聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

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聖女 アルミナ

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 時が止まったかのようだった。バスタオルを巻いただけの格好をした私と、普通に帰ってきただけの罪無き男性は驚き、しばらく固まっていた。

『ファルクっていう、3年前に拾った狼の獣人の男がいるんだよね。最初に出会ったときは、雨に打たれて震えるいたいけな少年だったからさ。かわいそうで家に誘っちゃったけど、めきめき大きくなるし、出てけって言っても出ていかないし、あたしのことをいやらしい目で見てくるんだよね。うざくなってかなり前から口きいてない、あはは』

 ベリンダがそう語っていた同居人は、確かに身長が高かった。見上げるほどの頭の先に、特徴的な狼の耳が黒髪から覗いている。褐色の肌に彫りの深い精悍な顔立ちをしているが、その表情はみるみる内に泣き出しそうに変化した。キラキラした金色の瞳に涙の膜が張る。

「ベル姉……!帰ってきたんだな」

 ベリンダは、彼からベル姉と呼ばれていたらしい。そして私がタオル一枚の姿であるにも関わらず、ファルクは駆け寄ってきた。もう少しで体が触れそうなところで立ち止まり、立派な黒い尻尾をぶんぶんと振る。

「教会に行ったきり連絡も取れないから、もう帰ってこないのかと思った……俺がいくらベリンダの家族だと言っても衛兵は取り合ってくれないし」

 彼が教会を訪ねていたとは初耳だった。確かにベリンダは私と入れ替わったあの日から、情報共有のため、教会の寄宿舎で寝泊まりをしていた。
 そしてあの場所は暴力などから逃げる女性の駆け込み場所という側面がある。男性の呼び出しには基本的に応じないのだろう、報告は何もなかった。

「あはは、いやあ、聖女様と意気投合しちゃってさ、寄宿舎にお泊りしてたのよね!心配かけてごめんね!」

 私は申し訳無さもあり、とにかく話を合わせようと乾いた笑い声をあげる。練習したベリンダの喋り方は完璧と思えた。

「は……?」

 なのに、ファルクは険しく眉を顰めた。

「本当にベル姉だよな?」

 ファルクは私の首筋に高い鼻を近づけ、スンスンと匂いを嗅いだ。狼の獣人はとても嗅覚が敏感らしいから、何かバレやしないかと鼓動が早くなる。体は間違いなくベリンダだし、魂が嗅ぎ分けられるはずないけど。

「あ、当たり前じゃない?」
「俺と話してくれるなんて、どうしたんだ?」
「えっ?」
「5か月ぶりだ」

 しばらく口をきいてないとは言ってたけど――ベリンダはそんなにも強固な意志で、頑なに無視を続けていたの?

 普通に受け答えしてしまった私は、どう誤魔化そうかと困り果てた。すると、ファルクは心底嬉しそうに微笑んだ。口元から覗く真っ白な歯と鋭い犬歯が、少し私の母性本能のようなものをくすぐった。逞しい男性だけれど、笑うとかわいらしい。

「ベル姉、俺を許してくれるの?」
「よ、よくわかんないけど、普通にした方がいいでしょ。同居人なんだし」
「ありがとう」

 さっきから懸命に動いている彼の尻尾は速度を増し、今や千切れそうにブンブンと振られていた。ベリンダはどうして彼を無視し続けられたんだろう。
 体は大きいけれど、すごくかわいいじゃない。こんなに純粋な愛情を要らないと切り捨てられるなんて、ベリンダは贅沢だ。モテる女性だから仕方ないのだろうか。

「ねえところでファルク……怪我してない?」

 チクチクした苦しみが感じられ、ファルクの怪しい腹部を見つめる。聖女である私は、他人の痛みや苦しみに同調してしまうという厄介な能力がある。だからこそ他人の怪我をどう治せばいいかわかるのだが、迂闊に神聖力を使えない今は悩ましかった。

「大したことない」
「手当てするから見せて」
「急にどうしたんだよ、帰ってきた途端に話をしてくれるし、怪我まで気にするなんて。聖女様から慈悲の心でも教えてもらったのか?」
「そういうことよ」

 私は有無を言わせず彼のシャツをズボンから引きずり出し、腹を露出させる。そのあたりから血の匂いがしたからだ。

「ひどい……何これ」

 適当な当て布と汚れた包帯を外すと、いくつもの深い裂傷が現れる。ファルクは生活費を稼ぐため、街の外で魔物を倒し、その素材を売っているとベリンダから聞いていた。だけどこんな怪我をしてまでやるのはどうかと思う。

「ちょっと城壁を出て強い魔物と戦っただけだよ……」
「何それ、そんな危ないことは絶対にやめなさい、死んだらどうするのよ!」
「ごめん。でも俺は獣人だし、すぐに治るから」

 私の怒声にファルクの尻尾は力なく垂れ下がり、耳も悲しそうに折れてしまう。獣人の回復力は高いらしいが、それでも私は傷ついている人をこのままにしていたくなかった。条件反射的に治癒をしかけ、正気に返る。そんなことをしたら、私が聖女だとバレてしまう。

 どう見ても、ファルクはベリンダが大好きだ。そんなベリンダと私が入れ替わっていると知られるのは、絶対にまずい。しかもベリンダ本人は、どんどんと遠くに行っている最中だし、次に入れ替わりを解消できるのは1年後なのだ。

 この純粋そうな人に、すぐに元に戻せと泣かれでもしたら私はとても耐えられないだろう。人生初の、貴重なお休み期間を楽しむどころではなくなってしまう。

「せめてきちんとした手当てをするわ。包帯とか……そういう道具はどこだったかしら?」
「あっちだろ?」
「そう、あっちよね」

 ファルクの指差す方向の棚に、程よいサイズの木箱があった。取りに行こうと体を捻ったとき、ハラリとタオルが外れ、床に落ちる。

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