聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

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王弟 ファルク

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 ――これ以上、どうしろと?

 俺自身は大して出血もしていないのに、血の気が引いてしまった。這いつくばる相手に攻撃はできない。振り返れば、ディートヘルムの王妃と子どもたちまでも青い顔で見守っていた。

 俺はこいつと同じところに落ちるつもりはない。血族殺しは重罪だ。

 それでもディートヘルムが降参する意思を見せなければ終わらないのだ。頭などを殴って失神させても意味はない。控えている神官が限定的な治療を施し、戦いを継続させるから――

 そのとき、聞き慣れた声が俺の鼓膜に届く。

「ファルク!」

 声の方向に目をやれば、アルミナが侍女たちの制止を振り払っているところだった。二人がかりで両腕を掴まれ、抵抗していた。

「いけません、殿下は神聖な勝負の最中です」
「放して!」

 こんな騒音の中であり得ないのに、ボキッと骨の折れるような音が聞こえた気がした。取り押さえようとする侍女に腕を引かれたまま、アルミナがその場で跳ね、地面に向かって自身の体重をかけたのだ。痛々しさに俺のほうが声をあげる。

「やめろアルミナ!」

 驚いた侍女たちが手をゆるめた隙に、アルミナが抜け出した。そして表情ひとつ変えず、自分に治癒を施しながら走る。そういえばアルミナは随分と過酷な訓練を受けたと何かの折に漏らしていたが、こんなことは絶対にやめて欲しかった。

「ファルク!私に治癒させて欲しいの。両方を!」

 アルミナは俺が立っている、舞台のように高くなった灰色の硬い石の床際までアルミナが近づいて声を張り上げた。彼女の意味するところがわかり、俺はハッとする。

「……そうか!」

 アルミナの神聖力なら、ディートヘルムが使用している痛覚を鈍らせる薬ごと消してくれるかもしれない。可能性がまだあったのだ。

「ユルゲン叔父上、承認してくれないか?!全て治癒をしてから仕切り直しだ」

 ヴァントデン国で軍の最高位である元帥を務める叔父上は、当然ながら最前列で観戦していた。元老院のほかの貴族たちと共にだ。今まで彼らの様子を伺う余裕などなかったが、よく見れば全員が困惑していた。

「私は仕切り直しに賛成だ。皆様方はどうだろうか?」

 叔父上が問いかけると、元老院の面々は顔を見合わせる。

「反対です。彼女は王弟殿下の妃です。王弟殿下だけに有利な治癒を施すかもしれません」
「いいえ、国王陛下こそ伝統を汚しています!あれほど痛みを無視できるのはおかしい、殿下の言うとおり、一度仕切り直したほうがいいと思われます」

 ぐだぐだとした話し合いに付き合っていては、日が暮れてしまいそうだった。その間に、ディートヘルムは自分の力で少しばかり回復をして息を整えつつある。

「公平であるとわかるように治癒を施せばいいんですね?」

 アルミナの澄んだ声が発せられた。全員が、彼女に注目する。

「この闘技場全体に行き渡るように神聖力を張り巡らせます。そうしたら、皆様にご納得頂けますか?」

 返事を待つこともなく、アルミナの身体の周囲にすうっと光の輪が発生した。彼女がいつも身に纏う神聖力だ。目に見えるほど濃縮させたものは初めてだった。

 こんなこと、ヴァントデン国の大神官でも不可能だろう。

 それはアルミナを中心に渦を巻きながら広がり、俺に触れた途端に柔らかく傷を癒してくれた。全身が祝福され、凍える日陰からやっと日向に出られたかのように温まり、素晴らしい気持ちになれた。

 これだけの神聖力を闘技場の隅々まで展開させながら、細かな調整などできるはずもない。
 正に聖なる光だった。全てが煌々と照らされ、満たされる。誰も文句の付けようがないのだろう、聴こえるのはそれぞれの深呼吸の音だけだった。

「何ということを……」

 光が消えると、傷も痛みもなく、薬の影響も消え去ったディートヘルムが悔しそうに人の姿で立っていた。

「覚悟し直せよ、ディートヘルム」

 俺は軽く足踏みをしてから、一足飛びで距離を詰める。左足を後ろに下げ、避けようとするディートヘルムの脇腹に、拳を叩き込んだ。

「ぐっ……!!」

 確かに、悲しくなるほど彼は弱かった。

「降参するか?」

 痛みに気を取られ、反撃しようとした彼の手刀は空を切る。がら空きの腕を掴み、たった今治ったばかりの箇所をまた折った。

「ぁあっ?!い、いたい!いたい!!」

 ディートヘルムは床に膝をつき、痛みでもがき、悲鳴を上げた。そこに王者の余裕はない。大勢の嘆息と嘆きがさざ波のように広がった。

「……ディートヘルム」
「うっ………こ、降参、する……!」

 見届け役の男が、挑戦者の勝利を意味する青い旗を掲げた。やや呆けていた観衆が、終わりを知って大歓声をあげる。

 実感は遅れてやって来た。俺はディートヘルムに勝ったのだ。

「ファルク!」

 アルミナが俺に抱きついた。柔らかくて、温かい彼女に触れ、大きな喜びが溢れる。俺はもう負け犬じゃないんだ。
 一度しっかり抱きしめ返してから、両の頬を撫で、彼女の潤んだ緑の瞳を見つめた。

「ありがとう、アルミナ。あなたのおかげだ」
「ううん、戦ったのはファルク。私の癒しなんて大したことじゃないわ」
「……次は俺の番だ。俺がアルミナの助けになれるよう、がんばるから」

 大歓声に応え、俺は拳を空に向かって突き上げる。
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