家騎士団の主要な人物が何人も事故死している。最早口さがない市民達は皆口をそろえて言っている。
「リィングリーツは呪われている」
と。
「ぉお……ぉぉぉおお……」
王の様子も「呪われている」といわれるゆえんである。
目は落ちくぼみ、頬はこけ、原因不明のあざが現れている。最早そう長くはあるまいという事は誰の目にも見て取れる。
いったい、このリィングリーツ宮に何が起きているのか。
「誰が……誰の仕業だ」
王が嘆いているのも息子を思ってのことではない。
「王家に仇為すリィングリーツの呪い……いったい何者が」
恐怖に震えているのだ。彼が見ているのは自分の命のみ。
「随分と情けないお姿ですわね」
王の寝室に落ち着いた女性の声が響いた。
「ヤルノ、ヤルノ……!!」
月明りに映し出される白い肌の女性、いや男性だ。
ほんの数日前にはその姿をアシュベルに見咎められたというのに、あの時の狼狽ぶりはもはやない。心の落ち込んでいる国王を本格的に操るために来たのだ。
そもそもが、ヤーッコが大変に取り乱しているアシュベルの死の原因こそが、この男だというのに。
ヤーッコは崩れ落ちるかのようにベッドからずり落ち、這いずってヤルノの身体にしがみついた。涙を流し、その体にすがる。まるで迷子になった幼子が母親を見つけたように。瞬時に自分に対して何が求められているのかを理解したヤルノは、慈愛の表情で以て国王の身体を優しく抱きしめた。
この男の心の内は如何ほどばかりか。
アシュベルに変装を見抜かれ捕まり、抵抗するも勢いあまって殺害してしまうという体たらく。おそらくは本来の計画は大幅に狂ってしまったのだろう。自暴自棄となっていたところに彼にとって唯一といっていいほどの味方である女騎士ギアンテが現れた。
そこまでは良かったのだが、結局のところ彼とギアンテの心が繋がることはついぞなかったのだ。
しかしそれでも、彼はここにいる。
細かいところから、既に計画は色々と破綻してきている。彼の知っているところでも、知らないところでもだ。
自分の身の安全を第一に考えるのならば、もうこれは『潮時』ともいうべきものが来たことには相違ない。
ならば彼は何のために、ここにいるというのか。最早義理を果たすべき相手など、何処にもいないというのに。
「かわいそうな陛下。まさか民主派にかわいいかわいい我が子を殺されてしまうなんて」
「なに?」
どうやら彼の意思はまだ死んでいないようだった。自分の殺したアシュベルの罪を擦り付けに来たのだ。
「『グリムランド民主共和党』が声明を出してるわ『薄汚い王党派の豚が死んだだけだ。これ以上国権に執着するならば国王も同じ運命をたどるだろう』とね」
落ちくぼんでぎょろりとしている目をさらにひん剥いて国王は驚きの顔を見せた。
「そんなばかな。儂は決して民主派を弾圧などしていない。これほどまでに民に対して融和的な王など今までにいなかったというのに! この儂もか!? 愚か者どもめ」
「所詮奴らは無知蒙昧な烏合の衆。国の在り方など分かるはずもないでしょう。担ぎ上げられているガッツォ様が可哀そうになってくるわ」
「ガッツォ……ガッツォが?」
にわかに国王の瞳の中に怒りの炎が宿る。つい先ほどまで触れれば崩れる飴細工のように脆く見えていた老人が、その場に力強く立ち上がった。『怒り』というのは最も強く人間を生かす力である。
「ガッツォが、この儂を……ッ!!」
「ふふ……そうは言ってないわ。ただ、『グリムランド民主共和党』とガッツォ殿下が繋がっている、というだけよ」
その「繋げた」本人が、まさにヤルノであるのだが、当然ながらそんなことは本人しか知らぬことである。
「おお、もう何も信じられぬ」
情緒不安定なのは変わっていない。怒りに打ち震えて立ち上がったと思ったら両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。
「この二十年間、わき目も振らずに国のために尽くしてきたというのに、その上でこの仕打ちとは運命とは斯くも残酷なるものか。もう誰も信じられん」
「大丈夫よ、陛下」
その隙間を埋めるようにヤルノが寄り添う。
実際にはヤーッコは、身勝手に振舞い、気に入らない者を次々と謀略に嵌めてきた。妻ですら、我が子ですら政治の道具としてしか扱わず、邪魔になれば平気で始末しようとしてきた。
それゆえに、最早寄り添うものなどもうどこにも居はしないのだ。心の赦せる愛妾の一人でもいればよかったのだろうが、そこにすっぽりと収まったのが、まさかのヤルノであった。
「自分を信じて、陛下。わたしはどこまでも、あなたの味方ですわ」
獣の檻と揶揄される深夜のリィングリーツ宮。
王国の北部に存在する彼らにとって未踏の地であり、蛮族の掟と力の教えが支配する『黒き森』に由来する名を持つ王宮である。
古の時代においてはその森は彼らの生まれ故郷であったにもかかわらず、現在は森にすむ蛮族を『獣』と称して蔑視している。
しかし人の情薄く、政争に明け暮れた血生臭い王宮の方がよほど獣ではないかと揶揄された名がこの『獣の檻』の蔑称の由来である。
その王宮にまさしく獣の遠吠えの如き鳴き声が響いているのだ。聞きつつも、皆聞かぬふりをする。
なんとならば、その遠吠えの主は他ならぬこの国の主、国王ヤーッコなのだから。
使用人も衛兵も、皆聞きつつも気づかぬふり。仕方あるまい。彼の息子の一人であるアシュベルが下水道から無残な死体となって見つかったのだから。
時を同じくして、ノーモル公の令嬢であるキシュクシュも死体が発見されたという報が入った。そして、当のノーモル公オーデン・オーガン卿も行方不明の憂き目にあっている。
先のイェレミアス王子の王別の儀では国家騎士団の主要な人物が何人も事故死している。最早口さがない市民達は皆口をそろえて言っている。
「リィングリーツは呪われている」
と。
「ぉお……ぉぉぉおお……」
王の様子も「呪われている」といわれるゆえんである。
目は落ちくぼみ、頬はこけ、原因不明のあざが現れている。最早そう長くはあるまいという事は誰の目にも見て取れる。
いったい、このリィングリーツ宮に何が起きているのか。
「誰が……誰の仕業だ」
王が嘆いているのも息子を思ってのことではない。
「王家に仇為すリィングリーツの呪い……いったい何者が」
恐怖に震えているのだ。彼が見ているのは自分の命のみ。
「随分と情けないお姿ですわね」
王の寝室に落ち着いた女性の声が響いた。
「ヤルノ、ヤルノ……!!」
月明りに映し出される白い肌の女性、いや男性だ。
ほんの数日前にはその姿をアシュベルに見咎められたというのに、あの時の狼狽ぶりはもはやない。心の落ち込んでいる国王を本格的に操るために来たのだ。
そもそもが、ヤーッコが大変に取り乱しているアシュベルの死の原因こそが、この男だというのに。
ヤーッコは崩れ落ちるかのようにベッドからずり落ち、這いずってヤルノの身体にしがみついた。涙を流し、その体にすがる。まるで迷子になった幼子が母親を見つけたように。瞬時に自分に対して何が求められているのかを理解したヤルノは、慈愛の表情で以て国王の身体を優しく抱きしめた。
この男の心の内は如何ほどばかりか。
アシュベルに変装を見抜かれ捕まり、抵抗するも勢いあまって殺害してしまうという体たらく。おそらくは本来の計画は大幅に狂ってしまったのだろう。自暴自棄となっていたところに彼にとって唯一といっていいほどの味方である女騎士ギアンテが現れた。
そこまでは良かったのだが、結局のところ彼とギアンテの心が繋がることはついぞなかったのだ。
しかしそれでも、彼はここにいる。
細かいところから、既に計画は色々と破綻してきている。彼の知っているところでも、知らないところでもだ。
自分の身の安全を第一に考えるのならば、もうこれは『潮時』ともいうべきものが来たことには相違ない。
ならば彼は何のために、ここにいるというのか。最早義理を果たすべき相手など、何処にもいないというのに。
「かわいそうな陛下。まさか民主派にかわいいかわいい我が子を殺されてしまうなんて」
「なに?」
どうやら彼の意思はまだ死んでいないようだった。自分の殺したアシュベルの罪を擦り付けに来たのだ。
「『グリムランド民主共和党』が声明を出してるわ『薄汚い王党派の豚が死んだだけだ。これ以上国権に執着するならば国王も同じ運命をたどるだろう』とね」
落ちくぼんでぎょろりとしている目をさらにひん剥いて国王は驚きの顔を見せた。
「そんなばかな。儂は決して民主派を弾圧などしていない。これほどまでに民に対して融和的な王など今までにいなかったというのに! この儂もか!? 愚か者どもめ」
「所詮奴らは無知蒙昧な烏合の衆。国の在り方など分かるはずもないでしょう。担ぎ上げられているガッツォ様が可哀そうになってくるわ」
「ガッツォ……ガッツォが?」
にわかに国王の瞳の中に怒りの炎が宿る。つい先ほどまで触れれば崩れる飴細工のように脆く見えていた老人が、その場に力強く立ち上がった。『怒り』というのは最も強く人間を生かす力である。
「ガッツォが、この儂を……ッ!!」
「ふふ……そうは言ってないわ。ただ、『グリムランド民主共和党』とガッツォ殿下が繋がっている、というだけよ」
その「繋げた」本人が、まさにヤルノであるのだが、当然ながらそんなことは本人しか知らぬことである。
「おお、もう何も信じられぬ」
情緒不安定なのは変わっていない。怒りに打ち震えて立ち上がったと思ったら両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。
「この二十年間、わき目も振らずに国のために尽くしてきたというのに、その上でこの仕打ちとは運命とは斯くも残酷なるものか。もう誰も信じられん」
「大丈夫よ、陛下」
その隙間を埋めるようにヤルノが寄り添う。
実際にはヤーッコは、身勝手に振舞い、気に入らない者を次々と謀略に嵌めてきた。妻ですら、我が子ですら政治の道具としてしか扱わず、邪魔になれば平気で始末しようとしてきた。
それゆえに、最早寄り添うものなどもうどこにも居はしないのだ。心の赦せる愛妾の一人でもいればよかったのだろうが、そこにすっぽりと収まったのが、まさかのヤルノであった。
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