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序章 すこしまえの風景。
しおりを挟む「……ええと、なんかこの辺りだよね……?」
今年は随分雨が多かった所為か、残暑の季節とはいえ例年よりも随分涼しく感じる。9月のあたまなのにも関わらず長袖でいても特に問題無いのは正直有り難い。
僕達が日々行っている怪異の研究は、ここ数か月の間に別の形、しかも悪い方で発展している。
過去10年の範囲では月の周期だの、世界の色々の歴史事案だの、季節の各種イベント等、人間の記憶が色めく季節に起きる怪異『謎のイキカエリ事件』なんだけど、ここ最近になって過去大量に蓄積してきたデータベースをおもむろに覆す現象が起きている。
今日の僕は昨日妙な電磁波を捕まえた場所に来て現地調査をしている所だった。
まだ微妙に太陽の名残を感じる午後7時、僕は資料とデータを求めビルとビルの隙間に単身潜り込む。愛用のタブレット片手に横向きで奥に入っていくと、ざりざりと白衣を擦る壁に微妙なぬめりも感じてウヘァてなっちゃう。もう少し広い道から入ればよかったかな。
「大体噂にまでなるって……僕達の今までの苦労どうしてくれんだってなー……」
うっかり独り言まで出る始末だけどこれはもう仕方ないから許してほしい。
僕が学生の頃から取り組んでいるこの怪異現象の対策と原因究明は、簡単に言えばなんか感知したんであの場所の夜にゾンビがにょきにょき生えてくるよーどんどん駆逐してねー★ ってノリだったんだよ今までは。人の記憶を苗床に有象無象のごにゃごにゃがどうこうなので夜に集まり一斉駆逐ばーん! ……で、何とかなっていたのに。僕はつきたくもないため息まで出る位疲れていた。
ある日を境に、この怪異に突然異変が起きた。変異と言ってもいいだろう。
その1。今まで夜にしか出なかったブツが極小規模に限り日中にまで出る様になった。
その2。生えてくるゾンビの中でも、殺傷能力が異様に強い個体が出始めた。
その3。さらにその中には、角膜以外はほぼ人間と見分けがつかない様な個体まで出始めた。
この3つに僕達研究部は大騒ぎだ。おまけに急の襲撃と不意打ちまで嵩み手練れのハンターすらかなりの大怪我を負うケースも出てきてabyss側にも衝撃が走っている。だからか今あんまりいい空気じゃないんだよなあ……あーやだやだ。
僕が所属しているシエロ製薬研究本部内、安全課・地域研究部の指示でハンターギルド・abyss所属のゾンビハンターに仕事に出て貰うので、要するに目上の立場になっている僕達が当日の状況をある一定解析出来てないとハンターさんらにより強い危険を背負わせてしまう事になる。……それだけは避けたい。
僕達研究部がやや焦り気味なのはこの辺りに触れる。
先々月の定例・7月の案件で、手練れのナイフ使いの若松さんがそのやべー個体に遭遇し、腹部に重傷を追ってしまった件が相当まずい。なんとか命は繋いだけれど全治半年近くとか本当洒落にならない。あの若松さんが、て事も含めあれ以降abyss内の士気がやや乱れているし、その強靭な個体に対してまだまだ研究が足りてない部分も含めて研究部に不信感を持たれ始めている空気がして、どっちの立場にも立っている僕は特に気が気でないというのが現状だ。
一寸前に弓使いの千葉さんに『通常ゾンビならどれだけ生えても問題ないけど……』と言われたのがじわじわきてるんだよなあ……『けど』って語尾で色々察しちゃうでしょうよ。まあまだ表立って研究サイドで雇用者の僕達に文句を言われてなくともハンターさんの中は気性が荒い人もいるからな……。
とにかく、だ。
早めにどうにか尻尾だろうが抜け殻だろうが一寸でも手がかりを掴んでこないと。
ゾンビ発生のトリガー自体は『人の記憶』というのは変わっちゃいない。ただ、その願いや想い、願望でどんな状態で生えるかが左右されていく。適当に思い出されていたら姿も適当だけど、はっきり想われていたりすると随分生前に近い形で生えてくる。ここまではいい。
……誰だ? んな筋力ゼンカイで生やせるってどんな感情なの? そんなに強い念とか? 寧ろ怨念では? もしかして全く関係ないオカルトからなの? いやもうゾンビて時点でもうオカルトだったわ。
せめて、せめてその強靭なヤツの出現条件がちょっとでも掴めればいいんだけど……。
取り敢えず今日感知したでんぱの探求は今日の内にしておきたいところだ、と僕はもう少し奥に進んでいく。細道は空気の通りが悪くて地味に蒸し暑い。
確か若松さんのフォローに回ってた田中さんの証言によると、なんだっけ、普通クラスのヤツを撃破してる最中に雷でも落ちた様な光が走って……だよな。近くに爆弾系のハンターは居なかったから不思議に、と
思い出した瞬間だった。
「……ッ!?」
僕の視界のド真ん中に強烈な光が走った。その光は僕の視界を直接焼く。
やばい、見えない、まさかこれか?
本能で強く目を閉じるも手遅れだった。目蓋を貫く程の眩しさに持っていたタブレットすらどこかに放り投げて反射的に上半身を屈めた。
『キサマかあああああああああああああああ!!』
突然はっきりとした『人間』の怒号が僕のすぐ近くから発せられた。
それは本当に物凄く『人間』で。
どんな言葉を発しているなんて関係なくて、その声に驚いて。
僕は顔を上げてしまった。
「が……ッ!!!!!」
瞬間、右眼に激痛が走る。
今まで何度も怪我はしてきた方だけど、顔面の皮膚を、恐らく爪か何かで抉られた。その余りの痛みと、慣れてる筈でも感じる恐怖が一気に全身を強張らせる。
傷を手で強く抑えるも、その手の隙間を超えてどろどろと血が零れていくのが解る。どうしても簡単には止まりそうにはなさそうで、頬にも、首にも、僕の血と一緒になって吹き出る冷や汗が混じったものが流れていく。
「う…………っ、く」
痛い、傷が痛い、傷が怖い、目が怖い、目だけは無くしたくないんだけど、痛い、止まらない、まだ眩しい、熱い、寒い、怖い。
怖い。あれ……こんなに、怖いって、初めてかもしれない。怖い。
見えない、怖い、痛い、目、目だけは本当、怖い。え、待ってくれ、え。
慣れない量の出血、痛み、恐怖。
僕は、
『どうしてくれんだオイ! うちのを殺ったんかお前ェ!!!!』
わ。
ーー嫌だなあ、研究者って仕事、凄い天職なんだろうななんて思った。不意打ちでやられたショックと激痛、そして目への攻撃に我を無くしかけたらしい。
僕は咄嗟に身体全部を丸めて声の方から少しでも距離を取る為に、狭く汚れたコンクリートの上を無様に転がる。右目を庇いながらのそれは受け身にもならず身体のあちこちを擦りつけた。
「……残念、それ多分、僕じゃないよ……!」
それでも震えてしまう声が少し情けない。目は確かに痛い、いや正確に言えば右目近辺の皮膚が痛い。出血が酷くて右の視界自体がつぶれているから実際右目がどうなっているかは確証が持てないのはそう。なんだけど。
僕をきちんと現実に返してくれたのはなんの因果だろうね。一応身に覚えの無い事を吠えてくれた『素材』の声だった。
『じゃあなんだテメェはァ!!!』
乱暴な声がそれでも僕にしっかりくっついてくる。しかしこいつよくしゃべるし何より怖いな……? 傷は痛くて意識は戻したけれどしっかり怖い。こいつは立派な僕達の素材なのに怖く感じるのは嫌なんだk
「ぎ……ッ!」
今度は容赦無い蹴りが僕の左腿にヒットする。嫌でも上がりそうな悲鳴を飲み込み、頬の内側を強く噛んで堪える。大腿骨に響くソレも本当に痛くて、少し見えてきた左の視界に別の意味の光が散った。くそ、これ以上深手負うのは避けたいのに!
僕はみっともなく地面に這いつくばる。じゃり、じゃり、と素材が随分ゆっくりとした歩幅でこっちに近寄ってくるのがやけに耳障りに感じてキツいんですけど。
「痛いの、は、慣れてるつもりだったんだけど……!」
さっき自分で噛んだ内頬、どうやら噛み過ぎたのかこっちまで血の味がしてきた。それだけ力の制御が出来てないってコトはそれなりに『窮地』なんだろうなとどこかで必死に考えながらも、考えて考えて冷静になろうと必死になって、どっちにしても必死に、壁を伝って上半身を起こす。
まだちらつく左の世界で見えるソイツは、どうやら極道系の世界の何かだろうか。派手なシャツにイカつい体格をしていらっしゃいますね……? 少なくとも『知り合い』じゃないから、最近お亡くなりになった、これが例の、ってとこか成程な……。
「いや凄い……強いですねェあんた……、はは、これは怖いわ……」
嫌でも震える身体を壁に支えて貰い、浅い呼吸を繰り返す。正直言って、悪い意味で意識が飛びそうになってるみたいだ。今、そうなったら本当にまずいのは解る。
でも、溢れ出る血に骨の痛みに血の味と、それぞれの生々しさが僕を奮い立たせもくれる。あちこち震え過ぎる恐怖と興奮の合間で無意識に口の端が上に持ちあがる。アドレナリンがいい仕事してくれてるなこれ。
「目だって、まだいっこあるから、大丈夫……!」
念じる様に言葉にする。
ギリギリの気合でヤツを見上げ、左目だけで睨みつける。
僕の左目は、今度こそソイツを視認してくれた。
そいつの目こそ、それこそ強烈な血の色をしていた。
『死にてぇのかキサマァ!!!!』
「嫌だね!!!!!」
一度死んでるヤツに一番言われたくない言葉! 視力が戻ってる事を心の救いにして、僕は右脚で全身を跳ね飛ばしてヤツの足に思い切り体当たりする。自分のどこを使うかなんて考える余裕は無く、僕の首の付け根と左肩にゴリっとした痛みを更に上乗せさせた。どうやらヤツはもう一度僕を蹴ろうとしていたモーションだったのか、僕の一撃でぐらりと一気にバランスを崩して、盛大に背中から地面に倒れ込んだ。
『ギァ……!』
体格の大きなものが倒れ、細かい砂が顔面に舞ってくる。いいとこぶつけたのか変な声を上げて足がビクビクしているのを自分の肩先で感じていた。
一応……動きを封じたか……?
よし、と思えども僕の身体はここまでで極度の緊張を感じ続けてきたせいなのか、受けているダメージと全身の筋肉のこわばりが酷く、なんとか今の内にと動きたくても中々言う事を効いてくれない。
「……ほんと、困らせてくれるわ、こいつ……」
ギリギリ動かせる左手で、白衣の下に身に着けているサコッシュから細身のナイフを取り出す。おかしいね指が震えてるわ利き手じゃないからか? ラバーシースを剥がすのにちょっと戸惑ってる。
それと同時にゆっくり、ゆっくりと後ずさる。昏倒してる今なら、これ使えば、なんとかできる、筈。
強く蹴られた左脚を引きずる形で身体を起こすと、また顔の傷口から血がぼたぼたと流れて服と地面に落ちていく。まだ止まってない。汗も止まってくれない。だからかなんかちょっと寒くなってきた気もする。
……血、出すぎかな? いやそんな量でもないでしょ、とにかく今のうちだ。
いくらこいつが例のエスレアだとしても、少なくとも今までの情報だけでいけば首を落とせば、若しくは心臓の辺りに何かを突き刺せば、沈静化させられる、筈。
よろめきながらも僕はそいつの横に立つ。薄れる世界に見えるそいつはホントに普通に人間だった。だからか、カラコンを入れている訳でもない真っ赤な角膜が異様に映る。
「……じゃ、」
とっとと片づけてしまおう。
僕は両手でしっかりナイフを握る。
とにかく、終わらせないと。
ぐ、と。そいつの左胸に標準を合わせてナイフを刺
『アアアアルルァアァ!!!!』
しまった、今度こそ僕は失態をした。そいつは前触れなしに突然絶叫しながら跳ね起きた。僕はそのタックルをガード無しに受けてしまい、比喩なく壁に叩き付けられた。
「が……ッ!!」
後頭部に激しい痛みが追加される。ずる、と足が地面を感じてもそれが足の機能を果たしてくれずそのまま倒れ込む。うわ、世界が揺れてる。ナイフどこいった、くそ。
『アアアアアアアアアアア…………!』
さっきまでそれなりの言葉を発していたソイツが、完全に理性の様なものを無くした唸り声を上げながら僕の前に立つ。ぐ、とその肩が大きく動いていくのを僕は、避けなきゃいけないのにどうにも出来なくて。そのデカい拳の様なものが、僕に向けて振り下ろされそうなところまでは解る。
ああ、これ、駄目かもしれない。
悔しいけれど、そんな事を考えた。
なんか、中途半端になっちゃったかもしれない。
ごめんね、データ足りないままかもしれない。
……ああ。しかし痛いね。
身体が痛い。目痛い。顔痛い。肩痛い。脚痛い。あちこち痛い。
色んな痛みの中に紛れてふわりと。
あの人の顔が、浮かんだ。
あの死にたがりの、あの自傷癖持ちの、自分で痛い事をする人。
僕の……大好きな、人の顔。
僕がどれだけ何を言っても、どこか悲しそうで、辛そうな、あの顔が浮かぶ。
ーー先輩。
折角の走馬灯でくらい、笑って欲しかったな。
一度だって、振り向こうともしない、あの先輩だから、まあ……仕方ないかな。
ちょっと悔しくなったけど、僕はそのまま、目を閉じる事にした。
「ーーーー風見くん!!」
え。
凄く聞きなれた声が突然僕の夢の世界を引きちぎってきた。
あれ、と思ったら、疾風とも言える速度の風が僕の前を吹き抜けた。そして物凄い衝撃音と化け物みたいな声が同時に響いた。
ぐらぐらする視界をなんとか上に持ち上げると、そこには。
「怪我してる? 大丈夫? 大丈夫じゃないね!? ちょっとそこで寝ててー!」
寝ようとしたのを起こしたのは君だよ、大親友の遠野くん。
まるでなんかじゃない。本物のヒーローの様に現れた遠野くんは勢いを付けた蹴りの一撃で巨体を吹き飛ばしていた。ヤツは倒れ込んではいないもののすぐに立ち上がって遠野くんに向かっていく。凶暴性しかなくなってしまったソイツは遠野くんに殴りかかろうとするも彼はその腕を華麗に避けて後ろに回り、僕がさっき落としたナイフを拾い上げた。……凄い、と、語彙力さえ薄くなってきた僕はそれをなんとか目で追った。
「うーんちょっと短いかなー、ひとまずやっとくー???」
間髪入れずソレがまた遠野くんに殴りかかる。けどそんな単調な攻撃がベテラン遠野くんに通じる筈もない。寧ろ余裕そうな表情さえ見せる遠野くんはその腕を半身だけで交わし、僕のナイフをその肘関節に思い切り突き立てていた。
『ギャァ!!!』
「なんか僕の友達を随分痛めつけてくれたみたいだからねー、これ、貰ってくね?」
遠野くんはそう言うと、絶叫を上げて暴れるソイツの肘を軸にしてくるりと一回転した。何かの新体操でも見ている様な美しささえ感じる動きに思わず見とれるも、瞬間その顔に大量の血が浴びせられていく。
ぼと、と、そいつの肘から下の腕が地面に落ちた。
『ギャアアアアアアアアアア!!!』
今度こそもの凄い絶叫が響く。そいつは無くなった箇所をぶんぶん振り回すもんだから僕の方にまで血が飛んでくる位だった。返り血を浴びまくっている遠野くんは僕のナイフを片手で遊ぶ様にひらひらさせている。
「さて、風見くん用の部品も貰ったし、そろそろ邪魔かなー?」
僕から見ると後ろ姿の遠野くんだけど、その声色からしてきっと今凄く楽しそうな笑顔してそうだ。そんな彼を目の前にしたヤツは、切断面を押さえながらじゃり、と後ずさりした。
瞬間だった。
「……ッ!?」
「わッ」
また雷みたいな光が走った。僕が最初に見たソレよりは幾分弱かったけれど、カメラのフラッシュみたいなものを突然受けてしまい、一瞬目を背けたら、何故かソイツの姿が忽然と消えていた。
「……え……?」
「あれ?」
これには僕も遠野くんも素直に驚きを隠せなかった。遠野くんの足元にはしっかり落とし物が残っている。……エスレアって、自分の意思で逃げることも出来るの……? ええ、すげえな……?
ちょっとした新規の情報に気を取られていると、すっと遠野くんが僕の元に駆け寄ってきてくれた。
「ごめん風見くん、仕留め損ねたっぽいよね僕」
「いや、まあ腕あればぜんぜん……って、あれ」
遠野くんの優しい声がすぐ傍に来る。途端に僕の意識がふわふわしていく。確実に霞む視界が鬱陶しいし、思い出してしまう全身の激痛がめんどくさくて、まだ出血している傷には遠野くんが布のようなものを当ててくれているのが解る。
やば、有難い、でもこんなんでも安心しちゃうと、駄目だ。
全身から張りつめていた気が抜けていく。
けど、それは、ちょっと避けたい。
「すぐ救護班呼ぶから、待ってて?」
そういえばなんで遠野くん今ここにいるんだろうとか思えども、今の僕にはそんな余裕が無くて、介抱してくれる腕をそっと掴んだ。
「まって遠野くん、僕今、気失いたくないんだけど……」
僕は僕としてやらなきゃいけない事がある。突然現れて助けてくれた遠野くんの優しさに甘えたくなる気持ちと職務を全うしなきゃいけない気持ちとがせめぎ合うも、僕達の関係は友達でもあれば戦友でもある。……だから、遠野くんにはこれで通じる。
「えーまた使うのあれ。……ほんと、そういう所あんまり無理して欲しくないんだからねー?」
「はは……性分だから仕方ないって、ちょっと出してくれるとたすかる」
「はいはい、えーっと」
遠野くんは知った手つきで僕の懐からサコッシュを引っ張り出して、小さなピルケースを取り出す。ざらざらと軽く鳴る緑色のそれは僕お手製のアイテムみたいなもんだ。
「手汚れてるから、ちょっと口開けてー」
「あい、2粒くらいで」
「かしこまー」
僕は口を開けて少し舌を出すと、遠野くんはソレをぽろぽろと落としてくれた。含んで奥歯で噛み砕くと、中々に強烈な刺激が一気に拡がる。口の傷も含めて激しく染みた。
ミントやセンブリ茶の刺激をうまく使った眠気覚ましのタブレットなんだけど、あまりに強烈に出来てしまったもので一部で気付薬として使ってもらってる。そして僕は愛用しているまである。
「キーーーーーさすが自分ーーーー」
渋みで意識を戻し、爽快さで後味を消すフレーバーは自分でも気に入っている。……こんな怪我しててもなんとかなる調合、っていうのはあんまり話してないけど。けどそのお陰で頭はいつもの60%位までは戻ってきた感がある。
「……アレはいりそう?」
「うん、もらう」
「無理厳禁ー!」
今度は遠野くんが自分の胸ポケットから、僕のと同じピルケースを取り出す。ただ違うのはその錠剤の色。ほんのり赤いそれは、まぎれもない経口麻酔薬だ。これも僕お手製。遠野くんは直接使う機会がまだ無いらしいけど、どうしても怪我の機会が多いハンターさんには全員携帯してもらっている。痛みによるショックを抑える為のものだから薬としては相当強いものだ。
だから、今の僕にはそれも必要。これ位しなきゃ駄目なんだ。
遠野くんにさっきと同じ要領で3粒を口の中に入れて貰うと、舌の裏側に流して溶けるのを待つ。効き目が出るまでは大人しくしないといけないのは仕方ない。僕はその間に自分の身体の確認をする。まあ、腿は折れてないだろう。ヒビ位はあるかもしれないなー。……問題は目だな。
「遠野くん、先にアレ詰めてもらってきていい?」
「いいよー。風見くんの傷は痛み引いてから処置するからねー」
「ありがと頼んだー」
一先ず大怪我したのは確かだけど、遠野くんが素材を切り落としてくれたお陰で死に損なう事を避けられたのは間違いなくて。僕の薬が効くまでの間に溶けてなくなれたら困っちゃうものを保存しないといけない。
「もしもし遠野でーす、突発が起きたのは感知されてましたー? ならいいですー、50cmサイズのエモノがあるのでそれ運べるものをお願いしたいのとー、えーとですね、風見くんがレベル4の負傷してますので救護お願いしますー、ええ、ああ大丈夫です大丈夫です応急処置は今から僕がしときますが一応輸血1パックくらいあるといいかもですー宜しくお願いしますねー」
遠野くんが救護班に連絡しながら、今日一番の大物をパッキングしてくれている。切り離したブツは酸素に弱いので早急に真空パックして冷やしておかなきゃなんだけど今日それを手に入れるのは想定外だった。今ここで出来る措置は極力空気に触れさせない事だ。衣類圧縮袋みたいなソレにそこそこでかい男の腕を詰める光景はなかなかにシュールだったりする。
「そういえば、遠野くん、なんでここに来たの? 僕今日ここに来るのって言ってなかった気がするんだけど」
麻酔が少しずつ効いてきて、思考力ももう少し戻ってきた。返り血そのままの遠野くんはとてもいい笑顔をしながら、包みたて新鮮腕パックと、僕が思い切り放り出してしまったタブレット、そして自分の鞄を持って僕の傍に戻ってきた。
「これのお陰だよー。風見くんのタブレットに細工したー」
「え。なにそれ」
「ふふ、これが割れたり壊れたりすると僕のスマホに直前のGPS情報が来るようにしてあるんだー」
そう言うと、ちょんと僕の膝の上にタブレットを置いてくれる。……うわー見事に表面バリッバリになってる。結構な勢いで叩きつけたんだな。
「でもこれが割れてなかったら……って考えると怖いでしょー?」
「……まあ、そう、かも」
そう言われてみて……そういえば僕、さっき明らかに死にかけたんだよなって急に思い出した。もしあの時遠野くんが来てくれなかったら……って、我に返りたくない現実だったな。
「まあまあそれは後にして、顔のキズ見せてーそっちからやっとこ?」
「あ、ああ……うん」
遠野くんは自前の鞄から色々なものを取り出していく。消毒薬に生理食塩水、パッキングされたメスに注射針……、まあ、色々だ。これも仕事の範疇なんですってば。
彼は本当に優しいのかあんまり構わない性格なのかなんだけど、自分の返り血は一切放置したまま自分のを洗浄消毒をし、手術用の手袋を嵌めてこっちに向かい合った。
「そろそろ大丈夫そ? 身体痛くなくなった?」
「うん、お陰様でなんとかかな」
「じゃあちょっとガーゼ剥がすからねー、痛かったら右手上げてねー」
さっきまで押さえ込んでいた布は、僕の生傷にしっかり食い込んでおり、お陰で出血は収まっていたらしいものの、それを直ぐにみしみしみしと生々しい感覚を伴って剥がされていく。幸い薬のお陰で痛みは感じずに済んでいるけど、無かったらヤバかっただろうなこれ。
剥がすついでにまた少し血が出てきているっぽいけど、遠野くんは流れる血も含めて優しく周辺を拭いてくれる。僕の脇にはそこそこな量のガーゼが積まれていくと、それをじっと見つめて、言った。
「うん、傷は結構深いけど目は無事だよー。良かったー!」
「え、ほんと!?」
「ここで嘘つかないって、安心だね」
うわ、良かった……本当に良かった。
遠野くんの言葉で一気に肩の力が抜けていく。そんな僕の頭をこれみよがしにぽんぽん撫でてこられて迂闊にも涙腺にキそうになってしまった。
だって、眼球って本当の意味で替えの利かないものじゃないか。僕の中でランク付けするのであれば眼球はかなり失いたくないものだった。
なんでだろうね。
ちょっとだけほっとするのもつかの間、遠野くんは既に次の準備に取り掛かっている。膝の上にドレープ、その上に3種類の鉗子、メス、ピペット、他。まあ、そうなるよなあと思ったりもする。
「痛み感じない内に処置するよー、つかこれ爪か指か何かで引っ?かれたっぽ?」
「うんそんな感じ。だからあの腕の爪から僕の皮膚が採取出来ると思うよ」
「ははは! じゃあ今から何しようとするかはもう解るかー」
「そりゃねー、あれだけ血止まらなかったから結構ボソボソなんでしょ」
「そだねー、かなり持っていかれてるし、脂肪も見えてるからちょっと切って整えてから縫合がいいかなって」
「あーそれくらいかーなるほどなー」
確かに凄い痛かったし、凄い血も出たし、眼無くしたかと思う位だったけど脂肪層が見える位で済んだのもラッキーの範囲だ。要するに、僕達はこの仕事するならこれ位の準備はしとくに限るっていうものだし、顔に傷が出来る位当然って意気込みでもなければやるもんでもない。
僕達がそこまでしてこの仕事をしているには、当然色んな思惑があるってコトなんだよね。ねえ遠野くん。
なんて考えている間も、遠野くんはにこにこしながら僕の目蓋周辺の散らかった皮膚を整地している。ショキショキと聞いてる分には気持ちのいい音を以てして自分の肉が切られていくのも不思議な感じだけど。
「ーーあ、そうだ遠野くん」
「なにー?」
「もういっこ、お願いがあるんだけど、いいかな?」
+++++
「という訳で! なんか怪我の功名あってかなり有益なデータがたくさんとれましたー!」
「待って風見くんー、下手したら死んでたかもしれないの忘れないでよねー?」
「そこはほら、僕達ってさ、ね!」
「「マゴットセラピーズ!!」」
「だもんねーーーー! はははははは!!!」
ビシっと決めるキメポーズ。一人は包帯と眼帯、ひとりはいつもの笑顔。
どっと笑いが起きそうでおきなかった。残念!
あれから2日後。僕達はabyssのジムで漫才を兼ねた報告をした。入院しろって言われたけど遠野くんのお陰で傷から細菌入ったわけでもなかったし大腿骨も思ったより酷くなかったから普通に仕事していた。それが何か?
しかし僕の姿はそれなりに悲惨なものではあったのは否めない。だって例の目の上の傷は遠野くんにお願いして、いい機会だからと自分で縫ったからちょっと雑な仕上がりになってぷっくり腫れていた。教えて貰いながらとはいえ流石初めてだ。でもこれで次に誰かが同じ様な事になったら僕も応急処置くらいは取れるだろうと、要は自分で自分に実験しただけに過ぎないってコトだ。
そして持ち帰った資料、怪我の処置が終わった直ぐの現場検証が思った以上の成果があって、一先ず最初のエスレア被害に遭ってしまった若松さんにはいい報告が出来るレベルのデータが出来上がった。ついでに言えば治療費を超えるボーナスのようなものも出たけどここの設備とお菓子代に使わせて貰った。
「なもんで、色々心配かけさせちゃったけど、今後ああいう凶暴なヤツが出る場合は70%位の確率で予見出来るようになったのを報告させて貰うね。ただまだ30%は油断ならないって事だけ忘れないで、色んな準備とか必要だったら用意するから遠慮なく声かけてくれていいので、宜しくお願いしまっす!」
そして僕はぺこりと頭を下げる。
……で、ほんの少しだけ、間があって
「いいぞいいぞ気にすんな風見!」「ていうかお大事にして!」「じゃあちょっと後で話聞いてくれー」「ははは! 色々頼むよ!」
わ、っと、空気が一気に和んだ。緩んだ。あったかくなった。しかも隣の遠野くんがふわっと微笑んで僕の背中を支えてくれるもんだから有難くて一瞬泣きそうになった。すん、と鼻をすすると当然バレてまた更に皆に持ち上げられてしまった。ありがてー。
別にここまで意図してやった訳じゃない。なんか知らないけど全部うまくいってしまった。シエロ側からすればある種ハンター以上の怪我して持ってきたものがいい成果を上げ、abyss側からすれば偉そうにしてる研究者が怪我してでも自分たちの身の安全の為に乗り出してくれたという、皆の優しい配慮の思惑が功を制して究極の理想が形成された。遠野くん曰く僕の普段の行いの賜物だって言ってくれるけど僕からすれば僕をそれだけ慕ってくれてる環境あってこそだと思っている。
シエロ側には少なからずハンターの事を見下してるヤツらがいるけど、僕が直接行動する事で文句言わせなくしてるし、今回の成果で余計ヤツらを黙らせることが出来たのは僕にとっても行動しやすくなったし、一石何鳥レベル。よかったよかった。
時々景色が歪むけど、なんか色彩おかしくなるけど、なんか一瞬記憶が飛ぶけど、メモがあるから大丈夫。うん。
『風見くん、とにかく今日は僕が隣にいるから安心して威張ってて』
そうして皆が穏やかにお菓子を食べたりしている合間、小さな声で遠野くんがささやいてくれた。……まあ、あの時意識保つ為にややオーバードーズ気味に飲んだあいつらが悪さしない訳がないんだよね。自分で作って自分で飲むからには使用用法なんて知り尽くしているし、あの時の自分を自分として保たせるにはそれを超える位飲まないとあれだけ調べることもかなわなかっただろう。
『皮膚裂傷、大腿骨ヒビ、左肩筋挫傷、貧血に脳震盪その他あちこち擦り傷だらけな上、そしてがっつり薬入ってるんだからね?』
『あー……、そんなだっけ? ははは』
『だよ。僕は……忘れてないからさ』
『……いつもありがと、遠野くん。遠野くんあっての命だよ』
僕はその手に体重を預けて、一緒になって笑った。
遠野くんの掌は、白衣と季節に似合わない厚着を超えて尚暖かかった。
0
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