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王弟 ファルク
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王となるものは、国民の前でその強さを誇示しなければならない。
「今は俺のほうが強い。ただそれだけだ」
身長でさえも、俺のほうが高くなっていた。敬語を使わない俺に対して、ディートヘルムは吊り上がった眉の角度をさらに険しくする。
「隣国で力を蓄えたようだな。その動きを私が知らないでいたと思うか?」
「僅かながらでも良心が残っていたことに、感謝はする」
だから俺は、ディートヘルムの罪を公にはしないつもりだった。王族の観覧席に目をやれば、王妃マティルデや彼らの幼い王子、王女が心配そうに両手を組み合わせている。
彼らにも未来はあるのだから。
「既に勝ったつもりか!」
鋭く吐き捨てたディートヘルムが、狼の姿に獣化して突進してきた。硬い石の床を蹴り、金色の瞳が眼前に迫る。
俺は急激に自分の内側にあるものを燃え上がらせた。怒りだ。
獣神の加護を得て、俺の身体が黒い狼へと変化する。
飛びかかってきたディートヘルムの勢いを利用して、そのまま後ろへ蹴り上げた。背後の床に激しくぶつかり、石がひび割れる音がした。
予測していた通り、俺が優勢だ。負ける気がまるでしない。
しかしディートヘルムはうめき声ひとつ漏らさずに立ち上がり、俺と同じく黒い毛並みから砂礫をふるい落とす。すぐに転がるように、また突進をしてきた。
何か、おかしかった。獣人は痛みに強く、また怪我の治りも早い。王族である俺たちは特にそうであるはずだが、ここまで痛みに無反応でいられるのは異常だった。
「やめろディートヘルム!」
俺は横にずれ、攻撃を躱す。ディートヘルムは爪を床に食い込ませ、血の跡を描いた。
「逃げるな臆病者!」
挑発されてカッとなった俺は、肩から体当たりをくらわせ、首の後ろに噛みついた。頭を振って、そのまま遠くに投げ飛ばす。着地体勢を取れず、床に衝突する鈍い音がした。
観衆のざわめきが大きくなった。
血の滴を顎からしたたらせ、無傷であるかのように立ち上がるディートヘルムの前脚が、変な方向に曲がっていた。それでも立っているじゃないか。
何か、痛みを感じさせない薬を使用している――その瞬間、彼の思惑がわかり、俺は恐怖がこみ上げた。
ディートヘルムには降参する気がない。
大観衆と、ディートヘルムの妃、子どもたちの前で俺に自身を殺害させようとしているのか?
彼の番である王妃や、まだ幼い王子、王女の前でこれ以上攻撃できない――どうしたら?
俺が迷っている間に、ディートヘルムはまた距離を詰めてくる。
仕方なく俺は半身をひねり、跳躍して彼の首に噛みついた。狼の姿でいるときの顎の力は骨を砕けるほどに強いが、力を入れなければ致命傷にはならない。そして、見た目には俺が覆いかぶさっていることで優位に見えるはずだ。しばらくその体勢を続ける。
ディートヘルムが唸りながら暴れるので、俺の牙が毛皮を突き破る。血の味がした。
王位を巡る決闘は、どちらかが降参するまで終わらない。俺が攻撃をゆるめれば臆病者とみなされ、このまま攻撃し続ければ残忍な性質とみなされるだろう。
どちらにしても、俺には悪い評価が付きまとう結果となってしまう。
俺は口を離し、わざと転がって距離を取った。
観衆の野次が飛んでくる。戦え、戦え、と。
正々堂々と戦うこと、強さを見せること。それがこの国では重要だ。
――しかしディートヘルムは裏工作をしているのだ。
考えてみれば、3年前も姑息な手段を取った彼が、今回もまともに勝負に臨むはずがなかったのだ。
戦いの後にさえ気をつければ問題ないと俺は油断していた。
もっと疑わなければならなかったんだ。俺は、あらゆる可能性を考えなくてはならなかったんだ。
「どうした、本気で来い、ブルクハルト」
人の姿になったディートヘルムは、胸を張って立っていた。折れた前脚は右腕へと変化して、ぶらぶらと揺れている。
「ディートヘルム、どうしてそこまで王の座に固執するんだ?」
俺も人の姿を取り、改めて対峙した。耳を劈くほどの音量で観衆は早く、早く、と決着を急かす。
「お前にはわからない。期待されない者の気持ちなど」
自嘲するように笑うディートヘルムの口が裂け、部分的に狼の姿になった。そのまま常にないほど緩慢に、奇妙なほど時間をかけて人から狼の姿に変化する。いつでも襲ってみろと言いたげに。
「俺がどんなに……努力しても!いずれはお前に追い越されると!怯えなければならなかった」
「だからって姉上を!」
「うるさい!」
喰らいついてくるディートヘルムの顎を、俺は敢えて避けなかった。脇腹を噛まれ、鋭い痛みに歯ぎしりをする。怒りと、憎しみが俺には必要だった。
しかし俺以上の憤怒を滾らせ、前脚の傷から血飛沫を噴きながらディートヘルムが突進をしてくる。
「私だって、苦しんだ!!何度パウリーネを夢に見たことか!」
「だから何だって言うんだ?!」
喉元に齧りつき、回転を加えてディートヘルムの体を石の床に叩きつけた。
「後悔したからって、それで済むのか?!」
姉上は、もう決して帰ってこない。生きていたら、話したいことがたくさんあったのに。
「うるさい……」
血の混じった唾を垂らし、ディートヘルムは脚をばたつかせて起き上がろうとする。しかし腰を強打したから、しばらくは痺れて不可能なはずだった。哀れな虫のように、仰向けのままディートヘルムはもがいた。
「降参しろ」
「嫌だ、戦いは終わっていない」
俺の優位を見て取り、群衆の声はブルクハルト新王、と叫ぶ勢いが強くなった。
「私はお前にだけは、負けるつもりはない。死んでもだ」
人の姿になったディートヘルムは、這いつくばるようにして腕だけで上体を起こし始める。その退かぬ姿に、ディートヘルム王の名を呼ぶ勢いが強くなった。
「今は俺のほうが強い。ただそれだけだ」
身長でさえも、俺のほうが高くなっていた。敬語を使わない俺に対して、ディートヘルムは吊り上がった眉の角度をさらに険しくする。
「隣国で力を蓄えたようだな。その動きを私が知らないでいたと思うか?」
「僅かながらでも良心が残っていたことに、感謝はする」
だから俺は、ディートヘルムの罪を公にはしないつもりだった。王族の観覧席に目をやれば、王妃マティルデや彼らの幼い王子、王女が心配そうに両手を組み合わせている。
彼らにも未来はあるのだから。
「既に勝ったつもりか!」
鋭く吐き捨てたディートヘルムが、狼の姿に獣化して突進してきた。硬い石の床を蹴り、金色の瞳が眼前に迫る。
俺は急激に自分の内側にあるものを燃え上がらせた。怒りだ。
獣神の加護を得て、俺の身体が黒い狼へと変化する。
飛びかかってきたディートヘルムの勢いを利用して、そのまま後ろへ蹴り上げた。背後の床に激しくぶつかり、石がひび割れる音がした。
予測していた通り、俺が優勢だ。負ける気がまるでしない。
しかしディートヘルムはうめき声ひとつ漏らさずに立ち上がり、俺と同じく黒い毛並みから砂礫をふるい落とす。すぐに転がるように、また突進をしてきた。
何か、おかしかった。獣人は痛みに強く、また怪我の治りも早い。王族である俺たちは特にそうであるはずだが、ここまで痛みに無反応でいられるのは異常だった。
「やめろディートヘルム!」
俺は横にずれ、攻撃を躱す。ディートヘルムは爪を床に食い込ませ、血の跡を描いた。
「逃げるな臆病者!」
挑発されてカッとなった俺は、肩から体当たりをくらわせ、首の後ろに噛みついた。頭を振って、そのまま遠くに投げ飛ばす。着地体勢を取れず、床に衝突する鈍い音がした。
観衆のざわめきが大きくなった。
血の滴を顎からしたたらせ、無傷であるかのように立ち上がるディートヘルムの前脚が、変な方向に曲がっていた。それでも立っているじゃないか。
何か、痛みを感じさせない薬を使用している――その瞬間、彼の思惑がわかり、俺は恐怖がこみ上げた。
ディートヘルムには降参する気がない。
大観衆と、ディートヘルムの妃、子どもたちの前で俺に自身を殺害させようとしているのか?
彼の番である王妃や、まだ幼い王子、王女の前でこれ以上攻撃できない――どうしたら?
俺が迷っている間に、ディートヘルムはまた距離を詰めてくる。
仕方なく俺は半身をひねり、跳躍して彼の首に噛みついた。狼の姿でいるときの顎の力は骨を砕けるほどに強いが、力を入れなければ致命傷にはならない。そして、見た目には俺が覆いかぶさっていることで優位に見えるはずだ。しばらくその体勢を続ける。
ディートヘルムが唸りながら暴れるので、俺の牙が毛皮を突き破る。血の味がした。
王位を巡る決闘は、どちらかが降参するまで終わらない。俺が攻撃をゆるめれば臆病者とみなされ、このまま攻撃し続ければ残忍な性質とみなされるだろう。
どちらにしても、俺には悪い評価が付きまとう結果となってしまう。
俺は口を離し、わざと転がって距離を取った。
観衆の野次が飛んでくる。戦え、戦え、と。
正々堂々と戦うこと、強さを見せること。それがこの国では重要だ。
――しかしディートヘルムは裏工作をしているのだ。
考えてみれば、3年前も姑息な手段を取った彼が、今回もまともに勝負に臨むはずがなかったのだ。
戦いの後にさえ気をつければ問題ないと俺は油断していた。
もっと疑わなければならなかったんだ。俺は、あらゆる可能性を考えなくてはならなかったんだ。
「どうした、本気で来い、ブルクハルト」
人の姿になったディートヘルムは、胸を張って立っていた。折れた前脚は右腕へと変化して、ぶらぶらと揺れている。
「ディートヘルム、どうしてそこまで王の座に固執するんだ?」
俺も人の姿を取り、改めて対峙した。耳を劈くほどの音量で観衆は早く、早く、と決着を急かす。
「お前にはわからない。期待されない者の気持ちなど」
自嘲するように笑うディートヘルムの口が裂け、部分的に狼の姿になった。そのまま常にないほど緩慢に、奇妙なほど時間をかけて人から狼の姿に変化する。いつでも襲ってみろと言いたげに。
「俺がどんなに……努力しても!いずれはお前に追い越されると!怯えなければならなかった」
「だからって姉上を!」
「うるさい!」
喰らいついてくるディートヘルムの顎を、俺は敢えて避けなかった。脇腹を噛まれ、鋭い痛みに歯ぎしりをする。怒りと、憎しみが俺には必要だった。
しかし俺以上の憤怒を滾らせ、前脚の傷から血飛沫を噴きながらディートヘルムが突進をしてくる。
「私だって、苦しんだ!!何度パウリーネを夢に見たことか!」
「だから何だって言うんだ?!」
喉元に齧りつき、回転を加えてディートヘルムの体を石の床に叩きつけた。
「後悔したからって、それで済むのか?!」
姉上は、もう決して帰ってこない。生きていたら、話したいことがたくさんあったのに。
「うるさい……」
血の混じった唾を垂らし、ディートヘルムは脚をばたつかせて起き上がろうとする。しかし腰を強打したから、しばらくは痺れて不可能なはずだった。哀れな虫のように、仰向けのままディートヘルムはもがいた。
「降参しろ」
「嫌だ、戦いは終わっていない」
俺の優位を見て取り、群衆の声はブルクハルト新王、と叫ぶ勢いが強くなった。
「私はお前にだけは、負けるつもりはない。死んでもだ」
人の姿になったディートヘルムは、這いつくばるようにして腕だけで上体を起こし始める。その退かぬ姿に、ディートヘルム王の名を呼ぶ勢いが強くなった。
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