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駅のロータリーから出立したばかりのバスが、四方に散らばっていく。
街灯モニターから轟く、ハスキーボイスが売りのスパイシーな歌声は、三週間も前から流れている。
その曲は社会現象にまでなっているドラマの主題歌で『悪魔の甘い誘惑に酔いしれろ、初のソロシングル、大ヒット発売中!』という謳い文句が、先日追加されたばかりだ。
ピタリと背後で誰かが立ち止まった気配。
「まだ流れてんのかよ……」
吐き捨てるような男の呟きは、手前にいる土岐透琉にだけ聞こえた。
テレビを見ない透琉からすれば、ドラマの名場面を思い浮かべることはないので、良い声だなと思いこそすれ、退屈な信号待ちの時間に同じ曲ばかり聞かせられて辟易している。
後ろの男は苦痛だと言わんばかりのため息をついた。
透琉は、いつもと変わらぬ雑踏に紛れながら、歩道の端っこでスクールバッグを抱き締めながら信号が青になるのを待つ。
母親の寿美子にこれから塾に行くと連絡を入れてからニ十分。いつもならとっくに塾に到着している時間だ。
先ほどから震えているスマートフォンは、おそらく寿美子からのものだろう。
あまりにも鳴りやまない通知に根気負けした透琉は、スクールバッグからスマートフォンを取り出す。ロック画面には最新のメッセージが表示されていた。
『透琉さん、どこで寄り道しているの? 早く塾に行きなさい』
「……寄り道はしていません。もうすぐ着きます」
返信をした透琉は、背中を丸めて俯く。
歩車分離信号の大きな交差点は、いかなる時間帯でも交通量が多い。下校や退勤の時間ともなればなおさらだ。
高校生活も残り一年となった透琉だが、なぜか最近、慣れたはずの下校ルートが恐ろしく感じる。
聞き飽きた曲に鬱々としていた方がまだ健全だと思えるくらい、一体どうしてか体が沸騰しているかのように熱くなったり背中に冷や汗をかくほど猛烈に寒くなったりを繰り返しているのだ。
原因不明の動悸は、日増しに激しくなっていく。
眩暈を起こして校内で何度か倒れたことがある。幸い大きな怪我はしていないが、体調が良いと感じる日は少ない。
心配性な寿美子に病院を連れ回されたが、どこも異常はなく、最終的に行き着いたのは心療内科だった。
それでも眩暈の原因が判明することはなかった。
学校に行くことが嫌なわけではないし、大きな事件に巻き込まれたわけでもない。
透琉は、ブレザーの下のシャツは第一ボタンまでしっかり留めて着崩さない。染髪はしないし、もちろんアクセサリーもつけない。自宅と学校と塾を往復するだけの、極めて模範的な学生だ。
華奢な体格に大きな瞳と垂れた眉は、時折女性や中学生に間違えられるほどで、本人の知らぬところでは、才貌両全の美少年と崇められている。
強いて言えば、医学部を受験するつもりのため、少々プレッシャーを感じているくらいであるが、それは受験生に等しく降りかかる問題であることくらい透琉も理解しているので、眩暈を起こすほどでもない。
目が霞むと感じるのは、視力が落ちたせいかもしれない。思い返してみれば、眩暈を起こす前も目の奥がズキズキと痛んでいた気もする。
近々、眼科に行ってもう一度検査をしてみようか――。
歩行者用の信号が青になり、聞き慣れたメロディが流れ始めた。
信号が変わる前に早く渡らなければ、と透琉が歩き出した瞬間、道路の向こう側にある塾の窓がガタガタと震え始めた。
ガッシャーン! バリンッバリンッ! と激しく音を立てた窓ガラスは、すべて粉々になって、歩道を埋め尽くしていた。
通行人はいなかったように見えたが、心配になった透琉は駆け足で現場に向かった。
地震が発生したとか突風が吹いたとかではない。物が当たってガラスを突き破った痕跡もない。内側から強烈な圧力がかかり破裂したというよりは、ヒビが入ってから、一斉に落下したように見えた。
週に三回、あの窓の横で講義を受けているので、老朽化で割れるほど古いわけでもないことを知っている。
原因を探るべく、砕けたガラスに手を伸ばすと、ひと回り大きな手に制される。
「ストップ! 素手で触ろうとするとか、さすがにそれは想定外」
驚いた透琉は振り返る。
「岡崎くん……?」
背後にいたのは、転校生の岡崎新多だった。
「良かった。名前覚えてくれてたんだな。とりあえず、またガラス降って来ると危ないから、一旦避難しようぜ」
「う、うん……。だけど、僕これから塾で……」
「塾……? ははっ、この状態で授業あるわけなくね? ほら、アレ」
新多は、親指でビルの出入り口を指す。
視線の先にいたのは、血相を変えた警備員や塾の講師たちだ。
ビルは人通りの多い交差点の一角にあるため、写真や動画を撮る野次馬も集まって来た。
顔を真っ青にした担当講師から今日は臨時休業と告げられたため、透琉は成り行きで新多と一緒にその場を離れることにした。
街灯モニターから轟く、ハスキーボイスが売りのスパイシーな歌声は、三週間も前から流れている。
その曲は社会現象にまでなっているドラマの主題歌で『悪魔の甘い誘惑に酔いしれろ、初のソロシングル、大ヒット発売中!』という謳い文句が、先日追加されたばかりだ。
ピタリと背後で誰かが立ち止まった気配。
「まだ流れてんのかよ……」
吐き捨てるような男の呟きは、手前にいる土岐透琉にだけ聞こえた。
テレビを見ない透琉からすれば、ドラマの名場面を思い浮かべることはないので、良い声だなと思いこそすれ、退屈な信号待ちの時間に同じ曲ばかり聞かせられて辟易している。
後ろの男は苦痛だと言わんばかりのため息をついた。
透琉は、いつもと変わらぬ雑踏に紛れながら、歩道の端っこでスクールバッグを抱き締めながら信号が青になるのを待つ。
母親の寿美子にこれから塾に行くと連絡を入れてからニ十分。いつもならとっくに塾に到着している時間だ。
先ほどから震えているスマートフォンは、おそらく寿美子からのものだろう。
あまりにも鳴りやまない通知に根気負けした透琉は、スクールバッグからスマートフォンを取り出す。ロック画面には最新のメッセージが表示されていた。
『透琉さん、どこで寄り道しているの? 早く塾に行きなさい』
「……寄り道はしていません。もうすぐ着きます」
返信をした透琉は、背中を丸めて俯く。
歩車分離信号の大きな交差点は、いかなる時間帯でも交通量が多い。下校や退勤の時間ともなればなおさらだ。
高校生活も残り一年となった透琉だが、なぜか最近、慣れたはずの下校ルートが恐ろしく感じる。
聞き飽きた曲に鬱々としていた方がまだ健全だと思えるくらい、一体どうしてか体が沸騰しているかのように熱くなったり背中に冷や汗をかくほど猛烈に寒くなったりを繰り返しているのだ。
原因不明の動悸は、日増しに激しくなっていく。
眩暈を起こして校内で何度か倒れたことがある。幸い大きな怪我はしていないが、体調が良いと感じる日は少ない。
心配性な寿美子に病院を連れ回されたが、どこも異常はなく、最終的に行き着いたのは心療内科だった。
それでも眩暈の原因が判明することはなかった。
学校に行くことが嫌なわけではないし、大きな事件に巻き込まれたわけでもない。
透琉は、ブレザーの下のシャツは第一ボタンまでしっかり留めて着崩さない。染髪はしないし、もちろんアクセサリーもつけない。自宅と学校と塾を往復するだけの、極めて模範的な学生だ。
華奢な体格に大きな瞳と垂れた眉は、時折女性や中学生に間違えられるほどで、本人の知らぬところでは、才貌両全の美少年と崇められている。
強いて言えば、医学部を受験するつもりのため、少々プレッシャーを感じているくらいであるが、それは受験生に等しく降りかかる問題であることくらい透琉も理解しているので、眩暈を起こすほどでもない。
目が霞むと感じるのは、視力が落ちたせいかもしれない。思い返してみれば、眩暈を起こす前も目の奥がズキズキと痛んでいた気もする。
近々、眼科に行ってもう一度検査をしてみようか――。
歩行者用の信号が青になり、聞き慣れたメロディが流れ始めた。
信号が変わる前に早く渡らなければ、と透琉が歩き出した瞬間、道路の向こう側にある塾の窓がガタガタと震え始めた。
ガッシャーン! バリンッバリンッ! と激しく音を立てた窓ガラスは、すべて粉々になって、歩道を埋め尽くしていた。
通行人はいなかったように見えたが、心配になった透琉は駆け足で現場に向かった。
地震が発生したとか突風が吹いたとかではない。物が当たってガラスを突き破った痕跡もない。内側から強烈な圧力がかかり破裂したというよりは、ヒビが入ってから、一斉に落下したように見えた。
週に三回、あの窓の横で講義を受けているので、老朽化で割れるほど古いわけでもないことを知っている。
原因を探るべく、砕けたガラスに手を伸ばすと、ひと回り大きな手に制される。
「ストップ! 素手で触ろうとするとか、さすがにそれは想定外」
驚いた透琉は振り返る。
「岡崎くん……?」
背後にいたのは、転校生の岡崎新多だった。
「良かった。名前覚えてくれてたんだな。とりあえず、またガラス降って来ると危ないから、一旦避難しようぜ」
「う、うん……。だけど、僕これから塾で……」
「塾……? ははっ、この状態で授業あるわけなくね? ほら、アレ」
新多は、親指でビルの出入り口を指す。
視線の先にいたのは、血相を変えた警備員や塾の講師たちだ。
ビルは人通りの多い交差点の一角にあるため、写真や動画を撮る野次馬も集まって来た。
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