聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

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王弟 ファルク

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興奮に沸く観衆と、歓喜に浸る俺たち。その足元でディートヘルムは蹲り、痛みと悔しさで呻いていた。

アルミナはちらりと俺の瞳を覗き、ディートヘルムにそっと神聖力を投げかける。そしてほんの一瞬のうちに、彼の折れた腕を癒やしてしまう。

「……っ、私に構うな!」

何が起きたか理解したディートヘルムは感謝の片鱗も見せず、怒りで目を見開いた。

「陛下のその痛みを、自分のことのように苦しむ方がいるじゃありませんか」

アルミナの口調は静かで、むしろ厳かだった。彼女は他人の痛みに同調する能力があるのだが、どうしてか今は説明しなかった。ただ、彼女の指し示す先には、悲痛な面持ちの王妃マティルデがやって来ている。幼い王女と王子も一緒なので、歩みは遅かった。

「陛下は彼女たちを傷つけ、苦しめたいのですか?」
「……そんなわけがあるか」
「私とファルクも、そのように考えています」

ぐっと手のひらを顔に押しつけ、ディートヘルムは泣くのを我慢しているようだった。

そうしてディートヘルムは、マティルデに支えられて戦いの場を去った。残された俺とアルミナは、観衆の声援に応え、手を振り続けたのだ。





翌日、王位継承の間にて、俺とディートヘルムは顔を突き合わせた。二人きりだ。

頻繁に王が入れ替わるヴァントデンにおいて、公的な儀式の前に、引き継ぎを行うための部屋が王城にはあるのだった。住み慣れた王城であっても、ここには初めて足を踏み入れた。

壁には歴代の王の肖像画が飾られ、中央の大理石で作られた円卓には、ヴァントデンを保護する獣神のモザイク画が施されている。先祖に護られているような、神聖な雰囲気がした。

泣き腫らして赤い目元のディートヘルムは、それでも落ち着いているようだった。逃げも隠れもせず、淡々と義務を果たすためにやって来た姿には忘れていた尊敬の念をほのかに抱く。

「ブルクハルトよ、今まですまなかった」
「……っ!」

開口一番に謝られ、俺は息を呑む。全く期待していなかった。

「兄上……」
「私を兄上と呼んでくれるのか?しかし、謝って済む話ではないとわかっている。どこから話すべきか……まず、3年前のことからだろうか」

ディートヘルムは円卓の上に両腕を起き、祈るように手を組んだ。

「認めるのか?」
「ああ」
「教えてくれ。どうして、あんなことをしたんだ?」

今でもわからない。たとえ後に俺かパウリーネが勝つとしても、ディートヘルムは数年は王でいられた。その後も、ユルゲン叔父上のように尊敬される職位に就けることは確定していたのだ。

「お前も、パウリーネも才気に溢れていた。いずれ負けることがわかっていながら、つかの間の栄華に浸るのが嫌だったんだ。しかし、私は愚かだった。パウリーネが死んで、私は漸く、ことの重大さに気がついた」

積年のつかえを吐き出すようにディートヘルムは続ける。

「何をしても何を食べても、パウリーネに見られているようで……この城には当然ながら、パウリーネとの思い出がたくさんある」
「そうだろうな」
「パウリーネと共に私の一部が死んだ。あれ以来、私が心から笑えたときはない」

俺は、年齢の割に老けて見えるディートヘルムの顔を観察した。角度のついた眉にやや垂れ下がった目蓋。言われてみれば、再会してから彼のまともな笑顔は目にしていなかった。

「だからアストエダムに逃げたお前に追手を差し向けなかったのも、慈悲ではない。これ以上自分を殺したくなかった、それだけだ」

俺は黙って頷き、ディートヘルムの懺悔の続きを促した。

「……お前が生きていてくれて、よかったとさえ思っていた。しかしある日突然、伴侶を連れて帰ってきたな?」
「ああ」
「そして不可能と思われた名誉を取り戻し始めた。ついに王に挑戦する議会の承認を得ると、私は久しぶりに感情が燃え立つのを感じた。お前が、私と同じように苦しめばいいと思ったんだ。毎日、毎日、真綿で首を絞めるように死者の亡霊に怯えて、母上に軽蔑され、マティルデや私の子に恨まれろと……」

ひどい話だ。それなのに、俺は目の前の兄に対して同情をした。そんなことにしか生の喜びを感じられないとしたら、哀れだ。

「そうか。俺を苦しめるために死のうとするとは思わなかったよ」
「ああ!愚かだった」

ぐっ、と固いものを飲み込むようにディートヘルムは喉を鳴らす。

「結果として、私の計画は失敗した。ベリンダ嬢の力を見誤っていたんだ。だけど生き延びて、マティルデや子どもたちの顔を見ていたら涙が出て……」

顔を歪め、ディートヘルムは涙を堪えた。

「私は、あの子たちの成長を見ていたい。マティルデだって悲しませたくない。死にたくなかったんだ。そう思うたび、パウリーネに、母上に、申し訳なくて頭がぐちゃぐちゃになる」
「そうか」

俺はディートヘルム一生許せはしない。けれど、俺が殊更に責めることもないだろう。軽く背中を叩いてやると、溢れた涙を誤魔化すように彼は目元を拭った。

「ベリンダ嬢にきちんとお礼を言わないといけないな。ボロボロの状態のお前を拾ってくれたんだろ?」
「よく知ってるな」
「まったく、素晴らしい人だ……」

ただし、俺を拾ってくれたのはベリンダで、今俺と共にいて、神聖力を持つのはアルミナの魂だ。その辺りの複雑な事情はもちろん伏せるしかなかった。

だけどベリンダの行動が今に繋がっているとしたら、やはり彼女も聖女なのだろうか?

「では、公務に関しての伝達事項を述べよう……」

その後、様々な引き継ぎを終え、戴冠式を行った俺はヴァントデンの国王となった。

本来なら勝負に負けても血族は王を助けるものなのだが、ディートヘルムは正式な職位を辞退したがった。最終的に俺の『相談役』として助けてもらう形とした。

父上がなくなってからの3年間、特に問題なく国を治めてくれていたのだ。しばらくヴァントデンを離れていて、さらにこの先も不在にするかもしれない俺には必要不可欠な相談相手だった。
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