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イェレミアス
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最初は小さな衝突であった。そう、ほんの小さな小競り合いに過ぎなかったのだ。
それもそのはず。本当に最初の最初、そのきっかけとなったのは市民に紛れたイェレミアスの何気ない一言に他ならなかったのだから。
それは言葉だけ聞けば誰でも心の中に持っている、ちょっとした愚痴のようなものであった。何一つ特別なところがなく、平凡で、そして八つ当たりにも近いような愚痴。だからこそ人々の心の中に響いたのか。
投げ込まれた小石は波紋となって広がり、共鳴して大きな波となって葬列を襲った。イェレミアスもその波の振幅を増すようにさらに小石を投げ入れた。
みるみるうちに水面は冬の海のように荒れ狂い、憎悪と暴力の渦を作る。
葬列に帯同していた騎士達はせいぜい二百人といったところであったが、町で暴動が起き、それがあろうことか国王の葬列と衝突しているという報を受けて最低限の城の警護だけを残してこれの鎮圧にあたった。
「どうぞ、ギアンテ。ここならよく見えますよ」
町の外れ。王都ウィンザーハーツは四方を城壁に囲まれた堅牢な城郭都市ではない。明確な町の端というものはなく、ただ城から離れた外へ向かって行くと段々とみすぼらしい貧民の家が目立つようになり、やがて雑木林が増え、それに反比例して民家が減り町の外へとつながる。
そんな町の外れの、少し小高い丘の上、崩れかけたレンガの塀の上にイェレミアスは腰かけると、自分の隣にハンカチを敷いてそこに座る様にギアンテに促した。
王族らしくない、まるで庶民の子が好意を寄せる異性に対してするようなその仕草にギアンテは一瞬戸惑ったが、素直に従った。
以前であればイェレミアスに対し、そのような振る舞いは貴族らしくないと窘めたであろうし、ヤルノに対してもやはり同様にその軽薄な態度を咎めたであろう。
しかしこの日、この場においてはもはやそんなことはもうどうでもよいのだという事を、曖昧な認識の中でもギアンテは感じ取っていた。そのような指摘はもはや無意味なところまで事態は進展しているのだと。
時刻は夜更けではあるものの、この辺りも静まり返っているわけではない。当然住民はいるし、寝静まっていた者達も、中央で何か起きている事にはその喧騒から気づいており、幾人かは遠目にそれを見るために家の外に出てきている。
そんな中での真夜中のデート。
遠くには松明の炎が煌めき、衝突し合っている。どうやらどさくさに民家や商店に火をつけて略奪を始めている者もいるようだ。
「きらきら光って綺麗ですね。まるで蛍の光みたいだ」
邪悪な意志と暴力のぶつかり合いではあるが、蛍だってその光は異性を呼び、子を成すためのもの。根本的なところではそう違わないのかもしれない。
「以前に森の中の妖精の話をしたのを覚えていますか?」
確かに、以前キシュクシュといた時に彼はそんなことを話していた。その時は確か村に伝わる伝説だとか、おとぎ話だとか、そんな話だったな、とギアンテはぼんやりと思い出していた。
「これとよく似た光景を、昔僕は見たことがあるんです。森の闇の中を、光が舞って……物心もつくかどうかの本当に小さなころの話ですけどね……」
あれは、やはりおとぎ話などではなく、彼自身の話だったのか。
あまりにもとりとめもない考えだったこともあるし、色々なことが起こってそれどころではなかったので記憶の片隅に埋もれていた考えであったが、確かにギアンテも、あれはヤルノ自身の話だったのではないか、と考えたことがあった。
森の妖精が、ヤルノ少年をとり殺して、成り代わっているのではないかという、愚にもつかない考え。いつかその妖精はイェレミアス王子をも亡き者として、成り代わるのではないか、この国自体に成り代わろうとしているのではないかという恐ろしい考え。
おとぎ話の真偽は明らかではないが、事実ヤルノ少年は完全にイェレミアスへと成り代わり、そして手を伸ばせば国を手に入れられる場所にまで来ているのだ。
ギアンテは身震いした。
「あ、もしかしてお腹がすきましたか?」
何を勘違いしたのか、的外れな事を言ってイェレミアスは肩から下げていたバッグを漁り始めていた。
「こんなこともあろうかとクッキーを焼いておいたんです。調理場を貸してもらうのは骨が折れましたよ」
ギアンテが心に抱えている恐怖とは対照的に温和な声と、そして箱に入ったクッキー。町を燃やす暴力の炎とも、彼女の心とも、そして少年の正体とも、まことに対照的な穏やかなものが姿を現す。ギアンテもすっかり毒気を抜かれてしまったようだった。
「王子が……これを作ったんですか」
先ほどのハンカチの時はかろうじて飲み込んだ言葉を、今回は流石に口にしてしまった。
続けての、あまりにも王族に似つかわしくない行動。まるで、わざとそう振舞っているようにさえ、彼女には感じられた。
ふと気づいてギアンテが顔を上げてイェレミアスの方を見ると、彼は眉根を寄せて、悲しそうな、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「……ギアンテ、僕はイェレミアスではないですよ。何度言えば分かってくれるんですか」
それもそのはず。本当に最初の最初、そのきっかけとなったのは市民に紛れたイェレミアスの何気ない一言に他ならなかったのだから。
それは言葉だけ聞けば誰でも心の中に持っている、ちょっとした愚痴のようなものであった。何一つ特別なところがなく、平凡で、そして八つ当たりにも近いような愚痴。だからこそ人々の心の中に響いたのか。
投げ込まれた小石は波紋となって広がり、共鳴して大きな波となって葬列を襲った。イェレミアスもその波の振幅を増すようにさらに小石を投げ入れた。
みるみるうちに水面は冬の海のように荒れ狂い、憎悪と暴力の渦を作る。
葬列に帯同していた騎士達はせいぜい二百人といったところであったが、町で暴動が起き、それがあろうことか国王の葬列と衝突しているという報を受けて最低限の城の警護だけを残してこれの鎮圧にあたった。
「どうぞ、ギアンテ。ここならよく見えますよ」
町の外れ。王都ウィンザーハーツは四方を城壁に囲まれた堅牢な城郭都市ではない。明確な町の端というものはなく、ただ城から離れた外へ向かって行くと段々とみすぼらしい貧民の家が目立つようになり、やがて雑木林が増え、それに反比例して民家が減り町の外へとつながる。
そんな町の外れの、少し小高い丘の上、崩れかけたレンガの塀の上にイェレミアスは腰かけると、自分の隣にハンカチを敷いてそこに座る様にギアンテに促した。
王族らしくない、まるで庶民の子が好意を寄せる異性に対してするようなその仕草にギアンテは一瞬戸惑ったが、素直に従った。
以前であればイェレミアスに対し、そのような振る舞いは貴族らしくないと窘めたであろうし、ヤルノに対してもやはり同様にその軽薄な態度を咎めたであろう。
しかしこの日、この場においてはもはやそんなことはもうどうでもよいのだという事を、曖昧な認識の中でもギアンテは感じ取っていた。そのような指摘はもはや無意味なところまで事態は進展しているのだと。
時刻は夜更けではあるものの、この辺りも静まり返っているわけではない。当然住民はいるし、寝静まっていた者達も、中央で何か起きている事にはその喧騒から気づいており、幾人かは遠目にそれを見るために家の外に出てきている。
そんな中での真夜中のデート。
遠くには松明の炎が煌めき、衝突し合っている。どうやらどさくさに民家や商店に火をつけて略奪を始めている者もいるようだ。
「きらきら光って綺麗ですね。まるで蛍の光みたいだ」
邪悪な意志と暴力のぶつかり合いではあるが、蛍だってその光は異性を呼び、子を成すためのもの。根本的なところではそう違わないのかもしれない。
「以前に森の中の妖精の話をしたのを覚えていますか?」
確かに、以前キシュクシュといた時に彼はそんなことを話していた。その時は確か村に伝わる伝説だとか、おとぎ話だとか、そんな話だったな、とギアンテはぼんやりと思い出していた。
「これとよく似た光景を、昔僕は見たことがあるんです。森の闇の中を、光が舞って……物心もつくかどうかの本当に小さなころの話ですけどね……」
あれは、やはりおとぎ話などではなく、彼自身の話だったのか。
あまりにもとりとめもない考えだったこともあるし、色々なことが起こってそれどころではなかったので記憶の片隅に埋もれていた考えであったが、確かにギアンテも、あれはヤルノ自身の話だったのではないか、と考えたことがあった。
森の妖精が、ヤルノ少年をとり殺して、成り代わっているのではないかという、愚にもつかない考え。いつかその妖精はイェレミアス王子をも亡き者として、成り代わるのではないか、この国自体に成り代わろうとしているのではないかという恐ろしい考え。
おとぎ話の真偽は明らかではないが、事実ヤルノ少年は完全にイェレミアスへと成り代わり、そして手を伸ばせば国を手に入れられる場所にまで来ているのだ。
ギアンテは身震いした。
「あ、もしかしてお腹がすきましたか?」
何を勘違いしたのか、的外れな事を言ってイェレミアスは肩から下げていたバッグを漁り始めていた。
「こんなこともあろうかとクッキーを焼いておいたんです。調理場を貸してもらうのは骨が折れましたよ」
ギアンテが心に抱えている恐怖とは対照的に温和な声と、そして箱に入ったクッキー。町を燃やす暴力の炎とも、彼女の心とも、そして少年の正体とも、まことに対照的な穏やかなものが姿を現す。ギアンテもすっかり毒気を抜かれてしまったようだった。
「王子が……これを作ったんですか」
先ほどのハンカチの時はかろうじて飲み込んだ言葉を、今回は流石に口にしてしまった。
続けての、あまりにも王族に似つかわしくない行動。まるで、わざとそう振舞っているようにさえ、彼女には感じられた。
ふと気づいてギアンテが顔を上げてイェレミアスの方を見ると、彼は眉根を寄せて、悲しそうな、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「……ギアンテ、僕はイェレミアスではないですよ。何度言えば分かってくれるんですか」
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