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逃げ出すための僕の言葉を真摯に受け止めて、蒼馬くんはこの一年間ずっと隣にいてくれた。日下蒼馬という名前を教えてくれたことも、夢を語ってくれたこともすべて愛だったのだ。
体から始まった関係をやり直して、僕はようやく彼の胸の中に飛び込んだ。
「髪の色、大分変わってて気づかなかったよ……」
「やーっと思い出したんですか? 初めて会った時の涼さん中々派手だったから合わせようと思ったんです。朝明るいところで見たら俺のことタイプじゃなかったから部屋飛び出していったのかなって不安になって。再会した時に見た目で却下されたくなかったから。でも今度は涼さんが黒髪になってるんですもん。笑っちゃいましたよ」
初めて会った蒼馬くんの髪は田舎街で見上げた夜空みたいな柔らかい黒だった。それが僕の態度で傷つけて、真逆の昼の大地みたいな金色になったのだとしたら申し訳ない。
「本当にごめん……。外見が好みじゃないから逃げたわけじゃないんだ。あの頃は自分でも滅茶苦茶だったって理解してたし、自分の中だけの問題で、蒼馬くんを巻き込んだ……。お詫びにもならないかもしれないけど、明るいのがいいなら僕も染めて――」
目にかかる前髪を梳くように後ろに流されて、僕は思わず目をぎゅっと閉じた。
「自発的に変えたいなら止めません。その時は俺も一緒に変わって涼さんに見合うようになります。こうして両想いになれたから、涼さんはもうムリして頑張らなくていいんです」
「でも再会した僕がこんなちんちくりんで、地味になってて、がっかりしてない……?」
また試すようなことを言ってしまったと僕は口元を押さえる。
蒼馬くんはそんな弱い僕の弱音ごと抱きしめるように囁いた。
「元々顔も可愛い系なんですから、正統派なヘアスタイルは似合ってますよ。金髪もギャップがあって良かったけど、可哀相なくらいパサついてたから、いつか俺が手入れしてあげたいなって思ってた。もちろん今の艶々な髪も触り心地が良くて好きです。また逃げ出したって、どんなに見た目が変わっても、何度だって見つけてみせます。観念して捕まっておいた方が身のため」
「僕が言わせたんだけど、威力を百倍にして返すのやめてほしい……」
「あっはっは、照れた? てかリョーって名前の響きと、年齢だけで探すの大変だったんですよ? 東京を離れる時も死ぬほど迷ったけど、涼さんが就活するって言ってたから俺も将来のために勉強しなきゃなって思い直して、一旦捜索中断して。苦渋の選択でした」
「うう、申し訳なっ……んんっ」
昨晩からネガティブな言葉はすべてキスで塞がれて飲み込まれる。キザだが様になっているのだから少し悔しい。
意識がはっきりした状態でするキスは、ふわふわとしていて優しい幸福に包まれる。
「あー、俺チャリで事故って死んだんだって思ったけどさ、ははっ、まさかこんな田舎街で、都内のバー回って探し続けてた人に抱きかかえられてるとは思わなかったなぁ。雨と桜のおかげで再会できたから、俺、この季節が一番好き」
そう言って蒼馬くんは薄暗い部屋の中で、朝日のような清々しい笑みを浮かべた。爽やかな春風すら感じて、夜とのギャップで眩暈がする。
怒涛の幸福に頭も体も置いてきぼりになっているのかもしれない。
「僕も好きだよ……。あの日、この街で再会した時からずっと――ううん、それよりもっと前から蒼馬くんに惹かれてたんだ。目が合ったら好きになっちゃうって予感がして、それが怖かったから逃げ出した。探してくれてありがとう、待っていてくれて嬉しかった」
「やっぱ真面目な話は素面の時にすべきですね。ようやく本当に想いが伝わった気がする。良かった……。俺、こっちの大学に来て良かった。涼さんにまた会えて本当に良かった……」
蒼馬くんの瞳が潤んでいたように思えたが、痛いくらい抱き締められて身動き一つ取れない。
「く、苦しいよ蒼馬くん」
「涼さんが逃げ出しても離さないでって言ったんだよ」
「そんなことまで言ったの? 恥ずかしい……」
「約束したから、守らないと」
「僕ももう忘れない。ちゃんと今日のことは覚えておくから。約束するよ」
テーブル越しだった指切りをやり直して、トクトクと伝わってくる鼓動に耳を傾ける。
「それにしても僕は就職で、蒼馬くんは勉学でこっちに来た。東京から出て、この街で偶然再会したって、奇跡みたいな確率だよね」
そう僕が問いかけると、先ほどの穏やかなものとは違い、舌先を攫うみたいな強引にキスされた。後頭部と腰を抱かれて呼吸ができなくなるくらい夢中で互いを貪った。
なんだかはぐらかされた気もするが、舌を絡ませて、腫れてヒリヒリする乳首をすりすりとなぞられると、あっという間に快感が腹の奥に溜まって、何も考えられなくなった。
「はぁ……ふう、偶然の再会に運命、感じてくれました?」
「んっ、うん、感じた」
「涼さんが言ってた条件全部満たすでしょ? 今度こそ俺と付き合ってくれますよね?」
「付き合う、蒼馬くんの恋人になりたい」
「言質取りましたからね」
子犬が甘嚙みするようなキスで喜びを体現する。
蒼馬くんは「あっ」と何か思い当たる顔をして眉を顰めた。
「なに?」
「たまに愛してほしいって言ってたけど、それは聞けないお願いかもしれません。涼さんが不安にならないようにってのもあるけど、俺が愛したがりなので多少ウザくても受け止めてください。一年間健全に関係値を築き上げた実績も考慮していただけますと幸いです」
「なんだか就活の自己アピールみたいなことを言うね……」
「就活、なるほど。定年なしのパートナーとして生涯雇用してください。お、重い……?」
「ふふっ、僕には丁度いいよ」
久しぶりに嬉しくて流した涙はとても温かくて、このまま命を終えてしまいたくなるほど幸せで、どうしようもないほど愛おしさが溢れた。
断片的にしか覚えていない昨晩の事情をなぞるように蒼馬くんはまたしても僕をベッドに押し倒した。
見たことのないコンドームは蒼馬くんがここに来る前に用意して持参したものであり、洗面所の片付け忘れた僕の玩具を見て、タガが外れた。その後、蒼馬くんに告白されて僕は自分も好きだと何度も頷いた。そしてセックスに雪崩れ込んだ――らしい。
おぼろげにしか覚えていない僕は、休日の昼間に相応しくない嬌声をあげ、自分でも知らなかったイイところを何度も激しく突かれながら、そんな話を聞いていた。
カチャカチャ――。
雨とは違う水の流れる音がキッチンから聞こえる。
僕は洋服ダンスからTシャツとパンツを取り出して身につける。体中キスマークだからけになり、節々が痛むが、幸福な痺れだった。
壁を支えにキッチンに向かうと、僕のエプロンを身に着けて皿を洗う蒼馬くんがいた。
「あ、起きました? 体は大丈夫ですか? 昨日もしたのに、涼さんの泣き顔見てたら、こう、気持ちがグワッとなってしまって……。マジですみません」
「大丈夫だよ。その……またシてくれる……よね?」
らしくもない猫撫で声で精一杯甘える。皿を洗う蒼馬くんに後ろからぎゅっと抱き着くと、わははっと嬉しそうに蒼馬くんは腹筋を上下させた。
「俺は今からでもいけますけど?」
「そ、それはちょっと」
「冗談です。掠れた声もセクシーだけど、あんまり無理させるのもなぁ。やっぱこれ以上はやめときます」
「我慢してない?」
すっと手を骨盤をなぞるように下げると、蒼馬くんはビクッと大袈裟に跳ねた。首だけ振り向いてジットリした視線を向けて来る。
引きはがされたくない僕は蒼馬くんの臍あたりで両手を組んで、もう何もしない旨をアピールする。
「あんまり悪戯してると洗剤の泡つきますよ?」
「それは困るかも」
「んじゃあお風呂沸くまで、もうちょっと休んでてください。今だって立ってるのもしんどいでしょ?」
「お風呂ありがとう。だけど、もう少しだけこうしてる……」
作業の邪魔になるとわかっているのに、離れたくない。こんな自発的に寄りかかりたくなるのも蒼馬くんが相手だからなのだろう。
「はあ、付き合ったらこんな甘えてもらえんのかよ……」
「ご、ごめん……」
調子に乗り過ぎたと手を引っ込めると、指が引っかかってエプロンの紐がはらっと解けた。
「待って、そう言う意味じゃないから!」
「いきなりこんな甘えて気持ち悪い……?」
「触られただけでちんこ勃ててるのにキモイとか思うわけなくないですか?」
「うっ……、なんでそんな直接的な表現するかな……。紐ほどけちゃったから結び直すね」
先ほどまで人の下半身を弄っていた人間が咎められることではない。僕は照れ隠しに背中にぐりぐりと額を擦り付けてエプロンの紐をぎゅっと縛る。
「はい、結んだ」
「ありがとうございます。俺も料理はする方だけど、一人だからついテキトーになっちゃって。こうやってエプロンつけて片付けるのもいいもんすね」
「気に入った?」
「うん。涼さん、来週あたりに買い物行きませんか?」
「いいよ。どこに行きたい?」
「県庁近くのでっかい店に、おそろいのエプロン買いに行きたいです。そんでまた俺のエプロンの紐結んでください。涼さんのは俺に結ばせて」
「……うんっ!」
一晩で止まっていた関係が動き出した。すべては蒼馬くんのさじ加減で、いつかこうなる運命だったのかもしれないけど、僕にとってはたった五分の毎朝の積み重ながあったからこそ彼と向き合う決断ができたのだと思う。息継ぎのできない嵐のような夜だったが、東京の一夜の過ちとは違い、逃げずに話し合おうとしていた時点で、過去の呪縛から解き放たれて、一歩踏み出すことができていたのだ。
鼻歌交じりに蒼馬くんを待っていると「ご機嫌だね」と笑われる。
「涼さんは他に何か行きたいところとか、したいこと、ありますか?」
「そうだなぁ……。蒼馬くんの曲聞きながら、日下家自慢のお酒を飲んでみたいかな」
「あっはっは! もうそれ、初めて会った日に叶ってますよ」
そして蒼馬くんは水をきゅっと止めた。ペーパータオルで手を拭いて、僕の前に立って見下ろす。
「どういうこと?」
「自信作だった曲をズタボロに酷評されてヤケ酒してた俺の隣の席で、俺の家の酒飲みながら『今の曲すごく良かったから名前教えて』って涼さんが言ったんだ。涼さんの言葉のおかげで、あれから何もかもが上手くいってる。それに全部忘れたって言ってたけど、覚えてたじゃん」
「え?」
「その鼻歌、俺の曲。無意識だったんですか?」
「無意識だった……。ずっと何の曲かわからなくて、やっと答えを見つけた……」
驚きすぎて頭が真っ白だ。
蒼馬くんは「俺のこと見つけてくれてありがとう」と言って顔をくしゃくしゃにして子どもみたいに笑った。
体から始まった関係をやり直して、僕はようやく彼の胸の中に飛び込んだ。
「髪の色、大分変わってて気づかなかったよ……」
「やーっと思い出したんですか? 初めて会った時の涼さん中々派手だったから合わせようと思ったんです。朝明るいところで見たら俺のことタイプじゃなかったから部屋飛び出していったのかなって不安になって。再会した時に見た目で却下されたくなかったから。でも今度は涼さんが黒髪になってるんですもん。笑っちゃいましたよ」
初めて会った蒼馬くんの髪は田舎街で見上げた夜空みたいな柔らかい黒だった。それが僕の態度で傷つけて、真逆の昼の大地みたいな金色になったのだとしたら申し訳ない。
「本当にごめん……。外見が好みじゃないから逃げたわけじゃないんだ。あの頃は自分でも滅茶苦茶だったって理解してたし、自分の中だけの問題で、蒼馬くんを巻き込んだ……。お詫びにもならないかもしれないけど、明るいのがいいなら僕も染めて――」
目にかかる前髪を梳くように後ろに流されて、僕は思わず目をぎゅっと閉じた。
「自発的に変えたいなら止めません。その時は俺も一緒に変わって涼さんに見合うようになります。こうして両想いになれたから、涼さんはもうムリして頑張らなくていいんです」
「でも再会した僕がこんなちんちくりんで、地味になってて、がっかりしてない……?」
また試すようなことを言ってしまったと僕は口元を押さえる。
蒼馬くんはそんな弱い僕の弱音ごと抱きしめるように囁いた。
「元々顔も可愛い系なんですから、正統派なヘアスタイルは似合ってますよ。金髪もギャップがあって良かったけど、可哀相なくらいパサついてたから、いつか俺が手入れしてあげたいなって思ってた。もちろん今の艶々な髪も触り心地が良くて好きです。また逃げ出したって、どんなに見た目が変わっても、何度だって見つけてみせます。観念して捕まっておいた方が身のため」
「僕が言わせたんだけど、威力を百倍にして返すのやめてほしい……」
「あっはっは、照れた? てかリョーって名前の響きと、年齢だけで探すの大変だったんですよ? 東京を離れる時も死ぬほど迷ったけど、涼さんが就活するって言ってたから俺も将来のために勉強しなきゃなって思い直して、一旦捜索中断して。苦渋の選択でした」
「うう、申し訳なっ……んんっ」
昨晩からネガティブな言葉はすべてキスで塞がれて飲み込まれる。キザだが様になっているのだから少し悔しい。
意識がはっきりした状態でするキスは、ふわふわとしていて優しい幸福に包まれる。
「あー、俺チャリで事故って死んだんだって思ったけどさ、ははっ、まさかこんな田舎街で、都内のバー回って探し続けてた人に抱きかかえられてるとは思わなかったなぁ。雨と桜のおかげで再会できたから、俺、この季節が一番好き」
そう言って蒼馬くんは薄暗い部屋の中で、朝日のような清々しい笑みを浮かべた。爽やかな春風すら感じて、夜とのギャップで眩暈がする。
怒涛の幸福に頭も体も置いてきぼりになっているのかもしれない。
「僕も好きだよ……。あの日、この街で再会した時からずっと――ううん、それよりもっと前から蒼馬くんに惹かれてたんだ。目が合ったら好きになっちゃうって予感がして、それが怖かったから逃げ出した。探してくれてありがとう、待っていてくれて嬉しかった」
「やっぱ真面目な話は素面の時にすべきですね。ようやく本当に想いが伝わった気がする。良かった……。俺、こっちの大学に来て良かった。涼さんにまた会えて本当に良かった……」
蒼馬くんの瞳が潤んでいたように思えたが、痛いくらい抱き締められて身動き一つ取れない。
「く、苦しいよ蒼馬くん」
「涼さんが逃げ出しても離さないでって言ったんだよ」
「そんなことまで言ったの? 恥ずかしい……」
「約束したから、守らないと」
「僕ももう忘れない。ちゃんと今日のことは覚えておくから。約束するよ」
テーブル越しだった指切りをやり直して、トクトクと伝わってくる鼓動に耳を傾ける。
「それにしても僕は就職で、蒼馬くんは勉学でこっちに来た。東京から出て、この街で偶然再会したって、奇跡みたいな確率だよね」
そう僕が問いかけると、先ほどの穏やかなものとは違い、舌先を攫うみたいな強引にキスされた。後頭部と腰を抱かれて呼吸ができなくなるくらい夢中で互いを貪った。
なんだかはぐらかされた気もするが、舌を絡ませて、腫れてヒリヒリする乳首をすりすりとなぞられると、あっという間に快感が腹の奥に溜まって、何も考えられなくなった。
「はぁ……ふう、偶然の再会に運命、感じてくれました?」
「んっ、うん、感じた」
「涼さんが言ってた条件全部満たすでしょ? 今度こそ俺と付き合ってくれますよね?」
「付き合う、蒼馬くんの恋人になりたい」
「言質取りましたからね」
子犬が甘嚙みするようなキスで喜びを体現する。
蒼馬くんは「あっ」と何か思い当たる顔をして眉を顰めた。
「なに?」
「たまに愛してほしいって言ってたけど、それは聞けないお願いかもしれません。涼さんが不安にならないようにってのもあるけど、俺が愛したがりなので多少ウザくても受け止めてください。一年間健全に関係値を築き上げた実績も考慮していただけますと幸いです」
「なんだか就活の自己アピールみたいなことを言うね……」
「就活、なるほど。定年なしのパートナーとして生涯雇用してください。お、重い……?」
「ふふっ、僕には丁度いいよ」
久しぶりに嬉しくて流した涙はとても温かくて、このまま命を終えてしまいたくなるほど幸せで、どうしようもないほど愛おしさが溢れた。
断片的にしか覚えていない昨晩の事情をなぞるように蒼馬くんはまたしても僕をベッドに押し倒した。
見たことのないコンドームは蒼馬くんがここに来る前に用意して持参したものであり、洗面所の片付け忘れた僕の玩具を見て、タガが外れた。その後、蒼馬くんに告白されて僕は自分も好きだと何度も頷いた。そしてセックスに雪崩れ込んだ――らしい。
おぼろげにしか覚えていない僕は、休日の昼間に相応しくない嬌声をあげ、自分でも知らなかったイイところを何度も激しく突かれながら、そんな話を聞いていた。
カチャカチャ――。
雨とは違う水の流れる音がキッチンから聞こえる。
僕は洋服ダンスからTシャツとパンツを取り出して身につける。体中キスマークだからけになり、節々が痛むが、幸福な痺れだった。
壁を支えにキッチンに向かうと、僕のエプロンを身に着けて皿を洗う蒼馬くんがいた。
「あ、起きました? 体は大丈夫ですか? 昨日もしたのに、涼さんの泣き顔見てたら、こう、気持ちがグワッとなってしまって……。マジですみません」
「大丈夫だよ。その……またシてくれる……よね?」
らしくもない猫撫で声で精一杯甘える。皿を洗う蒼馬くんに後ろからぎゅっと抱き着くと、わははっと嬉しそうに蒼馬くんは腹筋を上下させた。
「俺は今からでもいけますけど?」
「そ、それはちょっと」
「冗談です。掠れた声もセクシーだけど、あんまり無理させるのもなぁ。やっぱこれ以上はやめときます」
「我慢してない?」
すっと手を骨盤をなぞるように下げると、蒼馬くんはビクッと大袈裟に跳ねた。首だけ振り向いてジットリした視線を向けて来る。
引きはがされたくない僕は蒼馬くんの臍あたりで両手を組んで、もう何もしない旨をアピールする。
「あんまり悪戯してると洗剤の泡つきますよ?」
「それは困るかも」
「んじゃあお風呂沸くまで、もうちょっと休んでてください。今だって立ってるのもしんどいでしょ?」
「お風呂ありがとう。だけど、もう少しだけこうしてる……」
作業の邪魔になるとわかっているのに、離れたくない。こんな自発的に寄りかかりたくなるのも蒼馬くんが相手だからなのだろう。
「はあ、付き合ったらこんな甘えてもらえんのかよ……」
「ご、ごめん……」
調子に乗り過ぎたと手を引っ込めると、指が引っかかってエプロンの紐がはらっと解けた。
「待って、そう言う意味じゃないから!」
「いきなりこんな甘えて気持ち悪い……?」
「触られただけでちんこ勃ててるのにキモイとか思うわけなくないですか?」
「うっ……、なんでそんな直接的な表現するかな……。紐ほどけちゃったから結び直すね」
先ほどまで人の下半身を弄っていた人間が咎められることではない。僕は照れ隠しに背中にぐりぐりと額を擦り付けてエプロンの紐をぎゅっと縛る。
「はい、結んだ」
「ありがとうございます。俺も料理はする方だけど、一人だからついテキトーになっちゃって。こうやってエプロンつけて片付けるのもいいもんすね」
「気に入った?」
「うん。涼さん、来週あたりに買い物行きませんか?」
「いいよ。どこに行きたい?」
「県庁近くのでっかい店に、おそろいのエプロン買いに行きたいです。そんでまた俺のエプロンの紐結んでください。涼さんのは俺に結ばせて」
「……うんっ!」
一晩で止まっていた関係が動き出した。すべては蒼馬くんのさじ加減で、いつかこうなる運命だったのかもしれないけど、僕にとってはたった五分の毎朝の積み重ながあったからこそ彼と向き合う決断ができたのだと思う。息継ぎのできない嵐のような夜だったが、東京の一夜の過ちとは違い、逃げずに話し合おうとしていた時点で、過去の呪縛から解き放たれて、一歩踏み出すことができていたのだ。
鼻歌交じりに蒼馬くんを待っていると「ご機嫌だね」と笑われる。
「涼さんは他に何か行きたいところとか、したいこと、ありますか?」
「そうだなぁ……。蒼馬くんの曲聞きながら、日下家自慢のお酒を飲んでみたいかな」
「あっはっは! もうそれ、初めて会った日に叶ってますよ」
そして蒼馬くんは水をきゅっと止めた。ペーパータオルで手を拭いて、僕の前に立って見下ろす。
「どういうこと?」
「自信作だった曲をズタボロに酷評されてヤケ酒してた俺の隣の席で、俺の家の酒飲みながら『今の曲すごく良かったから名前教えて』って涼さんが言ったんだ。涼さんの言葉のおかげで、あれから何もかもが上手くいってる。それに全部忘れたって言ってたけど、覚えてたじゃん」
「え?」
「その鼻歌、俺の曲。無意識だったんですか?」
「無意識だった……。ずっと何の曲かわからなくて、やっと答えを見つけた……」
驚きすぎて頭が真っ白だ。
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