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大学帰りの日下くんは、今朝と同じ格好でやってきた。雨は降ったり止んだりを繰り返していて、丁度晴れている時間に下校できたようだ。
僕はワイシャツにネイビーのカーディガンにスラックスといつものオフィスカジュアル。財布はポケットだし、持ち物はスマホくらいしかないため、黒いエコバッグだけ。
磐木先輩にはエコバッグを常備している独身男性など中々いないと褒められたが、もしかしてこれも所帯じみているだろうか――と考えたところで頭を振る。
何も色気を感じてほしいわけではない。浮ついた心は滅すべきだ。
「涼さん、お待たせしました! ちょっと寄り道してて遅くなりました。すみません!」
ほら、日下くんも僕がエコバッグを持っていようが気にも留めていない。
「ううん、僕も丁度今来たところだよ。学校お疲れ様」
「あれ、名前呼び、怒られない」
「もう退勤したから。あのジャンパーも着てないし」
「退勤後なら名前呼んでもいいってことですか? なんだよそれ~運転免許のひっかけ問題みたいじゃん! もっと早く勤務外に誘えば良かった……」
「時と場所を選んでって言ったけど、ありきたりな名前だし、渋るほどではないよ。僕に比べて日下くんはカッコいい名前だよね」
「俺、涼さんって名前好きっすよ。呼びやすいし、なんつーか、凛とした涼しげな声に合ってると思います。てか、俺の名前覚えてくれてたんですか?」
「蒼馬くんでしょ?」
「くう~ッ! 涼さん! 涼さん!」
「あはっ、何度も呼ばなくたって聞いてるよ。声に合ってるは初めて言われた。なんか嬉しい……ありがとう」
いつまでも入口で会話しているわけにもいかないので、僕は入り口にあった買い物かごを手に取る。
「ほら日下くん、なんでも好きなもの選んでいいよ」
「せっかく名前呼んでくれたのに、なんで苗字に戻っちゃうんすか⁉ 今仕事中じゃないのに!」
「僕も名前で呼ぶの? うーん、なんか改めて呼ぶの恥ずかしいんだけどな」
「そこをなんとか! お願い! この通り! 一生のお願い!」
日下くんは、両手を頭の上で合わせて必死に頼み込む。店内に他の客がいないにしても、年下に頭を下げさせているというのは芳しくない。
「わ、わかったよ、蒼馬くん! それにこんなことで一生のお願い使うのは勿体ないって」
日下くんは水浴びした犬のようにぶるっと大袈裟に震えた。
「な、なに……? どうしたの?」
「喜びの舞」
「え、今の舞ってたんだ……」
にこにこ、ウキウキ。先ほどから物凄い勢いで高鳴っている僕の鼓動など知りもせず、蒼馬くんは上機嫌に「涼さんはこれ好き?」「俺も涼さんと同じやつがいい!」と僕の名を呼びながら商品をかごに入れて行く。
こんなことで喜んでもらえるならば、何度だって呼ぶのに。
プライベートな時間を共有できて、気が大きくなっているのかもしれない。酒を追加するために開いたガラスドアに映った自分の頬は、熟れたトマトくらい真っ赤に染まっていた。
かごの中が埋まってずっしりして来た頃、蒼馬くんが緊張した面持ちでこう切り出した。
「涼さん、昨日もここに来ましたよね?」
「昨日? ああ、帰りに先輩と一緒に来たよ。もしかして蒼馬くんとすれ違ってた? 声かけてくれたら良かったのに」
「いや、俺が見たたわけじゃないんすけど……。あの、その先輩って涼さんの……彼女、とかだったりします……?」
その言葉に僕はよろけた。
まさか、あり得ない。
「先輩は結婚してるし、先輩の家の畑で採れた玉ねぎをもらったお礼にお酒を渡しただけ! 買い物してる間に旦那さんが迎えに来て、ちゃんと解散したよ。勿論、不倫とか略奪愛とかこれっぽちも、一ミリも考えたことすらないからね⁉」
それに僕の恋愛対象は同性で、好きな人は蒼馬くんだし――。
蒼馬くんは頬を染めて「そっか、そうっすよね。勘違いしてすみません」と両手を合わせた。
その後、どちらが支払うか押し問答していると、レジを待っている客が並んでいると勘違いしたのか、昨日のバンドマンのような店員がバックヤードから出てきた。
「いらしゃっせー……って、ソーマ!」
「ケイト! ちょっ、お前、昨日の夜の連絡なんだよ! 言いたいことめっちゃあるんだけど!」
僕には見せない少し幼い顔で抗議する蒼馬くんの背中を押す。
「友達? 話しておいでよ。その間にお会計しておくから」
うっと言葉に詰まった蒼馬くんを置いて、僕はもう片方のレジに向かう。
横目で二人を観察していると、ケイトと呼ばれていた店員は、蒼馬くんに何か耳打ちをしていた。
距離の近さにやきもきしていると、蒼馬くんはボンっと音がしたのではと思うほど、一瞬で茹蛸になった。
ケイトさんと僕の見た目は正反対だ。蒼馬くんも派手な方だし、華やかな人の方が彼には相応しいのだろう。それ以前に同性同士なのだからこの妄想も的外れで、これからする宅飲みで何かが変わるわけもない。
何を期待しているんだろう、僕は――。
理解していたはずなのに、諦めきれない自分が急に恥ずかしくなった。
僕はワイシャツにネイビーのカーディガンにスラックスといつものオフィスカジュアル。財布はポケットだし、持ち物はスマホくらいしかないため、黒いエコバッグだけ。
磐木先輩にはエコバッグを常備している独身男性など中々いないと褒められたが、もしかしてこれも所帯じみているだろうか――と考えたところで頭を振る。
何も色気を感じてほしいわけではない。浮ついた心は滅すべきだ。
「涼さん、お待たせしました! ちょっと寄り道してて遅くなりました。すみません!」
ほら、日下くんも僕がエコバッグを持っていようが気にも留めていない。
「ううん、僕も丁度今来たところだよ。学校お疲れ様」
「あれ、名前呼び、怒られない」
「もう退勤したから。あのジャンパーも着てないし」
「退勤後なら名前呼んでもいいってことですか? なんだよそれ~運転免許のひっかけ問題みたいじゃん! もっと早く勤務外に誘えば良かった……」
「時と場所を選んでって言ったけど、ありきたりな名前だし、渋るほどではないよ。僕に比べて日下くんはカッコいい名前だよね」
「俺、涼さんって名前好きっすよ。呼びやすいし、なんつーか、凛とした涼しげな声に合ってると思います。てか、俺の名前覚えてくれてたんですか?」
「蒼馬くんでしょ?」
「くう~ッ! 涼さん! 涼さん!」
「あはっ、何度も呼ばなくたって聞いてるよ。声に合ってるは初めて言われた。なんか嬉しい……ありがとう」
いつまでも入口で会話しているわけにもいかないので、僕は入り口にあった買い物かごを手に取る。
「ほら日下くん、なんでも好きなもの選んでいいよ」
「せっかく名前呼んでくれたのに、なんで苗字に戻っちゃうんすか⁉ 今仕事中じゃないのに!」
「僕も名前で呼ぶの? うーん、なんか改めて呼ぶの恥ずかしいんだけどな」
「そこをなんとか! お願い! この通り! 一生のお願い!」
日下くんは、両手を頭の上で合わせて必死に頼み込む。店内に他の客がいないにしても、年下に頭を下げさせているというのは芳しくない。
「わ、わかったよ、蒼馬くん! それにこんなことで一生のお願い使うのは勿体ないって」
日下くんは水浴びした犬のようにぶるっと大袈裟に震えた。
「な、なに……? どうしたの?」
「喜びの舞」
「え、今の舞ってたんだ……」
にこにこ、ウキウキ。先ほどから物凄い勢いで高鳴っている僕の鼓動など知りもせず、蒼馬くんは上機嫌に「涼さんはこれ好き?」「俺も涼さんと同じやつがいい!」と僕の名を呼びながら商品をかごに入れて行く。
こんなことで喜んでもらえるならば、何度だって呼ぶのに。
プライベートな時間を共有できて、気が大きくなっているのかもしれない。酒を追加するために開いたガラスドアに映った自分の頬は、熟れたトマトくらい真っ赤に染まっていた。
かごの中が埋まってずっしりして来た頃、蒼馬くんが緊張した面持ちでこう切り出した。
「涼さん、昨日もここに来ましたよね?」
「昨日? ああ、帰りに先輩と一緒に来たよ。もしかして蒼馬くんとすれ違ってた? 声かけてくれたら良かったのに」
「いや、俺が見たたわけじゃないんすけど……。あの、その先輩って涼さんの……彼女、とかだったりします……?」
その言葉に僕はよろけた。
まさか、あり得ない。
「先輩は結婚してるし、先輩の家の畑で採れた玉ねぎをもらったお礼にお酒を渡しただけ! 買い物してる間に旦那さんが迎えに来て、ちゃんと解散したよ。勿論、不倫とか略奪愛とかこれっぽちも、一ミリも考えたことすらないからね⁉」
それに僕の恋愛対象は同性で、好きな人は蒼馬くんだし――。
蒼馬くんは頬を染めて「そっか、そうっすよね。勘違いしてすみません」と両手を合わせた。
その後、どちらが支払うか押し問答していると、レジを待っている客が並んでいると勘違いしたのか、昨日のバンドマンのような店員がバックヤードから出てきた。
「いらしゃっせー……って、ソーマ!」
「ケイト! ちょっ、お前、昨日の夜の連絡なんだよ! 言いたいことめっちゃあるんだけど!」
僕には見せない少し幼い顔で抗議する蒼馬くんの背中を押す。
「友達? 話しておいでよ。その間にお会計しておくから」
うっと言葉に詰まった蒼馬くんを置いて、僕はもう片方のレジに向かう。
横目で二人を観察していると、ケイトと呼ばれていた店員は、蒼馬くんに何か耳打ちをしていた。
距離の近さにやきもきしていると、蒼馬くんはボンっと音がしたのではと思うほど、一瞬で茹蛸になった。
ケイトさんと僕の見た目は正反対だ。蒼馬くんも派手な方だし、華やかな人の方が彼には相応しいのだろう。それ以前に同性同士なのだからこの妄想も的外れで、これからする宅飲みで何かが変わるわけもない。
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